ミサ曲完成間近

三澤洋史

小関さんの病院に行きました
 これまでに、声が出なくなったことは何度かあったので、分かってはいたけれど、声が出ないと人に会うのもおっくうになるんだ。先週も、「椿姫」や「薔薇の騎士」の公演中に合唱指揮者楽屋に入ったら、もうあまり部屋から出る気が起きない。
 普段だったら、空いている時間に音楽スタッフ室に行って、城谷正博君や他の副指揮者やピアニスト達と大いにダベっているんだけれど、出ない声を無理矢理出すのも疲れるし、第一、この声を聞かせてみんなに不快な思いをさせたくないじゃない。そう思って自分の楽屋にじっと引きこもっていると、なんだか対面恐怖症みたいで自分らしくない。

 27日月曜日、先週の「今日この頃」の更新原稿をコンシェルジュに送ったら、彼が、
「小関さんのところに行かれたらどうですか?」
とメールを書いてきた。なあるほど。そうだ、どうしてすぐに思い出さなかったのだろう?以前、東響コーラスのメンバーだった小関芳宏(こせき よしひろ)さんは、耳鼻科の先生だったのだ。東京メトロ副都心線の神宮前、あるいは山手線原宿駅の近くの、神宮前耳鼻科クリニックの院長なのだ。
 
 小関さんは、僕がバイロイト音楽祭で祝祭合唱団の指導スタッフの一員として働き始めた1999年に、バイロイト音楽祭を観に日本からやって来た。僕は彼を、自分が音楽祭の間住んでいたアパートに招待したりして、とても打ち解けた仲となった。なかでもよく覚えているのは、ひとつのエピソード。
 その年の8月11日に、ドイツでは皆既日食が見られるというので、みんなが大騒ぎしていた。小関さんは、
「バイロイトでは、部分日食なので面白くないですよ。どうせなら、皆既日食の見られるアウグスブルクからミュンヘンにかけての地域に出掛けて行ったらどうですか。部分と皆既とでは全く違いますからね」
と僕に言うので、僕はいろいろ調べて、これまで何度か行ったミュンヘンではなくて、初めてのアウグスブルクに行こうと決心した。すると、小関さんは次の日、僕にこう言った。
「僕も調べてみましたら、アウグスブルクでは11時15分26秒に太陽が欠け始め、約1時間20分かかってゆっくり進行し、12時35分53秒に月がすっぽり太陽を覆う100%の皆既日食となります。再び太陽が顔を出すのが12時38分10秒。つまり、その間の2分17秒間は確実に太陽が月の陰に隠れているわけです。それで・・・」
「それで?」
「それで・・・いいですか三澤先生・・・僕がこのバイロイト音楽祭でワーグナーの楽劇を観るために持ってきた双眼鏡を置いていきますから、先生は、この双眼鏡でその12時35分53秒から38秒10秒までの間に、黒い太陽を観るのです。すると・・・」
「すると?」
「すると・・・まあ、コロナは肉眼でも観れますが、双眼鏡で観ると実に壮観ですよ。でも、もっと凄いのは・・・」
「はい・・・」
僕は、ゴクリとつばを飲み込んだ。その音が小関さんに聞こえたかも知れなかった。
「もっと凄いのは、なんとプロミネンスを鮮やかに観ることができることです」
「プロミネンス!あの炎のように太陽から吹き上げるように出るヤツ」
「そうです。恐らく夢のようにきれいに・・・」
「うわあ・・・もし観れたら凄いですね」
「ただし、気をつけてくださいよ」
「な、なに?」
「その2分17秒間が過ぎて、たった一瞬たりとも、太陽の光を観てしまったら・・・」
「観てしまったら・・・・」
「三澤先生の目は間違いなくつぶれます」
「な・・・なに?・・・つぶれる?本当に?」
「もう一生、なにも見ることは出来ないでしょう」
「や、やめよっかな」
「いえいえいえ、そういう危険をおかしてまでも観る価値はありますよ。それに、科学の力を信じてください。その2分17秒間は、絶対に太陽は出てきません」
「なあるほど・・・」
うわあ、恐いなあ。まるで、フグを食べたい人は命を捨てる覚悟をして下さいみたいな話だね。しかし、さすが理科系の知識人は考えることが違うなあ。
 ということで、僕は音楽祭を見終わって帰国していった小関さんから双眼鏡を借りて、アウグスブルクに行って、彼のお陰で素晴らしい体験をすることが出来たのだ。その模様は、バイロイト日記1999年の「皆既日食を求めて」という記事に詳しく載っているから見てね。

