八木重吉の祈り

三澤洋史

写真 三澤洋史のポートレート

「魔笛」無事終了
 ケントリッジ演出のプロダクション「魔笛」が千穐楽を迎えて、かつてのバイロイトの朋友であるローラント・ベーアも帰って行った。
「ねえ、公演のない日て何してんの?」
という僕の質問に、
「家族が来ていてね、いろんなところを回ったよ。昨日はねレインボウ・ブリッジを渡ってお台場に行った」
え、そんな所でいいの?と思うが、今やお台場は、外国のガイドブックに載っている重要な観光スポットだそうだね。

写真 オペラ「魔笛」の指揮者ローラントと三澤洋史
ローラントと


 ローラントとの仕事は楽しかった。
「また絶対に会って、一緒に仕事しような」
と堅い約束をして別れた。
 さて、今日から「カルメン」と新作の「紫苑物語」の練習。「紫苑物語」は、西村朗さんの音楽が難しいので、公演はまだまだ先だけれど、もう先行稽古を開始するのだ。秋もだんだん深まってきて、新国立劇場もシーズンたけなわ。健康に気をつけて駆け抜けるぞう!

カトリック生活と福音宣教
 我が家では現在、カトリック新聞(カトリック新聞社)とドンボスコ社から出ている月刊誌「カトリック生活」を購読している。オリエンス宗教研究所から出ている月刊誌「福音宣教」も欠かさず読んでいるのだが、これは、むしろ僕が毎月のコラムを連載しているため、購読しなくても送られてくるから、他の執筆者達の記事も読めるのだ。
 ちなみに、オリエンス宗教研究所の編集者の女性は声楽家で、僕の声楽の恩師、中村健先生の弟子でもあり、昔ドンボスコ社に務めていたという。この辺はみんなつながっているのだ。一方、オリエンス宗教研究所の編集長もドンボスコ社の編集者も、結構オペラ好きで、新国立劇場で皆さん鉢合わせということも珍しくないそうだ。

 僕の「福音宣教」の連載「行け、音よ翼に乗って」は、今年の1月号から12月号までの連載契約であったが、評判が良いということで、また来年も1年間頼まれた。見開き2ページの千二百時ほどのコラムであるが、その時々の信仰生活に関する思いを綴っている。
 僕が連載していることをドンボスコ社の編集者が知った時は、「先を越された」と思ったというが、一読者として、毎月僕のコラムを楽しみにしてくれているという。ある意味ライバルでありながら、こうやって仲良くやっているのを見るのは微笑ましく、なにか嬉しい。こういうゆったりとしたところがカトリックだな。僕は好きだ。

 「カトリック生活」では、以前この「今日この頃」でも紹介したことある竹下節子さんが、「カトリック・サプリ」というタイトルの連載コラムをずっと手がけている。この連載は「カトリック生活」の大人気商品で、雑誌連載だけでなく、まとまった量になると、その中から厳選されて、同じ「カトリック・サプリ」というタイトルを持った一冊の本になる。
 これまでにすでに3巻も出ているが、今度第4巻が出るという。そこでその序文を書いてくれないかと僕のところにドンボスコ社から依頼が来た。ところが僕の前の第3巻の序文の執筆者は、なんと岡田武夫(前東京教区)大司教なのだ。
「そんな恐れ多い方の後にノコノコ乗りの軽い序文なんて書いたら、信者さん達に何を言われたか分かったもんじゃないですか」
と言っても、編集者には聞き入れてもらえなかった。
「大丈夫です、前のことは気にしないで、むしろ三澤さんから見た素顔の竹下節子さんを紹介していただければいいです」
 それで僕は、まったく赤裸々にあんなこともこんなことも書いちゃった。特に、竹下さんを東京バロック・スコラーズの演奏会に招待した時のこと。彼女は、僕の演奏するバッハの管弦楽組曲の舞曲の音楽作りに、舞踏家として反応して、
「あなたの演奏では、踊れません!」
と言ってきたので、僕が、
「その意見は分かるけれど、じゃあ、ショパンの幻想ポロネーズではポロネーズは踊れないでしょう。こういう風に、作曲家というのは、それぞれのイディオムを用いながら、個人的な音楽のワールドを構築するのです」
と反論した。そのことを書いて送りながら、編集者に、
「いくらなんでも、ここまで書いたら良くないですよね。ボツですよね」
と言ったら、
「面白い!これこそ、他の人には触れることが出来ない竹下さんの素顔というものですよ。是非これでいきましょう!」
と言われた。えマジ?ホンマかいな、いいんかいな?
 ということで、もう間もなく出版か、ひょっとしたらもう出版しているかも知れませんが、それだけでは済まなかった。
「三澤さん、どうせなら竹下さんと対談しません?」
と言われた。
 「カトリック生活」クリスマス特集号では、「つなぐ」ということをテーマにするそうで、その趣旨で僕と竹下さんは対談することになった。竹下さんは、僕がこれまでの人生で出遭った全ての女性の中で、間違いなく最も頭の切れる人だ。フェミニストである僕は、特に聡明な女性に惹かれる。その竹下さんとの対談は、来週中に行われるけれど、とても刺激的なものになるに違いない。今から楽しみ。

