ニングルマーチがスキー場に来た!

三澤洋史

ニングルマーチがスキー場に来た!
 2月のキャンプの直後、新国立劇場合唱団の「アイーダ」の練習で、「ベルカント唱法とスキーとの関係」について熱く語ってしまったことはすでに書いた。
「こんなこといきなり言ったら、みんな引くんだろうなあ・・・」
と思いながらも、言葉が止めどなく流れ出てきて自分でも困った。
 しかしながら、何人かの団員が休憩時間に寄ってきて、
「あたしもスキーをやるんですけど、三澤さんの言ってること、よく分かります」
と共感の言葉をいただいたのには驚くやら嬉しいやら・・・。
 そればかりではない。実は3人ほど、僕の話を聞きながら、ひそかに僕が滞在している間に白馬に来て一緒に滑ろうと思っている団員がいた。テノール登録団員の西沢健吾君、バス契約団員の小林宏規さんと秋本健さんである。

 3月8日木曜日9日金曜日のキャンプのために、僕と妻、次女の杏奈、孫の杏樹は、前日の7日水曜日に白馬入りし、午後から滑った。杏樹はソリ遊びをしていた。僕は、親友角皆優人君のはからいで、フリースタイル・アカデミーの事務所(インストラクターの詰め所)に244とSpeed Chargerという2種類の板を置かせていただき、キャンプの間から、さらに次の週いっぱいまで置きっ放しにさせてもらった。
 それで、まずモーグル専用の244を持って、ゴンドラでアルプス平に登ってひとしきりウォーミングアップし、コブなども滑った後事務所に戻り、明日のキャンプで使用するSpeed Chargerに乗り換えて、午後3時、待ち合わせ場所であるとおみゲレンデのセンター、エスカルプラザで小林宏規君と会った。

 小林君は、前の日の「ホフマン物語」午後公演の後、実家の長野市に帰り、そこから車で白馬入りしていた。それで、一緒にゴンドラに乗って上のアルプス平に行き、グランプリ・コースを何度か一緒に滑った。
 彼は、見るからに筋骨隆々でスポーツマンで、今年の東京マラソンに出場後、「ホフマン物語」の舞台稽古に参加したりして合唱団員達を驚かせたりしている。スキーに関しても、指導員の資格を持っているほどの素晴らしい腕前だ。
 面白いのは、彼のスキーの滑り方は、歌と全く一緒で、横隔膜の圧がしっかりかかっているように、スキーの圧も揺るぎなくかかっているが、とにかくスピード狂!広大なゲレンデを縦長のSで猛スピードで疾走する。僕は、スラローム用のSpeed Chargerだったからなんとか彼に追いついたが、彼の板はレンタルの見るからに軽そうな板なので、
「小林君、その板でそんなにスピードを出したら、板がプルプルするんじゃない?」
と言ったら、
「めちゃめちゃプルプルするよ」
と言う。
「あぶねえな」
と言って二人で笑った。
 マッスルで歌い滑る彼から見ると、コブやショートターンといったものは、こざかしいテクニックと映るのか、これまであまり興味が湧かなかったらしい。でも、僕が先に滑って、急斜面であるチャンピオン・ダイナミックコースで、適度にスピード・コントロールをしながらリズミックにショートターンをすると、後ろから降りてくるやいなや、
「三澤さん、上半身が全然ブレないで体軸が揺るぎなくて、さすがだね」
と褒めてくれたので、
「もしそうだとすると、角皆君のお陰なんだ。彼が僕をここまでにしてくれたんだ」
と答えておいた。

 小林君は、合唱団の契約メンバーになってから、スキーをするのは久し振りだと言ったが、今回滑り終わってなにか思うところあったみたいで、頭の中でいろいろ思考をめぐらせながら帰っていった。
 彼は、低音から高音まで輝く声で歌い切る歌手だが、マッスルだけに頼り過ぎないで良い意味で圧を調整し、きめ細かいテクニックを駆使する技をもっと開発したら、ドイツ歌曲などもカバーする素晴らしい歌手に変貌出来るのだが・・・。
 それだけの実力を有している人材が、スキーのお陰でもし少しでも変われるとしたら、スキーの音楽に投げかける力にも、あなどれないものがあるなあ。

