水と語学のお陰でふぬけ脱出

三澤洋史

水と語学のお陰でふぬけ脱出
 愛知祝祭管弦楽団の「ジークフリート」とモーツァルト200合唱団の演奏会が終わって、しばらくは心も体もふぬけのようになっていた。
いつも、
「これさえ終われば楽になるのだ」
と思って無我夢中にやるのだが、実際に終わってみると確かに楽にはなるが、なにか生き甲斐がなくなってしまって、自分がシューンと萎んでしまった感じになり、
「あの時が一番輝いていた」
と思うんだ。
 また、頭の中が公演の曲目でいっぱいになっていて、空いている時間は全てその音楽の勉強に費やすため、他のことが何も出来ないので、
「これが終わったら、あれもしよう、これもしたいな」
と思っているけれど、これもいざ終わってみると、無気力になって何もしたい気が起こらない。読みたい本も買ったまま山積みになっている。

 不思議なんだけど、忙しい時に、
「それでも、この本だけは今のうちになんとしてでも読みたい!」
と思って読む本は、すごく集中して読むのでとても頭に入るし、忙しい合間を縫って、
「これだけはどうしてもやっておきたい!」
と切羽詰まってする勉強や作業も、とっても能率的に進む。だから、出来る人間はどんどんより出来る人間になり、出来ない人間は、ただボーッとしているだけで何も産み出さない。
「じっくりと時間をかけて」
というのは、聞こえは良いけれど、要は集中力なんで、
「集中したまま時間もかけて」
でないと、何も事を成すことはできない。
 それこそ、チコちゃんに、
「ボーッと生きてんじゃねーよ!」
と言われそう。
 ちなみに今我が家では、NHK土曜日の朝の番組「チコちゃんに叱られる!」が大ブームで、僕も時々、4歳の杏樹の質問にきちんと答えないでまごまごしていると、
「ボーッと生きてんじゃねーよ!」
と叱られる。

 それでも、人間は、時にふぬけになってボーッとするのも必要かなと思う。そんな時にはなんとなく体調も悪くなったりもするのだけれど、それも体が一度休んでリセットしたいと思っているからかも知れないし、次にまた集中力を発揮する前に、一度たるんで体力温存しておけよ、という神様からの愛かも知れない。
 それで決心して、僕としたら珍しく数日禁酒し、夜も早く寝て睡眠時間をたっぷりとった。そうしたら、だんだん体調が戻ってきた。

 9月27日木曜日。新国立劇場の「魔笛」は、ピアノ付き舞台稽古が水曜日までで終わり、金曜日からオケ付き舞台稽古に入るので、今日は久し振りのオフ日。午前中はミサ曲Missa pro PaceのCredoのオーケストレーションをして、午後は立川の柴崎体育館プールに行って泳ぐ。これも久し振り。
 「ジークフリート」の前も頻繁に泳ぎには行っていた。でも目的が違う。本番では数時間も大管弦楽を指揮するのだから、筋肉をそれに耐えられるように鍛えておかなければということで、最初からイケイケの気分で臨んでいた。
 でも、今日はリラクゼーションのため。なんの義務もない。そうするとね、すごーく体全体がリラックスして落ち着く。僕は魚座だからかな。水の中にいるだけでしあわせになる。壁を蹴ってスーッと体を前に押し出す。重力の支配から一瞬で解き放たれ、代わりに浮力の支配下に入る。大腿筋でガシッと大地に対峙する代わりに、体は流線型をめざし、足はゆらぎながら水を後ろに押しやる。掌はパドルになり、リカバリーする腕は脱力して肩甲骨主導で動く。
 ユルユルに泳ごうと思っていたのに、なんとなく気分が良くなって、気が付いてみたら1500メートルくらい泳いでいるので、慌ててやめた。僕は自分で1500メートル以内と決めているのだ。次の日に筋肉痛が残って仕事に差し支えるから。でも、かえって義務感にかられて泳ぐより力が抜けているので、泳ぎの効率がずっと良い。

