安曇野の朝

三澤洋史

安曇野の朝
 安曇野でこの原稿を書いている。ここは、絵本美術館「森のおうち」というところで、絵本美術館とコテージが一緒になっている。今21日火曜日の朝。木々の間からのこもれ日が美しい。昨晩も音ひとつない絶対的な静寂の中で熟睡した。今朝は、妻と二人で約1時間半のお散歩をして近くの神社に行ってきた。
 松本から車で30分ほど行った安曇野の真ん中あたりの林の中。日常を忘れてのんびりと過ごすのに最適だし、特に、何か創作活動を落ち着いて行う人には、これ以上ない環境であろう。部屋にはテレビがない。それを不便に感じる人もいるだろうが、その配慮が嬉しい。
 このコテージは基本的には自炊で、料理が出来、食器などが揃っている。でも朝食だけは美術館のカフェで取ることが出来る。その朝食を、曼荼羅を描く画家の小林史(ふみ)さんが出してくれた。先日、松本でスクールコンサートを行った時に、史さんが、
「あたし、絵本美術館に勤め始めたんです。でも、まかないなんですよ」
と言っていたのを人ごとのように聞いていたが、まさか自分が史さんの朝食を食べようとは想像もしていなかった。

 今日は、午後から大親友の角皆優人君が企画した「芸術家の集い」がある。画家の人たちが主で、山下康一君も来る。明日の22日水曜日10時からは、絵本美術館で、ここの館長でもあり、宮沢賢治研究家でもある酒井倫子さんと、角皆君が、宮沢賢治についての対談をするのだが、僕もそこに加わることになっているのだ。
それ以外の時は、愛知祝祭管弦楽団の「ジークフリート」のスコアの勉強をしたり、いくつかの原稿を書いたりして過ごす。妻は妻で勝手に行動する。まさに隠遁生活のようである。

 といっても、最初から隠遁生活をめざしてここを予約したわけではなかった。というより、ここに来るまでは、はっきり言って大変だった。もともとは、僕と妻、そして孫の杏樹の3人がここに滞在する予定であった。
 杏樹の母親である志保は、お盆を過ぎたこの時期、ピアニストとしての仕事が立て込んでいて身動きがとれないので、気分転換としてママを離れて3人で数日滞在しようね、ということになっていた。
 ところが、ここのところ孫の杏樹の精神状態が不安定で、「保育園に行きたくない病」と「ママと一緒にいたい病」を併発している。
 
 先週のことである。僕たち家族は、お盆で群馬の実家に13日から17日まで滞在したのだが、志保だけ16日に演奏会があったので単身東京に帰った。そうしたら、夜、
「ママに逢いたい!」
と言って、杏樹は夜中まで大声で泣き続けたのだ。あまりにその泣き方がひどかったので、この子はどうにかなってしまうのでは、と思ったほどだった。仕方ないので、杏奈はiPhoneのFaceTime(テレビ電話)で国立宅にいる志保を呼び出した。
杏樹は、ディスプレイの中のママを見ると、
「この中に入って、ママのところに行きたい!」
と、ディスプレイとゴッツンコしながら泣きわめいていた。はたで見ていて僕は、どこでもドアがあったらどんなにいいだろうと思った。けれど杏樹は、ママの顔を見ながらおはなししていく内に、しだいに落ち着いてき、同時に眠くなってきて、ママの顔をすがりつくように見ながら静かに瞳を閉じ、やがて寝入ってしまった。胸がキューンとなるほど可哀想でいじらしく、それでいて可愛くて食べちゃいたいほどであった。

 その時、僕は思った。
「こんな様子では、杏樹が来週ママと離れて妻と3人で安曇野に来るのは無理だ。でも、そうなったら志保が仕事をしている間、妻以外に杏樹の面倒を見る人がいない。つまり、安曇野には僕ひとりで来るしか道がない」
しかしね、ここは車がないとどうにもならないんだ。近くには、コンビニはおろか、生活用品を調達するお店など全然ない。僕は運転しないので、いっそのことここをキャンセルして、いつもの白馬のカーサビアンカに変えようかなとかいろいろ考えた。
 でもね、次女の杏奈が仕事をなんとか休んでくれると言う。
「ママも、たまには休まなけりゃ。行っておいでよ!
 奇特な娘だ。いい子に育ってくれてありがとう!その代わり僕たちは、杏奈にベビーシッター代を払って、仕事を休んだ分の補償をしてあげることにした。こうして交渉成立。こんな状態を経て、杏樹を国立の家に残して、やっとのこと妻と二人でこのコテージに来たというわけである。

