「ノアの方舟」大成功の内に終了

三澤洋史

終わるのが惜しい・・・
 7月29日日曜日、群馬県高崎市新町文化ホール。カーテンコールがひととおり終わり、パーチェ役の前川依子さんが僕の方を手で指し示すと、僕は演奏者を立たせる。それから僕はコンガでフィルインを叩き、「新しい世界」のカーテンコール・バージョンの演奏を導き出す。
 曲の最後、緞帳が静かに降りる。その瞬間、僕の夏の前半戦が終了してしまうのがとってもとっても惜しかった。あんなに忙しくて、これさえ終われば楽になるのに、と思っていたくせに・・・・。

多忙の日々を縫って
 ここのところ毎年、7月の終わりまでめちゃくちゃ忙しい。特に今年は、新国立劇場での「トスカ」公演が、本公演と高校生のための鑑賞教室公演とが入り乱れていて、7月前半の週末がほとんど全てふさがっていた。唯一空いていた7月7日土曜日は、「ジークフリート」公演を9月2日に控えている愛知祝祭管弦楽団の練習にあてた。
 「トスカ」が7月15日日曜日に終わると、翌16日が海の日で休みだったので、やっと新町に行くことが出来た。この日のメイン・キャストも入れての集中稽古がなかったなら、「ノアの方舟」公演は間に合わなかっただろう。
 さらに、「トスカ」は、新国立劇場公演が終わっても、びわ湖ホールの公演があったので、19日木曜日から22日日曜日までびわ湖ホールに行っていた。本来ならばこの週末は、新町歌劇団の直前練習にあてていただろうに・・・・。
 5月、6月などでも、新国立劇場の練習などがたまたま早く終わると、
「よし、この時間なら新町に行けるぞ!」
と劇場を飛び出す。一回でも多く行きたかったし、行かねばならないと思っていた。そのためには、僕はどうしても健康でいなければならなかった。僕がエネルギーを出し、オーラを放出しなければならない。疲れたなどというセリフは、自分には許されなかった。

いよいよ劇場入り
 という怒濤のような日々を経て、やっと7月25日水曜日を迎えた。今日から28日土曜日及び29日日曜日の「ノアの方舟」公演まで群馬に滞在だ。この数日で様々なことを解決し、公演にまでもっていかなければならない。
 びわ湖ホールから帰って来て、いくつかの仕事をこなし、昨日は国立のスタジオで、ノア役の大森いちえいさんと鳩のパーチェ役の前川依子さんの特訓を行った。今日はいよいよ午後2時から新町文化ホールでオケ練習及び舞台稽古が始まる。
 オケ練習とはいっても、ピアノの小林直子さんとエレクトーンの長谷川幹人さんのふたり、それに僕のコンガを中心としたパーカッションのわずか3人だ。僕の打楽器譜は、前回のシンセ・パーカッション奏者のために書いたままで、指揮をするために叩けない箇所もあるし、シンセと違って楽器の制約もあるため、まだどう叩くか決めていない。
 また、前回では次女の杏奈がクラリネットを吹いていたけれど、今回はヘア・メイクとして参加する。それで、杏奈の吹いていたメロディーが主としてエレクトーン奏者に割り振られているので、長谷川さんの演奏量がだいぶ増えている。

 夜は、新町歌劇団のメンバーとソリスト達が加わって、舞台上で場当たり稽古。通し稽古を想定して、それぞれが小道具をふさわしいところに置く。しかし、それが他の人の邪魔になったり、置き方によっては、いざという時にうまく取れなかったりと、様々な問題が起こる。でも、問題は起こっておいた方がいい。人を責めたりナーバスになってはいけない。むしろ、起こるべくして起こる問題をすべて把握し、解決して、明日の通し稽古に備えるのだ。

波の布をめぐって
 洪水の場面では、「おにころ」でもやった手法であるが、波を表現する細長い青い布を三枚使う。それぞれ二人の団員が両端から持ち、まず舞台から客席後方へ向かって縦に張りながら移動。そして、あらためて客席後方から横に渡して、二つの通路を舞台に向かって走る。つまり、観客の頭の上を布が越えていくのである。これがとても効果的なのだ。
 布をきれいに飛ばすためには頭を使わないといけない。これは航空力学の問題である。飛ばす瞬間に、布の後ろ側を下にして空気を含ませる。要するに飛行機が離陸する時の翼とフラップの状態だ。すると自然に布が飛翔し、スピードを出して走らなくても布は高く上がり続ける。こうしたことを丁寧に行っていかないと、布が観客の頭にかかってしまったり、走っている団員が階段で転んでしまったりする。

