僕のゴールデン・ウィーク

三澤洋史

僕のゴールデン・ウィーク
 ゴールデン・ウィークというのは、長い休暇の間に遊びまくる時なのだろうが、僕のような職業の場合、毎年、普段以上に一生懸命仕事をしたという記憶しかない。今年も同様。

 ざっと振り返っても以下の通り。4月28日(土)、29日(日)は、愛知祝祭管弦楽団の「ジークフリート」の練習。そのまま名鉄太田川駅周辺のホテルに連泊して、30日(月)は名古屋モーツァルト200合唱団の練習。
 28日は14時から21時までの練習。その後、太田川駅構内の居酒屋で団員達と一緒に食事したので、次の29日は、練習が10時から16時30分までだったこともあり、ひとりで地味に夕食を取ろうと思っていた。
 そうしたら、バイオリンのUさんやフルートのKさんが、
「先生、肉食べに行きましょうよ」
と誘うのでノコノコ焼き肉屋に向かう。見ると、結構高級な焼き肉屋。
 気が付くとUさんのご主人以外みんな女子で、しかも先日のスキーのキャンプに参加した人が多く、女子会&スキー・キャンプお疲れ会のようになった。実は、Uさん夫婦は、角皆優人君の影響を受けて、もっぱらケトン食の毎日を送っている。
 ケトン食の説明をすると長くなるので次回に回すが、要するに糖質を採らないで、肉などのタンパク質で栄養分を補うとすると、肝臓がケトン体という物質を出して、ブドウ糖などと同じようなエネルギー源になるという。
 それでダイエットをしたり、体調管理したり、糖尿病治療をしたりするというわけだ。なあるほど、それで焼き肉だったわけだね。それなので、僕も肉食系女子たちと共に、糖質のものをほとんど採らずに、肉と野菜ばっかり食べて帰ってきた。まあ、ビールとか飲んだから、あんまり関係ないか。

 30日に練習したモーツァルト200合唱団は、昨年スケジュールがどうしても合わなくて演奏会を1年お休みしたので、本当に久し振りの再会。モーツァルトの「ドミヌクス・ミサ曲」を練習したが、みんな頑張っている。

 5月1日(火)から3日(木)までは新国立劇場で「フィデリオ」の立ち稽古。4日(金)も立ち稽古のはずであったが、3日の稽古がうまくいったので急にお休みになった。とはいっても、イタリア語のレッスンには行く。
 そして午後は、柴崎体育館に泳ぎに行った。昨年の11月に長引く風邪にかかり、治ってからもずっと寒い冬だったこともあり、プールには全然行っていなかった。年が明けてからは、全ての休日はスキー場に捧げられたし、これまでだったら、半日空いた時などは泳ぎに行っていたけれど、今年はそんな時には狭山スキー場に行くことを覚えたから、ますますプールからは遠ざかっていたのだ。
 気が付いてみたら半年も行ってなかった!だから泳ぎ方忘れていた!ええと・・・角皆君や世界チャンピオンの松本弘さんに教わったことって何だったっけ?あ、そうそう。リカバリーした手をあと30センチ伸ばすんだったな。感覚が戻ってくるまで時間がかかった。

 5月5日土曜日は、朝から新町歌劇団の「ノアの方舟」の立ち稽古。僕は携帯用のトラベル・コンガ持参で新町に乗り込み、まる一日使って一気に立ち稽古をつけたが、まだ団員達は消化不良。
 サンバ・シーンなどでコンガを叩いたら、子どもたちが珍しそうに寄ってきた。叩き方を教えて勝手に叩かせてあげた。子どもたちには簡単なオーディションをして、準主役の優太役や、ノアの子どもたち3人などを決めた。あとの子どもたちは動物になって合唱団に参加する。

 5月6日日曜日は、まず立川教会の10時のミサに妻と参加する。立川教会の聖歌隊は若々しい声で良く歌う。それから志木第九の会の14時から21時までの集中練習に向かう。6月10日日曜日の定期演奏会では、第一部に高田三郎作曲混声合唱組曲「水のいのち」とモーツァルト作曲リタニアKV243を、第二部では、モーツァルト作曲歌劇「フィガロの結婚」ハイライトを上演する。
 あと一ヶ月ちょっとなので、ここで締めないと成功はないものと思ってガシガシとシゴいた。こんな時の僕は、多分団員が本気で恐がるほど厳しいと思うよ。でもよくついてきてくれた。特に午後いっぱいを使っての「水のいのち」の練習は、自分の中で気持ちが溢れてきて困った。でも、団員達は僕の練習に感動してくれたようで、何人もの団員達が声を掛けてきてくれた。
 「水のいのち」は、後で述べる五木寛之の小説などと同じように、僕の青春時代の様々な苦悩や情熱と分かち難く結びついている。人間の弱さや無知、罪深さなどによって、落ちてゆくしかない運命のやるせなさが表現されている。その中で高みを焦がれる心があるのがせめてものなぐさみ。低きに流れ流れてついに最も低い海に流れ着いてみると、そこはむしろ登り行くエネルギーに満ちており、終着点かと思ったら、むしろたえまない始まりがあった。

