産みの苦しみと名舞台の予感~紫苑物語

三澤洋史

産みの苦しみと名舞台の予感~紫苑物語
 笈田ヨシさんの作り出す舞台は素晴らしい。舞台上にふたつの大きなオブジェがある。そのひとつの面には、二階のテラスと、そこに登るための二つの階段が作られているが、その反対の面は巨大な鏡。
 第1幕冒頭では、階段の面が後方にふたつ並べて置かれ、そこを合唱団員やソリストたちが登り降りするが、オペラが進行するにつれてそのオブジェは両側に分かれて壁のようになったり、鏡の面を出してハの字に置かれて、いろんなものを映し出したりする。

 また、舞台の天上からも、巨大な鏡が斜めに降りてきて、舞台上のいろいろなものを映し出すのだが、独創的なのは、舞台床にプロジェクターで映し出した仏像の画像や「殺」、「魔」などの字を鏡で反射させて客席の聴衆に映し出してみせることだ。
 舞台後方には、スキーでいえば中級斜面くらいの土手があり、ここを合唱団が登り降りしたり、いろんな風に使う。きわめて立体的な舞台。


( 出典:新国立劇場 )

 そんな風に素晴らしい舞台なのであるが、それだけに、これらのオブジェを物語の進行や音楽に沿って動かしたり、それにつれて人の動きを整理したりするのは簡単ではない。加えて、オペラであるから、合唱団にしても、
「これではどこも見えません」
とか、
「この状態では歌えません」
とか、
「声が届きません」
とか、問題は次々と出てくる。

 こうした“産みの苦しみ”は避けて通れない。通り一遍の舞台であれば、舞台稽古はスムースに進行するが、それだけを見て“順調”と言ってしまうと、創造的なものを作り出す現場のことを何も分かっていないことになる。
 朝ドラ「まんぷく」で、萬平さんが麺を揚げてインスタントラーメンを作る方法に辿り着くまで、数え切れない失敗を繰り返していたでしょう。それと同じで、クリエイティブなものを作る時の“産みの苦しみ”はね、“苦しみ”だけれど“楽しみ”でも“歓び”でもあるんだ。
 昨日の舞台稽古でも、第2幕だけの日だったんだけど、カゲコーラスの位置を試行錯誤したり、音響状態をサウンドチェックしながら模索したりして、結局2時から9時までしっかりかかってしまった。
 でもね、2月17日日曜日の初日に向けて稽古は白熱している。笈田ヨシさんも、あの御高齢で怒鳴りまくっているし(凄いエネルギー!)、芸術監督の大野和士さんも、いろいろ無理難題のアイデアを吹っかけてくるし、もう僕なんか楽しくて仕方がない。そして、こういうのを楽しいと思う人間だけが、この現場にいる資格があるのだ。ここで胃が痛くなるような人は家に帰りなさい!

「大野さん、ダメだよこれは・・・」
と言えるのは僕くらいかも知れないよ。でもね、大野さんの感性もとてもフレキシブル。
「そうだね。その通りだね」
と、あっさり納得してくれる。彼は、芸術監督という権威を振りかざしたりしないで、とにかく良いものを作ろうということだけを見つめている。その意味ではとても謙虚。
 大野シーズンに入って、僕たちのコラボも始まったばかり。これから力を合わせて良いものを作りますよ。

 主人公の宗頼は、代々和歌の名人の家系に生まれ、幼い頃からその頭角を現していた。父は息子のことを人に自慢しながら、
「宗頼はいずれ勅撰(ちょくせん)の集の撰者ともなるべきものじゃ」
と言っていたという。
しかし彼本人は、
「“うた”なんて、しょせん絵空事じゃないか」
と思って、むしろ弓に夢中になる。息子に失望した父は、やがて、
「行け。二度と帰ってくるな」
と息子を遠い国の守に命じ、事実上の勘当を言い渡す。
 
 このストーリーだけでも、イマジネーションを掻き立てる。今の自分にあてはめてみる。自分にとって、“うた”は音楽、弓はスキーか。“うた”は絵空事か?いや、そうではない。しかし、スキーの、重力及び遠心力、あるいは肉体そのものと徹底的に向き合う行為のすがすがしさは、“うた”を絵空事と思わせる何かを持っている。
 宗頼は、その矢で次々と人を殺めていくが、それとて、手につかめる具体的な実在感・・・それをもって自分が今紛れもなくこの現世を生きているという手応えを必死で掴みたいのかも知れない。

