今年一年を振り返って

三澤洋史

今年一年を振り返って
 年の瀬も押し迫ってきた。今年は一体どういう年だったのだろう?と考えてみるが、すぐにハッと気が付いた。そうだ、こういう時こそ、「今日この頃」を見ればいいのだ、と。これは僕の日記のようなものなのだ。しかも、かなり細かい日記。自分が行ったことだけではなく、それに関する心情や意見、感想など、様々なことが綴られている。2004年から続けているのだから、もう13年も日記がたまっていることになる。

 そこで、自分でCafe MDRにアクセスして、今年の最初の原稿からずっと振り返ってみた。春までの間はスキーの記事ばかりで、こんな記事に皆さん付き合わされて本当にお気の毒だなあと同情を禁じ得ない。
 そのスキー・シーズンが終わってみたら、夏までにいくつもの演奏会が折り重なるように続いていて、それを新国立劇場合唱団指揮者という通常業務の間を縫って裁いていったのだから、よく生きていたなあと、手前味噌ながら感心してしまった。

 そして「おにころ」公演が終わった後、わずか10日間ながら、8月初めの白馬での、親友角皆優人君の知り合いの別荘におけるバカンスは、この先何年も記憶に残るような素晴らしい時となった。
 この時生まれた、ミサ曲の終曲Dona nobis Pacem(我らに平和を与え給え)の音楽イメージは、最近完成したMissa pro Pace(平和のためのミサ曲)の基本イデーとなっている。それは、まさに白馬の大自然から受けたインスピレーションのたまものである。
 それに、この滞在中には、角皆君を通して、いろんな人との出遭いを経験した。その中には、水泳の世界チャンピオンである80歳にして現役の松本弘さんに、恐れ多くも泳ぎの指導を受けたなんていうのもある。尊敬するのは水泳だけではなく、松本さんの自然体のたたずまいは、それ以来、僕の生き方の指針となっている。それから、家族との関わりの確認など、普段の忙しさの中では得られない様々なことを、静かな生活の中で体験することができた。

 夏以後は、再び仕事の中に没入していくが、その中でコツコツとミサ曲を作っていった日々は、今から振り返ると、あんなしあわせな日々はなかった。ところが、その時の自分にとってみると、この作曲はむしろひとつの精神的重圧であった。常に試行錯誤を繰り返すし、これで最良か、まだ他に可能性はあるのではないかと疑心暗鬼で、
「あそこは、やっぱりこうした方がいいかな?」
と、いつもいつも頭から離れず、出口のないトンネルの中を果てしなく行くような閉塞感もある。胎児をお腹に宿している落ち着かない妊婦の気分。入っている限りは、どうしたっていつかは出さないわけにはいかないだろう、という感じ。
「これさえ・・・これさえ出来上がれば、落ち着くんだけどな・・・」
と、完成する日をずっと夢見ていたくせに、いざ出来上がってみると、
「ええ?生きる目標がなくなっちゃった。一体、明日からどうやって生きていこう?」
と気が抜けてしまって、あの創作途中の、インスピレーションの風をリアルに感じていた生き生きとしていた自分がなつかしく思い出されるのだ。
 こんな風に、人間って、なかなか“今”を「しあわせ」って思えないんだ。本当は、後から考えて「あの時はしあわせだった」と思えるってことは、すなわち、どんな今でもしあわせって思えるということなんだけどね。まだまだ悟りが浅いなあ・・・。

 さて、公の活動は置いといて、僕個人として、今年における特筆すべきことがふたつある。ひとつは今述べていたMissa pro Paceの完成。もうひとつは(来年に向けてであるが)、「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプを計画したこと。
 何故このふたつが大事かというと、これらは、2009年から始まった僕の第二の人生が、準備期間を経ていよいよ第二段階に入ったことを示しているからだ。僕の第二の人生の話は、すでにどこかで述べているのだが、もう一度簡単に説明しよう。