のぼれ のぼりゆけ
みえない つばさ
いちずな つばさ あるかぎり
のぼれ のぼりゆけ
おお

 高校二年生の時だったと思う。僕は高崎高校合唱部の学生指揮者としてNHKコンクールの地区予選に臨んでいた。
「今年こそは高女(高崎女子高校)を破って勝つぞ!」
という意気込みでいたが、その時高女の合唱部が歌ったのが、「水のいのち」の終曲「海よ」であった。いやあ・・・上手だった。特に「あこや貝は 光を抱いている」というエコーのようなカノンは夢見るように美しかった。
 当然の結果のように高女が勝って次の予選に進んでいった。発表のすぐ後、有名な高女の音楽教師である橋本節子女史が、つかつかと僕に近づいてきて、
「あーら、あなたたち、また負けたの?たまには勝ってごらんなさいよ。おほほほほ!」
と言ったのだ。まるでテレビドラマのように・・・。それを側で聞いていた仲間達は地団駄踏んで悔しがった。
「あのアマ、ただじゃおかねえ!」
僕は、負けたのは悔しかったけれど、あれじゃあかなうわけないよなと不思議と怒りは込み上げてこなかった。その雪辱の(笑)「海よ」を含む「水のいのち」を高女より上手にやってみせる!・・・おっとっとっと・・・そういうことではなくて、感動的に演奏してみせます。

 ということで、連休が終わって、杏樹の面倒を見に来ていた杏奈は自分の家に戻って行き、杏樹は再び保育園に行き、志保は二期会の研修所の朝の授業にピアニストとして行き、妻はオイリュトミーのレッスンに行き、僕はガランとした家で、ひとりでパソコンに向かい、こうして原稿を書いている。

五木寛之と僕の青春時代
 カトリック教会では、ミサの時に「聖書と典礼」という小冊子が毎週新しく配られる。そこには、その日の集会祈願や共同祈願の文章とか、聖書朗読の文章とか、答唱詩編やアレルヤ唱の楽譜まで記載されていて、信徒はそれを見ながらミサに参加することが出来る。我が国では当然のこととなっているが、実は、こうした小冊子の全国的普及率は世界でも珍しい現象となっている。
 この「聖書と典礼」を印刷しているのは、オリエンス宗教研究所という会社であって、明大前駅から徒歩で5分もかからないカトリック松原教会の敷地内にある。この会社は、子ども向けの「こじか」という雑誌と共に、「福音宣教」という月刊誌を出版している。そこに現在僕は毎月の連載記事を書いている。1月号から12月号までの約束で、現在5月号が市場に出回っている。

 「福音宣教」連載のための原稿締め切りは早い。例えば、5月号だと4月15日に発売されるが、締め切りはなんと2月末なのだ。なので、4月末は7月号の原稿を書いていた。ちなみに5月号はワーグナーのことを書き、6月号はヴェルディの記事を書いた。カトリック系雑誌なので、両方ともキリスト教信仰とからめて書いたのは言うまでもない。
 でも7月号は、少し作曲家のことから離れて、もっと基本的なこと、つまり「良き音楽家でありながら同時に良き信仰者である生き方」みたいなことに言及してみようと思って、一度書き上げ、原稿をメールで添付する直前までいったのだが、突然考えを変えた。
 その理由は、4月28日から30日までの愛知祝祭管弦楽団&モーツァルト200合唱団の3日間の名古屋の旅の間に読んだKindle(電子書籍)の“ある小説”に強く感化されたからだ。それで、オリエンスには、
「すみません、原稿は一度仕上げたのですが、ちょっと思うところがあって、全く新しい内容のものを書こうと思い立ちました。なので締め切りを過ぎてしまいますが数日の猶予を下さい」
という謝りのメールを入れた。実際には、新原稿はあっという間に仕上がり、4月2日にはWordの添付書類を送付することが出来たのであるが。

