スピリチュアルではなく現実コロナ論~もう恐くない?

三澤洋史 

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瞑想
 雨が降っている日以外は、毎日午後になると、カトリック立川教会に自転車で行って、お祈りというよりか瞑想して帰ってくる。立川教会の聖堂は、昨年のクリスマスに間に合うように改修工事が終わって、聖堂内の響きもよくなったし、何故だか分からないけれど、とても静かでやさしい気が支配するようになった。

 だから僕はこの聖堂が大好き。最初はちょっと聖体訪問するくらいの気持ちで入ったのだけれど、中で座っていると、あまりに安らかなのでつい長居してしまう。すると当然、じっと動かないで呼吸も深く大きくなり、睡眠に近い状態になるが、上体は垂直に起きているので、意識まで眠ってしまうことはない。
 それで、居たいだけ居る。こういうのって習慣にすることが大事なんだね。今では、すぐに結構深い瞑想状態に入れる。また、今は完全失業中でほとんど家に居るから、仕事でいろんな事が起きて、対応を迫られたり、場合によっては批判されたりするなんてことがないだろう。
 一日を通して感情が極端に揺れ動くことがないので、瞑想中にも精神集中を妨げるような邪念が湧く要素がない。止観という言葉があるけれど、自我というものがまるで消え去って、あたりの物音などは聞こえてくるのだが、完全に無になっている状態の時を過ごす。

 では、本当に無だけかというと、矛盾するようだけれどその正反対だ。瞑想状態が深くなればなるほど、胸になんともいえない暖かさがしだいに広がってきて、いいようのない至福感に満たされる。天国って、こういうところなんだろうな、とイメージできる。
 僕は、バッハの音楽を本番で演奏している時に、よくこんな精神状態になるけれど、同じような感覚は瞑想でも得られるのだ。しかも、それは持続するので、瞑想が終わって帰り道は、とっても心が軽く、全ての森羅万象に対して感謝の念を持っている。とはいえ、しだいに意識が三次元に戻ってきて、日常生活に再び入っていく。でも、その日常生活にあっても、心のどこかでは、その至福感とつながっている。
 アセンションとか次元上昇とかいろいろ言われているけれど、もうそんなことはどちらでもいいや。この至福感があれば、自分は何があっても生きていける。人生それだけ!

新しい週
 また新しい週が始まった。今日は5月11日。Youtubeを観ていると、いろんな都市伝説が目に入ってくるが、今日は5.11の大地震が来るという予言があちこちで飛び交っている。この原稿が無事皆さんの目に触れることを許されたとしたら、それが外れたしるし。

 それと、水面下で、邪悪なディープステートと光の戦士QAnon(キュー・アノン)との壮烈なる戦いが行われていて、プレアデス星人も交えての宇宙戦争に発展し、この連休中にQAnon側が完全に勝利したというニュースは、フィクションだとしても楽しい。ここのところ、強風が吹き荒れたり、突然の雷が鳴り響いたり、小さな地震が相次いでいたのは、その戦いの影響だそうである。あははははは。

 ただ、ちょっとトランプ大統領への評価が変わったことだけは述べておきたい。プレアデス星人はともかく、軍需産業などとつながって世界中に戦争を仕掛けようとしたり、人口削減などをもくろんでいる巨大資本家の集りであるディープステートとQAnonは、事実上の存在だ。QAnonは、トランプ大統領のツイッターに書き込みしたQという人物から発展した仮想団体らしいが、ま、興味ある方はご自分で調べてみて下さい。

「おにころ」はやるぞ!
 こんなものを観ているくらいだから、暇には違いないんだが、その一方で、地道にやることはやっている。高崎芸術劇場では、7月26日の「おにころ」公演をまだやるつもりでいてくれる。
 僕の近辺では、9月までのほとんどの公演がつぶれているというのに、高崎芸術劇場の担当者と、予算枠で具体的にどこをどう切り詰めるか、などという議論をしていることが不思議なほどだが、僕としては「おにころ」は、なんとしてでもやりたいし、やるべきであると思っている。
 高崎芸術劇場も、昨年秋にオープンしたものの、ここのところ新型コロナ・ウイルスで重要な公演が軒並みつぶれているので、オープン年間の最後を飾る「おにころ」だけは、どうにかしてやりたいという熱い想いを持ってくれている。ありがたいことである。