 ずっと昔のこと。ある夜、僕の夢の中にお坊さんの姿をした人が現れて、
「お前は53歳で死ぬんだ」
と言った。そこで僕は、自分の人生は53歳までだと覚悟して生きていた。ところが54歳の誕生日が来てしまった。なあんだあれは嘘か、と思ったが、実はその誕生日の日、妻が僕に内緒で病院の検診の予約を入れていた。
 そしたら、そこで僕の血糖値が異常に高かったことが判明した。医師にさんざ脅された僕は、仕方なく、まずカロリー制限から始めた。しかし、ダイエットだけでは限界があるので、同時にスポーツを始めた。するとあろうことか、それまであれだけスポーツ嫌いだった僕が、不思議とハマった。僕は毎朝の約1時間の散歩を習慣とし、自転車に乗り、スキーをし、水泳をする生活となって今日に至っている。
 そのことは、当然のこととして僕のライフスタイルを根本から変えた。還暦を過ぎ、人生においてあまり先がない僕は、水泳にしてもスキーにしても、自己流で時間を浪費したくはないので、きちんとレッスンを受けた。すると、体幹への意識に目覚め、スポーツの運動力学の合理性に気付くようになった。それを自分の指揮法に応用してみた。それはテクニック的向上をもたらしただけではなく、僕にとって、そもそも音楽をするとはどういうことか、ということについての深い考察を促すようになった。

 内面的にも、自分の生活は一新した。様々な偶然(僕は偶然だとは思っていないが)が重なり、僕は東京カテドラル関口教会から聖歌隊指揮者として呼んでいただいた。それが自分の信仰者としての意識を呼び覚まし、還暦を過ぎて様々な欲望の炎も穏やかになってきたこともあるが、僕は自分の精神をコントロールし、より宗教的な生き方をめざすようになった。
 僕は祈り、瞑想するようになった。すると、様々な不思議なことが自分の身の回りに起きてくるようになった。そうした流れの中でMissa pro Paceは生まれたのである。つまり、自分の宗教的生活が、ひとつの目に見える形となって結晶したのである。

 要するに、53歳までのメタボ&自堕落な僕の人生は完全に死に、僕は54歳の誕生日を境に、本来僕が歩むべきだった“本当の人生”に向かって舵を切ったのであるが、しかしながら、昨年までは、まだ移行期であり準備段階にしか過ぎなかったのである。
 僕自身、ここ数年の間に、これまで惹かれていたものに惹かれなくなり、これまで興味なかったものに急に激しい情熱を感じるようになる自分に驚いていて、刻一刻と変わってくるまわりの景色に戸惑っていた。自分がどんどん昨日と違う自分になってくる。でも、自分が何を目指し、最終的にどういう自分になっていくのか皆目見当がつかなかったのだ。
 それが、今年から、しっかりと現れてきた形を見ることで、逆に自分の向かっている先が推測できるようになってきた。たとえば、ここ数年、どうしてこんなに自分がスキーに夢中になるのか理解できなかった。それはもう“好き”とかいう次元の問題ではないのだ。スキーの神様が僕をわしづかみにし、捕らえて放さない感じ。
 でも、「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプを計画してみて、やっと分かったのだ。つまりこのスキーへの情熱は、僕の音楽的アプローチ及び宗教的アプローチと最終的に合流するようになっているのだ。すなわちメンタルな要素とフィジカルな要素の両方をもって僕の覚醒は成就するのだが、それに密接に影響を与えるものとなるのである。

 来年は、僕の第二の人生は、もっと具体的に花開いていく。いろんなことが僕のまわりに起こってくる。僕はそのために、もっともっと自分の精神を高め、精妙にし、自分にチャレンジし、それでいて慈愛を深め、もっともっと寛容な心を持ち、そよ風のように爽やかに生きていきたいと思っている。

 みなさん!みなさんも、これからは僕のそばに来ると、いつもなにかいいことが起きますよ。
ということで、良いお年を!



 


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