今週は怒っているぞ!

三澤洋史 

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今週は怒っているぞ!

「音楽と祈り」5月講座-これっきりーですよ~~!
 真生会館「音楽と祈り」5月講座のYoutube配信を行います。これを書いている今日(5月25日月曜日)にでも緊急事態宣言が解除されるだろうから、恐らく来月からは、実際の真生会館における講座が再開されるであろうし、なって欲しいと思う。やっぱり、受講者の顔を見ながらのリアルな講演が僕の性に合っているからだ。
 とはいえ、勿論Youtubeのための映像作りは、それはそれで楽しかった。誰もいないカメラの前で、あらたまってしゃべることや、ファイルの編集や、実際にYoutubeにアップする工程など、慣れないことばかりだったけれど、新しいことに挑戦する楽しさがあったことは強調しておきたい。

 今回の議題は、
「教会に行けないキリスト者が信仰生活を高めるための手引き」
という、ちょっと堅いタイトルだ。「今日この頃」の読者で、クリスチャンでもない人たちには、敷居が高く感じるかも知れない。でも、内容に関しては、決してクリスチャンに限定したものではない。参考にしているソースに関しては、聖書の聖句の他には、いろいろなスピリチュアルな書物や、自分自身の体験から導き出されているからね。
 とはいえ、そもそも真生会館というのは、れっきとしたカトリック教会の施設で、理事長である森一弘司教を中心として確固たる理念をもって運営されている。その真生会館の講座なのだから、僕としてもひとりの信者として、自分の信仰生活なるものをどのように具体的に送っているか、ということについて述べておきたかったのだ。

 項目を並べてみると、
「人から不本意なことを言われた時の対処の仕方」
「現代社会で、イエスの言葉を生きること」
「与える愛の実践について」
「失敗を恐れないで進歩しよう」
「人生はひとつの物語」
「このコロナ禍も神様の意図?」
などである。

 教会は、かなり早くからミサを中止し、同時に様々なイベント、勉強会、祈りの会などを自粛したまま今日に至っている。だから、信徒達は教会に集まることを許されていないのだ。その現状の中で、キリスト者が、個人的に神に向かったり、あるいは社会の中で信仰者として生きていく具体的な方法論などを僕は述べてみた。

 本当は僕自身が、カトリック教会という狭い世界だけに囚われていないだけでなく、キリスト教にも囚われていないのだが、引き寄せの法則や共時性など、数々のスピリチュアルな事柄が、すべて、福音書の中のイエスの言葉や行動から読み解けてしまうのを、みなさんはご存じだろうか?
 イエスこそ、現代における様々なスピリチュアルなメッセンジャーやヒーラー達の元祖となっている人物であり、僕は、イエスの弟子になることによって、自分の真の人生の第一歩を踏み出すことが出来たのだ。

 ということで、心のどこかで、この映像が最後になるのなら、これを永久保存版にしておこう、などという気持ちが働いたのかも知れない。原稿作りにおいても、実際の撮影においても、想いの丈を吐き出して、気が付いたらとっても長くなってしまって、あとであわてて場面をつまんだが、結局1時間30分を超える映像となってしまった。もともと、真生会館の講座そのものも1時間半ではあるのだが、映像で観るのとは違うからね
 一度に観るのは辛いかも知れないので、みなさん、場合によっては、何度かに分けてどうぞご覧になってください!

 またこの映像の最後に2018年7月29日に群馬県高崎市新町文化ホールで上演された、「未来に生きる子どもたちに贈る-地球オペラ-NOAH(ノアの方舟)」の最後のシーンが観られるが、その全曲をご覧になりたい方のためにも、そのDVD映像全体をYoutubeにアップした。
 コロナ禍も、ここまで来ると、今さらそれが人類の生き方が間違っているとか、かえって言いにくくなってしまうが、昨年の秋の台風とか、いろいろ振り返って見るにつけ、今こそ、この「ノアの方舟」という作品が大きな意味を持っているのを感じる。だから、時間のある人は、是非こちらも観て下さい。

ということで、真生会館5月講座のアドレスは以下の通り。


真生会館5月講座「音楽と祈り」


新刊書のご案内
写真 三澤の新刊書のチラシ表  写真 三澤の新刊書のチラシ裏
(画像クリックで拡大表示)

未来に生きる子どもたちに贈る-地球オペラ-
NOAHノアの方舟 
原作:旧約聖書
脚本・作曲・演出・指揮・コンガ:三澤洋史


「NOAHノアの方舟」


今の日本、とってもチグハグじゃないか?
 孫娘の杏樹と一緒に、いつもの公園に遊びに行った。緊急事態宣言が間もなく解除になろうとする時、杏樹が最も気に入っていた「うんてい付きの滑り台」に、突然黄色いテープが貼られ、「感染拡大を懸念してこの遊具で遊ぶことを禁止します」という内容の張り紙がされていた。
 杏樹は、幼いながら疑問を隠せず、
「なんで?だってもっといっぱいコロナだった時だって、これで遊べていたのに・・・」
と残念がっている。
 この不条理に僕はとても怒っている。ピーク時に禁止して子ども達の命を守るというのなら分かる。でもね、13,982,622人(2020 年4月1日)といわれる東京都の人口から、新規感染者が5人とか2人しか出ない時に、なぜこれらの遊具の使用を禁止する必要があるのだ。
 しかも、これらのどの遊具から感染した子どもが出たのか、それがどのくらいの影響を及ぼしたのか、真面目に調査した結果なのか?納得のいく説明ができるのか?もしかしたら、ただの雰囲気で、これらの結論を出しているのではないか?
 それと、これらのテープをこのタイミングで貼る人たちは、貼りながらおかしいと思わなかったのだろうか?ただ言いなりで、思考停止しながら黙々とその作業をしたのか?時期が理に適っていないと思う感性はないのか?だったら、どうしてピーク時に、それを行わなかったのだろうか?それこそ怠慢であり無責任ではないか!