八木重吉の祈り

ゆきなれた路の
なつかしくて耐えられぬように
わたしの祈りのみちをつくりたい
 たかが言葉の組み合わせだ。しかも言葉だけなら人間なんとでも言える。ところが、上の詩を読んで誰しもが、これは本当にこうした生き方をしていないと決して出てこない言葉だ、という印象を持つだろう。

写真 八木重吉を特集したカトリック生活の2018年11月号の表紙
八木重吉特集


 先に述べた月刊誌「カトリック生活」の今月号、すなわち11月号の特集は「八木重吉-さいわいの詩人(うたびと)」だ。素晴らしい内容で、何度胸の上まで涙が溢れてきたことだろう。
 ひらがなの多い、どちらかというと短い、飾らぬ平易な言葉で書かれたつぶやきのような詩。でも、そこには人の営みにかならずつきまとう哀しみと、それを超えていこうとする信仰への熱い想いと、しあわせを希求する精神と、そして清冽で研ぎ澄まされた魂がある。
 わずか29年の生涯。彼は、妻のとみと二人の子どもを愛し抜き、その密度の濃い人生を生き切った。
裸になってとびだし
基督のあしもとにひざまづきたい
しかしわたしには妻と子があります
すてることができるだけ捨てます
けれど妻と子をすてることはできない
妻と子をすてぬゆえならば
永劫の罪もくゆるところではない
ここに私の詩があります
これが私の贖(いけにえ)である
 普通の人は、こんなことを悩みはしない。妻と子をすててキリストを選ぶか否かなんていう選択肢を誰も突きつけてはいない。でも、そこまで自分自身を追い込んでみるのが八木重吉なんだなあ。そこまでキリストを想いそこまで妻子を愛する、その双方の引っ張り合いの圧力がハンパないのが八木重吉の内面。灼熱するマグマ。
もも子よ
おまえがぐずってしかたないとき
わたしはおまえに げんこつをくれる
だが 桃子
お父さんの命が要るときがあったら
いつでもおまえにあげる
 僕が八木重吉に出遭ったのは、高校一年生の高崎高校合唱部。多田武彦作曲、組曲「雨」の終曲で泣いたのだ。こうした感動が僕を音楽の道に向かわせたとしたら、その功績の一端を八木重吉の詩が確実に担っているといえよう。
雨のおとがきこえる
雨がふっていたのだ
あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしずかに死んでゆこう
 長い間、世の中を生きてきて、高校生時代よりずっと深く「そっと世のためにはたらいていよう」という言葉が実感を持って感じられるし、そう遠くない将来、恥ずかしくない死に方をしたいと願う自分に、「雨があがるようにしずかに死んでゆこう」という言葉が、なんと心に染みることだろう。

写真 八木重吉の詩集「うつくしいもの」の表紙
うつくしいもの

成城教会と山本量太郎神父の生き方
 10月13日土曜日。新国立劇場「魔笛」公演の後、劇場を飛び出し、高崎線に乗って群馬県高崎市の新町歌劇団の練習に向かう。新町の実家に泊まって翌14日の日曜日午後には2日連日の「魔笛」が千穐楽。
 午前中が空いていたが、介護付き施設に入っているお袋のところには、先日お見舞いに行ったばかりだし、これから都心に行くのにわざわざ西のはずれの立川教会にまでミサを受けに行くのもなあ、と考えていたら、ハッと思った。
「そうだ、成城教会に行ってみよう!」
成城教会には、かつて僕を関口教会(東京カテドラル)に呼んでくれた山本量太郎神父がいる。

