日本丸演奏会を間近にひかえて

三澤洋史

杏樹とツーリングでミサへ
 孫の杏樹は、もっぱら自転車に夢中になっている。まだ4歳だから、まわりには補助輪を付けて乗っている子供も少なくないが、僕は買ってきた2日後に強引に補助輪をはずし、結構集中的に練習をさせたら、たちまち乗れるようになった。杏樹はストライダーに乗っていたので、ペダルで漕ぐことさえ覚えればコツはすぐつかめるだろうという予想が当たった。
 ただ、漕ぎ始めが難しかった。最初は後ろからグンと押してスピードをつけて、走行中のペダル操作に慣れることに集中させていたが、その内杏樹の方から、
「走り出しも自分でやるから押さないで!」
と断ってきた。それから何度も失敗しながら試みていたが、ある時、上の方に置いたペダルを体重をかけてグンと漕ぎ始めると一度で出来ることに気が付き、結局自転車を買ってから数日で普通に乗れるようになった。
 僕は、公園とかに連れて行って、わざと坂の上から降りさせながらブレーキのかけ方を教えた。止まるだけでなく、ブレーキをゆるくかけて止まらないでスピード・コントロールをするコツを教えたり、道路上の白線に沿って真っ直ぐに走る練習をさせたりと、結構スパルタ的に指導した。
 その成果あって結構狭い歩道の上を真っ直ぐ走れるし、人が歩いているところを縫うように走ることも出来るようになった。彼女はどんどん食らいついてきて、出来ると達成感に目をキラキラさせる。
 子供って素晴らしい。この世にオギャアと生まれた人生最初の日から、全ての瞬間が新しい体験に満ちている。体も日に日に成長していくから、昨日まで出来なかった新しいことがどんどん出来るようになって、自分がどこまでも伸びていける、何でも出来るようになる、と無限の可能性を信じ切ることが出来るんだ。それを傍で見ているだけでも、たまらなく幸福な気持ちになれる。

 5月27日日曜日。母親の志保は、今日から2泊3日で、和歌山県新宮に出掛けて行った。仙台フィルハーモニー管弦楽団が主催する「文化芸術による子供の育成事業」というワークショップ。志保のピアノで、テノール(糸賀修平)さんや、ホルン、ビオラなどの奏者とアンサンブルをしながら、月曜日火曜日の二日間で、三重県御浜町、津市、四日市市、奈良県下北山村の小中学校を四校訪問するという強行軍だ。なんで、仙台フィルで三重県や奈良県?と思うが、とにかくこの三日間、杏樹の面倒をジジババが見ないといけない。
 僕は、26日土曜日には、群馬県の新町歌劇団の「ノアの方舟」の練習に行っていたのだが、その晩は群馬宅に泊まらずに日帰りで帰ってきて、翌27日、志保がいなくなって淋しがる杏樹をあずかって、カトリック立川教会の10時のミサに連れて行った。
 ただ妻は8時のミサでオルガンを弾かなければならないので、車による足がない。そこで、国立市といっても立川とは正反対のほとんど府中との境に位置する自宅から、立川教会までの長い道のりを、杏樹の自転車と僕のマウンテンバイクとでツーリングすることにした。
 大人でも約20分かかる道のり。1時間は必要だろうなと思い、9時に家を出た。桜通りなどの「歩道が広い大通り」をなるべく通って行ったのだが、案外歩行者が横に並んで歩いていたり、反対方向から走行してくる自転車がいたりと目が離せない。僕は杏樹よりも少し先を走っていて、
「はい、右に寄って!」
とか、
「はい、ブレーキ。一度止まってからゆっくり発進!」
とか指示を出す。杏樹は、自分でも緊張しているのだろう。案外おとなしく従っている。

