「トゥーランドット」の立ち稽古

三澤洋史

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「トゥーランドット」の立ち稽古
 「トゥーランドット」の合唱立ち稽古が始まった。東京文化会館に始まり、新国立劇場、びわ湖ホール、そして札幌文化芸術劇場と公演する巨大プロジェクト。しかも、オーケストラは全てバルセローナ交響楽団が務める。
 指揮者は、新国立劇場芸術監督の大野和士氏。そして演出家は、かつてバルセローナ・オリンピックの開会式の演出を行ったというアレックス・オリエ氏。舞台美術の画像や模型を見せてもらったが、素晴らしい舞台美術である。このオリエ氏と演出補である女性のスサナ・ゴメスさんがスペイン人のため、立ち稽古にはスペイン語の通訳が入っている。

 スペイン語は、とってもイタリア語に似ているが、独特の響きを持っていて耳に心地よい。それで僕も、昔ファリャ作曲のオペラ「はかなき人生」La vida breveをやった時に買ったスペイン語入門書を本棚から出して、少しばかり勉強し直している。
 稽古場に行って彼らに、
「Buenas tardes ! こんにちは!(午後)」
や、
「Hola. Buenas noches ! やあ、今晩は!」
というと、とっても喜んでもらえた。
 イタリア語でPer favore !(お願いします!)はPor favorと、ほとんど一緒かと思うと、「働く」という動詞は、イタリア語のlaborareとは違ってtrabajarと、むしろフランス語のtravaillerに近い。スペイン語もイタリア語もフランス語も、オリジナルはラテン語だが、お膝元のイタリア語よりもスペイン語は一番近いかも知れない。

 さて、スペイン語で仲良くなったものの、稽古場ではいつも仲良しというわけにはいかない。合唱指揮者としてのお仕事を遂行しなければならない。すなわち、新国立劇場合唱団が、最もその力を効果的に発揮し、ストレスなくスムースに稽古も公演も行うことが出来るよう、最大限のサポートをすることが僕に求められているのだ。

 冒頭で、北京の市民達が伝令のお達しを聞く。
「ペルシャの王子が謎々に破れ、今日、月の出と共に処刑される」
すると市民達は、残虐な気持ちに高揚し、
「死ぬがいい!みんな首切り役人の登場を待っているんだ!」
と叫び出す。それを制止しようとする警官達は、
「さがれ、犬めが!」
と市民達に襲いかかる。ここの警官達の歌詞はIndietro,cani!とまさに「犬」という言葉を使うんだよね。
 舞台前に踊り出てきた群衆達を、警官達がこん棒を持って前から攻撃するため、肝心の警官役の合唱テノール達は、歌い出しの瞬間に真後ろ向くことになってしまう。
「まずいね・・・」
と指揮者の大野和士さんが言う。僕は演出家に、
「これでは警官の声は聞こえないので、なんとかしてください!」
とイタリア語で話した。
 大野さんは演出家とフランス語でコミュニケーションをとっている。演出家も演出補もイタリア語でもフランス語でも普通に理解してくれるが、帰ってくるのはスペイン語だったりする。なんとなく分かるが、ところどころ分からないので、通訳に頼む。
 それで、群衆の動きを変えてもらった。警官達は舞台両側に分かれ、横から制止にかかる。こうすることによって舞台そのものにもダイナミズムが生まれ、声もよく飛ぶようになった。

 いよいよ首切り役人達の登場。
「砥石を回して、刀を研げ!」
と群衆が叫ぶと、首切り役人達が高らかに歌う。
「油を塗って、刀を研いで、火花や知が飛び散る!トゥーランドット姫が君臨するところでは、この稼業は大繁盛よ!」
ところが、演出家は首切り役人を出す気配がない。それどころかパソコンを眺めている。半分寝てるんじゃね?僕は、思わず彼の所に行ってイタリア語でまくしたてた。
「首切り役人を出さないんじゃ、音楽的に成立しませんよ。群衆と掛け合いをしている場面なんですから!」
演出補が割って入ってきて、
「じゃあ、どうしたらいいの?」
どうしたらいいのじゃねーよ、と思ったけれど、ここはぐっと押さえて、
「センターに集めるとか、両側に分かれてもいいから舞台前面に出すとか・・・」
すると演出家が思い出したように立ち上がって前に出てきた。
「首切り役人のみんな!君たちは、革命の英雄なんだ!群衆のみんな歓呼の声を上げて彼らを迎えよう」
なんだ、分かってんじゃん。早く出てきてよ。