 宗頼が7歳の時、年の初めに作った歌を父が見て、あからさまに褒めあげたという。しかし父は一箇所だけ朱筆を取って言葉を直し、
「これで非のうちどころはない」
と言った。まさにそのところは、宗頼が悩んだふた通りのいいまわしで、彼は、まさったと思われたものを採用し、劣ったと思われたものを捨てたが、その捨てた方に父が戻したのだ。
いろいろ考えた末、宗頼は父の朱筆を、なんと父の顔をめがけて投げつけたという。

 恐らく、作者の石川淳は言いたかったのではないだろうか。“うた”の名手という家系にあって父という越え難い権威。しかしながら、自分の中にある創造性に嘘偽りはない。それを否定されたところに生まれた「権威という創造性の自殺」への不信感が、宗頼をして“うた”を絵空事と思わせることになる。
 芸術にとって、死んだ権威こそが最も恐ろしい敵であり、これに屈することによって芸術はその存在意義を失うのだ。

 こうした哲学的なこともストーリーには織り込まれているが、宗頼がかつて矢で射たきつねが化けて出てきた絶世の美女千種との妖しい交わりや、岩に黙々と仏像を彫り続ける平太など、興味深いキャラクターが登場して、俗的な興味も尽きない。
 西村朗氏の音楽は、先週も言ったけれど、特に合唱の部分ではリズムもあり、親しみやすい。とはいっても、勿論現代音楽だから、普通の調性音楽のようなものを期待されても困るけどね。いや、見事な大作です。


( 出典:新国立劇場 )


「紫苑物語」は新国立劇場で、2月17日日曜日、20日水曜日、23日土曜日、24日日曜日の4回公演。思ったほどチケットが売れていないようなので、みんな行ってあげて!

川場スキー場と美穂さんの秘話
 妻が、角皆優人くんの奥さんである美穂さんのFacebookを見せてくれた。長年使っていたトースターがついに壊れたという話なのだが、実は、そのトースターは、かつて美穂さんが、川場スキー場における、基礎スキーの技術選の大会(草大会)で3位を取った時の賞品だったという。

 へえ、川場かあ、と思った。それはまだ美穂さんが角皆君と結婚する前で、角皆君が初めて美穂さんの出場する大会に応援に来てくれた時の賞品だったので、特に思い出深いのだそうだ。それで、そのまま捨てるのは忍びないというので、捨てる前に今までの感謝の気持ちを込めて綺麗にしました、とFacebookには書いてあったが、後で僕が、
「いい話なので、ホームページに載せてもいい?」
とメールで訊いたら、
「実は、そのトースター、まだ捨てられずに物置に置いてあるんです」
だって。
 ノロけるのもいい加減にしろ・・・でもないけど、なんか美穂さんらしいホワッと暖かい話で、この寒波の最中に心が癒やされました。

教えつつ学ぶレッスン
 その川場スキー場に、2月7日木曜日。またまた秋本健さん(アキケン)の車で行った。先日ひとりで行ったガーラ湯沢は吹雪の中滑ったが、アキケンはどうやら晴れ男のようで、最初こそ曇りだったけれどたちまち快晴。しまいには抜けるような青空。

 今日も最初の30分間、アキケンに教えたが、人に教えるというのは本当に自分のスキーを見直すことになっていいね。
最初に教えたのは、地味な「横滑り」。急斜面でフォールラインに直角に立ち、徐々にエッジをはずしていくと、ズレながら落ちていく。このズレこそが、スキーにおける唯一のブレーキとなる。
 それからボーゲンでターンの切り替えでエッジをはずし、ズルズルと滑らせて、エッジの立て方とズルズル加減をいろいろ試させてみる。こうしたことは、スキー板を操作し、自分の体の一部のように神経を行き渡らせるようにするために、必ず通らなければならない道だ。それに将来コブ斜面も含む不整地で滑るためには、ズレの達人にならなければならない。カーヴィングなんかどうでもいいから、これをしっかり習うべし。

 また、多くの初心者が陥りやすいパターンを矯正した。それはこうだ。フォールラインを通る時は谷の真下を向くためみんな恐い。だから、なるべく下を見ないようにしながら、早くクルッと回りたい。しかし、こうやって早く回り過ぎた場合は、必ずと言っていいほど後傾になってしまうのだ。それで、この瞬間に板が走ってしまったり、バランスを失って転んでしまう人が多い。
 僕はアキケンに言った。
「この時にね、背中が丸まってはだめだけど、結構上体を前に倒して、足のスネで靴のベロを押すくらいに重心をわざと前にかけるんだ。それで早く回り過ぎないように注意しながら、恐いけどじっとそのままで我慢するんだ。そうするとね、絶対に転ばないから。それを信じて、いいかい、じっと我慢だよ!」
 板の前に重心が乗っている限り、板を自分のコントロール下に置ける。運動神経の良いアキケンは、この方法で急斜面でも安定して滑れるようになった。
「恐いんだよね。でも楽しいんだよね。でも恐いんだよね」
 僕もそうだったけど、恐怖心があると誰でも腰が引ける。これに逆らって後傾にならずに滑ることは並大抵ではないけれど、自分の恐怖心と向き合い、少しずつ少しずつ克服していく中に、いいようのない達成感がある。