 それからモノレールで立川駅に向かう。雨が降っているので自転車ではなく、南武線&モノレールで家から来たのだ。立川では、スポーツ用品ショップを冷やかしたり、本屋で立ち読みををしてから、伊勢丹に入り、3階のアフタヌーンティー・ティールームでスコーンと紅茶のセットを注文。ここのスコーンはとってもおいしくてしあわせな気持ちになる。クリームとブルーベリー・ジャムが付いている。紅茶はポットに3杯分くらい入っている。
 ここでのんびりとイタリア語の勉強をする。そういえば、僕は語学の勉強をしても気持ちが落ち着くのだ。水の中と語学。このふたつが、僕が自分の心を癒やし、リフレッシュさせるために必要なアイテムかも知れない。
 ここでも今日はガシガシ勉強したりしない。あくまでゆったりとのんびりと・・・・といいながら、その日は、接続法と条件法の組み合わせた仮定文、及びその過去形などを勉強した。こんなのはさあ、普通のイタリア人と話した時に、なかなかスラスラとは出てこないよね。動詞の活用もこんがらがるし。

写真 立川伊勢丹にあるアフタヌーンティー・ティールームで注文したスコーンと紅茶のセットの様子
アフタヌーンティー


 イタリア語はドイツ語よりもずっと厳密で難しい。ドイツ語って、一見とても難しそうでしょう。ところがそうじゃないんだな。難しいのは勉強を始めた頃のder des dem den(名詞の格活用)だけ。それを通過すると時制なんて結構ユルい。第一、半過去という概念すらない。
 僕が知っている言語の内、なんといっても厳密なのは、ラテン語から派生したイタリア語とフランス語。フランス語は、書くと、たとえば女性名詞にはeを付け、複数ではsやesを付けるなど厳密なので、国際的な公文書などに使われているが、喋ると発音が変わらないので、案外イタリア語ほど複雑な感じがしない。
 イタリア語ではPenso che(~と思うんだ)を使ってしまったら、その後はどうしたって接続法を使わないといけない。しかもpiangereのようなere動詞は、io piangoという直説法に対してpiangaになるし、sospirareのようなare動詞は、io sospiroに対してsospiriになる。ドイツ語なんか普通に直説法でいいし、フランス語は、複数1人称と2人称だけ除いて活用は直説法と全く同じ形だから、イタリア語ほど頭を使わなくていいのだ。
Lascia ch'io pianga la dura sorte 泣かせてください 過酷な運命を 
e che sospiri la libertà 熱望させてください 自由を
 こんな風に、イタリア語をやっているお陰で元気になってきた。そうしたら、翌日になってイタリア語のレッスンに行って接続法を使って喋っていたら、一緒にシェアーしている新国立劇場合唱団員のK君が、
「三澤さん、そんなに勉強しちゃったら困りますよ」
と言う。彼はイタリアに何年も留学していたので、僕よりずっとしゃべれるのだが、文法はちょっと苦手。でも先生は、
「いいじゃない。ここではレッスンなんだから、ゆっくり考えてしゃべればいいし。第一、普通はイタリア人は待ってくれないから、面倒くさくなって直説法でみんな喋ってしまうでしょう」
「俺、ナポリでもローマでも接続法でなんかしゃべったことなかった」
とK君。
「実はね、結構みんなPenso cheの後でも直説法で喋ってんのよねえ。本当は間違いなんだけど・・・。でも、もしあなたたちが接続法を使ったら、みんなはリスペクトを持つわ」
 僕は、バイロイト音楽祭で働いていた時を思い出した。バイロイトに最初に行く前に、もう学生じゃないんだからと決心して、ドイツ語の接続法を勉強し直し、必要に応じてなるべく使ってみた。そうしたら、やっぱりドイツ人達の見る目が明らかに違った。だから正式な社交の場では必要なんだ。

 僕を癒やし、元気にしてくれたものがもうひとつあった。それは女性歌手達。それも昔の歌謡曲。もともと僕は、女性のヘッド・ヴォイス(要するに裏声)が大好きだ。そんな僕が、今回聴いて癒やされていた歌手といえば、
サーカスの「ミスター・サマータイム

