芸術を愛する人の集い

三澤洋史

白馬でのバカンス
 白馬にいる。もしかしたら、このような感じでのバカンスは、生まれて初めてかも知れない。何も予定がなく、ひたすら休暇を満喫する日々。今年の上半期の、息をもつかぬほどに追い立てられた日々の後だけに、余計、開放感を僕に与えてくれた。
 親友の角皆優人(つのかい まさひと)君の友人の別荘は、五竜スキー場と八方スキー場の間の“みそら野”という別荘地の中にある。ここから平川という川をへだててすぐのところにHakuba 47ウィンタースポーツパークがあるが、ずっと下に行かないと向こう側に行く橋がないので、見えるけれど行けない。反対側の八方尾根スキー場の方に向かって少し行くと、長野オリンピックのために作った巨大なスキーのジャンプ台がある。

 毎朝の散歩はいつも楽しみ。林の中を深呼吸して散策しながら樹木のオーラに包まれ、突然景色が開けると、万年雪をいただく白馬連峰の息をのむような景色に胸をときめかせる。その万年雪の雪解け水は、沢となって至る所に流れているが、真夏なのに驚くほど冷たい。
 日中はそれなりに暑いけれど、空気は乾燥している。そして朝晩は肌寒い。着いた日に、布団を確認した時、
「夏掛けで充分、毛布はいらないだろう」
と笑っていたが、窓を開けて寝るどころか、気がついたらぴっちり部屋を閉め毛布をしっかり全身に巻き付けて寝ていた。こうした生活をもう一週間続けている。それは僕を内面から癒し、かつ新たなエネルギーをどんどん充電してくれている。

 また、このバカンスは、家族の絆を確認する重要な時期でもある。妻と二人の娘、そして3歳の孫娘杏樹と、水入らずでベッタリと過ごしている。杏樹の母親である長女の志保は、この上半期、ピアニストとして僕同様とても忙しく、杏樹を朝の9時までに保育園にあずけると、午後から夜まで仕事に行くので、保育園からの引き取りはいつも妻に任せざるを得なかった。
 なので、愛娘杏樹との唯一の接点は、彼女が起きてから登園までの時間。でも、朝はいつもあわただしい。子供なんてみんなマイペースだから、なかなか大人の思うように朝食やお着替えなどをしてくれない。そうして追い立てるように登園させると、もう次に会えるのは翌朝。つまり、一日にたった1時間くらいしか会えない。
 恐らく全ての働く母親がそうであると思われるが、娘とゆったりと接したいという欲求不満と、それを自ら放棄して働きに出ることによるある種の罪悪感にさいなまされながら、志保も毎日を送っていたのだ。
 それはじーじの僕もそう。杏樹に会いたい、一緒に遊びたいといいう気持ちは、特に演奏旅行で家を離れている間などに募った。だから、朝から晩までずっと杏樹と一緒に過ごせるということは、志保にとっても僕にとっても待ちに待ったひとときであった。
 プラスして、普段中目黒に住んでいて、めったに家に来ることの出来ない次女の杏奈も、姪の杏樹をとてもかわいがってくれているので、嬉しい期間であった。杏奈は、僕たちの車で一緒に来たが、仕事のために5日土曜日夕方の高速バスで東京に帰っていった。

 反対に、妻にとっては、いつも自分ひとりに押しつけられた杏樹のおもりから解放されたひとときである。誰よりも彼女と接する時間が長い妻は、杏樹に対して良い顔をするだけにはいかず、“分からんちん”を言う杏樹のしつけの義務感など、プレッシャーも感じていたと思われるが、それからの開放感と共に、距離を置いてリラックスしながら杏樹と接することによって、あらたな愛情を持ってあらたな関係を築きつつあるように僕には感じられる。
 片や、接したくとも接しられない哀しみを持つ母親と、片や、みんなは好きなことをして自分にばかり面倒を押しつけられているおばあちゃんの双方の心情のゆがみみたいなものが、この休暇の間に完全に矯正された。それだけでも、この休暇の価値はとても大きい。

