日本人に出来ること~「神々の黄昏」レポート

三澤洋史

彼岸花咲く今日この頃
 今年は彼岸花の開花が例年より早い。しかも元気なように思われる。9月に入ってからすぐは残暑の日々で、まだ空調が必要であったが、それから急に涼しくなったので、あちらこちらから一気に茎が伸びはじめ、先端に赤い色が混じったと思ったら、1日でパーッと咲き誇る状態になった。
 早朝散歩していると、穂が垂れ始めた田んぼの稲の緑と対照的に、朱色の一群が鮮やかに映える。ああ、秋が来たのだなあ、と思う。また、今年は赤い花に混じって白い彼岸花も目立っている。よく見ると、その白の中に薄く赤も混じっていて、高貴で神秘的な雰囲気を醸し出している。曼珠沙華とも呼ばれるこの花には、根に毒があるので、害虫から稲を守るためにわざと田んぼのあぜ道などに植えるそうである。

 僕はこの花が大好きなので、ほとんど毎年「今日この頃」でも写真付きで取り上げている。「彼岸花」という名前は、単にお彼岸の頃に咲くという意味で付けられたのだと思うが、僕にはむしろ「彼岸につながる花」というイメージが強い。じっと眺めていると、本当に自分の意識がこの世から離れて彼岸の世界に吸い込まれていくような気がするからだ。だから、彼岸花が咲いている期間中、僕の意識は少しこの地上から離れている感じがする。

 9月15日金曜日。新国立劇場は、14日の「神々の黄昏」オーケストラ合わせと16日から始まる舞台稽古との間のオフ日。歌手達にも少しは休ませなくてはね。それなので、僕は、午前中はイタリア語のレッスンに行き、午後には立川の柴崎体育館のプールに泳ぎに行った。


曼珠沙華の丘1

 体育館の手前の立川公園野球場の近くに「曼珠沙華の丘」というところがある。ここは市民の憩いの場で、沢山の人達がくつろいで池の鴨を眺めたり、そぞろ歩きをしたりしている。春には桜がとても美しいし、この時期には彼岸花が咲き乱れる。そこを自転車で通りながら、ふと意識がトリップするのを感じた。


曼珠沙華の丘2

 16日土曜日から始まる「神々の黄昏」舞台稽古は、初日が序幕及び第1幕なので、第2幕以降から登場する合唱団は、15日に引き続きオフになった。それで、新町歌劇団の練習に行き、その前にお袋のお見舞いに行くことにした。高崎線で新町駅まで行き、そこから藤岡市にある施設までタクシーで行けば全然早いのだが、僕はあえて八高線を使ってトコトコとのんびり行った。
 途中の山あいの農村地帯でも、突然彼岸花の一群が目に飛び込んでくる。i-Phoneで写真を撮ろうと構えると、もう視線から消えてしまう。また突然朱色の一群。また過ぎ去っていく。僕はあきらめて撮るのをやめた。

 お袋の入っている介護付き施設は、群馬藤岡駅から15分くらい歩いたところにある。台風が近づいているが、まだ雨が降っていなくて良かった。お袋はみんなの集まるホールの中にいて、入居者みんなの洗濯したタオルをたたんでいた。入居してすぐに骨折してしまったお袋は、基本的に車椅子に座っているが、上半身は元気だから、ほとんど独りでタオルたたみを引き受けている。
 僕が行っても、タオルをたたむ手を休めることなく、話をしている。その中にエリック・カールの絵本“はらぺこ青虫”を描いたタオルがある。なにか英語で書いてある。なになに?very hungry caterpillarだって。このcaterpillarってどう読むんだろう?そこでお袋のいるそばで電子辞書をカバンから取り出して引いてみた。
 あれ?キャタピラーだ。それに戦車やブルトーザーのキャタピラも同じ単語だ。そうかあ、あのキャタピラって車輪と違って進み方が芋虫のようだものな。僕は妙に納得して、ひとつ利口になったような気がした。
「何してんだい?」
「あのね、この英語がね青虫っていう意味だけど、英語ではキャタピラって発音するんだよ。戦車のキャタピラと一緒なんだよ・・・」
 ところがお袋は全く関心を示さない。僕はあきらめてお袋が話すままに任せた。お袋が黙ると黙るままにさせておく。こんな施設にいるので新しい話題など何もない。従って噂話もない。昔話がほとんど。気が付いたけれど、お袋は、人の悪口などを言うことがなくなり、穏やかで静かな雰囲気を漂わせている。施設の中の生活は、三度の食事も出るし、全て守られている。誰かといさかいする必要も理由もないし、お金の心配をするわけでもない超単調な毎日。

