杏樹の卒園式

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

杏樹の卒園式
 3月21日土曜日は、孫の杏樹の卒園式であった。その日は、本来、東京バロック・スコラーズの「ヨハネ受難曲」演奏会の日で、長女の志保は、
「午前中卒園式で午後謝恩会なので、演奏会にはどうしても行けないんだ」
と言っていたのだが、新型コロナ・ウィルスの影響で、謝恩会がなくなって、
「本当だったら、ヨハネ受難曲に行けてラッキーというとこなんだけど、それもないしね・・・」
なんて言ってる。
 1歳児から国立の保育園に行っていた杏樹も、年長になってから、なんだかとてもたくましくなり、背も伸びて今110センチくらい。体を動かすのが大好きな活発な子であるが、保育園の先生たちの話によると、小さな子供たちの面倒も見る優しい面もあるという。いやあ、本当に子供の成長って素晴らしいなあ!

写真 卒園式の朝の杏樹と母の志保
卒園式の朝


 杏樹は、保育園を卒業後、公立小学校には行かずに、立川にある東京賢治シュタイナー学校に行く。僕たち夫婦は、ベルリン留学中から、知り合いの影響でシュタイナー教育を知り、志保と杏奈のふたりの娘を、シュタイナー教育に従って育てようと試みていたが、その頃には、残念ながら、近くにシュタイナー教育の学校がなかったので、やむなく公立に通わせた。
 でも、片方はピアニスト、片方はメイクアップ・アーティストとなった今、振り返ってみると、やはり人と違うことによって、いろいろ大変な思いをしたようだ。その一方で、吉祥寺にある明星学園などもそうであるが、特別な教育方針に基づいた私立の学校に通わせることには、当然リスクを伴うだろうが、杏樹を見ている限り、一流大学に入って、一流会社に入社してというコースは歩みそうにないので、学力的エリート・コースへのリスクは、あまり問題にしなくて良いのではないか、という結論に落ち着いた。

 志保は、卒園式の数日前からウルウルしていて、
「一歳児からずっと行っていたんだものね。それが卒園かあ・・・・。あの子もあの子も、喧嘩したりいろいろあったけど、杏樹だけ賢治の学校に行くから、みんな離ればなれになっちゃうね」
と言っているのだが、当の杏樹はポカンとしている。
 子供って、未来だけ見つめているから、離ればなれになる感傷というものは、どうもないらしい。それよりも、賢治の学校に入って、新しいお友達ができたり、体験学習の時に面倒を見てもらったお兄さんお姉さんたちに相手してもらえるのを楽しみにしているようだ。
「ドッキドキドン!一年生!」
なんて歌っている。

 じーじは、それを見ていていつの間にか目を細めて微笑んでいるが、ふと思う。そういえば、杏樹が生まれてから、こうやって微笑むことが多くなったなあ。微笑む時って、とってもしあわせな気分だなあ。この微笑みの顔って、もしかしてひょっとして、弥勒菩薩に似てたりしないかなあ?と思っている今日この頃です。

写真 杏樹が描いた中目黒の桜の絵
中目黒の桜
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スキーが伸び悩んでいるホントのワケ
 朝、お散歩に出ると、もう桜が開花している。お彼岸が過ぎてもまだ寒暖差が激しく、寒い日はまだ冬の感じが残っているため、「春になった」という実感がなかなか持てないが、季節は確実に巡っているのだね。

 明日、すなわち3月24日火曜日には、かぐらスキー場に行く。それをもって、今シーズンの僕のスキーは終わりを告げる。早いな。白銀の世界で思いっ切り滑れる日を、今か今かと待ちわびていたのがつい先日だ。また、長い長い待ちわびる日々が始まるんだ。
 最近はキャンプもやっているので、スキーに行く日数は決して減ってはいないのだが、年々、滑り足りないという気持ちばかりが強くなる。
「もう少しで何かが掴めるのに・・・」
などと思うのだが、実際には、どうだか分からないね。