 そういえば、以前、僕がシューベルトのピアノ・ソナタが苦手だとホームページに書いたのを読んで、わざわざクラウディオ・アラウの弾く21番ソナタのCDを送ってきてくれたのも小関さんだった。(3月13日の記事)シューベルトのピアノ・ソナタをこよなく愛するので、僕にも好きになってもらおうと夢中になって送ってくれたそうな。彼は、そんな情熱家でもある。

 ええと、前置きが死ぬほど長くなってしまったが、現在では、新国立劇場に来日中の歌手達の喉が調子悪くなったりした時には、小関さんの病院が優先的に診療してくれるというので、すこぶる人気があり、これまでにも沢山の歌手達が彼のクリニックのお世話になっている。まさに新国立劇場御用達という感じなのだ。
 来日する外国人歌手にとっては、英語に堪能な彼だし、なんといっても、自分自身きれいな声のテノール歌手という、どっちが本業?というほどの二足のわらじ状態なので、オペラ歌手の喉には特別精通しているというもっぱらの評判である。

 それで月曜日中に小関さんにメールをした。すると親切にも、夜に電話がかかってきた。
「うわあ、電話越しにも先生、本当にすごい声ですね。では明日11時半くらいに来てください」
ということで、小関さんの病院に初めて行くことになった。
 いろいろ僕から話しを聞いた後で、口を開けて喉を見た小関さんは、
「あ~あ、どこもかしこも真っ赤だ。要するに風邪ですよ」
とあっさり言う。あ、なんだ、と思ったが、同時にホッとする気持ちもあった。とすると、ずうっと長い間風邪引いていたってわけか・・・。
 診察の合間にいろいろ話をする。
「昨年の読響の第九、聞きに行ったんですが、新国立劇場合唱団の演奏、お世辞抜きで素晴らしかったですよ」
と言ってくれて、とっても嬉しかった。
「やっぱりバイロイトに行かれてから、先生の音楽は画期的に変わりましたね」
「まあ、本場のドイツ人に囲まれて、発音も表現も響きも、ネイティブの情報がドッカーンと頭の中に入ってきながら仕事していたからね」
 おかしいのは、彼は僕のことを病院内でも「三澤先生」と呼んで、僕は「小関さん」と言っている。本当は彼が先生で僕は患者に過ぎないのに・・・。最初に東響コーラスで、僕が指導者だったから、なんとなくそういう関係になってしまっているのだ。

 僕は呑気だな。やっぱり風邪だったのか。でも、小関さんのところで処方してもらった抗生物質がびんびん効いて、体はどんどん治ってくる感じがする。ただ、声の方は、あそこまで壊れてしまうと、そう二日や三日でスパーッとは治るものではない。

 小関さんが、新国立劇場に言って買ってもらった吸入器がある。彼がその吸入器用の薬を病院で出してくれると、歌手達は新国立劇場から吸入器を借りて、毎回その薬を入れて吸入する。これは良いシステムだ。
 ということで、僕も新国立劇場からその吸入器を借り、毎回その携帯用の吸入器を持ち歩いて吸入している。それが効いてかなり声が出てきた。その後の東響コーラスの練習や、マーラー第3交響曲のFM少年合唱団の練習などがつつがなく出来たのは、その吸入器のお陰だ。小関さん、ありがとう!

 師走に入って、二度目に行った小関さんの病院の近くの表参道のイルミネーションの美しさに見とれた。この時期、カフェーに入ると、どこでもクリスマス・ソングがかかっている。東京カテドラル関口教会でも、12月3日の日曜日から、教会歴が新年度になって待降節が始まった。ああ、今年もクリスマスが来るんだなと、しみじみ思う。


師走の表参道


杏樹は4歳になりました!
 可愛い可愛い孫娘の杏樹が11月28日で満4才になった。お誕生日の前に彼女が通っている保育園で、11月生まれの子供達を集めてお誕生会をやってくれたそうだ。でも、杏樹自身はまだお誕生日前だったので、
「杏樹は4歳・・・だけど、本当の4歳ではないの」
と、何度も何度もちょっと悲しげに言っていた。
 それが、待ちに待った28日がやってくるというので、前の晩はなかなか寝付かなかった。その晩は、志保の妹の杏奈も我が家にやってきて、杏樹の寝付くのを待って、それっ!とばかりに部屋の飾り付けをみんなでした。