 その問題となったある小説とは、五木寛之の「青年は荒野をめざす」である。初版は1967年文藝春秋社。最初は「平凡パンチ」に連載され、それから単行本となったが、当時の若者達の間で一代ブームを引き起こし、青春のバイブルのような存在となった。僕が県立高崎高校の一年生に上がったのが1970年。まさに思春期真っ只中の時代に夢中で読みあさった記憶がある。
 現在の五木寛之は、あの頃の時代の寵児という感じとは対照的に、「親鸞」三部作など宗教的題材の小説やエッセイ、るいは対談本などを数多く生みだしていて、精神的成熟を見事に遂げている。僕は、名古屋行きに際して、Kindleに「大河の一滴」「風に吹かれて」などのエッセイを入れたのだが、ふと思い立って、五木氏の若い頃の作品も読み返してみようと、なつかしさも手伝って「青年は荒野をめざす」も購入してみたのだ。

 主人公のジュンはジャズ・トランペット奏者。自分のプレイに何かが足りないのを、人からも言われ、自分でも感じていた。そこで彼は決心し、横浜港からナホトカ行きのバイカル号に乗り、ロシアから北欧、パリ、マドリッドなど、あてどない放浪の旅に出る。

 読み始めてすぐに、あの頃の、思春期特有の様々な苦悩が、昨日のことのように胸に蘇ってきた。今から思い返してみると、僕の場合、思春期の到来と共に、性衝動と音楽への情熱と、そして宗教への情熱とがいっぺんに自分を襲ってきたのである。
 音楽への情熱は簡単に性衝動と結びついていた。いろんな作曲家達の生涯を辿ってみても、女性遍歴を繰り返している人は少なくなかったし、ベートーベンのように“不滅の恋人”などという存在が、創作意欲をかき立てたりした例も少なくなかったのだ。
 ただ僕の場合は、ちょっと複雑であった。何故なら、宗教的情熱も同じくらいの強さを持って僕を襲ったのだから。僕はあの頃よく思った。
「この気持ちさえなければ、僕はもっと自由でいられるのに・・・。自分は、放縦に生きたいと思うのと同じくらい。自己を律して欲望を抑え、宗教的法悦に浸りたいという情熱が自分の中に燃えているのだ。だから人一倍罪の意識にさいなまされる。なんてややこしい自分!」

 「青年は荒野をめざす」には、当時の僕にとって魅力的な言葉がちりばめられていた。
「竜ちゃんたちの音は、濁ってるの。人間のいやらしさや、馬鹿さかげんや、憎しみや、くやしさや、そんなものがどろどろになって内にこもっている音よ。だからいいの。あんたのはそうじゃない。音がきれい過ぎて、こっちに共鳴させるものがないわ。観賞用演奏なのよ」
あるいは、プロフェッサーと呼ばれる人が言うこんな意見。
「スイングとは何か。それはアンビバレンツの美学である。アンビバレンツ、つまり二つの対立する感情が同時に緊張を保って感覚されるような状態の中で、激しく燃焼する生命力がスイングだ。愛と憎悪、絶望と希望、転落感と高揚感、瞬間と永遠、記憶と幻想、それらがスパークする所にスイングが生まれる」

 なんだか分かったような分からないようなものの言い方だが、当時の僕にとってはめちゃめちゃ魅力的な文章だった。ただ僕にはひとつだけ、絶対に我慢できないことがあった。それは「きたない音」だった。
 僕は、とってもジャズが好きだったけれど、汚い音を使うミュージシャンは耐えられなかったし、自然音でも汚い音は嫌いだったのだ。また音がちょっとでも狂っていると気になって仕方がなかった。困った。こんなことでは、この小説の竜ちゃんたちが奏でる「どろどろになって内にこもっている音」なんて作り出せっこないと本気で悩んだ。
 親友の角皆君はそのことに気付いていて、僕が音に敏感だったことを、最近の対談本の中でも語っている。しかしながらね、今となってみると、当時僕が悩んでいたことは笑い話にしか過ぎない。むしろ僕が汚い音が嫌いだったのは、クラシックの音楽家としては大きな長所であったのだ。僕は人よりも美しい音を強く求める音楽家であるし、そもそも音の中に「意味のある音」とか「語るもののある音」などを敏感に見分ける能力があるということだからね。
 さらに、僕が美しい音を求めていたということは、僕の音楽へのアプローチが、宗教的なものへのアプローチと分かち難く結びついていたということをも意味する。僕は本質的に、どろどろしたものを求めるよりも、清らかで美しい魂の表現を好むし、宗教的発露に共感する人間なのだから。だからショスタコーヴィッチよりもバッハの方に強く惹かれる人間なのだ。
 その意味では、実は「青年は荒野をめざす」は、ある意味反面教師であったのかも知れない。僕は、複数の女と寝なければ良い音楽が出来るとも思わなかったし、自堕落な生活に溺れて身を持ち崩したら、それだけ良い芸術が花開くとも思っていなかった。ただ、この小説に描かれている世界に、あの時代の自分が理屈を越えて惹かれていたことは間違いない事実であるのだが・・・。