 3歳の杏樹は、いろんなことにどん欲である。とくにこの休暇中は、みんなとしっかり接することが出来るので、会話の面白さに目覚めたようだ。これまでの杏樹だったら、いろんな言葉をただ丸ごと受け入れていたが、画期的だったのは、いろんな言葉を意識化して覚えたいという意欲が、この滞在中に芽生えてきたこと。
 彼女はいろんなことを尋ねてくる。たとえば、
「ねえ、『ひつよう』ってなあに?」
「ひ、必要・・・ええと・・・」
こうなると家族全員がやっきになって説明するが、子供に新たな語彙を教えるほど難しいものはない。
「うーん・・・それがないと困るってこと・・・」
「???・・・困るってなあに?」
「うわっ!」
 駄目だ!他の単語に置き換えても、エンドレスで質問してくるに違いない。英語を習いたての者が英々辞典を引くようなもので、ただ知らない単語が増えるだけ。

 そこで、説明の方法を変えることにした。
「杏樹がご飯を食べる時には、何が必要かというと、お箸が必要。あるいはフォークが必要。スプーンも必要」
「保育園に行く時には、何が必要だか分かる?」
「・・・分からない」
「あのね、保育園バッグが必要。それから・・・」
杏樹はハッとし、
「あっ、分かった!タオルが必要。それから連絡帳が必要」
「そう、その通り!」
「それから・・・自転車」
「まあね、ママが自転車に乗せていってくれるから、必要といえば必要か、じゃあさ、泳ぐためには何が必要?」
「水着!」
「そう!」
「帽子!」
「その通り!それからゴーグル」
「タオル!」
「その通り!分かってきたじゃない」
こんな会話がとっても楽しい。

 手前味噌だが、僕たち家族は、もともととっても仲良しだと思う。だからこそ、こうしてみんな勢揃いすることによって、またあらためて、僕と妻の関係、娘達との関係、そして孫との関係を確かめ、修正し、確固たるものとして再構築することが必要なのだ。


蕎麦屋 蛍


 親友の角皆優人(つのかい まさひと)君夫妻とは毎日会っている。少なくとも毎日お昼は一緒に食べている。奥さんの美穂さんが、僕たちが白馬に来るずっと前に、僕たちを連れて行くレストランのリストを作っていて楽しみにしていた。ある時は巨大なハンバーガーの店、ある時は山の奥深くの蕎麦屋さん、ある時は「おやき」の店、またある時はイタリアンとバラエティに富んでいて、かつどこも間違いなくおいしい。


おやきの店 いろは堂

 また、僕たち家族は、ほぼ毎日プールに行った。僕は角皆君から体幹の矯正をしてもらい、杏樹は美穂さんから泳ぎを教わっている。美穂さんは、元来スキーよりもスイミングのインストラクターであり、とりわけ幼児スイミングが得意だという。美穂さんのお陰で、杏樹は顔が水につけるようになり、足を水から浮かして前に進むようになった。


スイミング


 その他の時間では、杏樹を中心に白馬ライフをエンジョイしている。早朝から気球に乗ったり、


熱気球に乗りました

夏の間キッズランドを開催しているHakuba 47で、トランポリンや林の中でのアスレチックに興じたり、


Hakuba 47のキッズランド

バドミントンを買って家の前でやったりしているので、杏樹はもう大満足。
 我が家からは、志保がCASIOの電子ピアノ、杏奈がクラリネットとウクレレ、そして僕がコンガを荷台に積んできた。


バドミントン

かつてはパリ郊外のマルメゾンのコンセルヴァトワールでクラリネットを学んだ杏奈であるが、その後メイクアップ・アーティストになったので、杏奈のクラリネットを聴くのは久しぶり。最初こそ調子が出なかったけれど、結構いい音じゃないの。今からだってプロになれるんじゃないか。と言っても、本人はやっぱりメイクの方が楽しいんだって。
 僕がここに来てから一番一生懸命やっているのは、水泳とコンガだ。コンガは朝練と称して基礎練習を欠かさず行う。同じことを15分とか反復練習していると、ある種の瞑想状態になり、それがとても心地良い。自分で言うのもなんだけど、この滞在の間に結構上手になってきたよ。
 一方、ミサ曲の作曲をしようとわざわざパソコンと音源モジュールと打ち込み用キーボードを持ってきたのに、譜面作成ソフトのFinaleの調子があまり良くない。これはきっとあまりやるなということなのだろうなと思って、打ち込みはやめた。
 ただし、電子ピアノをポロポロと弾きながら最後のDona nobis pacemの楽想を練っている。下手にすぐ書かないで暖めておいた方が良いものに仕上がる予感もしている。