 7月29日日曜日。「ノアの方舟」に来てくれた角皆君は、公演後僕に会うなりこう言った。
「三澤君、僕はこの作品に本当に感動した。何に感動したかというと、これは宮沢賢治の考えにそっくりだからだ。僕は、自分の人生において、ベートーヴェンの次に宮沢賢治が好きなんだけど、今、宮沢賢治研究家の酒井倫子さんという人と対談をしていて、それを本にするつもりなんだ。それで、三澤君も対談を聞きに来ない?対談は安曇野にある絵本美術館で行われるのだ」
 まあ、彼はいつも強引な奴だけれど、今回はいつにもまして情熱的に語るので、ちょっと興味が湧いた。とはいえ、僕は角皆君ほど宮沢賢治に対しては思い入れがないし、「ノアの方舟」も、宮沢賢治からインスピレーションを得て書いたものでもない。
 しかしながら、そう言われて興味を持ち、ネットで宮沢賢治の生涯を探ったり、あらためて本を読み直してみたら、なるほど角皆君の言っていることはよく分かる。僕の考えていることは、自分では意識していなかったけれど、宗教的見解も含めてかなり賢治の思想に近いことが分かった。賢治は法華経に傾倒していた。
 僕が「地球オペラ」と名付けた「ノアの方舟」では、一度人間目線を捨て、動物目線から人間のやっていることを眺めてみた。すると人間というものが、どの動物よりも愚かでエゴイスティックで、しかもバランスを欠いた行動をすることで生態系を壊し、自然を汚し、この世を住みにくいものにしているか気が付いた。それでいて、人間ときたら、自分達は万物の霊長だという優越意識を動物たちに対して持ち、彼等を見下しているんだよね。本当に、人間ってやーよねー・・・と・・・僕も人間なんだ・・・・。
 そこで僕は、
「究極的なエコロジーとは、この世から人間がいなくなることだ」
と結論づけて、それに対する問題意識を、「ノアの方舟」の中で色濃く表現したのである。自分では全く意識していなかったけれど、それはとりもなおさず、賢治の、動物への親近感と、人間をみつめる視線と共通することが、後で分かってきた。

 そんなわけで、僕はその対談を聞きに行くのも悪くないなと思い始めていた。すると何日か経ってから角皆君は、
「三澤君、せっかく来るんだったら、三澤君も対談に加わろうよ。それで、そのためには、賢治の本を何冊かあらためて読んでおくれよ。三澤君には、そうだなあ、『セロ弾きのゴーシュ』について語ってもらいたいなあ」
 全く勝手な奴である。しかし、さいわい8月22日は空いている。それに、賢治の本は読み始めてみると面白くて、たちまち「銀河鉄道の夜」「風の又三郎」「よだかの星」「セロ弾きのゴーシュ」「注文の多い料理店」「雪渡り」「どんぐりと山猫」などを読んでしまった。

 さらに角皆君はこう言う。
「三澤君が泊まる絵本美術館には、伊勢ひでこさんの絵が飾ってある。僕はね、昔伊勢さんの『カザルスへの旅』という本にとても惹かれていたし、伊勢さんも賢治に魅せられていて、僕は伊勢さんが描いた『よだかの星』の絵本が好きなのだ。伊勢さんは柳田邦男さんの奥さんでもあり、最近お会いしたのだけれど、柳田さんはこの絵本美術館で定期的に講演会をやっているんだよ」
 それで「カザルスへの旅」も「よだかの星」も取り寄せてみた。ホントーに人騒がせな奴だね、角皆君は。ただ彼のお陰で、僕も「カザルスへの旅」を読んで、伊勢さんの芸術家としての感性の鋭さにとっても魅せられた。この人の書く文章も絵も、なんか変わっていて、ほとばしり出るものがあるのだ。