 とはいえ、実際には緊急事態宣言が延長となり、最初は再開すると言ってくれていた5月中の練習場が、再び閉まることを余儀なくされたので、「おにころ合唱団」は今のところ身動きできない。僕たちはギリギリのところで決断を迫られていた。
 そこで僕は、芸術劇場に対してこうお願いした。
「6月初めから練習再開出来ることが、『おにころ』上演の最後のリミットです。幸い・・・といいましょうか、僕や演出家の澤田康子さんは、本来6月は「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の稽古や本番が立て込んでいて身動きが取れなかったのですが、公演中止になったので、反対にスケジールはガラ空きとなっています。
そこでお願いです。6月以降本番までの土日の稽古場を、最大限予約していただけないでしょうか?」
 こんなお願いがダメ元であることは分かり切ったことであるが、なんと劇場はそれを行ってくれたのだ!劇場が若いだけあって、担当者達も熱い想いを持ってくれているのだ。

 「おにころ合唱団」は、アマチュアであるから、充分な時間をかけて練習しなければ、お客の前に出せるものは作れない。でも、もし6月以降公演までのほとんど全ての土日の稽古場が使え、僕たち指導者が最大限の労力をそこに注ぎ込むことが出来たなら、短期決戦で「おにころ」上演は叶うのである!しかも、もしそれが実現したならば・・・その公演は後世に語り継がれるような素晴らしい公演となることは間違いない!

 これを読んで笑っている人がいるね。そんな三密が許されるわけねえ、ってね。まあ、この点については、今の時点ではなんとも言えないので、状況を見ながら判断しなければいけない。
 
 でもね、みんなに強調しておくよ。
今こんな時期にですよ、こんな熱い想いを心に抱けて、しかも、みんなとその想いを共有できる喜びを持っている人たちって、日本だけでなく、世界に一体何人いるのだろう?
 人生の輝きって一体何だ?僕はいつも、賢い方か愚かな方のどちらに賭けるか、というと、愚かな方に賭けながら自分の人生を生きてきたんだよ。それで後悔したことは一度もないんだよ。

 さて、僕は、合唱団が練習できない間に、みんなが自習できるように、とりあえず音取りが難しい個所に限定した音取り音源WAVEを作って配信した。それから、稽古休止中のみんなに、
「希望を持って自分に出来ることをしておこう。稽古が再開した時に、暗譜は勿論、過去のDVDを観てイメージトレーニングだけは万全に行っておいてください」
という激励のメッセージを送った。みんなとっても喜んでくれた。
 また、「おにころ」のオーケストレーションの変更を行っているのだが、4月中は、「本当に出来るのかな?」と心のどこかで思っていたためか、なかなか進まなかった。でも、気を取り直して、また進めている。
 群馬音楽センターでは、オーケストラ・ピットがとても狭かったため、オケ中のピアノも入れられなかったし、トロンボーンも2本までに節約していたが、ピアノを入れ、トロンボーン3本+チューバという編成にした。これだけでサウンドの幅が格段に広がった。みなさん、重厚感のある「おにころサウンド」が、作品全体のイメージを一新しますよ。
チケットも、もうすぐ発売します。

やるんだよ、「おにころ」!!!!!

スピリチュアルではなく現実コロナ論~もう恐くない?
 一時と違って、スピリチュアルなYoutubeを観るのにも飽きてきたのだが、中部大学総合工学研究所特任教授である武田邦彦氏のYoutubeを最近ではよく観ている。武田氏の話は、スピリチュアルな記事とは違って、知性で考えさせられるし、論理的に語るので洗脳される感じでもない。なにより良いのは、自分の意思で納得できるかどうかを冷静に決めることが出来ること。
 それ故、反対に、時々言うことが極端で、うーん、ホントかな?と思う場合もある。地球温暖化への懐疑論、ダイオキシン無毒論、食品リサイクル不要論などについては、こちらにそれを検証する材料もないので、賛成も反対もできない。へーえ、そういう考えもあるのか?という感じ。
 その中で、新型コロナ・ウイルスに関しては、やや楽観論に傾いているかな、と感じないでもないけれど、いくつか信用できる発言が見られる。

 これからは、武田氏の主張の受け売りがほとんどなのであるが、新型コロナ・ウイルスというものの本質と、その対処方法を彼の考えに従って検証してみようと思う。

「もしかしてコロナにかかったかな?」
と思った場合、最初の3日間が勝負で、ここでしっかりと直せば、何も心配は要らないと武田氏は発言する。これは、元々基礎疾患がある方には当てはまらないと思うが、健康な人には、ある程度の説得力がある。

 コロナに感染した場合、倦怠感があり、必ず熱が出る。しかしながらインフルエンザと違うところは、その熱はだいたい37.5度からせいぜい38度くらいまで。インフルのように、初動から高熱のためにどうしても動くことができないという重篤感がないので、大抵は油断してしまうということだ。
 重症化してしまう人のほとんどは、その状態を放っておいて1週間くらい経った頃から急に容態急変して肺炎になってしまうといわれる。こうなったら基本的には「こじらせた状態」と認識するべきで、場合によってはすでに「手遅れ」に近い状態なのだ。