 成城教会は小田急成城学園前駅のすぐ近く。こじんまりしているが敷地内に足を踏み入れた瞬間、
「あ、気がいいな」
と思った。聖堂内に足を踏み入れると、ますますそれが感じられた。

写真 成城教会の正面外観
成城教会外観

 ミサが始まった。久し振りに山本師の完全な歌ミサに感激もひとしおであった。山本師の声は、大きくはないが美しく透明感があり、その声を持って、ミサの間中、典礼の荘厳さと清らかさを聖堂内に保ち続けさせている。
 僕はかつて、山本師の行う歌ミサに従って、カテドラルの聖マリア大聖堂で指揮しながら、それまで形式的だと思っていたミサというものの「形式の奥に潜む真の意味」を理解させていただいたことを忘れない。

 驚いたのは、前方二箇所にプロジェクターから映し出されているが、それが典礼の言葉をほぼ全て投映していることだ。つまり、式次第だけでなく、その日の聖書朗読や答唱詩編の言葉、聖歌の歌詞など。
 もっと驚いたのは、山本師の説教の言葉まで投映されている。つまり、その説教のために、山本師はきっちり原稿を書いて、係の人にあらかじめ渡しているということだ。勿論本人が書いたのだから、決して堅苦しく原稿を朗読している感じではなく、時々はプロジェクターに投映されている文句から離れて自由にしゃべっているが、また戻ってきて起承転結のあるまとまったスピーチを終えた。
 この後、この原稿は信者向けのホームページにアップされるという。その日、どうしてもミサに出席できなかった信徒も、山本師の説教の内容に触れることが出来るのである。
「画期的ですね!」
とミサが終わってすぐ、僕は山本師に話しかけた。山本師は、いつものちょっと照れたような表情で答えた。
「初めての方やお年寄りの方達にも、なるべくミサの内容を分かってもらいたいと思って、プロジェクターのチームを作ってやっているんですよ」
「聖歌隊もいいですね。先唱の方も透明感あってよく歌っています」
「本当は朗読台で詩編の歌唱が出来たらいいんですが・・・」
「いえ、聖歌隊席が2階にあるので、この流れだったら2階から歌うのがいいですよ。言葉がきちんと会衆席に降り注いできますからね」

写真 山本量太郎神父と三澤洋史
山本神父と


 僕は、あらためて山本師を尊敬した。この人はしっかり向き合って頑張っている。前進し続け、戦い続けている。
「大きくない聖堂ですけれど、いっぱいですね」
「そうなんです。最近は10時のミサがいっぱいなので、8時のミサに流れる人は流れて、8時もいっぱいになってきたので、土曜日の18時のミサにさらに流れて。18時も結構多くなってきているのですよ」
 そうだろうな。これだけ充実した内容のミサをやれば、自然に人はついてくる。ベートーヴェンの交響曲は誰が指揮してもベートーヴェンらしい音はするけれど、だからといって誰が指揮しても同じというものではない。大きな感動を与えることの出来る指揮者もいれば、ただ無益に退屈な時間を与えるだけの指揮者もいる。ミサも一緒だと思った。

カトリック教会の将来を憂慮する
 山本師のミサに触れて、僕はあらためて、僕を辞任させた関口教会の主任司祭のことを思い出した。彼は、僕を辞任させた後、聖歌隊で詩編の歌唱を行っていたふたりのシスターも辞任に追い込んだ。修道女は小教区に維持費を払っていないというのが表向きの理由だが、ふたりともそれぞれ呼びつけて、
「目立ち過ぎる!」
と言ったそうである。
 さらに、僕が辞めた直後、聖歌隊に向かって 、
「詩編をソロで歌うとしたら、祭壇に近づいてきたり、会衆に向かって歌うのをやめなさい。祭壇の方を向いてください。できればソロで歌うのをやめて聖歌隊みんなで歌って欲しい」
と言っているそうである。