 かつて開館したばかりの新町文化ホールで、僕が「おにころ」を初演したのは1991年。それからこの文化ホールを根拠地として新町歌劇団は活動してきた。開館当時は、備品がきちんと揃っていたし、しかも「おにころ」が、このホールのこけら落としのために書かれたことを知っていた職員達は、とても好意的かつ協力的であった。
 ところが行政の常で、長い間に館長も職員もどんどん移動になって官僚的になり、我々が今回「根拠地に戻った!」という意識で接しても、職員の新町歌劇団に対する特別な想いというものは皆無に近くなっている。最近「おにころ」公演が、群馬交響楽団と共に群馬音楽センターで二度に渡って行われており、新町文化ホールから離れているという事情もあるけれど・・・。
 備品に至っては、会場のスピーカーは老朽化し、沢山あったワイヤレスマイクは、壊れても補充しないため、使えるのはわずか2本だけとなっている。一度作ったら作りっぱなしなのが、行政の悪いところ。

 ある職員は、僕たちが使っている波の布を見て、
「防災上責任を持てないので、客席のでの布の使用はやめてください」
と言う。僕は逆上して、
「何を馬鹿なこと言ってるんですか!これまで新町歌劇団では『おにころ』をはじめとして、開館以来、何度となく布を使っているんです。『ノアの方舟』も、今回3回目の公演ですが、一度も事故のようなものは起きていないし、観客から苦情もきていません。館の規則が変わったというのなら仕方ありませんが、こちらはすでに実績があるんですよ。私が責任を持ちますからやらせて下さい」
「わ、わかりました。館長と相談してみます」
 その館長だって、最近移動してきたばかりで、問題そのものを把握していないに違いない。案の定、その後その問題はうやむやになり、
「許可されました」
という返事ひとつない。
 担当職員はその後なんとなく僕を恐れ、目を合わせると怯えた表情をする。あの時の僕の剣幕がよっぽど凄かったのかも知れない。ただ、そんな啖呵を切ってしまっただけに、僕の方としては、なんとしてでも事故だけは避けなければならない。団員達がスピードで布をはためかせようとするのを、僕は公演直前まで何度注意し、何度その動作のみの抜き稽古をしたことだろう。

千手観音
 25日の場当たり稽古を丁寧に行ったお陰で、26日木曜日の通し稽古はかなりスムーズに運んだ。ところが、僕は演出家であると同時に指揮者でもあり、さらに今回はコンガを中心としたパーカッション奏者でもあるんだな。演奏にかまけていると舞台を見損なったり、舞台に気を取られていると、自分のコンガが入り損なったり、いやあ、あれもこれも大変ですなあ。
 特に、その日から舞台照明スタッフが入り込んでいるので、僕はそれぞれの場面転換で、照明の入りやチェンジのタイミングを大声で伝えていく。
「はい、ノアの退場は、ゆっくり絞ってね。もっともっと残してゆっくり!はい、ここで花道からの優太とジェラールをフォロー!」
という具合である。勿論、その後で綿密な打ち合わせをして次の日のゲネプロに備えたわけであるが、まずは照明さんに芝居を直接見てもらいながら、僕がその場で指示するのが一番分かり易いのだ。
 それを、指揮をし、コンガを叩きながらやっていく僕の姿を見ていたノアの母親役の内田もと海さんは、
「三澤先生、まるで千手観音ですね!」
と言ってくれたが、本番はともかく、確かに稽古中は僕のクローン人間が少なくともあと2人は欲しいとこだね。
 でもね、僕は自分の作品を愛しすぎているので、やっぱり演技も音楽も、そしてラテン・テイストのパーカッションまで「自分の手」でやらないと気が済まないんだな。だから千手観音状態に追い込んでいるのは自分自身なので、まさに自業自得。