 一方、かつて「ナディーヌ」のニングルマーチを演じてくれた、アキケンこと秋本健さんは、スキーに精通しているから僕の言葉を分かったというわけではなかった。というよりむしろ、「アイーダ」練習中の僕の話を聞きながら、
「あんな風に情熱的に三澤さんを語らせるスキーってなんなんだ?」
という素朴な疑問を持ったという。
 彼は、昔何度かスキーには行ったけれど、まだ初心者だったし、きちんと教わったわけではないので、そもそもスキーの何たるかを知らないという。でも、僕の言葉にいたく興味を持った彼は、滑ってみたいとたまらなく思うようになった。
 ところが、3月の「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプは、僕が降り番になっているドニゼッティ作曲「愛の妙薬」舞台稽古の真っ最中に行われていた。だから、小林君はキャンプの前の日に来たし、アキケンもキャンプに参加できるわけがなかった。でも、次の週に僕がひとりで白馬に行っていると聞いた彼は、僕にこう訊ねてきた。
「あのさあ、12日月曜日の最後のオケ付き舞台稽古の後、白馬に着くことが出来たら、次の13日火曜日はまるまる休みなんだよね。それでね、次の14日水曜日の夜の初日に間に合いさえすればいいんだよね」
「ん?何・・・?」
「白馬に行ってスキーしようと思うんだけど・・・」
「おおおっ!是非おいでよ!一緒に滑ろう!」
ということで調べたら、大宮で北陸新幹線に乗って長野駅まで行き、そこから白馬行きの高速バスに乗れば、楽勝で月曜日の内に白馬入り出来ることが分かった。

 さらにもう一人いた。昨年から新国立劇場登録団員となっているテノールの西沢健吾君は、弱冠25歳ながら、先日の来期登録のための試聴会での成績がとても優秀だったため、来シーズンから、全演目に乗る義務と権利を有する「契約メンバー」になることが決まっている。
 彼は安曇野の北端に位置する大町市出身だ。白馬まで車で30分くらい。だが彼は、10年前にバイクによる事故を起こして腰を痛めて以来、スキーをやっていないという。それが僕の言葉でやる気になったらしい。彼は「愛の妙薬」には乗っていないので、「ホフマン物語」千穐楽が終わった後、11日日曜日に実家に帰り、12日と13日に、その大町の実家から車で白馬に通うことになった。

 ということで、2人の新国立劇場合唱団団員が、先週の僕の滞在中に白馬入りした。僕自身は、12日月曜日、立川駅を7時53分発の「あずさ3号」(白馬まで直通)に乗って11時27分に白馬駅に着き、午後からゲレンデに出た。
 とりあえずモーグル用の244を履いて、上部のアルプス平にゴンドラで上がったら、雨模様のキャンプの時とは大違いの、抜けるような青空と、太陽の光がさんさんと降り注ぐまぶしいほどの白銀のゲレンデが僕を迎えてくれた。
 コブなども冷やかしながら、これから始まる数日間の修行のウォーミングアップのつもりで、何度もグランプリー・コースやテクニカル・コースを滑ってから下に降りて、エスカルプラザに行ってヨゴリーノを食べていたら、西沢君がやって来たので、彼にも勧めて一緒に食べた。
 ヨゴリーノは、イタリアン系のヨーグルトアイス。試しに食べてみた「ミックスベリー・バルサミーコ・ソースかけ」がめっちゃ美味しく、即ハマって、その後3日間、僕はこれを食べ続けることになる。バルサミーコなんてミスマッチだと思うでしょう。ところがそうじゃないんだな。
 それからゴンドラでアルプス平に上がった。西沢君は、さすが大町出身で、よく五竜スキー場にも来ていたというほどだから、スキーは結構うまい。ふたりでひとしきり楽しく滑ってから再び事務所に戻ると、角皆君がいたので西沢君を紹介した。


西沢君と

 彼は、夕方大町に戻って行ったが、一方でアキケンが午後9時45分に五竜停留所に着くので、カーサビアンカのマスターである大野さんに車を出してもらって、一緒に迎えに行った。
 着いてそのまま僕は彼を、先日のキャンプの懇親会会場にもなった呑み処“おおの”に誘って、軽く一杯やった。彼はいも焼酎のロック、僕は日本酒を飲む。普段僕は日本酒は飲まないのだが、大野さんの出してくれる日本酒だけは(主として生酒)どれも絶品で、この後、アキケンが帰っても僕は毎晩呑み処“おおの”で、ぐい飲みに唇を持っていって日本酒をすすり、舌の上で目を細めながらころがすことになるのだ。