白馬な風景

芸術を愛する人の集い
 8月6日日曜日は、特別な日。僕が白馬に長期滞在しているというので、角皆君がFacebookで知り合い達に呼びかけ、僕を囲んでの一日を企画してくれたのである。角皆君ならではだなあと思ったのは、この一日がなんとスイミングから始まったことだ。しかも、80歳になるワールド・マスターズ・スイミングの現世界チャンピオンの松本弘さんをお迎えして、僕を中心にみんなに水泳のアドバイスを与えてくれるという、なんとももったいない話なのだ。
 ここに集ったのは、勿論角皆夫妻と松本さんの弟子で現日本記録保持者の小林喜代美さんという女性、なんと北海道から検事の藏重有紀(くらしげ あき)さんという女性、そして三澤家から妻と志保と杏樹。

 松本さんの泳ぎは、素人が見たら、もしかしたら「なあんだたいしたことないなあ」と思ってしまうようなゆったりとした泳ぎだ。だが、僕はトータル・イマージョンをやっていたので、この泳ぎの恐ろしいレベルの高さを知っている。というか、まさに僕が目指している泳ぎそのものだ。
 全然バシャバシャと水しぶきが飛んだりしないで、1ストロークでもの凄く進むし、優雅で全く無駄のない完成されたフォーム。これをそのまま速く泳いで、松本さんは50メートルや100メートルで世界を現在でも制覇し続けているのである。

 僕が松本さんの前で泳いで真っ先に言われたことが面白い。
「水を掻いている時のてのひらで、親指だけ離しているでしょう。それをもっとくっつけて下さい。他の指との関係を切らないように」
それだけで、1ストロークで進む距離がかなり変わるという。
 それから、僕の首の角度が前に傾きすぎだとか、リカバリーの後の入水の手の角度、あるいは入水した後の腕のあり方など、いろいろ細かい指示が続いた。しかし最も重要なことは、
「伸ばした腕を、あと30センチ伸ばしなさい。なるべく体を伸ばすように」
というものであった。
 松本さんの言うことを完全にマスターするのは至難の業であろうが、このレッスンの間にも、僕の泳法は自分でも見違えるように良くなったと思う。こんな大先生に習うなどもったいないとも思うが、やはりどんな下手でも、良い先生につくべきなんだね。
 しかし、僕にとってもっとラッキーだったのは、松本さんに教わる前に、ほぼ一週間角皆君のアドバイスを受け続けて、一番良い状態でレッスンが受けられたこと。特に体幹のありかたについては、角皆君と一緒に泳いだ最初の日に注意され、かなり改善された状態で臨めたからね。それでもまだ同じ事を松本さんに指摘されたんだ。これだけでも、僕は今回白馬に来た甲斐あるなと思うし、それを導いてくれた親友角皆君に本当に感謝する。

 その後、角皆君の家から近い“田園詩”というレストランを借り切って昼食会となった。この昼食会では、スイミングのメンバーに加えて新たに、曼荼羅を描く画家の小林史(ふみ)さん、パステルで白馬の山の風景を描く松下英友さん、日本を代表する三味線奏者の松本梅頌(ばいしょう)さんとその奥様、元モーグルスキーヤーでクラシック音楽に造詣が深く、特にマーラーが大好きな松山和宏さん、それになんと名古屋からソプラノ歌手の飯田みち代さんが加わった。
 あまりいろんな人たちが一堂に集まった昼食会なので、話がとっちらかるかなとちょっと心配したけれど、そんなことはなくて、媒体とするものはそれぞれ違っても、芸術という中心点に向かって各自がアプローチする方法論や、大切にしているもの、それにまつわる様々な逸話などを披瀝し合って、思いの外なごやかで楽しい会となった。
 