 だから穏やかになった反面、認知症がかなり進んでいる。まあ、まだ僕に向かって、
「どなたさまですか?」
と訊ねるようになるまでには時間がかかるように見えるが、
「おうちに帰りたいなあ」
というおうちは、僕が子ども時代から暮らしていた新町の家ではなくて、なんとお袋がお嫁に来る前の玉村の実家になっている。
「ほら、あそこんちのお婆さんいるだろう?」
と僕に訊く。知らねえよ、そんな婆さん。僕が生まれる前の話だもの。それに、90歳のお袋がお嫁に来る前に近所にいたお婆さんなんて、どう考えても生きてるわけないよな。でもね、うんうんと言いながら聞いているんだ。
 しかしながら、時々ちょっと悲しくなる。僕たちが子どもの頃からずっと過ごした新町の家を忘れちゃったのかな。だとすると、僕や親父や姉たちで過ごした新町での一家団欒の日々は、お袋の記憶から消えちゃったということ?

 以前は、僕がしばらく行かないと、ずっと待っていたようで、
「なんだい、ここんとこ全然来なかったね」
と語気を強めて言うので、「ああ悪かったな」と胸が痛んだものだったが、どうも最近は、前回いつ来たかという記憶が曖昧になってしまったみたいだ。
「あらヒロフミ、今日はどうしたんだい?」
と、穏やかな表情で言われると、かえってガクッとくるね。
 この先、こうした状態がもっと進んでくる可能性も大きいから、どうなっても受け止められるだけの覚悟はしておかなければな。

「また来るからね」
とお袋と別れて、群馬藤岡駅に戻る。一度高崎駅に出て、新町歌劇団の練習まで時間があったので、お茶を飲むことにした。あたりはもう薄暗くなっているが、またあちらこちらに彼岸花の一群が見える。
 その彼岸花を見ている時に、ふと頭によぎったのは、ボーッと穏やかになったお袋の魂の一部分は、もう彼岸にあるのだろうか、ということだ。その考えは、車窓に突然現れては消えてゆく彼岸花を見る度に確信に変わっていった。そんなこと考えている内に、僕の魂もユラリとしてきた。魂が此岸と彼岸との間を行き来しているようだ。

 これを書いている9月18日の午前中は、台風一過の晴天。今日は、このまま気温が上がっていくようだが、この先、お彼岸を経て秋はしだいに深まっていくのであろう。

日本人に出来ること~「神々の黄昏」レポート
 ジークフリート役のステファン・グールド、ハーゲン役のアルベルト・ペーゼンドルファー、グンター役のアントン・ケレミチェフ達は、みんな2メートルを越える巨体で、日本人歌手は合唱団員を含めて、全員地下のこびと族のようだ。
 体が大きいということは、すなわち声帯も大きいので、あんな声が出るのは当たり前だ。戦後、食料事情の進歩などで日本人の体型が変化したとはいえ、体での勝負という点になると、とうていかなわない。というか、もう見てくれだけで、「俺たち負けてる」という雰囲気が漂ってしまう。
 困ってしまうのは、彼等があのボリューム感で歌うと、合唱団のみんなは自然に対抗意識が芽生えて、つい自分の許容量を越えてガナッてしまうこと。それで少しくらい声量があがったとはいっても、所詮ガナり声はガナり声。音色は汚くなるわ、声が揺れ始めるわ、ハーモニーは乱れるわで、なにも良いところはない。かえって悲壮感が漂うのみ。

 僕はみんなを集めて言う。
「みんな、彼等は楽器が違うのだ。ハーゲンのペーゼンドルファーなんて、言ってみればコントラバスなのだ。それに対してバス・パートの君たちは、せいぜいチェロなんだ。
でも、それを引け目に感じたからって、それは僕たちの努力が足らないわけでも、なにかいけない事しているわけでもない。仕方がないだろう。どうにもならないだろう。
僕は、かつてバイロイトから帰ってきて絶望的になり、合唱団の練習でも、チェロのみんなからコントラバスの音色を引き出そうとしていた。それが間違いだとミラノに行って気がついた。
君たちは、自分がチェロであることに誇りを持ち、チェロとして最善の音を出し、最良の音楽を奏でることに専念するのだ。いいかい、それしか、彼等に勝つ方法はないのだ。これから、怒鳴り声で歌うヤツは許さないからな」
それから、合唱団のみんなは再び平静心に戻り、落ち着いて自分たちのサウンド作りに励んでくれるようになった。