 「福音宣教」では、宗教的な雑誌なのでそれにふさわしい結論に導いている。そして最後の文章は「老年も荒野をめざす」という言葉で結んでいる。内容については、ここで詳しく言ってしまうとつまらないから書きません。6月15日に発売されるから読んでね。

 さて、その新しい原稿をオリエンス宗教研究所の編集長に送ったら、編集長は五木寛之にめちゃめちゃ反応して、自分はむしろ若い頃「青春の門」を読みあさりました、と書いてきた。そこで僕は、はたと考えた。「青春の門」は知ってはいた。でも自分がそれを読んだかどうか記憶がないのだ。「朱鷺の墓」は確実に読んだのだが・・・・。
 そこで今度は「青春の門」をKindleに入れて読み始めた。現在、第1部の筑豊篇を読み終わり、早稲田大学に入学した第2部自立篇を読んでいるが、実は、この先読み続けるかどうしようか迷っている。
 何故ならば、僕はあまり主人公の伊吹信介の生き方に共感できないからだ。五木氏は、筑豊篇ではヤクザや硬派の世界を描いたかと思うと、自立篇では女性にめちゃめちゃ気が多い軟派の世界が赤裸々すぎるほど描かれていて、読んでいると、これってタダのエロ小説じゃね?と思うことしばしばである。
 それで、思い出した!自分が「青春の門」を読んだ記憶がないのは、恐らく今のように、途中でだんだん共感できなくなって、ついには放棄してしまったからに違いない。まあ、いいや。もう少し読んでみて、本当につまらなくなったらやめればいい。読み続けるにしても放棄するにしても、別に僕の自由だからね。

 筑豊篇でひとついいことがあった。それはハーレー・ダビッドソンというバイクが登場して、しかも物語の中で結構活躍するのだ。ハーレーは、新国立劇場合唱団員であるバリトンの大森さんが持っていて、
「ついに買っちゃったんです!」
と言っていたかと思ったら、先日白馬にスキーに来た大町市出身の西沢健吾君が、まだ20代のくせにハーレーの1450CCを乗り回しているというので、ふーん、みんなのあこがれなんだね、と思っていたところである。
 僕は、車は運転しないし、免許も持っていないのであるが、スキーをするようになって以来、バイクに乗っている人達の気持ちだけは不思議と理解できるようになってきた。スピードの爽快感というものは、乗用車とかの守られた空間を持つ乗り物ではなく、自分の体で風を切る状態でないと分からないんだよね。うふふふふ。

 あれから数十年も経って、五木氏は80半ば。僕は63歳。昔と同じ所にとどまっているはずもない。それにしても、あんな暴力とセックス描写に満ちていた小説を書き続けた五木氏が、今となって、こんなに自由で解き放たれた境地にいるのに驚く。
 でも、それは、当時から自分の心に正直に行き、それを正直に文学にしたためてきたからこそ、自分を偽らないで、そのままで覚醒への道を歩むことを許されているのかも知れない。人間の負の部分から逃げないで徹底的に描き尽くしたからこそ、五木氏は他力思想に辿り着いたのだろう。
 僕は、芸術家として深みのある芸術を生み出すためには、人間が人間である故に本質的に持っている“悲惨さ”を理解することにあると思っている。この原稿の最初の方の「水のいのち」のくだりで書いたように、人間は無知で、愚かで、罪深い存在。何人たりともその運命から逃れることはできない。だからこそ人間は、その現実を下から受けとめている大いなる存在を焦がれ求めるのである。
 その存在は、無尽蔵の慈悲を持ち、太古の昔から悠久の時を貫いて大宇宙にあり、全ての弱い人間を許し、認め、愛し続けている。それを阿弥陀如来と呼ぶのもよし。父なる神のいつくしみと呼ぶのもよし。要するに名前はなんでもいいのであるが、これが宗派の違いを超えた“他力”の神髄である。




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