 スキー自体の僕の腕はさておき、様々な経験をすることで、いろんな事を思う。特に今年は、びわ湖ホール主催公演「神々の黄昏」のために、スキー・シーズンたけなわの2月終わりから3月はじめまで、まるまる2週間東京を離れていたので、びわ湖バレイで3回滑った。その際、ブーツだけは送ったが板はレンタルした。
 そのレンタルの板に乗って滑りながら、なんと沢山のことを考えたことだろう。滑り出した途端、率直に思ったことは、
「みんな、こんな板で滑ってるんか?」
ということである。

最初に滑った日、レンタル・ショップで、
「長いのください!少なくとも160センチ」
と言ったのに、お兄さんはElanの152センチを無言で渡した。これは話にならないので、コメントするだけ無駄。
2回目、3回目の時には、ちょっと話の分かるおじさん(僕と同じくらいかな?)がいた。
「あんた、ベテランみたいやで、今年出たばかりの良い板貸したる。ほんでな、乗った後、感想言うてください!」
と言われながら渡されたのは、SalomonのPulseという板。160センチ。
「もっと長くてもいいんだけど・・・」
「あんた、身長163やろ。160でも長いと思うが、やっぱりベテランさんは長いの履きたがりますなあ。そういうもんでっか?」
と言いながらでも、もっと長いの出してくる気配はない。ま、いっか、と思って受け取り、ゲレンデに出た。

 お昼休みに、この板の情報なんかあるかなと思って、iPhoneで調べてみた。渡辺一樹さんがビデオで説明している。
「とにかく軽くて回しやすい板です。どなたでも楽しめます。ほらこの通り」
とカーヴィング・ショートターンでクィクィと回る。
僕は、あまりの落胆にため息が出てしまった。

 SAJ(全日本スキー連盟)が、カーヴィング・スキーの登場に惑わされて、全く誤ったスキー指導教程を組み、にっちもさっちもいかなくなって再び軌道修正してから、すでに数年経とうとしているが、いくらSAJがシュテム・ボーゲンや横滑りを教程に取り入れて頑張っても、企業がこんな売り方しているんだから、スキーの低迷はそう簡単には改善されないだろうなと思った。

 さて、このPulseパルスという板は、初級、中級用だというが、乗ってみた感想と合わせて、僕が何に落胆したのかを述べよう。この板は、手に持っても軽いが、プラスしてフレックスが柔らかいため、必要以上にしなる。
 さらにサイドカットがR13と深いので、まあ、ボーゲンの内はいいのだろうが、ズラそうと思ってもカーヴィングに簡単にハマってしまい、初心者には恐怖感を与えるだけだ。中級者でも、ズレとキレのコントロールが難しい。まあ、早く言えば、なるべくカーヴィングをしなさいと促す板だ。
 だから、一番楽しいのは、確かに渡辺一樹さんがやっていたような、ちょっと急な斜面でワイドスタンスの完全なカーヴィング・ショートターン。だがこれは、上級者だけに許されること。こんなものを初級、中級用だといって薦めることこそ、スキー界の低迷をもたらす元凶だ。

 初心者というのは、そもそもスキーが自分の意に反してツルッと滑ってしまう事自体に恐怖を感じるものだ。それなのに、全く減速要素のないカーヴィング・ショートターンなんか見せても仕方がない。
 本当は、初心者にこそRの大きい安定した板に乗らせて、まずは徹底的にスピード・コントロールを教えることだと思っている。自転車だって、ブレーキが利くという安心感があるからこそ、スピードを出してみようという気持ちにもなるだろう。
 F1のレースでは、結果だけ見れば、一番ブレーキを使わなかった人が勝者になれるかも知れない。しかし、そこに至るまでの選手達は、いいですか・・・誰よりもブレーキのかけ方に精通している“ブレーキの達人”なんだぜ。むしろ、このコーナーでは、このタイミングでこれだけブレーキを掛けないとフェンスに激突してしまう、というギリギリのところでスピードを操っているのだ。
 スキーで言えば、ズラし方がそれを握っている。スラロームの選手は、あんなに横向きにポールが立っているのに、ほとんどカーヴィングでピューンピューンとコーナーリングしているが、だからといってカーヴィングだけできてズラすことが下手な選手などひとりもいない。