 教会に着いたら、信者さん達がみんな驚いている。
「え?国立の家からここまで自転車で来たの?」
うふふふ、ジジ馬鹿自慢です。
 杏樹は、最近までミサの間じっとしていられなくて騒ぐので、外に連れ出さないといけなかったが、ここのところ同じような小さい子どもたちと仲良くなって、見栄を張っておとなしくミサに参加できるようになった。
 立川教会は、こじんまりしていて信者達の雰囲気がとても良い。ミサをしているとえもいわれぬ一致感が聖堂内を支配している。国立音楽大学を卒業して星美学園で非常勤講師をしている女性がオルガンを弾いていた。また、聖歌隊だけでなく一般会衆もしっかり声を出して聖歌を歌う。しかも若者達が多いから声が澄んでいる。今日は子供ミサ用の聖歌を歌っていたが、きれいな曲が多く胸を打つ。
 ミサが終わって、杏樹は、
「帰りもまたジージと一緒に自転車に乗る」
と言ったが、お友達になった小さい子どもたちと遊びたい気持ちもあって、教会に残っていた。僕は、「フィデリオ」の公演に行かなければならないため、妻の車の荷台に杏樹の自転車を乗せて、ひとりで自宅に帰り、荷物を持って再び家を出た。

日本丸演奏会を間近にひかえて
 「日本丸を愛する男声合唱団」第23回定期演奏会が間近に迫ってきて、いよいよ僕のコンガ奏者としてのデビューの日が近づいてきた。5月22日火曜日は、バンドの人達が入っての初練習。ピアノ・神谷李世子さん、ギター・鈴木敏幸さん、そしてベース・サリー佐藤さんというメンバーで、日本丸の男声合唱と合わせてみる。バンドが入ると、アカペラで練習していた時とは感じがガラリと変わる。

 僕たちが使っている譜面は、合唱譜にコード・ネームが書いてあるだけのとってもラフなもの。どういうリズムで具体的にどのような感じで始まるべし、などというような指定すらない。
「これって、どんな感じかなあ?」
と、ギターの鈴木さん。
「ま、とりあえず、なんかテキトーに始めてみて、それから考えようか」
とベースのサリーさん。
こんな、日本語として成立するんだかしないんだかよく分からないユルユルの会話を伴いながら練習が開始した。
 僕の担当の曲は3曲だけのはずだったが、ケルトの歌のThe Water is Wideという曲が始まってみたら、なんとなくゆったりとした8ビートに、コンガがマッチしそうな気がしてきたので、小さい音で勝手に叩いていた。
 そうしたらベースのサリーさんが、
「このままコンガ入れてもいいんじゃない?叩いちゃえ!」
と言うではないか。ギターの鈴木さんも、
「Cあたりから盛り上がってくるから、その辺から入ったら?」
 それで急いで団から譜面をもらって、二回目の練習の時に叩いてみる。Cと言われたけれど、もうちょっと前から入ってみようかな、とふと思って叩き始めたが、やっぱりまわりが盛り上がってこないと、コンガだけが浮いてしまう。
「蛇足かもな」
と、思って首をかしげていたら、サリーさんも気付いていて、
「三澤さん、やっぱりCからがいいような気がするよ。それまでじっと耐えているんだね」
おおっ、やっぱりそう思うよね。特に彼がバンドマスターというのではないけれど、自然に音楽的方向性を握っている。頼もしい人だ。

 こういう雰囲気って久し振りなので、めちゃめちゃ楽しい。実は僕は、ポップスのこういうノリは過去に経験していたのだ。大学4年生の頃から、僕はベルリン留学の学費を稼ぐためにポップス・ピアノのアルバイトを始めた。最初は、立川駅の近くのダンケというドイツ・レストランであった。
 夜7時くらいから30分のステージが3回あったと思う。ピアノ・ソロと歌手の伴奏を交互に行う。ステージが始まる直前に、歌手からメロディーとコードネームだけの譜面を渡され、テンポや、8ビートだのスイングだのという基本リズムを確認し、ダル・セーニョなどの行き方を確認するだけで精一杯。譜面そのものは完全に初見で本番をこなす。
 ダンケで評判が良かったので、やがて新宿西口にあった「ライン・ゴールド」というドイツ・レストランに呼ばれ、それから新宿東口の「ライオン」地下のビアホールに移った。「ライオン」では、ビア・ソングを数多く演奏したが、カンツォーネやシャンソンも演奏したので、それらの名曲を数多く覚えた。女性歌手がふたりと電子アコーデオンが入っていて、アレンジもそれなりに凝っていた。
 それから、新宿中央公園の向こうに建つニューシティ・ホテルの最上階ラウンジに移った。ここのステージでは、4人組のスィング・ハーツという女性コーラスの伴奏をしていたが、ピアニストとしてだけではなく、メンバーのオーディションによる選定から始まり、編曲及び稽古も全部僕が行った。今だから言うが、当時24、5歳の若造が、いっぱしの音楽監督気取りで、ひと月40万円以上稼いでいたので、留学資金がどんどん貯まったが、このまま留学をやめて、この道で食っていくことも出来るなという誘惑にもかられた。
 でも、勿論それでは本末転倒だし、留学への想いには揺るぎないものがあったので、僕は、空いている時間は全てベルリン芸術大学の入試の勉強にあて、指揮者山田一雄先生の元にせっせとレッスンに通っていたのだ。
 時々は、新宿サンルート・ホテルで、ピアノ、ベース、ドラムのトリオで、ジャズ・シンガーの伴奏の仕事をした。これは楽しかったが、ジャズの複雑なコード進行を初見で演奏するのは骨が折れた。そういえば、僕は本番であまりアガらないけれど、きっと若い時にこうした究極的な状況で、アガる間もなく数え切れない本番をこなした経験が役立っているのかも知れない。