 杏奈は、2階に上がる廊下いっぱいにありったけの人形を並べる。残りの人形を杏樹が寝ている部屋から取ってこないといけない。目覚めてしまわないかとハラハラしながら取ってきた。僕は、お誕生プレゼントに約束していたポポちゃん人形のための「おうち」を、アマゾンの包みから取り出し、組み立てる。僕たちは、
「これで、夜中に起きて階段降りて来ちゃったら全て水の泡だね」
と言い合って笑いながら作業した。


お誕生日の朝001


 そして、いよいよお誕生日の朝になった。目覚めた杏樹は、階段を下りながらもう目を丸くしていた。
「おめでとう!杏樹、4歳になったんだよ。本当に4歳だよ!」
杏樹は、とっても嬉しそう。それを見ている僕たちも、とっても嬉しい。
「じーじ、このぽぽちゃんのおうち、どこで買ってきたの?大きくて持ちづらかったでしょ」
「うん?ええと・・・アマゾン」
「アマゾン?」
「まあ、そんなことはどうでもいいじゃないか。あははははは!」


お誕生日の朝002


 4年前に、あんなちっちゃい肉のかたまりのようにして、志保のお腹から出てきた赤ちゃんが、こんなに大きくなりました。これまで無事に育って、本当に神さまに感謝です!杏樹の存在が、どれだけ僕たち家族を力づけ、慰めてくれたことか。
 今日は、幼稚園をお休みして、志保と杏奈に連れられて、杏樹はディズニー・シーに出掛けて行きました。


お誕生日


杏樹、ありがとう!これからも元気で、すくすくと育っていってね。ジージも出来るだけの応援をするからね。

ミサ曲完成間近
 ずっとアイデアを温めていて、夏の白馬で実際に書き始めたミサ曲が、いよいよ完成間近になってきた。今回はあわてずに、じっくりじっくり試行錯誤しながら作曲していたので、こんなに長くかかってしまったが、決してアイデアが枯渇していたわけではない。むしろ、ああもこうも作れるのだけれど、落とし処をそれぞれに決めるのに時間がかかったといえるだろう。
 ミサ曲のタイトルは、イタリア語でMessa con la musica latina(ラテン音楽ミサ)のような感じにしようと思っている。Messa latinaの方が潔いが、こうしてしまうと、むしろ「ラテン語のミサ」という意味になってしまう。ミサはもともとラテン語なので「いまさら何?」という感じになってしまうのだ。今回は、ラテン風音楽で彩るというのがコンセプト。そのモチベーションを導き出してくれたのはラテンロック・バンドのサンタナだった。
 ところが、あれだけサンタナに傾倒していた僕が、こうしてミサ曲の作曲が終わりに近づいてきたら、サンタナを聴いても以前ほど惹かれない。まあ、聴き過ぎて飽きたということもあるのかも知れないが、どうやらサンタナは僕にとって「誘い水」というか起爆剤の役目だったのだろう。
 それが証拠に、出来上がってみたら、僕のミサ曲はそんなにサンタナの音楽に似ていない。ただ、このミサ全体に漂っているラテン音楽テイストは、サンタナのライブに行き、サンタナに傾倒しなかったら、絶対に得られなかったは間違いなかったのだけどね。サンタナを聴かなかったら、このコンセプトは生まれず、作曲のモチベーションも生まれず、従って、今日に至るまで、僕のミサ曲は未だ影も形もなかったであろう。

 こんな風に、アイデアは僕自身の中からではなく、向こうからやってくる。僕にとって作曲というのは神からの賜物である。「おにころ」も「ナディーヌ」も、僕の頭からひねり出したものではない。みんな向こうから、
「インスピレーションを送ってやるから書け!」
と、至上命令のように来る。
 では、僕はそれをただ書き記すだけかというと、そうでもない。僕という人間性との間で、様々な葛藤があるし試行錯誤がある。そして最終的には、僕の感性のフィルターを通して、曲はこの世に降臨するのだ。