 みんな勘違いしていることとして、熱は細菌やウイルスが出すと思っているが、実は、熱は、細菌やウイルスと戦うためにその人の肉体が出しているのだ。何故か知らないが、平熱では戦えないのだそうだ。
 発熱が38度くらいになって初めて、白血球やリンパなどが総動員して戦闘態勢に入れるという。それなのに、そこで解熱剤など飲んでしまう人がいるが、それだけは絶対に避けなければならない。体が敵と戦おうとしている時に、わざわざ武器を取り上げるような愚かな行為だ。

 そして、とにかく温かくして横になっていること。人間というものは、立っているだけで、心臓は1メートル60センチもの高さにまで血液を送り込まなければならない。それが横になるだけでかなり負担度が違うのだ。
 また、眠る必要はないけれど、視覚情報は少なからぬ負担感を与えるため、目はあまり使わない方がいい。テレビなどを観ることはやめて、目をつむっていること。それと水分を絶やさないこと。そうして、体が全力でウイルスと戦うような状態を、時間を掛けて作ってあげることが必要だそうである。
 その際、もうひとつ大切なことがある。武田氏は、「食べ物を沢山食べない方が良い」という。というのは、食べ物を消化するために、体はかなりエネルギーを使うのだそうで、極端な話、絶食でもいいというし、お腹がすいたなら、梅干しにお粥とか、本当に消化の良いものを少量取るだけにするべきだという。体は、戦うエネルギーとして皮下脂肪を使うのが最も能率が良いそうだ。
 よく勘違いするのは、「こんな時だから栄養をつけなければ」という考え。でも実際にはむしろ邪魔なのだ。解熱剤もそうだけど、単純な勘違いが正反対の結果を呼び寄せるということが世の中かなりあるという。

 だから、倦怠感があり熱が出始めて、おかしいなと思ったら、コロナであろうとなかろうと、よしっ、と決心して、なるべく早く巣ごもりの準備をすること。買い物に行くなら早めに行って、自分の周りに必要なものを全て集め、準備万端にしてから、
「さて籠もるぞ!」
と布団に入ってじっとしているのだ。
 そうすると、だいたい2日間、長くて3日間で峠を越して治癒する。これまでの感染者のほとんどの人たちは、それに近い形で治っているというのだ。だから、繰り返すようだが、熱が案外出なくて動けるからといって、決して放っておかないこと。これさえ守っていれば、もはや新型コロナ・ウイルスを過度に恐れることはないと武田氏は力説する。

 勿論、物事には全て例外や特例というものがあるので、初動からどうにもならずに容態がどんどん悪化して死に至るなどという例だってあるに違いない。あるいは闘病中や病み上がりの人たちは免疫力が薄れているので、最初から医師の元で治療を受けなければならない人もいるに違いない。
 だから僕には、誰に対してもこれさえやっておけば大丈夫!と太鼓判を押す気は全くない。しかしながら、武田氏の話を聞いていて、ひとつだけ気が付いたことがあった。それは次のことだ。

 例えば、最初に僕たちは、マスコミなどを通して聞いていただろう。
「倦怠感があり35度以上の熱が4日以上続いたら、しかるべきところに連絡し、指示を仰いでください・・・・」
というサジェスチョンだ。
 みんなが不調を訴えて即座に病院に殺到したらかえって対応に困るし、院内感染の温床を作りたくないという配慮からだと思うが、武田氏の意見を聞いた後で、僕は、ここには感染者への配慮が全く欠けていることに気が付いたのだ。
 つまり、「4日以上続いたら」と言っているが、
「その4日間をどう過ごすか」
という最も大事なことに言及した人は、武田氏をのぞいては誰もいなかったのだ。
 さらに恐ろしいことがある。気になったので、「もしかしてコロナに感染したかなと思ったらどうする」というような内容でネット検索してみた。すると、複数のサイトで、「熱が下がらなかったら解熱剤を飲んでください」などと書いてある。

 そうすると、どういうことが起こるか想像に難くないですよね。倦怠感があり、熱が出た人は、みんな解熱剤を飲みながら普通に活動していて、さらに具合が悪くなってから初めてしかるべきところに連絡するわけだ。それからPCR検査をして、結果を待って・・・要するに、手遅れになってから治療を始めると言っても差し支えないのではないですか?これでは、重症化するのは当然のように感じられませんか?