 今、朝食を食べてコテージに帰ってきたところ。11時に角皆君が迎えに来るまでに、この「今日この頃」を仕上げて送らなければ。

家にこもって編曲
 8月6日月曜日から始まった週は、合唱曲の編曲に明け暮れた。新国立劇場合唱団による文化庁のスクール・コンサートのためであるが、僕は残念ながらそれには行くことが出来ない。何故なら彼らが旅に行く9月には、大野和士新芸術監督のシーズン開幕の、モーツァルト作曲「魔笛」の練習が入っているからだ。
 彼らの行く先は、大分、宮崎、鹿児島、そして沖縄である。そして、それぞれの県のご当地ソングの編曲を僕が担当している。宮崎はキャンペーンのためのHINATAという可愛い曲、鹿児島は「茶わんむしの歌」という、とっても面白い曲を編曲した。沖縄は、以前新町歌劇団のために作った「童神」という子守唄。以前、石垣島に遊びに行った時、夏川りみのライブに行って、あまりの感動に号泣した曲だが、少し作り直した。

 その中で、大分はちょっと異色で、学校側の希望もあって滝廉太郎の曲を取り上げた。というのは、滝廉太郎は、大分で亡くなっているのである。かれはドイツに留学し、ライプチヒ音楽院で学び始めるが肺結核を患い、帰国を余儀なくされ、父親の実家である大分で療養生活を送る。しかし弱冠24歳でこの世を去ってしまった。滝廉太郎というと、「箱根八里」や「花」などの明るい曲のイメージがあるが、「秋の月」という愁いを含んだしみじみとした曲があったので、先の2曲の間に挟み込んで3曲のメドレーとした。

 週末は自作ミサ曲の初演と、愛知祝祭管弦楽団の練習があり、13日月曜日からはお盆のために群馬の実家に行ってしまうため、どうしてもこの週の内に編曲を完成させて新国立劇場にPDFとして送らなければならなかった。ふうっ、忙しかった。しかも、ずっと籠もっていると頭が膿んでくる感じがする。つくづく、自分は職業作曲家にはなれないな、と思った。外に出て、適当にみんなと交わって指揮したりするのが天職だ。ま、作曲や編曲をすること自体は大好きなんだけどね。

Missa pro Paceの初演
 8月11日土曜日には、いよいよ僕のMissa pro Paceが部分的ながら初演された。このミサ曲が世界に向けて響いた記念すべき日であった。でも、僕は演奏を終えたらすぐに、残りの部分のオーケストレーションをなるべく早く完成させなければ、という気持ちにかられた。そして気持ちはすでに来年の同じ日の8月11日の全曲初演に向いている自分を感じていた。
 アカデミカコールは、あの難しいフーガをよく崩壊しないで演奏してくれました。その他の箇所も、リズムとか難しいのに、最後にはそれを楽しめるほどになりましたね。ありがとう!
 演奏者達も、それぞれが実力を充分に発揮して、良い演奏に仕上がりました。みんなみんな、本当に感謝しています!

群馬のお盆
 さて、今年のお盆は、まるまる群馬にいて楽しんだ。とはいえ、13日と14日は、愛知祝祭管弦楽団の「ジークフリート」公演のプログラム用の原稿を書いていた。9月2日の本番なのに今頃書いているんだぜ。担当者はどんなに気をもんでいるだろうと思った。
 だから最初はごく短い文章で済ませるつもりでいたのだが、書き始めてみたら、いろんな想いが次から次へと湧いてきて収拾がつかなくなってしまった。それでもなんとかまとめて担当者に送った。ギリギリ・セーフ!じゃねーだろ。もうとっくにアウトなんだけど、僕の文章のところだけ空けておいて、
「あーあ、ヤダもうこんな生活!」
と思っていたに違いない。ごめんね、ビオラのHさん!
 8月15日水曜日は、親戚一同が集まって、夜はバーベキュー・パーティー。僕が炭をおこす係。自慢じゃないけれど、僕の炭のおこし方はうまいんだぜ。今は、着火剤がしっかりしているから、よほどヘマをしない限り、消えてしまうようなことはないのだけれど、きちんと順番を踏んでやると、焼く時の炭の状態が最良になるのだ。
 最初は縦に炭を積み、大きな炭にきちんと火がつくようにする。そうしてまんべんなく炭に火が回るようになったら、大きく横に広げて炭床を作る。なんか、こういうの僕大好き!
 8月16日木曜日は、晩に新町名物花火大会。昨年、3歳だった杏樹は半ば喜び、半ば怖がって、花火大会の晩の真夜中にうなされてしまった。今年は、先に述べたように、突然ママがいないことで大泣きしたけれど、それも、もしかしたら花火大会のせいもあるかなあ。でも、花火大会の最中は、怖がることなく、
「わあ、きれい!」
と喜んでいたけれどね。