アメリカン・フィーリング

の叶正子、
ハイファイセットの「海を見ていた午後」の山本潤子、


それから、「どうぞこのまま」の丸山圭子だ。


 彼女たちの豊かな倍音に身を任せていると、遠いその昔、母親の愛情に包まれていた幼年時代にまで心がさかのぼっていく。それより、僕は指揮者として構築性のある音楽が好きなのと同じくらい、ひとの“うた”というものが好きなのだ。
 この3人の中では叶正子の声が一番美しくて断然好き。山本潤子は、ややハスキーな声だが味わいがあるなあ。丸山圭子はねえ、そんなにヘッド・ヴォイスでもないけれど、一見稚拙ともいえる歌い方の中になんともいえない色気があるね。
みんな昭和の歌。今もうこんな歌歌う女性歌手っていないなあ。

 その後、金曜日土曜日の「魔笛」オケ付き舞台稽古がスムーズに進んで、日曜日は浜松バッハ研究会の練習に行くはずだったが、台風で中止になった。思いがけないオフに案外嬉しい。しかも、午前中はまだ雨も降っていなかったので、妻とふたりでカトリック立川教会のミサに出た後、僕はひとりでまたまた柴崎体育館でプカプカ。ああ、落ち着く!
それから、またまたモノレールで立川駅に出て、すぐ近くの カンテラ (PIZZERIA NAPOLETANA CANTERA)で昼食。

 ここのピッツァは、まさに正真正銘のナポリ風。僕は最もシンプルなマリナーラを注文。それはトマトソースとオレガノが乗っているだけのピッツァだけど、その店のクォリティが一番分かっちゃう。
 僕は案内されてカウンターに座った。すぐそばで、粉をこねてトマトソースを塗り、ニンニク片をちらしながら、ピッツァ職人のお兄さんがチラチラと僕を見ている。そして釜に入れて取り出して・・・。
 僕が食べ始めたら恐る恐る聞いてきた。
「お味は・・・どうですか?」
「ん・・・おいしいですよ!」
「ありやたっす!」
 こんな白髪の老人がひとりで来て、しかもすでに切り分けてあるのにナイフとフォークを使ってピッツァを食べているのだもの、一体誰だこいつは、と思われているに決まっているよな。ヨーロッパでピッツァを食べ慣れた人でないとやらないものな。
 だから、ここで宣伝してあげる。みなさん!立川駅から徒歩2分のカンテラは超お薦めです。

ということで、すっかり元気になり、またまた意欲満々でこの秋を乗り切ります!
「魔笛」も絶好調で初日を待つばかりです!

スタンフォード式とベルカント
 柴崎体育館で泳ぐのがいつもより楽しかったのは、山田知生著「スタンフォード式 疲れない体」(サンマーク出版)という本の中のIAP呼吸法を試しながらやっているせいもある。山田知生氏は、全米大学スポーツランキング23年連続総合1位を誇るスタンフォード大学で、スポーツ医局のアソシエイトディレクター、アスレチックトレーナーを務めている。

写真 スタンフォード式疲れない体という書籍の表紙
スタンフォード式

 IAP呼吸法(Intra Abdominal Pressure~腹腔内圧)とは何かというと、僕たちクラシック音楽の声楽に関わっている者にとっては、何のことはない、ベルカント唱法で使う呼吸法のことである。この本を読むまでは、僕は、ベルカント唱法での横隔膜の使い方は、スポーツとは真逆だと思っていた。
 しかしながら、最近、親友の角皆優人君がこのIAP呼吸法のことを僕に話してくれた。何故なら、彼は僕がスキーのキャンプの講演会でベルカント唱法のことを熱く語っていたのを覚えていたからだ。

 これまでのスポーツ界の常識では、たとえば水泳でも、クロールで手を掻く時に、
「内臓をあばら骨の中にグッと押し込むようにして圧力をかける」
と言われていた。それで僕も、泳ぐ時にはあえてベルカントとは反対にお腹を押し込んでいた。
 ところがIAPのことを聞いてこの本も読み、自分もプールの中で試してみたら、何のことはない、こっちの方が断然疲れない。それに僕の場合、この呼吸法に慣れているということもあって、あっけないほどこちらのやり方に移行できた。