 翌日、やはりエスカルプラザで9時半に西沢君と待ち合わせ。午前中は僭越ながら僕がアキケンにレッスンをつけた。アキケンは、超初心者ではないけれど、まだボーゲンの域なので、重心移動を徹底して教えながら、シュテム・ターンにまで持っていった。テニスやゴルフなど、いくつかのスポーツをやっているので勘はとてもいい。上級者の西沢君も同行してレッスンを受けていた。


アキケンと

 午後は、その土台に乗っ取って、ゴンドラで上に登ってHAKUBA47に行き、まず初心者用のルート8に行った。勿論僕はその都度アキケンにサジェスチョンを与える。彼は、それを吸収して、どんどん上達していく。それが僕にはとっても楽しい。

 西沢君は写真が趣味だという。ご自慢のOlympus Penを持ってきて、僕たちの写真をどんどん撮っている。


おじさん2人

ルート8をみんなで滑り切った後、うーん・・・どうかな、とは思いながら、僕は彼らを中級用のルート1に誘った。アキケンは上からコースを眺めながら、
「これって、結構急じゃね?」
「ええ?そんなことはないよ。単なる目の錯覚じゃね?」
「そう・・・?」
「そうだよ、決まってるじゃないの。それっ、行くぞう!」
ということで、無理矢理決行。


雄大な自然の中で

 途中、アキケンは転んだりしながらも、なんとか果敢についてきた。それに、随分上手にもなっていた。でもね、その後アルプス平に戻ってきて、
「グランプリ・コースとチャンピオン・コース、滑りながら下まで行ってみる?」
と聞くと、
「いえいえ、結構です。もう足がパンパンで膝が笑ってきたよ」
というので、ゴンドラで反対に下まで降りることにした。
 でも、僕はもっと滑りたかったので、西沢君を誘おうとしたら、彼も、
「僕も、もう充分なので、秋本さんと一緒にゴンドラで降ります」
と言うではないか。
「あれ、若いのに・・・」
と言うと、アキケンが代わりに答えて、
「三澤さんこそ、その歳でフツーじゃねえよ。どんだけ元気なんだ、あんたは?」
いやいや、僕はすぐそばに角皆君のような奴がいるので、まだまだ未熟だなあと思い続けているのに・・・。
 それで、彼らがゴンドラに乗っている間に、僕はグランプリからチャンピオンをかっ飛ばして帰ってきた。


ちょい悪仲間

 西沢君はペンションのカーサビアンカには泊まらないで大町の実家に帰るのだが、僕は彼をカーサビアンカの夕食に招待した。またその晩は、マスターの大野さんが、角皆君がキャンプでお客を誘致してくれたお礼を兼ねていたのだろう。角皆君夫妻を夕食に招いてもいたのだ。それで、5人で一緒に夕食を取った。
 角皆君夫妻は、ミュージカル「ナディーヌ」を見ているので、ニングルマーチを演じていたアキケンを一方的に知っていたが、一緒にお話しするのは初めて。アキケンは、気さくで楽しい人なので、話は多方向に弾け飛んで、実に楽しかった。


ニングルマーチだぞう!

 若い西沢君とは話がないかなと心配したのも杞憂であった。実は、西沢君はハーレー・ダビッドソンの1450ccに乗っているという。それに角皆君が超反応した。僕が、
「バイクは内傾させて曲がるので、外向傾のスキーとは真逆だよね」
と言うと、角皆君はこう言う。
「いやいや、三澤君。究極のところでは、バイクも外向傾なんだよ。普通の人は知らないけれど」
まあ、彼が普通の人でないことはみんな知ってる。
「僕は、バイクのレースに出たことがあるんだ」
「マジ?」
「足が地面に着くスレスレにまで傾けると、それを調節するためには、上体を外向傾にしないと転倒してしまうのだ」
うわっ、つくづく宇宙人だなあ。角皆君は・・・。
楽しい語らいは、果てしなく続いた。