新町の夏

浜松と名古屋の週末
 こんな風に瞬く間にお盆は終わり、18日土曜日は、僕は久しぶりに浜松バッハ研究会に行った。浜松の楽しみは、なんといってもウナギ。練習前に少し早く浜松に着いて行きつけの鰻屋に入った。
 今年は稚魚がいないということで、あっちこっちで鰻が値上げしており、その一方で、売れなくなったものだから余っているとも聞く。でも、浜松の鰻は健在!いやあ、元気が出たぜ。


浜松の鰻


 翌日19日日曜日は、名古屋でモーツァルト200合唱団の練習なので、その晩は浜松泊。
 この街には鰻の他にもうひとつ楽しみがあるのだ。それは、Mein Schlossマイン・シュロスというドイツ・レストラン。


Mein Schloss001

先日大津のビュルツブルグというドイツ・レストランの話をしたが、ここも本場風のWeizen Bier(小麦ビール)が飲めるし、その他の食べ物も本物のドイツ風。それにしても、やっぱり僕ってドイツ食大好きなんだよね。


Mein Schloss002


 名古屋モーツアルト200合唱団の練習は、通常午後からなのだが、今日は午前10時から、9月16日の演奏会の前半プログラムの演目である、ブラームス作曲ヴァイオリン協奏曲の合わせをした。ヴァイオリンを弾くのは、まだ20代の牧野葵(まきの あおい)さん。
 小柄でチャーミングな女の子って感じなので、こんな子がブラームスなんて弾けるのかいな、と思ったけれど、弾いてみたら実にうまい!重音がとても多いのだが、彼女の音程は完璧といっていい。早いパッセージや、音程を取るのが難しいハイポジションの高音もなんなくこなす。
 ただ、僕にはブラームスの音楽へのこだわりがあるから、気が付いたらレッスンのようになって、かなりしっかり練習をした。

 その時、ひとつ思った。彼女くらい弾ければ、コンクールでは優勝するであろう。もしアスリートならば、そこで目的達成されるわけだ。あとはまた別の大会に出て連勝をねらう。ところが、アーチストというのは勝つのが目的ではない。僕は、合わせの中で葵ちゃんによく言っていた。
「そこは弾き飛ばさないで!弾けるの分かったから、もっと音楽をやろう!」
「そんなインテンポで弾かないで、もっと自由にやろう。ブラームスはね、耽美的なんだ」
 20代の女の子に耽美的という言葉の意味がどれだけ分かったかな。でも、あんなに技巧的なのに、同時に、技巧の誇示をすると音楽の命が壊れてしまうブラームスは、本当に難しいんだね。
 元来は、もう次はオーケストラ合わせだったはずなのに、僕はどうしてももう一度合わせをしたいので、日程を増やしてもらった。彼女なら、もっと魅力的で聴衆を感動させる音楽を奏でられると思ったから。

 まあ、うんと悪い言葉で言えば、技巧的にはしっかりしていながら、あんな素直な彼女を自分好みに染めて、自分のブラームスを奏でたいという自分のエゴかも知れない。だから、彼女は僕と共演した後、自分の好きに演奏すればいいのだけれど、僕と一緒に音楽をやったことで、もしかして彼女の中に、「表現者として何か」が生まれてくれればいいなと思っている。

 コンクールは単なる通過点であり、本当に大事なのはコンサートなのだ。コンサートでは、聴衆を驚かすのではなく、感動させなければならない。ブラームスの、あの内に秘めた燃えたぎるような想い、憧憬、夢想。それらが彼女の奏でるヴァイオリンから飛翔していくことを僕は祈っている。

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