あなたも変われる!
 この達成感とはつまり、
「オレは変われる!」
という克服の喜びだ。これこそが、この歳になって僕も・・・そして恐らくアキケンも、このスキーというスポーツにハマる根本的な原因なのかも知れない。

 その「変われる!」という体験が、僕の人生を根本から変えてくれた。自分の指揮の技法をはじめとするいろんな思い込み、すなわち、
「もうオレはこの方法で一生いくんだ」
という固定観念を払拭してくれた。
「自分は、このやり方でそれなりのキャリアを積んできた。だからこのままでいいんだ
という事には、実は、何の根拠もないことに気が付いたのだ。
 そうして見直してみると、指揮でもピアノでも声楽でも、どのテクニックをとっても完璧とはほど遠いことを発見した。実際に僕はピアニストでも声楽家でもないけれど、指揮者としては演奏家の力量を判断するための認識力が必要だ。その点においても自分の研究はまだまだ足りない。「これでいい」と漠然と思っていたということは、つまりはね、「進歩をやめていただけ」なのだ。

チャレンジ
 それから僕はアキケンを解放し、集合時間を決めてセンターで遭うようにして別れた。ここから先はお昼をはさんで、僕はずっと高手スカイラインという上級コースだけで滑った。上半分は整地の急斜面。下半分が非圧雪地帯という「一粒で二度おいしい」グリコのキャラメルのようなコース(古いなあ)。

 今日は、またまたカーヴィングのほとんどない244というモーグル用の板を持ってきた。上半分の整地では、ロングターン中心の練習。板同士がくっつくくらいの狭いスタンスで、外足加重を徹底させるが、「何処がターンの終了か?」というのが本日のテーマ。


モーグル用の244

 スネを靴のベロにつけて前傾姿勢を取りながら、重心をつま先からしだいにカカトに向けていく。こうすると板が走る。そして「終わり」は自分で決める。カカトに完全に乗ると、板が自分を押し上げるようになる。すなわち、その瞬間に板が「おしまいだよ」と教えてくれる。
 この瞬間が切り替え時。その時にはかがんでいるのが望ましい。重心がカカトにあるので立っていると後傾になるから。反対に、かがむことによってスネが靴のベロから離れないのだ。また、そのことによってストックを突いて、次のターンの始動のために伸び上がる準備が出来る。

 ショートターンも混ぜて滑る。ロングであろうとショートであろうと、つま先で始まりカカトで終わるのは一緒。でも、必ずこのプロセスを経るべし。ここにフレーズ感があるし、そもそもターンは人生。シューベルトの31歳の人生も、ベートーヴェンの57歳の人生も、必ずつま先からカカトまでのプロセスがある。そして幕引きの時がある。
 ショートターンではターンのピッチが速いので、最近までターンを仕上げることがよく理解できていなかった。仕上げ切れないで次のターンに行こうとするあまり、新しいターンの始動時にまだ古い軸足に中途半端に重心が残っていた。そうするとどうなるかというと、残ろうとする古い外足と、始まろうとする新しい外足とが拮抗して、瞬間的にハの字になってしまうのだ。それを先シーズン角皆君に指摘された。
 それは、新しいターンが悪いのではなくて、完全に古いターン終了の問題。ターンが完全に終わるまで、外足にかかる重心を膝と腿とで全面的に受けとめる忍耐と勇気が必要なのだ。きちんと、外足に乗ってからチェンジ、外足に乗ってからチェンジ。

 こんな風に、一口にパラレルといっても、ピンからキリなんだよね。下のレベルから見ていると、全部パラレルということでひとくくりに感じられるが、ひとつのことを克服した者のみが、自分より低い段階の人のレベルがどのくらいかが分かるんだよね。人生何でもそんな風に出来ている。