容赦ないダメ出し
 とはいえ、客観的な眼はやはり必要。27日金曜日のゲネプロには家族がみんなで観ていた。終わった途端、ふたりの娘達が容赦ないダメだしをしてきた。
「パパ、コンガが大き過ぎるよ」
と杏奈。
「今日から音響さんが会場のラインにつないだので、エレクトーンとかの音がいきなり大きくなったから、聞こえないかなと思って心配して大きく叩いていた」
と僕はいいわけする。
 するとピアニストの志保が、
「そもそも、ピアノなんか完全に電気音になってるから、楽器の良さが全然出ていないよ」
と言う。
「そうかあ、全体のレベル設定が大きすぎるんだ」
と僕。
「それで、どんどんレベル上げてくるから、セリフなんてハウってるものね」
と志保。
 ああ、納得した。通常だと、演奏している最中に自分だけ抜けて客席に回り、全体音を聴くのですぐ気が付くのだが、今回は打楽器も担当しているので、通し稽古が始まってから持ち場を離れることが出来なかった。
 それで、即座に僕は音響さんのところに行った。基本的に音響技師には音響の腕を見せたい発揮したいという想いがあるので、だいたい大きめにレベルを設定してしまう。ところが僕の場合、ミュージカルといっても、歌っているのはオペラ歌手だし、ピアノのようにアコースティック楽器がある場合、生音をなるべく生かしながら音を構築したいと思っているので、毎回同じことを要求することになってしまう。
 音響さんと相談しレベル調整してもらってから、通し稽古後の直し稽古で、僕のコンガもやや控えめに叩いた。あとで、
「これでいい?」
と二人に訊いた。
「うん、いいよ」
 こんな風に、客席にもうひとつの耳がないと、指揮者といえども万能ではないのだ。

 でも、それだけでは済まなかった。
「パパ、左側のシンバルは大きすぎるので、控えめに叩くか、右側をメインにして、左側は一番のアクセント以外ではあまり使わない方がいいよ」
と志保。
「それに、あそことここはリズムが乱れて下手クソだよ」
と杏奈。
「いや、そのう・・・そこは舞台上の合唱が乱れたので、コンガをやめて指揮しようかいろいろ考えていたんだ。まだどこ叩こうか腹が決まってないんだよね」
といいわけする僕。
「あそこんとこは、前奏に乗せてしゃべっている大森さんの言葉が聞こえないから、少なくてもコンガのボリューム落とした方がいいよ」
と志保。
「ああ、それはコンガだけじゃないんだ。エレクトーンのマリンバが聞こえないし、ピアノは確かにフォルテって書いてあるんだけれど、ちょっと大き過ぎるんだ。それでコンガを少し落とせばサウンドとしては安定するね」
 客観的に全体を聴いて判断をする指揮者と、プレイヤーの両方を兼ねるのは難しいなあ。だからこそ、今回2人の娘達の客席でのダメ出しはありがたかった。それにしても、パリに2人とも留学して、いろんな一流の演奏も聴いているし、特に長女の志保は今ピアニストとしてキャリアを積んでいる真っ最中なだけに、耳が肥えている・・・なんていうのも親馬鹿だけれど、他人にそんな言われ方したら腹が立ってしまうかも知れないことを、バンバン言われても大丈夫なのは身内だからだ。

「『ワッハッハ』のスィングのシンバルが大きすぎて歌詞が全然聞こえないよ」
と志保。
「パパ、調子づいて叩いてんじゃないよ!」
とたたみかける杏奈。
「あはははは、分かった分かった」
と子煩悩なパパは、やり込められても全然怒る気もしないねえ。
それを妻が微笑みながら後ろから見ている。
「あたしは、まあ、いいんじゃないかと思うけどねえ」
という意見も救い。


コンガのある風景

そして迎えた本番
 「未来に生きる子どもたちに贈る ―地球オペラ― NOAHノアの方舟」は、3つの時代にまたがっている時空を超えたストーリーを持っている。基本となっているのは、もちろん旧約聖書の創世記第5章から第9章までのノアの物語である。
 神様は、堕落した世の中を一度滅ぼそうと決心したが、「神に従う無垢な人(創世記第5章第9節)」であるノアだけは助けようと思う。そこで、ノアに方舟を作らせ、そこに彼の家族と動物たちを乗せる。そして洪水を起こし、全てを滅ぼしてしまう。ノアたちを乗せた方舟は助かって漂流を続けた末にとうとう新しい土地に降り立つ。ノアは、正しい国を作ることを神様に誓う。
 その物語とは別に、僕は現代に生きる少年優太と、未来から来た「時空を超えて過去から未来までを見守る時の番人ジェラール」という新しいキャラクターを作った。優太は、ジェラールに言われて、一緒に遠い遠い昔のノアの時代にタイムトラベルをする。そしてノア達が方舟に乗って新しい土地に辿り着くまでの様子をずっと見ているが、そこにあるアクシデントが起こる。そのアクシデントは、もちろん原作である新約聖書にはない僕の創作である。