 ラテン民族って、全てがこんな風。よく、演出家と演出補との意見が合わなくて、立ち稽古を中断して5分も10分も議論している。だったら休憩時間に次の稽古場所の打ち合わせをお互いすればよさそうに思うが、休憩は休憩。仕事はしない。演出家はのんびり煙草を吸っている。こういうところだけ徹底している。
 とはいえ、立ち稽古自体はつつがなく進んでいる。僕の著書「オペラ座のお仕事」(早川書房)を読んでくれている読者は、よく、
「オペラ劇場って、いろんなことが起きているんですよね。大変ですよね」
と言ってくれるのだが、いやいや、こんなことは全くフツーのこと。でも、だからオペラは楽しいのである。今、この瞬間瞬間が一期一会であり、みんなでやんややんや言いながらひとつひとつ作り上げていくわけである。

 大野和士さんは、長い間のヨーロッパの歌劇場でのキャリアが生きていて、かなりの劇場感覚があり、良い意見を持っている。音楽が突然静かになり、群衆が、
「何故、月の出が遅れている?」
とつぶやくように歌い始めるくだりでの音楽稽古。
「プッチーニがこの作品を1924年に書くまでの間に、世界は第一次世界大戦を経験し、大きな挫折と失望の中にいました。
音楽界でもいろいろな変化が起こっています。リヒャルト・シュトラウスは『サロメ』で一世を風靡し、シェーンベルクが完全無調作品『月に憑かれたピエロ』を発表したのをプッチーニも聴いているのです。
そうした近代和声や無調音楽を横目に見ながら、プッチーニによって現されたこの音楽に、僕は『サロメ』の死体偏愛を感じます。
表向きは月の描写である『胴体のない首』という表現や『血の気のない、青白い顔』というのを、ヨカナーンの首を眺めるサロメの倒錯した陶酔として表現してください」
 僕も、こうした作品への読み込みが大好きなので、
「大きな声で、なんとなく歌わないで、常に『表現』を第一に考えて!息を混ぜて、言葉を立てて、でも腹圧は保って緊張感を失わないように。なるべく不気味なワールドになるように!」
とサジェスチョンを出す。

さあ、今週も立ち稽古が続く。また報告しますね。

僕が健康である本当の理由
 こんな風に、なんだかんだで結構忙しい日々を過ごしているが、いたって健康である。もしかしたら、これまでの生涯で最も体調が良いかも知れない。それはたまたまではなく、いくつか原因がある。

 ひとことで言えば体調管理に気を遣っているということだ。どんなに忙しくても睡眠時間を削ることはけっしてしない。これはすでに30代後半で身に染みている。一度、徹夜して仕事したら、その疲れが数日に渡って続いたので、結果的に非能率的であると悟り、もう若くはないのだから、睡眠時間だけは何としても確保しようと決心したのである。
 シンデレラではないが、深夜0時を境にして人間の体は変化するような気がする。だから夜はよっぽどのことがない限り必ず12時までに寝るようにしている。具体的な就寝時間はだいたい平均して11時半くらい。そして6時には起床。雨が降っている場合を除いて、ほぼ毎朝散歩に出る。体調が特に良くなったのは、朝の散歩の時間を10分間だけ増やしてから。60分の散歩を70分にしただけなのだが、これが案外馬鹿にならない。

 ウォーキングは、最初の20分を過ぎると体内の代謝が活発になるので、それまではなるべく止まらない方がいいというのが定説だ。僕は、家の近くのいろいろなルートを試して、ほぼ20分間信号に引っ掛からないで行けるルートに落ち着いた。また、大通りに出ると赤信号が渡れないから、なるべく細い道を歩く。こうしたら(あまり大きな声では言えないが)車が来なければ信号無視しても平気だ。
 30分を過ぎると、確かに自分の体の中で何かが回っているのを感じる。40分を過ぎると、今の季節だと体がだんだん汗ばんでくる。そして50分を過ぎると汗がTシャツを濡らし始めるが、60分と70分の間の差は著しく、70分後、家に着くと結構汗びっしょりになっている。この季節はそれから必ずシャワーを浴びて別のTシャツに着替える。

ノルディック・ウォーキングとノルディック・スキー
 たかが散歩で、そんなに汗をかく?と言われそうだが、汗ばむのにはもうひとつ理由がある。僕は数年前からノルディック・ウォーキング用のストックを持って散歩している。最初は、そのやり方がよく分からなかったので自己流でやっていたが、散歩中手が遊んでいないだけでもストックは有用であった。しかしながら、最近気が付いたのだ。これこそ、夏場のスキーのトレーニングに最高の道具だ、と!