 さて、非圧雪地帯では、何日か前に新雪が降って、それまでのコブがみんな消えてしまったと見えてのっぺりとしているが、中央に一本だけ、誰かが作ったとみえるコブ斜面が出来ている。でも溝はまだ浅いしピッチも細かくないので、今日は一日ここで練習することに決めた。
 しかし、コブって面白いね。みんな僕とおんなじこと考えているみたいで、その滑り易そうなコブめざして上級スキーヤーがどんどん来る。人が滑るにつれて、溝はえぐれて深くなる。
 最初はやさしかったので、外向傾や外足加重という基本的なことや、フォームを考えながらのんびり滑っていたが、次に来ると、同じコブなのにより深く厳しくなっている。かえって、それは良い練習になってレベルアップにはぴったりかも・・・。基本動作に加えて、コブの出口での吸収動作と、それを越えて溝に入る時のトップを落とす動作とが、回を重ねる毎により必要になってくる。

 午後になって、これで上がろうと思う頃には、普通のモーグル・コースくらいになってきた。それで僕は、おじさんなりに頑張って最後まで滑り降りようとした。適当にスピード・コントロールしながら行っているんだが、だんだんスピードが出てくる。な、長いなあ、このコブ斜面。
 一番最後から3つめくらいのコブで、もう体力の限界。スピードコントロールする筋力も残っていない。だってね、言ってみれば、ずっとウサギ跳びを繰り返しているくらいの運動量だよ。
 ここでのコブの出口が結構深いので、吸収動作をしっかりしなければと思ったのだが・・・か・・・カラダが・・・言うことを聞いてくれません。その瞬間・・・・フワッと身体が浮いて・・・時間が止まって・・・僕の脳裏には「2001年宇宙の旅」の映像と共に「美しき青きドナウ」が流れました。こんな時は不思議と恐怖感はないねえ。それどころか、重力から解き放たれた歓びが僕の全身を包む。
 ま、普通に大転倒なのだが、雪っていいねえ。もしこれがバイクだったら大惨事です。骨折です。早くて全治3ヶ月です。僕はその場で、
「わはははははは!」
と笑いながら起きて、
「さあ、今日はこれでおしまいにしようっと」
と独り言をいいながら、ふもとのスキーセンターに向かいました。ああ、スキーって楽しい!

 僕がなんでこういうことをあえて書くか分かるかい?それはね、転んだって全然恥ずかしくないんだってことを言いたいから。スキーをする前の僕はねえ、多分、プライドがあって転べない自分がいたと思う。
「それなりにキャリアを積んできて、人の評価も固まってきたら、もうあんまり格好悪いことはできないなあ」
なんて思っていた。でもさあ、人間いつでも裸ん坊になれるんだよね。いや、なれないといけない。
 前回川場スキー場に来た時にも、書いたでしょう。転んだらどうしようという恐怖心があったって。それで「転ぶぞう!」と体を放り出していって転んだんだけど、転んだ途端に恐怖心が消えたって。

 これは、とても大事なことなんだ。こうした「赤裸々な自己と向き合う」行為は、僕くらいの歳になればなるほど必要なのだ。今だってね、ともすれば、
「キャンプをやっているんだから、恥ずかしくないようにもっとうまくならなければ」
と思う自分がいる。上達を望むのは悪いことではないんだけど、そのことで少しでも体が硬くなる自分を発見したら、
「今のままの自分でいいんだ」
という原点に戻ってリラックスすることにしている。

繰り返し言います。
あなたも変われるのです。
今から。
そのために必要なのは「転ぶ勇気」と「裸になる勇気」です。

Aキャンプ間近
 来週2月18日及び19日は「マエストロ、私をスキーに連れてって2019」キャンプ。一週間前を切ったので、この辺で募集を打ち切ります。今回の参加者は、初級者と中級者に集中していて、講師派遣がそれに合わせて済んでいるため、まったくの初心者や上級者のクラスはないけれど、初級者と中級者でしたら、ひとりふたりであれば今から前日まで募集可能。ペンション・カーサビアンカもそのくらいなら収容可能。

 講演会での僕のお話は、今回はプロ音楽家が多いため、「演奏する側」の視点に立っての「スキーとの関わり方」にやや焦点を絞っています。たとえば、音楽家やアスリートは何故「故障」や「怪我」をするのか?とかいう話題。
 ちょっとネタバレしてしまうと、自分の限界を超えようとしているのだから、ピアニストでいえば「腱鞘炎」、声楽家でいえば「音声障害」と隣り合わせになるのは当然ののこと。では、どうやったらそれを乗り越えられるのか?などの話。とにかく、昨年までの講演会とはまるで違った角度からいろいろ話します。
 とっても楽しい人達が集まっています。それと講演会と懇親会だけの参加者もいますので、それも含めて申し込むのならお早めに。

 それに関連して、来週の「今日この頃」更新は、キャンプの真っ最中なので大幅に遅れて、早くても水曜日の晩になることをどうかご了承下さい。是非、キャンプの第一報をみなさんにお届けしたいから。

  


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