 ここからのストーリー展開こそ、僕が最も訴えたいことである。動物たちがどんどん新しい大地に降りていくのに、ノア達も行こうとしたら、そこにバリアが築かれていてぶつかり、上陸することが出来ない。いぶかるノアに対し、神様の使いである鳩のパーチェが言う。鳩の声は途中でオーバーラップして、エコーのかかった僕の声の録音に変わる。

「ノアはよい人だけど、私はちょっと失敗したと思っているんだ」
「失敗?」
と一同。
「この地上、本当は人間さえいなければ、世界は調和していつまでもいつまでもきれいなままでいる。人間だけが、どんどん環境を壊し、無益な殺生をしてきた。この新しい楽園だって、いつまた滅ぶ前の世界に戻ってしまうか分かったものではない」

と、神様らしくないことを言う。ノアは落胆して鳩のパーチェに言う。以下台本通り。ちなみに太字は歌われる歌詞。

ノア パーチェ、きみは人間の味方だと思っていたのに。 
パーチェ 僕じゃないよ。神様のお告げ。僕はただ取り次いでいるだけ。でもね、僕を矢で打ち落としたのは人間だよ。 
(動物たちがしだいに集まってくる。しだいに人間達に対する憎悪の気持ちが芽生えてくる。)
人間はみんな わがままで
大地を汚し 海を汚し 大空を汚し
僕たちを しいたげる
恐ろしい けだもの!


ノア みんな、待ってくれ。僕の話を聞いてくれ。
 
確かに 人間は あまりにも ひどいことばかりしてきた
だけど 人間が 神さまと繋がっているならば
たとえ過ちがあっても
ごめんなさいって 反省し
そして いつもあたらしく
生まれ変わることが 出来るんだ
だから これからの僕たちを
見守ってください

 
決して神さまから離れないようにするから。
 
動物たち 本当かな?
大丈夫かな?
信じられない・・・・。
人間は、また僕たちの森を奪うに違いない。
人間は、また僕たちの空気を汚すに違いない。
もうだまされないぞ!
人間なんていらない!人間なんていらない!

 
 それを聞いて、耐えきれなくなった優太が、ノアと動物たちの前に飛び出して行く。ここで僕は逆説的なようであるが、
「究極的なエコロジーは、この世から人類がいなくなること」
というセオリーを語りたいのだ。
 人類の無神経な自然への対応、乱獲や森林伐採、武器の使用、バランスを欠いたエネルギーの使用などが、地球の生態系を乱し、それらが巡り巡って自らの首を絞めているという現実。

優太はこう語る。

優太 待って!動物たち、そんなこと言わないで!
確かに、悪い人間も世の中には沢山いるけれど、ノアのようにやさしくて素晴らしい人間もいるじゃないか。
いい人にも悪い人にもなれる自由を人間だけにくれたのは、神様ですよね。なんでかっていうと、人間が自分で考えていろんなことに気づくのを待っていたんでしょう。 
パーチェ そうだよ。
(ノアが優太の方に寄ってきて)
ノア その自由を使って、人間が本当に大切なことに気づいたならば、この世は天国のようになる。地球を破滅させるのも人間だけがするならば、地上で天国を造るのも、人間だけが出来るんだ。だからみんな、人間の可能性を信じて欲しい! 
優太 僕分かったよ!僕もノアのようにいい人になろうって、今決心した。でもそれだけじゃ足りないんだ。世界中の人をいい人にさせなければ、世界は変わらないんだ。そのために全力をつくして頑張るよ! 
ノア お願いだ。人間を信じて! 
優太 信じて下さい! 
(動物たち、互いに顔を見合わせる。その瞬間優太とジェラールをのぞく全員がストップモーション)

そこで終曲の「新しい世界」が始まる。ジェラールは優太に近づきこう言う。

ジェラール よく言ってくれた、優太!
君にその言葉を言わせるために、ここに連れてきたんだ。 
(天を仰ぎながら)
神様、それではどうかこのバリアを解いて下さい! 
(一同、ストップモーションから解ける)
神の声 みなのもの、優太に免じて、ただいまより上陸許可を与える。 
ノア ありがとうございます!神様。 