 すなわちIAP呼吸法とはこうである。泳いでいる間は、歌っている時と同じに、基本的に横隔膜を下げて、肺が下腹部の内臓を圧迫する状態を維持する。つまりお腹が出ている状態を保つということである。息を吸う時にはもちろん肺の下部までしっかり使って横隔膜を下げるが、いわゆる腹式呼吸と違うのは、そこから先の息を吐く時なのだ。
 息を吸う時にお腹が出て、吐く時にへこむのが腹式呼吸。しかしIAPでは、息を吐く時に、お腹がへこんでしまわないように、中から外側に向かって圧力をかけながら吐くのだ。そうして吐き終わるまでお腹は出たままである。
 山田氏は、
「息を吸うときも吐くときも、お腹の中の圧力を高めてお腹周りを固くする呼吸法で、お腹周りを固くしたまま息を吐ききるのが特徴です」
と述べているが、歌を歌う場合、「お腹周りを固く」と言ってしまうと力が入り過ぎて、声も固くなって危険なので(まあ、アスリートの場合はそれでも差し支えないが)、僕は「外側に向かって圧力」という表現をしたい。
 IAP呼吸法で泳ぐと、もっと良いことは、お腹の支えが基本的に安定しているため、水泳に禁物の「体が反ったり反対に内側に曲がり過ぎたり」することを意識しないでも防ぐことが出来る。つまり自然に体軸が安定するのだ。
 その体軸の安定のせいもあるのだろう。驚くべき事に、ここのところ水泳だけでなく他の陸上競技とかにもそのメソードが取り入れられてきているという。ちなみに、こういうことにいつも日本は一番遅れるんだよね。

 僕はちょっと誇らしい。だって、ベルカント唱法の呼吸法に、やっとまわりが追いついてきたんだもの。この本は、その他にも肩凝りを解決するのに肩甲骨のまわりの筋肉を活性化させるとか、寝る前にIAP呼吸法をするとよく眠れるとか、疲労を軽減するための様々なサジェスチョンが書いてある。
 読むだけだったらすぐ読めてしまうから、本屋で立ち読みでもいいから、一度手にとってみることを強くお薦めする本です。

ああキューバ音楽
 僕は、ラテン音楽のどこに惹かれるのか、ようやく分かった。言葉で言ってしまうと、ごくごく当たり前すぎて拍子抜けしてしまうほどだが、リズムと拍感だ。キューバ人のミュージシャンであるペドロ・バージェ氏は、著書「リアル・キューバ音楽」(yamaha music media corporation)で次のように言っている。

サルサのもとになったキューバのソンは、ベースが次の小節に先立って入ることが、音楽を前に進める強力な原動力になっていて、これはブラジルのサンバなど、他国のラテン音楽も含めて、他の音楽では見られない特徴です。
 ベースが一拍目を刻まないというのは結構深刻だ。ソンを聴いていて、ちょっと聞き逃したり、途中から聴くと一拍目がどこだか分からなくなる。歌もシンコペーション続きで際限なくいくので、今表拍なのか裏拍なのかの区別も付かなくなる。
 ソンで使うコンガの基本的リズムはトゥンバオであるが、「トツツトツトントン」の一拍目よりも二拍目にアクセントがあるし、いま何拍目かわからなくなったら、「トントン」のところを頼りに小節頭を把握するのがいい。でもトントンはむしろ小節の最後。一方、小節頭は左手のヒールなので、あまり大きな音は出ない。
 ロックなどでは一拍目というのは絶対で、ここをはずすというのは信じられない。ディスコ・ミュージックでも、ドッドッドッドッとバスドラムが毎拍しっかり刻む。でも、そういう音楽は確実だけれど重たい。
 ラテン音楽ではむしろその重たさを嫌う。彼らは軽さの中にグローブ感を感じる。でも、僕のようなクラシック畑の者はどうしても譜面にとらわれるから、うまくその軽さに乗れない。そこで僕は、譜面から離れてまずはダンスから入ることにした。Youtubeなどでダンスの映像を見て一緒に踊ってみたのだ。
 すると、面白いことに気が付いた。一拍目の瞬間は、勿論ひとつの足に重心があって蹴るのだが、意識はその足の重心にはなくて、腰を振りながら浮いているもう一方の足にある。あるいは「浮いている」という状態にある。裏拍で足を降ろすとその足に重心が落ちる。しかし「イチ、ニ」という意識ではなくて、その間がつながっていて全体を「輪のように」捉えている。
 流れの中に身を任せて踊ったり歌ったりすると、そもそも「イチ、ニ」はどうでもよくなってくるし、シンコペーション続きの歌も苦にならず自然にノレる。そのリズムに乗ってアドリブ演奏するピアノやトランペットなども、その基本リズムと一見無関係なように演奏するので、実にエキサイティング。