「やっぱり本場の歌手達は違うよな。日本人ではこうはいかない。日本人は駄目だなあ」
という言葉は、僕も昔は使っていた。その意見は間違いではないし、聴衆は自由に感じ自由に発言する権利がある。しかしながら、合唱指揮者としての僕は、体格からくる劣等感を言い訳にして、
「だからこれだけの“おと”しか作れないのです。すみません!」
という状態に甘んじているわけにはいかないのである。
 でも視点を変えてみると、日本人が日本人でいながら出来ることはあるのだ。それどころか、日本人でないと出来ないものも少なくないのである。たとえば、僕は野球のことはよく分からないのであるが、イチローの体の使い方は、力のみで押し切ろうとする欧米人と一線を画していると言われている。
 いや、イチローだけでなく、海外で外国人達に囲まれながら頑張っているほとんど全てのアスリート達は、嫌が応なしに外国人達の体格や体型と向かい合わざるを得ず、その中から自らの体幹のあり方や姿勢やフォームを見いだして勝負しているのだと思う。そして結果的には、外国人を超えるプレーをしている選手がいるではないか。

 ミラノ短期留学の後、僕は新国立劇場合唱団のベルカント能力を上げることに専念し、それによって彼等のワーグナー歌唱の能力も上がった。それは、必ずしもドイツ人合唱団の音色とは違うが、先ほども言ったように、僕はもうチェロにコントラバスの音色を出させようとはしない。それに、日本人合唱団の様々な美徳、すなわちきめの細かい表現力を武器にして、日本人が日本人であることによって彼等を超えたいと思っている。
 そのひとつの形を、僕は愛知祝祭管弦楽団で追求し、「ワルキューレ」までの演奏会で提示しているが、ここ新国立劇場合唱団においても、自分なりのチャレンジとしたい。手前味噌だけれど、合唱団のみんな頑張っているよ。演出補のアンナ・ケロさんは、稽古に3時間取っていたけれど、新国立劇場合唱団が一回で出来て、時間が余ってしまったので、
「皆さんに謝らなければならないことがあります。私の判断ミスでした。こんな早く午後の練習が終わってしまうのが分かっていたら、夜の練習に呼んでいる歌手をもっと早く呼び、晩まで皆さんをお待たせすることはしなかったはずです。申し訳ありません。6時まで休憩して下さい」
と言ってくれるし、芸術監督であるマエストロ飯守泰次郎さんも、
「バイロイトで書き込んだことを、三澤さんは全部先取りしてやってくれているし、この合唱団は、注意したらすぐに柔軟になおしてくれる。素晴らしい!」
と褒めてくれる。

 「神々の黄昏」公演を楽しみにしている皆さん。これは僕の大和魂を賭けた挑戦です。日本人の日本人による日本人でなければ出来ないワーグナー合唱。しかし、それは同時に普遍的価値を持たなければ意味がない。それが世界にどこまで通用するか?日本人だけの自己満足としてではなく、シビアな眼で皆さんも眺めて評価して下さい。どんな酷評も甘んじて受けましょう。

ただこれだけは言っておきます。もし僕に出来ないなら、日本人のワーグナー演奏には未来がないでしょう!

これが僕のプロとしてのプライド。

バロックというよりはバッハ
 10月22日の東京バロック・スコラーズ「バッハとルター~宗教改革500年を記念して」演奏会のための準備を進めている。通常はこんなに早くから勉強を始めないのだが、10月に入ったら、むしろ愛知祝祭管弦楽団「ジークフリート」のスコアの勉強を平行して行いたいので、今のうちに頭に入れられるものは入れておこうと、アリアを中心に曲のアナリーゼから行っている。それと、今回は東京バロック・スコラーズ初登場のソリストが3人もいるので、アリアのコレペティ稽古を早くから始めたというのもある。

 いやあ驚くというか頭が下がるというか、単なるアリアにここまで凝るのかいと思うほど複雑に書いてある。カンタータ第80番第2曲目のソプラノとバスの2重唱曲では、バスの超絶技巧に驚かされる。冒頭からバスのはてしないコロラトゥーラが続き、それにからんでくるソプラノのコラール旋律は変奏されていて、しかも一緒になぞっているはずのオーボエと微妙に変奏が違っている。ソリストの大森いちえいさんは、ブレスする間もない。