それからジェラールは、優太をこの国に連れてきた本当の理由を語る。

ジェラール 残念ながら人類は20世紀から21世紀にかけて再び堕落する。人間の心はすさんで、世界中で戦争や紛争が絶えず繰り返される。人の心を救うはずの宗教がテロの温床となり、人々は何を頼りに生きたらいいか分からなくなる。行き過ぎた資本主義は、人の命よりも経済原理を優先する。でも、その経済も破綻する。自分のことしか考えない人間が、人を出し抜くことしか考えないから。
大地は汚れる。地上は楽園からほど遠く、滅亡はもはや時間の問題となるのだ。
でも、ここにいる優太君が世界を変えた。
 
 一同驚く。ジェラールは話しを続ける。世界は滅亡する運命にあったのに、優太が今決心したことで、未来を変えたというのである。優太は21世紀に帰ってから猛烈に勉強し、世界を変える偉大な働きをする人間になるというのだ。そして優太がノアの遠い子孫であることを明かす。

 さらに、この作品の最後にはもうひとつのサプライズが用意されている。世界中の民族衣装をまとった人達が、あちらこちらから現れる。

パーチェ ノア!ほら見て! 
ノア いろんな国の人がいる。肌の白い人、黒い人。目の青い人、黒い人。 
ジェラール そう、方舟を作ったのはノアだけじゃなかったんだよ。
世界中にノアのような正しい人がいて、それぞれの土地から方舟に乗り、みんなここに辿り着いたんだよ。
ノア じゃあ、この人達と、新しい世界を築くというわけか。
おおい!みんな、お友だちになろう。
力を合わせて、新しい国を造ろう。 

 ここで「ノアの方舟」の素朴なお話は、グローバルな意識にまで広がっていく。この発想は、僕の常日頃からの世界平和への祈りから浮かんできた。世界中の人達が、人種、民族、風習、宗教、言語を超えて、本当にひとつになる日を、僕は夢見ている。それを絵空事で終わらせてはいけない。
 むしろ僕には確固たる楽園のイメージがある。それを単純な言葉で綴り、音楽をつけたのが終曲のメロディーだ。

花は咲き 鳥は歌う
緑溢れる この世界
果てしなく 続く大空
光り輝く この世界
 
ああ! 今こそ 新しく生きてゆこう
この地球に生まれて よかったと言えるまで
 
 この歌を聴きながら、会場の聴衆が、真っ暗な中でケミカルライトを振って、互いに一体感を感じる瞬間、僕は、これこそが「ミサ」の神髄なのだなと思う。ミサとは、聖堂内での一体感を感じること。でも、そこで終わりではない。その中で本当の一致を経験した者が、聖堂を追い出されて、今度はひとりひとりが娑婆世界で平和を作り出す者となるべく努力する。だからミサは、一番最後に「派遣の祝福」が行われ、この聖堂を追い出されるのだ。
 実は、僕の「ノアの方舟」はミサなのである。そしてそれは永遠に終わらない。人類に、現実的にも内面的にも本当の平和が訪れるその日まで。いろんな演奏会で指揮をしている時も、僕の心はいつも平和に向かっているのであるが、特に今回の終曲では、コンガの一音一音を叩いている間、「平和!平和!」と祈りを込めながら叩き出していた。

 僕くらい恵まれている者はいないと思う。何故なら、自分でストーリーを作り、曲を作り、みんなを動かしてこの上演に向かって合唱稽古をし、ソリストの稽古をし、演出を決め、演奏の指揮をし、コンガまで叩くことを許されているのだ。そのひとつひとつが充分楽しいのに、それを全部ひとりで味わえるんだぜ。
 練習は確かに大変だったけれど、本番になったら、もう、めっちゃ楽しくって死んじゃいそうなくらいだよ。だって、一夜明けた今だって、まだワクワク感が抜けないんだもの。

 でも僕は、こういうことをするためにこの世に生まれてきたのだとつくづく思う。これが僕の使命なのだと思うし、神様が、
「もうやるべきことはやったからこっちへ帰ってこい」
と言うまで、まだまだ走り続けなければならない。悔いのないように生きなければならないのだ。

ノアは僕だ。
神様!
僕は頑張って
この国をきっと
夢と希望に満ちあふれた素晴らしい国にして見せます
(ノアの祈り)
 




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