 NHKの連続テレビ小説「なつぞら」で、十勝平野で暮らす主人公の奥原なつ達は、冬の間の移動に、当たり前のようにスキーを使っていた。ある時、なつのお兄ちゃんの照男君と、なつがあこがれている山田天陽君とがスキーで決闘みたいにして戦ったが、その時のレースって斜面ではなく、なんと平地で行われたのだ!それを見ていて僕はビビッときたね。
「そうか、これがスキーの原点だ!」
つまり、これがノルディック・スキーの原点というやつで、それがひとつの競技として結集したものがクロスカントリーと呼ばれているものである。平地のスキーは、基本をスケーティングにおく。そして結構な上り坂でさえ、それで乗り切ってしまう。
 もうスキー・シーズンは終わってしまったけれど、最近僕が目覚めたのも、まさにこのスケーティングなのである。このスケーティングというものに美しいパラレルターンの秘密が隠されていて、そしてその訓練が、なんとノルディック・ウォーキングで出来るのである!

写真: ノルディック・ウォーキング姿の三澤洋史

歩行運動のアナリーゼ
 スキーというのは、究極的なところ、人間の歩行とほぼ一緒だ。
歩行は、まず片方の足に全体重を乗せないと始まらない。何故なら、もう片方の足が上げられないからだ。重心を乗せた軸足を右足だとすると、それによって軽くなった左足は地面から離れ、後ろから前に運ばれて次のステップの準備をする。その間、上体は左足に同調するように前に進み、やがて左足が地面に着く時に体重移動して左足に乗る。
 視点を移して上体からみると、歩行運動を作るためには、今自分を支えている右足を後ろに送ることで、身体全体に、前のめりの不安定な状態を作り出す。それを支えるのが、地面を離れ先取りをして待っていた左足であり、左足は、転ばないために重心移動をして身を任せてくる上体を待っているのである。
 その重心移動の瞬間に、左足が、ただ上体を受動的に受けとめるだけでなく、むしろ膝をスーッと伸ばしてジャンプの準備をするような運動をすると、それがスケーティングにつながる動きとなる。これを氷の上でやると、間違いなく勢いよく滑っていく。

スキーによるスケーティング
 スキーの運動が歩行と違う点はひとつだけある。スキーは滑走なので、進むために軸足を後ろに送る必要がない。でも、新しい軸足に乗った瞬間、上体は前のめりになっていることが望ましい。加重はつま先にあり、すねはブーツの前側のベロをやや押している。それがターンを描いていく間に、しだいに足裏の中央からカカト側に移っていく。
 ターン終了時には重力と遠心力との方向が一致するので、最も体重がかかるが、そのカカト側に強くかかった体重を解き放ち、反対側の足に重心移動させるためには、「よっこいしょ!」という、歩行にはない抜重運動が必要だ。半ばオートメーションのように重心移動が行われる歩行より、それは意識的に行われなければならない。
 抜重をして反対側の新しい軸足に乗った瞬間、こちらでも「よっこいしょ!」と膝を伸ばす運動をするのが、スキーにおけるスケーティングである。ちなみにそのふたつの「よっこいしょ!」は、厳密に言うと抜重運動の方が先であろうが、ほぼ同時と言ってしまってもいい。
 このスケーティングに、何故美しいパラレルターンの秘密が隠されているかというと、スケーティングは、重心移動した瞬間に反対側の足が上がるでしょう。ということは、その一瞬に即座に新しい軸足に100パーセント乗れた証拠でしょう。しかも片足なのに安定しているってことでしょう。これが、上級スキーヤーには必須の条件としての「スキーに乗れている」という意識に他ならない。
 即座に乗れるということは、その時点でこれから始まるターンをいかようにでもコントロール出来る「準備完了」という意味なのだ。多くのスキーヤーが、「パラレルできます」と言って胸を張っていても、パラレルにもピンからキリまであるのだ。まずきちんと乗れないと何も始まらないのである。
 先日終わってしまった2018-2019年スキー・シーズンの僕の課題が、まさにその「新しい軸足に即座に乗る」であった。そしてそれは達成された。僕のクセであった「中途半端な内傾と内スキーの外エッジによるターン始動」は一掃され、僕は重心移動して新しい軸足に乗った途端、それまでの軸足が浮くのを感じた。その時、スケーティングの意識をより明確に持つためには、Ski-estスキーエストの廻谷和永インストラクターの教えるように、ストックを突くタイミングを、抜重を始める「よっこいしょ!」のタイミングではなく、スケーティングのタイミングに合わせることも、一理あるなと思われる。
少なくとも、ノルディック・ウォーキングにその要素を取り入れるとしたら、歩行には抜重の必要がないから、そのタイミングしかない。