 このミサ曲の中で、Credo(信仰宣言)だけは、ややラテン音楽から離れ、ちょっと近現代音楽のテイストを使っている。無調ではないけれど、ちょっと調的支配からゆるくなっている音楽だ。それに、Crucifixus(十字架に付けられ)を中心にかなりシリアスな音楽も聴かれる。その後のEt resurrexit(そして復活し)では、通常はいきなり爆発的な喜びの音楽が奏でられることが多いが、僕にはどうもそういう気分になれなくて、静かな保持低音の上にメシアンのように鳥が啼き、鐘の音が聞こえ、やがて無伴奏の賛美歌が流れるという風に作曲した。つまりこれは「復活の日の朝の情景」だ。ここは、これまで誰も作曲しなかったやり方だ。

 さて、そうやってCredoの音楽だけ特別な感じだが、それだけに、終わりをどのようにしようか考えあぐねていた。とりあえず、最後のAmenをバルトーク風の変拍子の音楽で彩られたフーガにしようと思って作り始めた。
 そこそこのものが出来つつあったが、でも、読み直してみてちっとも面白くない。つまり、上から何も降りてこないのだ。天から見離されてる感じ。音楽もなんかちょっとぎこちない。それに、こんな風に終わったら、Credo全体が堅苦しく、他の曲から遊離し過ぎてしまう。
 それで自問自答した。自分は、作曲家としての技法を変に誇示したいという気持ちがあるのではないか?それは、要するに煩悩ではないか?自分として、「こうしなくては」ではなくて、本当に「こうしたい」というCredoのフィナーレが他にあるのではないか?それがなんだかもうお前は分かっているのではないか?ほら、言ってみな。それはなあに?
 すると、自分の心の中で声がする。
「サンバ!」
いやいやいや・・・ミサ曲ですよ。ラテン音楽は分かるとしても、サンバまでいくと、敬虔なカトリック信者から石が飛んできますよ。でもさあ・・・なんでサンバだと不真面目なのよ?

 つべこべ言ってても始まらないので、とりあえず作ってみることにした。サンバで。ところが、これが信じられないほどスイスイ運ぶ。しかも、当初アーメンだけだったはずが、突然ひらめいて、これまでの全部の歌詞を一気にはめ込んでしまおうというトンデモないアイデアが浮かんできた。それで、あの長いCredoの歌詞を詰め込めるだけ詰め込んで、後半のCredoとAmenだけのクライマックスを含めて、わずが2分半に収まってしまった。
 出来上がってから、「あっ、そうか」と思った。これって、これまでひとつひとつ描いてきたCredoの各部分を総括する曲なんだ。すべてをサンバのリズムに乗せてメドレーのように流していく。つまりパレードなんだ。そこで、その曲に独立したタイトルをつけた。題してFesta di Credo(クレード祭り)だって、あはははは!・・・やっぱ、熱心なカトリック信者に絶対怒られるな・・・。でも、それをサンバにしてよかった。そうでないと、全曲の中であまりにもCredoが浮いてしまうから。

 さて、これでCredoが出来上がった。あとはねえ、通常のミサ曲にはないのだが、ミサの中で年間を通して決して変化しない部分で、これまでミサ曲の中で作曲されなかったものを是非入れてみたいのだ。それはPater noster(主の祈り)。これを、本来の典礼の中で並べられる箇所、すなわちSanctusとAgnus Deiの間に入れたいのだ。
 僕は、「主の祈り」を、すでに「3つのイタリア語の祈り」で一度イタリア語で作曲しているけれど、今回はもっとシンプルで癒やし系の曲にしようと思っている。実は、もう半分くらいまでスケッチとして作っているのだが、これ以外の全ての曲がほぼ完成した現在の時点で、他の曲とのバランスを見ながら、場合によってはまた全面作り替えも厭わない気持ちで取り組んでみようと思っている。
 最近、フォーレの歌曲を聴いて、フォーレのメロディー・メーカーの業に舌を巻いたばかり。あんな風にシンプルで誰の心にもスーッと入ってくるメロディーが出来たらいいよなあ・・・・。

 なんか、臨月の妊婦のような気持ちの毎日。ここまでお腹が大きくなってきたら、どうしても出さないといけない。僕のお腹の中で胎児のミサ曲が暴れているよ。早く地上に降臨させてくれえ!って。
 みなさんにも是非聴いていただきたい。これは全体を通して画期的なミサ曲なんだ。楽しくって泣けるミサ曲になるはずだよ。教会の中のミサも、毎回こんな風に楽しくってエキサイティングで泣けるといいのに・・・・。

   

 


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