 それから角皆プロデュースの個性的集いは続く。なんとロケーションを車で1時間以上離れた松本に移して、現在角皆君と僕との3人対談が進行中の、画家の山下康一君の個展をみんなで見学。そしてその後、蔵を改造して作った“アートカフェ清雅”でお茶を飲んでおひらきとなった。
 とはいっても、たとえば志保と杏樹は昼食会までで松本には来なかったし、最後のカフェまで残ったのは、角皆夫妻、僕たち夫婦、飯田さん、松山さんであったが、興味深かったのは、アートカフェのオーナー岡村節子さんが話に加わったこと。

 そこでの会話は、とてもスピリチュアルな話題となって、ある意味、僕にとっては最も興味深いものになった。きっかけは、岡村さんがこの立派な昔ながらの蔵をカフェにすることにまつわるスピリチュアルな体験を語ったこと。岡村さんの家は元来庄屋で(おにころみたいだな)、ここは米蔵であった。ある時彼女がこの蔵に入った時、キラキラ光る粉のようなものがこぼれたのを見たという。その時、彼女に何かが降りてきて、それからこの蔵をカフェにするまでずっと、ある意味夢心地のような状態であったという。
 それからというもの、様々な出逢いやそれを進めるための信じられないような出来事、及び、逆に沢山の障害などが立ちはだかったが、彼女は使命感にかられて、死にものぐるいでカフェの開店に向かって奔走した。そして、めでたく開店に漕ぎつけたある日、彼女から何かが去っていったのを感じたのだという。

 それから、みんなの話題がどんどんスピリチュアルなものになっていたので怖いほどであったが、同時に僕は、この白馬での日々が、単に休養のためのバカンスではなくて、僕に新たな気づきと霊的インスピレーションを与えるための天上からのはからいであることに気づかされた。

 たとえば、飯田みち代さんが僕と共演する時、僕が指揮をし始めると、僕の体が真っ白になっていくのをいつも感じるという。僕自身は自分の体が変容していくのは肉眼では見えないが、自分が大きな光のドームに包まれて透き通ってくるのを感じる。それを他人から見た体験として聞くのはとても興味深いし、そう感じていた自分はひとりよがりでなかったのだと確信を持つことが出来た。人間って、こんな体験をしながらでも、どこまでも疑り深く不信仰なのだ。
 まあ、僕だって飯田みち代さんを自分の演奏会のソリストとして起用するようになるきっかけは、霊的というまではいかないけれど、こうだ。ある時、愛知芸術劇場地下のリハーサル室でモーツァルト200合唱団の練習をしていた。隣の練習室では、日生劇場主催「セヴィリアの理髪師」の立ち稽古が行われていた。同じオペラ界なので知り合いも沢山いるので、休憩時間に冷やかし半分に隣の練習場に見学に行った。すると、そこにロジーナがいた!
 そのロジーナが飯田みち代というソプラノ歌手であるとは後で知った。僕にとって衝撃的だったのは、飯田さんがロジーナを演じているのではなく、そこにいたのはまさにロジーナそのものであったのだ。月並みな言葉で言い換えると、彼女はそれほどロジーナに成り切っていたのである。そこで、即座に僕は、次の演奏会のソリストはこの人に決めようと決心した。いや、この人とのつきあいは今後長いものになるであろうと確信した。これが飯田さんとの出逢いである。

 芸術という大きなくくりでつながってはいるもの、音楽と美術というと、扱う媒体が違うだろう。通常はなかなか会話の接点を持つのが難しいのであるが、逆にあまりに狭く、たとえば音楽家だけの集いとかなると、今度は専門的あるいは具体的な話題ばかりになってしまって、そうすると趣味の違いや価値観の違いなどが出てきて、かえって対立すら生んでしまう。
 しかしながら、今回ここに集った人たちは、みんなどこかスピリチュアルなところを持っているお陰で、ジャンルを超えながらも、ある意味芸術を生み出す原点ともいえるスピリチュアルな話題で会話が花開いていったので、それぞれの参加者にとって充実感のあるひとときだったのではないだろうか。少なくとも僕にとっては、かけがえのない時間であった。みなさん、本当にありがとうございます!

僕の白馬での日々はまだ続く。



 


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