 こんな風に、一時はポップスの仕事にかなりどっぷりと浸かっていた。五木寛之氏のように売血みたいなことはしなかったが、カトリック信者の妻との結婚を親に反対されていたので、意地でも自分のお金で生活をし、おまけに留学資金まで稼ぎ出したのだ。
 留学後は、クラシックの指揮者として食えるかどうか分からなかったが、どうしても食えなかったら、またこの業界に戻れば、食いっぱぐれることはないという自信があった。その一方で、せっかくベルリンにまで行ってベルリン芸術大学指揮科を首席で卒業し、しかもカラヤン・ コンクールのファイナリストにまで残ったのだから、石にかじりついてでも指揮者になるのだと決心もしていて、結局、留学後ポップス・ピアノの仕事は一切しなかった。
 ま、ミュージカルの仕事は、指揮者のためにもなるから喜んでやったけれど・・・。それが「おにころ」などの自作ミュージカルの創作につながっているわけだから、人生ホント分からないものである。

 ということで、テキトーな楽譜にテキトーに色づけをしていくことは出来ないわけではない。けれども、それはもう40年近く前の話である。普段、易しくはないオーケストラ・スコアとにらめっこする毎日を送っている自分としては、このラフさが新鮮で楽しくてしかたがないが、最初はとまどいもあったね。しかも、ピアノとかでなくて、これまで一度もプロとして仕事をしたことのないコンガだからね。
 例のThe Water is Wideなんか、もう演奏会数日前だというのに、いまだにどう演奏しようか迷っている。ゆるやかな8ビートで入り、しだいに盛り上がっていくのだが、16ビートまでいっちゃおうかな?・・・いやいや、盛り上がってもやはりバラードっぽい感触だから、8ビート止まりでしょう。時々16っぽいフィルインを入れればいいんじゃない?で、その具体的なリズム・パターンは?・・・ドラムスじゃないから、いろんなパターンが可能だけれど・・・こうかな?・・・ああかな?・・・などなど、考え始めるとキリがない。ま、これも楽しみのひとつなんだよ。人生、悩んでいるうちがハナなんだよなあ。

 日本丸の男声合唱団員は、バンドが入った途端に、まるで別の合唱団のように活気に溢れ、顔の表情も生き生きしてきた。これはねえ、自分が関わっているからというのではなしに、客観的に見てとっても良い演奏会になる予感がしてますよ。

 みなさん、まだチケットありますので、今からでも間に合うので興味のある方は出掛けてみて下さい。
maestro.takemeskiing@gmail.com
で前日まで受け付けます。当日置きチケットにして、代金の千円は、演奏会終了後、直接僕に会いに来てくれて渡してくれれば、直前まででも大丈夫でしょ。

「青春の門」を読み終わったけれど・・・
 五木寛之著「青春の門」は、Kindleで結局、
「第1部 筑豊篇」
「第2部 自立篇」
「第3部 放浪篇」
「第4部 堕落篇」
「第5部 望郷篇」
「第6部 再起篇」
「第7部 挑戦篇」
「第8部 風雲篇」
の全てを読んだ。