 おかしいね。みんな、賢い人たちのはずなのに、何故、武田氏のようなことを言ってくれる人が他にいないのだ?要するに、感染者の立場になって物事を考えられない不親切で思いやりのないひとたちばかりだということか?プライドばかりあるから、不親切という自覚すらないのかも知れない。

 では、武田氏のように初動で自宅待機して治ってしまったとしたら、その人はPCR検査もしないから、感染者数として登録されないんだろう。それでは統計として困る、と思う人が、皆さんの中にもいるのではないかな?
 でもさあ、最初から自宅待機しなさいって言ってるんだから、どっちみちおんなじなんだよ。そもそも若者達の中には、感染しても発症もしないし、仮に発症したと感じても、免疫力が強いのでその数日間に治ってしまった人が少なくないので、そういう人は感染者として登録されないのだ。

 そもそも日本は、PCR検査を受けられるハードルがもの凄く高い。韓国のように、ドライブスルーのような感じで簡単に受けられるようなシステムを導入し、国民ひとりひとりに毎日検査を受けることを義務づけて、陽性か陰性か明らかにさせて、初めて「我が国では本日何人感染」という統計が意味を成すのだ。
 そのドライブスルー方式でさえ日本がなかなか導入しないのは何故か?これは政府の意図的な政策と思われても仕方ないよね。もし本気で望めば、すぐにでもそうなるから。でも我が国では、医師がそれを必要と認めない限り、PCR検査はみだりには受けられない。
 ということは、当然のことながら、巷に広がっている実際の感染者数は、発表しているよりずっと多いことになる。それでいながら、死者の数が伸びないのだから、日本は、何故だかしらないけれど、新型コロナ・ウイルスに関して言えば、異常と言えるほどにとても守られた安全な国だというわけだ。

 それは決して悪いことではないのだ。集団免疫の観点から言えば、知らず知らずのうちに感染し、治って抗体を持った人が巷に溢れれば溢れるほど、世の中に集団免疫が広がり、その人たちがブロックとなって感染しにくくなるのだ。スウェーデンのように、そもそも自粛など最初からしないで集団免疫を狙っているという凄い政策を取っている国もある。
 その反対に、ステイ・ホームで家に閉じこもる自粛が徹底しすぎる方が、将来的なことを考えると問題だ。何故なら、免疫なしの無菌状態の中で、がんじがらめになって、かえって出口が見えなくなるからだ。「感染したら人生おしまい」という恐怖感ばかりが広がり、ウイルス収束の知らせを聞いても、二度と仕事にも行けないような人間が出来上がってしまう。

 さて、結論を急ごう。このステイ・ホームの行き止まり状態を打破し、正しく新型コロナ・ウイルスに打ち勝つためには、最終的には、普通の風邪やインフルエンザのように、
「かかっても恐くない」
という社会が出来上がらないといけない。

 ひとつ朗報がある。北里大学などの研究チームが、新型コロナ・ウイルスが細胞に結びつくのを阻害し、感染を防ぐ抗体を人工的に作り出すことに成功したとのことだ。これはワクチンとは正反対の原理で作り出されたものであって、こうしたものの使用が実用化すれば、将来は明るい。
 また、コロナは熱と湿気、また太陽光に弱いという論文がある。まだ充分に検証されたわけではないらしいが、少なくとも真冬よりは、これから夏に向かう季節で、コロナの勢いが弱まることを願いたい。
 ただその反面、秋から冬にかけて再び勢いが増し、第二波が来ることを心配している人が少なくない。だから、要は、この夏に向かってなるだけ薬や先ほどの人工抗体やワクチンなどの研究を一生懸命行ってもらい、秋以降に備えられるようにして欲しいよね。

 僕は、人類はそんなに馬鹿ではないと信じている。少なくとも、一生懸命薬や人工抗体やワクチンを研究開発している人たちは、純粋な志をもって真摯に事に当たっていると信じている。
 ただ、そういった人たちが利口でも、世の中には、何故か人を馬鹿にさせる「システム」が存在するような気がする。たとえば、テリトリー意識とか利権が絡んだ選択とかである。こちらに良い薬を開発した人が出てきたというのに、政府は、ここと決めた組織にしがみついていて、その結果、国民に、本当に必要なものが届かないとか、国と国とで足を引っ張り合っていて、協力すればなにも問題なく解決できることが出来ないとか・・・もはやそうなると、知識とかの問題ではなく、人間性の集合体としての問題となってくる。
 これから必要とされるのは、ボーダーレスな協力意識と差別のない寛容さ、そして柔軟な発想なのだ。それを学習しないと、このコロナを克服しても、この先いろいろ人類は難しいなあ。




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© HIROFUMI MISAWA