カーサビアンカで

 みんながカーサビアンカから帰って行った後、僕はお風呂に入ってから再びアキケンを誘って呑み処“おおの”に連れて行った。アキケンはまた焼酎を飲み、僕は日本酒を飲んで、夜中近くまでいろいろ語り合った。
 ところが次の朝、朝食に起きてくるなりアキケンは、
「三澤さん、オレもう体中パンパンなので、今日午前中に滑ろうと思ったけれど、やめて帰るわ。オペラの本番だからね。筋肉痛で動けないんじゃハナシにならない」
と言う。それでバスの時間を早めて彼はあっけなく東京に戻っていった。

シーズン最後のスキー
 ということで、その14日水曜日は突然一日フリーになった。おお、この一日、どう過ごしてもいいんだ。僕はこのスキー場でまだ行っていなかったルート3に初めて足を踏み入れた。ここはHAKUBA47の一番の難所。コブの急斜面であるが、その日のコンディションが良かったこともあって、244の板でゆっくりなら落ち着いて滑ることが出来た。ここには2回ほど足を踏み入れた。2度目は、もうちょっと余裕で滑った。
 これで、白馬五竜スキー場のほぼすべてのゲレンデを制覇したぜ。「ほぼ」というのは、47からいいもりゲレンデ上部に連絡する迂回コースがあるのだけれど、ここのところずっと気温が暖かいので雪崩の危険があるためクローズになっているのだ。まあ、別にそんなに大切なコースでもないからいいか。

 続く15日木曜日は角皆君が空いていたので、
「三澤君、一緒に滑ろう!」
と言ってくれた。でもねえ、一緒に滑るといっても、レベルの差がハンパでないので、要するにレッスンみたいになっちゃう。だったら、本当はきちんとレッスン料を払って教えてもらいたかったのだけれど・・・・。
「あのさあ、今年スキーで随分お金遣っちゃったので、レッスン代払えないんだ。申し訳ない」
と言ったら、
「何を言ってるんだい。いつも逆に親友からレッスン代を取って申し訳ないと思っているのはこっちの方なんだ」
「それは言わないで!時々それを言うけれど、嫌なんだ。むしろ、こっちが『ようし!』と思っている時は、友達という甘えを排してきちんと向かい合いたいので、払うものは払ってガッツリやりたいからね。そっちも割り切って受け取ってもらわないと困る」
「分かった。それで、今日は三澤君の行きたいところに行って、やりたいことに付き合ってあげる。何処に行く?」
「とりあえず244を履いて47に行こう!」
「了解」
ということで二人で47に行ったが、
「ルート8に行こう!」
と言うので、え?なんで?と聞いたら、
「まあ、おいで」
と言うので付いて行った。
 そしたら、途中で立ち止まって、コース横の急斜面の非圧雪地帯を指して、
「ここはロープが張ってないので、入ってもいいんだよ」
「ゲッ、林の中やんけ。バックカントリーみたいだね。まだ木にぶつかって死にたくないよ」
 まあ、でも木と木の間隔はそれなりにあるし、ならば行くか、というので体を踊らせて入っていった。ところが、244という板は他の板に比べてすごく細いので、中途半端な重い新雪の場合、板が雪に潜ってハマってとっても難しい。二人してコケて、
「あはははははは!」

 47の中腹のルート4スノーパークでは、ハーフパイプや様々なサイズのジャンプ台が出来ていた。その脇に、偶然練習用のコブが出来ているのを見つけた。
「三澤君、ここ練習になるよ。やってみるかい?」
「おお、いいね!」
という感じでコブに入っていった。
 結局そのコブを僕たちは一体何度滑ったのだろう。角皆君は前から、あるいは後ろから僕の滑りを見ていて、僕は滑っては直され滑っては直され、またふたりでリフトに乗りながら音楽やいろんな話をし、また滑ってサジェスチョンを受けた。これは、もしかしたらこれまでで最良のレッスンであったのではないか。
 角皆君もリラックスしていたし、僕も肩の力が抜けていたから、最後に滑った時には、今までになく落ち着いて、それなりのフォームでバンク・ターンを上から下まで滑り降りることが出来た。これでもうコブが完全に恐くなくなった。
「ただでこんな良い思いをさせてもらったから、これから僕の演奏会に来てくれたら、全部招待してあげるからね。もっとも、これまでもそうだったし、僕が払うわけじゃないんだけど・・・」
「あはははは」
 それから、キャンプの時にミーティングなども行ったレストラン風舎に行って、二人でお昼を食べ、僕たちは別れた。