 五木氏はほとんど全ての物語を未解決にしたまま次の巻に持ち越すので、読者はどうしても次を読まずにはいられなくなる。それで次の巻が始まってみると、これが全然違う話から始まったりする。
「第7部挑戦篇」の冒頭なんてひどいもので、いきなり北海道の江差の描写から始まり、その地方一帯に吹き付ける烈風「タバ風」や鴎島の説明が長々と続く。それから主人公の伊吹信介が登場するのだが、あえて名前を伏せて、
「江差の繁華街である新地通りの一角を、1人の青年が歩いていた」
と、あたかも新しい小説が始まったかのようだ。そしてその青年の後を追っているもう1人の謎の男の姿・・・なんていう風にどこまでも思わせぶり。
 勿論、物語が始まると、これまでの登場人物達が徐々に登場してくるのだが、「青春の門」という長編小説にひとつのまとまったストーリー展開や、大団円的結末を期待してしまう読者は、最後まで煙に巻かれてしまい。結局第8部まで読み切っても、
「完読した!」
という充実感がない。
 相変わらず、織江のことは放ったまま他の女にちょっかい出しているし、最終巻である「第8部風雲篇」の結末などは、シベリアで知り合ってこれから一緒にヨーロッパに向けて長い旅をするアニョータという娘とのセックス・シーンで終わっている。これが、長編小説の最後のシーンかよ、と思うといやんなっちゃう。まあ、織江という女性は、長編小説を引っ張るための通奏低音の役割をしているんだろうな。読者にとっては常に、
「で、織江は一体どうなったんだ?」
と気になり続けているのだ。これも確信犯だねえ。
 そういえば、「青春の門」は何度も映画化されているというけれど、みんな「第1部 筑豊篇」と「第2部 自立篇」で止まっていて、次の作品はないんだ。そうねえ、第3部以降は、なかなか映画になりにくいかもね。
 ある時は、週刊誌のインタビューで伊吹信介役の佐藤浩市が「五木小説はアマい」などと発言し五木を激怒させたなどというエピソードが残っている。ん、まあ、佐藤浩市氏の言う通りかもね。特に主人公伊吹信介の生き方には、反発を感じる人は少なくないかも。

 それで、もう一度「第1部 筑豊篇」を軽く読み直してみた。やはり、なんといっても「筑豊篇」が一番面白いね。すごく内容が詰まっているし、なんといっても織江への読者の思い入れや愛着は「筑豊篇」で吹き込まれるんだね。
 片足をちょっと引きずって歩く織江って、なんか可哀想で可愛い。信介から、ぞんざいに扱われるんだけれど、同時に信介の一見冷たい態度の中に織江に対する愛情も見えるんだ。それに織江も気付いているから、彼女は、大きくなったら信介のお嫁さんになる、って何の疑問もなく信じているのだ。

 織江に対する気持ちってね、昔の僕の妻に対する気持ちにちょっと似ている。白状するけど、国立音楽大学に入学した当時、都会の女性達を眩しい目でながめながら、自分も東京に出てきたんだから、こういう女性達と互角に渡り合っていかなくっちゃ、と変な自負が生まれた。そんな時、群馬に帰郷して、新町教会でまだ高校生だった妻を見た。そしたら、なんとなくダサイ田舎娘に感じられた。自分だってただの田舎者だったくせに。
 それから、同門の女の子に淡い恋心を抱いたのだけれど、全然相手にしてもらえなくて、あっけなく失恋。ま、失恋というほど発展もしていなかったんだけどね。失意の内に僕は1週間分の洗濯物を持って再び群馬の実家に帰り、それから新町教会に行って彼女を見た。
 彼女は、確かに田舎娘のまんまだったけど、本当にそのまんまのなんにも疑うことを知らないただの善良な女子高校生が、僕の目にはそれまでと全然違って映ったのだ。彼女といるとほっとするんだ。彼女の前では、肩肘張ったり背伸びしたりしなくていい。そのことに気が付いたら、それまで彼女を自分より低く見ていたことが恥ずかしくなり、その瞬間、
「ああ、こういう一緒にいて疲れない人と結婚すべきなのかも知れない」
と初めて思ったんだ。

 だからこそ、織江に対して煮え切らない態度をとり続ける信介が許せないんだ。いいかげんで結婚しろ!といっても、もう全8巻終わっちゃったのに、結婚するそぶりもない。そういえば、「新青春の門」の連載が始まっていると聞くね。
でも、僕は一度この小説から距離を置く。どうせ、そんな簡単には織江と一緒になったりはしないだろうからね。

ああ、織江!今頃どこでどうしているの?

  


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