 スキー・ジャーナルが廃刊になり、スキー・グラフィックの売れ行きも伸びないのは、まず、中、上級者達にとってつまらない雑誌であることが一番の原因だ。本当に知りたいことが書いてないのだ。それでいて、毎月「コブの滑り方」とかばかりが載っている。
 何故か?SAJの教程が整地で奨励しているカーヴィング・スキーイングの方法では、コブは滑れないからだ。そして、コブを滑るためには、ズラしに精通することが求められるし、いわゆる外向傾を徹底させることが不可欠なのだ。しかし、スキー雑誌を見ても、整地での「外向傾の徹底」を指導している記事は全くない。
 これでは無理なのだ。普段、外向傾やズラしに意識が向いていないのに、いきなりコブだけでそれをやれといっても出来るわけがない。外向傾ってね、自分では出来ているつもりでも、結構出来ていないものだ。ましてや、コブ斜面に自分が立って恐怖感が襲ってくると、人間というものは、恐いところを見たくない心理が働くから、逆に体が山側を向いてしまう。
 それを避けるためには、恐くない整地で体に外向傾を嫌というほど覚え込ませておかなければならない。ああ、それなのに、整地では教えないどころか、雑誌では「過度の外向傾は望ましくない」なんて書いてあるのだ。
 このどうどう巡りを何とかしないと、永久に不整地試験のある1級は受からないから、中途半端なスキーヤーが巷に溢れて、角皆優人君のフリースタイル・アカデミーばかりが大繁盛するというわけだ。よかったね、角皆君!・・・じゃなくて、そこがスキー界の低迷の大きな原因なのだ。

 要するに、ひとつのメソードで底辺から上級までをカバーできないのがいけない。そこでブレてしまっては、音楽だってなんだって駄目なんだよ。バイエルで必要な技術は、ショパンでも使えないといけないんだ。バイエルで必要な体幹や技術の上に、上級になるにつれてどんどん新しい技術がプラスされてくるけれど、ラフマニノフまで弾けるようになっても、いつでもバイエルにそのまま戻れるようでないと駄目なんだ。
 オペラ歌手は、超絶技巧のアリアを歌うけれど、Caro mio benなどのイタリア古典歌曲に時々戻ってみる。難曲ばかりやっている内に下手になっている可能性というのも、あり得ないように思われるが、実際にはあって、それがCaro mio benを歌って矯正して、「夜の女王」がうまく歌えるようになる、という例も少なくない。
 一流モーグル選手が、ボーゲンに戻って、そこで矯正したものが最上級の技術に生かせるものなのだ。

 スキーというものは、とても奥深いスポーツだ。それをあたかも単純ですぐできるスポーツかのように見せかけても、本当のファンは獲得できない。現代では、みんなが短絡的思考に陥っているけれど、それに迎合して、本物の歓びに導かないものはやがて滅びる。

 3月16日月曜日。「今日この頃」の原稿は、前の日に書き上げておいて、秋本健ちゃんと二人で川場スキー場に行った。今シーズンになってから、Chargerという板を買って、そればかり乗っていたので、今シーズン初めてSpeed Chargerに乗ってみた。スラローム用の板で、僕の持っている最も高い板である。
 ショートターンをしてみる。上体を常にフォールラインに向けながら、板のRに関係なく自分で自由にターン弧の大きさを決め、つま先からかかとに流れる縦方向の重心移動を感じながら、板を後ろから前に走らせて、切り替えでは足を後ろに引いて、まるで無限大のマーク∞を下から描くように滑る。
 こういうのが、やっぱり本道でしょう。これだったら、急斜面や荒れ地ではズレの要素を増やせばいいし、イケるなと思ったら、狭いスタンスでフル・カーヴィングもOK。要するにスキーというのは、あらゆるシチュエーションにおいて、瞬間瞬間に対応できないと、使い物にならないんだよ。

 急がば廻れ。本物は常に奥深く果てがない。そして、うまくなればなるほど本当の歓びが広がってくる。こうしたものに到達していないものは淘汰される運命にある。僕は思う。世の中が、経済原理や安易な刹那主義に惑わせれていう内は、何人(なにびと)も、真のしあわせには辿り着かないのだ。
いつも真実を求めよ!

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© HIROFUMI MISAWA