 僕はしみじみ思った。なんて素晴らしい友を僕は持っているのだろうか!これこそ人生における、かけがえのない宝。高校時代、同じクラスだった僕たちは、互いに惹かれ合うように仲良くなった。彼は僕に、べートーヴェンやマーラーなどの未知の音楽のガイドをしてくれて、めくるめく音楽の世界に僕を誘ってくれた。僕が音楽の道を志そうか迷っていた時に、有無を言わせず背中を押してくれたのも彼だった。
 そして、還暦も随分過ぎたこの歳になって、こうしたスポーツの世界での交流が始まり、彼とのコラボレーションで、「音楽をやる人のためのキャンプ」を共に力を合わせて成し遂げることができた。

 この、思ってもみなかったような人生展開!なんて人生とは不可思議なものなのだろうか?そして、なんて僕はしあわせな人生を生きているのだろうか!角皆君、本当にありがとう!そして、角皆君を僕にもたらしてくれた神様、ありがとうございます!

 という美しい一日の後、翌日16日金曜日も、僕は半日滑ってから午後2時半のあずさ号に乗って自宅に帰る予定であった。ところが、朝起きると雨がシトシト降っている。10時頃には雪に変わるというのだが、いずれにしても重い湿雪だ。ウェアーはビショビショになるに違いない。
 それで一気にテンションが下がってしまった。それに、昨日の美しい思い出のままスキー・シーズンを終える方がいいかなと思った僕は、決心したのだ。
「ようし、今日は滑るのをやめて、早く帰って孫の杏樹と遊ぼう!」

 朝食を食べて帰りの準備をしていると、なんと角皆夫妻がカーサビアンカに来た。
「三澤君、スキーしないんだったらお茶飲みに行こう!」
「でもねえ、白馬駅からだと電車が極端に少なくて、10時半発を乗り損なうと、何時に家に着けるか分からないんだ」
「じゃあ、大町まで送っていってあげる」
「マジ?それだったら、電車はもっと沢山あるから大丈夫だよ」
ということで、美穂さんも交えて、大町市内のしゃれたカフェに入って、いろいろダベった。
 昨日からずっと一緒だったのに、よくまあいろいろ話があるもんだねえ。ところが何を話したのかよく覚えていないんだ。どうせ、たいした話をしていない。でも、こういう相手って、いるようでいないよね。僕自身は、角皆夫妻をのぞいたら、あと妻くらいしかいないと思うよ。

 こうして僕のスキー・シーズンは終わった。家に着いたら、杏樹が、
「ジージ!」
と大声で叫びながら僕に飛びついてきた。
さあ、春だ。もう冬眠から覚めて、活動を開始するぞう!

名古屋で冬眠後の仕事始め
 翌17日土曜日は、午前中イタリア語のレッスンに行き、午後遅くに家を出て名古屋に向かった。18日の愛知祝祭管弦楽団の練習のためである。キャンプの時に、週末名古屋で何人かのメンバーが集まって食事するので来ませんかと誘われていた。仕事が立て込んでいたり、体調が悪かったりすると断ることも少なくないので、付き合いが悪いと言われている僕だが、たまたま気持ちにも体調にも余裕があったので参加した。


名古屋の飲み会

 先日のキャンプに参加した祝祭のメンバーが3人ほどいた。女子会に僕一人乱入!かと思ったら、打楽器のSさんのご主人がいた。残念!このふたり、夫婦でパーカッショニストである。国産ワインのお店で、僕は甲州ワインを最初に注文した。楽しい語らいは夜半近くまで続き、翌日18日は、朝10時から「ジークフリート」第3幕をガシガシと練習した。僕の足は指揮しながら重心移動を繰り返していた。
 そういえば、先週カーサビアンカで、アキケンが帰った後の毎夕食後、ロビーの机を借りて「ジークフリート」のスコアの勉強をしていたなあ。それが一段落すると、呑み処“おおの”に降りていって、マスターの大野さんとふたりで、奥さんが揚げたというかき餅をつまみながら日本酒を飲んでいたのがなつかしい。

おっと、冬山の話はもうおしまい。
仕事しなくっちゃ!
明日は、大野和士氏のマーラー交響曲第3番演奏会の女声合唱稽古と、「アイーダ」の音楽稽古及び立ち稽古。

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