ノルディック・ウォーキングでスケーティング
 ということで、またまた気が付いたら長々とスキーの話になってしまったが、僕はノルディック・ウォーキングにスケーティングの要素を加えたのだ。すると・・・ああ、なんだ・・・ノルディック・ウォーキングって、こうやるための道具だったのね!今まで、一体何をやっていたんだ?と思ったわけよ。
 僕は、かなり前傾姿勢で、胸は張って、ストックを突くと同時に新しい軸足でジャンプに似た動きをする。時にはそのまま軽くジャンプをしてしまい、その結果スキップで駆ける感じになる。ただこれをずっとやっていると、「変なおじさん」と周りから見られているのを感じることになるので、人があまりいない狭い路地でしかやらない。

 この運動によって、僕の散歩の効力も飛躍的に上がったのである。それに、このことによってきっとスキーの腕も上がっていて、来シーズンは、より美しいパラレルが出来るに違いない。ああ・・・早く雪が降らないかな・・・・。
僕がこうつぶやくと、みんな、
「まだ、夏も来てないのに」
と馬鹿にして言うんだぜ。
 分かってねえな。僕にとっては、毎年、この時期が最もスキーが恋しい時期なんだ。だって、秋風が吹く頃には、僕はもうスキーが出来る日を指折り数えているんだからね。今は・・・まだ・・・指折り数える気にもならないんだ。まあ・・・みんなが言うように、まだ夏も来ていないんだからね。

ストレッチ
 あとね、寝る前にやるちょっとしたストレッチも、案外効いているような気がする。ヨガマットを敷いて、体をひねったり、あちこちの関節を伸ばす。特にいいのは、正座したまま、上体を仰向けに倒して背中を床にくっつけて、片腕ずつ交互に頭の真上に伸ばしたり、両腕を伸ばして手を組み、極限まで伸ばし切ってみたりするストレッチ。
 どうも年寄りになると、そのままにしていると、どんどん猫背になっていくような気がするので、この運動がそれを防止しているように思われる。

水泳
 水泳は、スキー・シーズンが終わってから、なるべく行くことにしているが、なかなか忙しくてね、先週もその前も、1回ずつしか行けなかった。でも、泳いだ後は体が喜んでいるのが分かる。
 立川の柴崎体育館は、50分泳いだら10分休憩なので、自転車で20分くらいかけて休憩中に着くように行って、次の休憩までの50分間泳いで、また20分かけて帰ってくる。泳いでいる内容は、休み休みだけれど、クロールを(前後に分けるが、合わせて)700メートル、平泳ぎを300メートル、ビート板を使ったバタ足を200メートル、足に浮力ボードをはさんでのストロークを200メートルくらいで、だいたい休憩の笛が鳴る。
 水泳って、はっきり言ってつまんない。スキーのようなレジャー的要素が皆無で、しかも結構苦しい。でも、僕は魚座だからだろうか?水の中にいるだけでしあわせな気分なのだ。それに、プールではみんな黙々と泳いでいるだろう。僕は、水泳って図書館と似ていると思うし、みんなそれぞれに自分のペースで修行に励んでいるって感じ。そこが好きなんだな。

決して競争しない僕のスポーツ
 よくみんなにレースに出れば、とか言われるが、それはしないのが僕の主義。スポーツでは、絶対に人と争わないのだ。というか、音楽でも権力争いには全く加わらないし、争いどころか協調以外は全く欲しないのだ。僕には本当に人生において闘争心というものがないのだ。

 今、アルファベータ社を作った中川右介さんの「カラヤン帝国興亡史~史上最高の指揮者の栄光と挫折」(幻冬舎新書)を読み返しているが、あの征服欲に溢れていたカラヤンと自分とは、まったく正反対の人間なんだなという想いを強くした。
 ま、カラヤンのようには絶対になれないから心配しなくていいのだが、彼の権力欲たるやもの凄いものがある。そのためには、徹底的に人を利用し、逆にいらなくなったら切り捨ててもなんの罪の意識もない。そのカラヤンを排除しようとしたフルトヴェングラーの意地悪も相当なもんだけど、いずれにしても、僕はどんなに才能があっても、はしたないし美しくもないので、ああいう生き方だけはしたくない。

 スキーもね、2級とか1級とか取らないのですか?と聞かれるけれど、全く興味ない。でも、うまくなりたいという気持ちは誰にも負けない。むしろ競争という原理の渦に巻き込まれないで、どこまでうまくなるのかということに自分を賭けたい。自分との戦いには徹底的に貪欲なのである。

 もしかしたら、これが僕をして人生にストレスを与えず、精神的にも肉体的にも健康である本当の理由かも知れないと思っている今日この頃です。




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© HIROFUMI MISAWA