Kantata80-2
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 同時進行で、ヴァイオリン1番2番とビオラのユニゾンが、絶え間ないリズムのオブリガートを弾き続けている。しかしながらこのメロディーが、それぞれ異なっているコラール・フレーズのどれとも見事にマッチしている。どうしたらこんな真似が出来るのか?勿論、コラールのメロディーを何度も何度も吟味しながら、それに合う音型を探して当てはめたのだろう。面白いのは、これだけ凝っているのに、オーケストレーションという点では、実に無欲で、ソプラノをなぞる1本のオーボエと、ユニゾンの弦楽器、それに通奏低音の3声部に過ぎない。
 第4番のソプラノのアリアなんて、伴奏は通奏低音の1声部だけなんだ。そもそもオーケストレーションという言葉を使うのもためらわれる。とはいえ、実際には和音が付くのだけれど・・・つまり、鍵盤奏者が右手で和声を即興でつけるのだ。
 練習のためのピアノ譜では、鍵盤奏者が即興で演奏する右手の部分を編曲して書いてあるから2段譜だけれど、オリジナル・スコアでは1段で、しかもこの曲では、コードネームを表す数字もロクに書いていない。この音型から自分で勝手に推測して、曲想に合った和音をつけなさいと放置状態。僕は、演奏会ではチェロ1本とチェンバロのみで伴奏することを考えているから、わずか3名で演奏するのだ。こんなシンプルな楽曲なのに、巨匠でなければ決して書けないほど精緻な書法。


Kantata80-4
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 ルターが作詞作曲した「我らが神は堅き砦」のコラールをバッハが愛する気持ちは分かるが、だからといってここまで凝らなくてもいいだろう。しかも、これを礼拝の中で演奏するんだぜ。もし僕がバッハの時代にライプチヒにいて、その初演の場に立ち会っていたら、もう礼拝なんか忘れて、第2番アリアの後なんか、コロラトゥーラのバス歌手にスタンディング・オベイションをして大拍手しながら、
「ブラボー、バッハ!アンコール!」
と叫び続けるに違いない。祈りの最中に、こんなに興奮させてはいけません、ハァハァハァ・・・・。
 という風に、天才はこんなだから、時代の中ではむしろ正統に評価されにくいね。こんな複雑に凝った楽曲、当時教会の中で一体誰が望んだろうか?同時代の誰も、こんな音楽を作ってはいない。他のバロックの作曲家は、もっとお気楽で楽しいじゃないか。テレマンやイタリアのヴィヴァルディのように。
 こんな風に行く所まで行っちゃったから、バッハ以後、ルター派の礼拝音楽を作る人がいなくなっちゃて、結局プロテスタント礼拝音楽もバロック音楽もバッハによって幕引きされてしまったのだ。バッハ以後のプロテスタント音楽に見るものがないのは、そのせいなのだ。間違いない。ちょうど、マイルス・デイビスがジャズの幕引きを強引に行ってしまったのと一緒だ。

 そこまで考えた時に、はたと思った。そういえば、昔の僕はいつも好んでマイルスやコルトレーンを聴いていたわけではなかったなあ。ジャズが聴きたいと思った時は、むしろもっとジャズらしいミュージシャンを聴いていた。
 すなわちトランペットで言えば、クリフォード・ブラウンやケニー・ドーハム、フレディ・ハーバードやリー・モーガンなど。サックスで言えば、ソニー・ロリンズやハンク・モブレイ、アルトだけどキャノンボール・アダレイなどね。彼らの方がずっとジャズらしい楽しさに満ちていて、スィングするし、アドリブ・フレーズも健全でイカしている。
 第一、コルトレーンなんて全然スィングしないだろう。ただ垂れ流しのように超高速で吹きまくるけれど、こんなのはっきし言ってジャズとは言えない!スィングしなけりゃジャズじゃない!マイルスだってそう。しばらく休んでプーなんて、とっても本気で吹いているように見えない。つまり“意味あり気”過ぎて、屈託なく楽しめないのだ。でもね、彼らの音楽は確かに誰よりもクリエイティヴなんだ。
 そして、ジャズという時代が過ぎ去ってみたら、彼らの音楽しか残らない。だから、みんなジャズというとマイルスやコルトレーンのようなものを思い浮かべるが、あれがジャズだと信じられてしまうと、ちょっと抵抗が残るなあ・・・。

 そんなわけで、バッハも、バロック音楽というよりはバッハなのだ。
「これはもう梅酒というよりはチョーヤです」
みたいに。あははははは!あのThe CHOYAという梅酒はおいしいよ。3年ものの方がベターだけど、1年ものでもいい。ええと・・・何の話していたんだっけ?

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