 これは明らかに間違っている。ミサ総則によれば、答唱詩編における詩編の歌唱は、朗読台で行う聖書朗読と同じ価値を持つのだ。すなわち、旧約聖書の内容が中心の第一朗読があり、それに引き続いて詩編朗読があり、それから新約聖書の手紙などが多い第二朗読があり、アレルヤ唱から福音朗読に移っていくという内容なのだ。
 だから、詩編の歌唱も「本当は」朗読台から一般会衆に向かって行われるのが最も望ましい。しかし、ふさわしい歌唱者がいない場合は、聖歌隊全員で「歌ってもよい」とされ、さらに聖歌隊もいないような小さい教会では、会衆全員で「歌ってもよい」という順番になっているのだ。
 しかるに現在の関口教会では、主任司祭の意を汲んで詩編のソロはやめて、聖歌隊全員で歌っているそうだ。何故だか全然理解できないが、僕を辞任させた理由のように、主任司祭がミサ司式をしている最中は、自分より目立つ人を彼の視界の内に置いておきたくないのだろう。だとすると、第一朗読も第二朗読も、会衆みんなで祭壇に向かって読んだらいい。ソロを出来る人がいるのに、わざわざ聖歌隊みんなで歌わせるのはおかしい。
 そんな簡単なことも分からない人が主任司祭をやっているのだ。しかも彼は、自分の気に入らない人をどんどん遠ざけるので、有能な人から教会を離れて行ってしまう。株式会社だったらとっくの昔に倒産している。

 その主任司祭から、
「指揮をするな!」
と言われても納得出来ずに、一年以上も無視して指揮をし続けた僕に対して、主任司祭は、陰で、
「あいつはわしの言うことをきかない」
と言っていたくせに、僕には一言も口をきいてくれなかった。きっと僕が怖かったのだろうな。
 でも、今から考えてみると、そんな僕が防波堤になっていたからこそ、ふたりのシスターをはじめとする何人かの有能な人材が聖歌隊に居続けることが出来たのだ。だとすれば、僕は主任司祭に辞めろと言われても、さらに無視して居続け、指揮し続けたらどうだったのだろうか?僕は逃げたのだろうか?とも、思わないでもない。

 まあ、主任司祭に直々に呼びつけられて、
「辞めていただきたい」
と言われたら、辞めるしかなかったのですよ。
 しかしながら、山本神父の成城教会での働きぶりを見ていると、山本師がまぶしく、僕にも出来ることはもっとあったのではないか?もっともっといろいろなことに気を配り、もっと謙虚であったら、聖歌隊の人達がもっと僕を護ってくれたかも知れない、とも反省している。
 ただ、同時に、反省すればするほど、関口教会の信徒にも、そんな主任司祭の元でも、なんとかめげずに頑張って欲しい、とも思う。

 本当は、カトリック教会は、こんなことをしている場合ではないのだ。教皇フランシスコはそれを分かっている。それどころか全世界のカトリック教会に対してとても大きな危機感を持っている。そして回勅「ラウダート・シ」のような書物をいくつも出して、福音宣教の大切さを強調している。
「すでにキリスト教国の国民に対して福音宣教?」
と思うだろうが、教皇は洗礼を受けている人の数ではなく、実質の信仰心を全カトリック信者に問うているのである。

 我が国でも、修道院や様々な宗教施設が次々と閉鎖されたり譲渡されたりしているし、第一、神父になろうとする人がいなくて困っている。信徒のみんなは、こんな大きなカトリック教会という組織が崩壊することなどあり得ないと呑気に構えているが、それは、タイタニック号のような大きな船が沈没することなどよもやあるまいと思っているのと一緒だ。
 このままいくと、そう遠くない将来、カテドラルなどの建物を維持できない時代が来る。実際冷暖房費だけでも馬鹿にならないのだ。それなのに、信徒達の中には既得権の上にあぐらを掻き、信徒同士の居心地の良さの中にどっぷり浸かっていて、よそ者や新参者の介入を認めない人も少なからずいるのを僕は見ていた。
 関口教会では毎年聖週間から復活祭までの間に数十人もの受洗者が生まれている。クリスマス・イブになると、聖マリア大聖堂には溢れかえる人が訪れる。それなのに、それらの人達を引き留め、信者になった人達を生かし切る努力を怠っていると思う。
 
 その中心に今の主任司祭がいる。彼の態度を見ていると、僕には、マリー・アントワネットの言葉が聞こえる。
「国の民が、パンを食べるお金もないですって?パンが食べられなかったらケーキを食べればいいじゃない」
その後、マリー・アントワネットは断頭台で処刑された。

 僕は、このことを今回一回限りだけ言おう。カトリック教会を愛しているから。カトリック教会がこの世からなくなって欲しくないから。

山本神父の行っていることを、みんな見て欲しい!
そして、僕も山本師に習って、命を賭けて信仰のタクトを振ろう!

  


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© HIROFUMI MISAWA