写真 リアルキューバ音楽という書籍の表紙
リアル・キューバ音楽


 いやあ、こういう音楽にどっぷり浸かってしまうと、逆にクラシック音楽って駄目だなあ、と思ってしまう。クラシック音楽は和声的には高度に発展し、管弦楽も大規模になって、音色や色彩感の変化も素晴らしいが、リズムの面白さを追求した作曲家といったら、ストラヴィンスキーやバルトークを除いては多くない。しかも、こんな精妙なリズム感は望むべくもない。だから新鮮でハマっているわけなんだ。

 ラテン音楽とひとことで言うが、とっても複雑。かつて南アメリカ大陸に渡ってきた、スペイン人などを中心としたラテン民族と、彼らが奴隷として雇っていたアフリカ人、それに南アメリカの先住民(インディオ)たちの音楽が混じり合ったものが総称してラテン音楽と呼ばれている。
 その中で、ざっくり言ってふたつの流れが重要だ。それはキューバとブラジルの音楽だ。みなさんは、たとえば、ルンバ、マンボ、チャチャチャ、サルサ、ボレロなどの言葉を聞いたことがあるだろうが、これらは実はみんなキューバ発祥の音楽。それに対して、サンバ、ボサノバなどはブラジル発祥の音楽。この辺はみんなゴッチャにしているかしれないが、ここをはっきり分けることがラテン音楽に入っていく初歩。
 コンガやボンゴという楽器は元来キューバの民族楽器なので、僕は目下のところキューバ音楽(アフロ・キューバン)に惹かれているわけだ。

 キューバ音楽で大切なのはサボールだとバージェ氏は言う。
サボールは本来、譜面には書けないことなんです。(p.238)

このように、すべての楽器がパーカッションとしての機能をもっていて、それがキューバ音楽のサボールを生む秘密になっているのです。(P.246 )

実際にキューバでも、リハーサルの時に、
「そこのアクセントが合わないよ」
とか、
「そのトゥンバオじゃあ、しっくりこないなぁ」
という会話を重ねて、いろいろな組み合わせをしながらサボールのある音楽を作っていきます。(p.247)
 サボールとはイタリア語ではsaporeサポーレと言い、「味わい、味覚、香り」といった意味。要するにその音楽の持つなんともいえない雰囲気のことだろう。実際、僕が惹かれているのもサボールだ。
 緻密で精妙なリズムの中にある“ゆらぎ”とか、付点音符と3連符のギリギリのところの譜面に書けないニュアンス、それに歌やソロ楽器のメロディーの崩し方。クラシック音楽のように全体のテンポをルバートする(揺らす)わけではない代わりに、基本インテンポの中で、それぞれが少しずつハズれる。そこにスリルが生まれ、
「なんかいいなあ」
という独特の味わいが生まれる。

 とはいえ、和声的にはとっても単純なので、いろいろ聴いたけれど、あまり土着のキューバ音楽では飽きてしまう。やっぱり僕には、ジャズのテイストが入ったものが好き。そういう意味では、トータルな目で見て、やっぱりサンタナは偉大だ!

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