 公園の遊具ばかりではない。今の日本は、やることなすことがチグハグで、変なことばかり起きている。マスクだってまだ我が家には届いていない。同じ国立市の中でも、どうもバラバラに届いているようだ。これもピーク時で、何処にも売っていない時にこそ効果的だったのに、お金と労力を使って、こんなタイミングで届いたって、誰も感謝しない。
 例の10万円の給付金だって、今ないと本当に困るという人の元に一刻も早く届けてあげたい。オンライン申し込みで簡単に・・・なんて言っておきながら、オンライン中止だなんて。
 また、感染者の数に記載漏れがあっただの、重複していただの、そんな適当な統計を元にして、緊急事態宣言解除だのを決めているわけでしょう。安倍首相など、国会で問い詰められて、
「PCR検査で確定している感染者数よりも多いと考えているが、確たることは言えない」
などと述べた。おいおい、そんなテキトーな答弁ができる神経が理解できない。

 それよりも、僕が本当に憂慮しているのは、黒川弘務前東京高検検事長を巡っての一連のマスコミを含むところの国会のあり方である。まず閣議決定だけで黒川氏の定年延長を押し通そうとした自民党が強引であったことは周知の通り。こんなことがまかり通るようなら、民主主義の根幹が脅かされるのは当然のこと。
 しかしながら、僕が最も嫌うのは、賭博マージャンの発覚によって、黒川氏が失脚するようにマスコミなどがみんなで追い込んだことだ。
「ああ、こんなことやっていた人なのね。じゃあ、辞めて当然だよね」
という感情論にすり替えられている。それを煽るマスコミと、簡単に乗せられる愚かな国民。特別扱いされていた人間をスケープゴートにする暗い快感。それは見せかけの正義にしか過ぎない。
 僕は、これこそ自民党のゴリ押しよりももっと醜悪な“民主主義の自殺”のように思うのだ。なぜなら、定年延長が理に合わないのならば、きちんと議論することによって、「正しい結論」として導き出すこと。そこにこそ健全な議会政治のあり方がある。
 それなのに、問題をすり替え、定年延長議論の本人を失脚させることによって、この問題を“ゴシップで解決した”のはマスコミの罪。
「へえ、それが『余人をもって代え難い』とした人物なのね」
というあざけりの感覚は不健全だ。これがまかり通るようになると、もし邪魔な人がいるとすると、司法で裁くよりも、徹底的に身辺を調べ、浮気や秘密の金銭問題や、なんでもいいからスクープで出せば良いのだ。まあ、すでにマスコミがやってきた手口であるが、国会のような民主主義の砦で、善悪の正しい判断をよそに、感情論による魔女狩りがまかり通るようになったらおしまいだ。
 そんな簡単なことが分からなくて、賢い人たちがみんな踊らされている。これを問題視しない人は、正常な判断力が失われているよ。

「おにころ」が公演中止になってしまった!
 高崎芸術劇場では、「おにころ」のチケットが明日発売という5月20日木曜日の午後。突然、公演中止が告げられた。その前の週、5月14日木曜日に、群馬県を含む39県で緊急事態宣言が解除されたのであるが、それに先だつ5月12日、山本一太群馬県知事は、西村康稔経済再生担当相とウェブ会議で対談し、群馬県に対する宣言解除をやめるよう要望していた。14日、宣言解除において、山本氏は、
「残念!」
という感想をもらしたという。
 それを知って僕は、ちょっと嫌な予感がしていた。でも群馬県では、5月に入ってからは、新規感染者は僕が知る限り1人が3日くらいあっただけで、あとはゼロだったし、東京でも二桁から一桁に変わったりしていたので、よもやここで有無を言わせぬような形で中止を告げられようとは思わなかった。

 その前に、僕は高崎芸術劇場側と話していて、
「『おにころ』は、どんな形ででもやりたいのです。たとえ、練習が思うように出来なくてミュージカル上演できなかったとしても、オーケストラを舞台に上げて、僕がストーリーを解説する演奏会形式でもいいから、やらせてください。チケットはまず、ソーシャル・ディスタンスを考慮しながら、販売しましょう」
と言い、芸術劇場もその旨は充分に理解してくれていたのだ。
しかし、中止となると、そんな考慮は一切関係なく一方的にダメを言い渡されるだけだった。

 中止の第一報を告げられる直前、僕はオーケストレーションに精を出していた。群馬音楽センターのオケ・ピットが極端に狭かったので、オケ中ピアノはアップライトでさえ入る余地なかったし、チューバなどはもっての他という感じだったが、今回はピアノを入れ、トロンボーン3本とチューバを入れた編成でオーケストレーションし始めたら、サウンドが全然違うので有頂天になっていた。
 まあ、とりあえず中止とはいっても、いちおう一年先に延期となる方向で動いてくれているようだ。現在のところ、まだはっきりしたことは言えないのであるが、少なくともこの先やらないということではない。

 でも、本当は、夏こそチャンスだったのに、と思う。新型コロナ・ウイルスは、熱と湿気と日光に弱いという研究報告がある。ここにきて急に収束に向かった原因を、ただステイ・ホームが功を奏したと考えるのは短絡的すぎる。無感染者と無感染者が集まってステイ・ホームしているのは無意味ではないかと考えるのは僕だけか?実際、感染しているのは医療現場での院内感染とか、危険があるのは、どうしても止めるわけに行かないライフラインに従事する人たちではないか。ステイ・ホームしている人が、ちょっと外出して、どれだけの人が感染しているというのだろうか?
 5月に入って、気候が暖かくなったことが原因で、ウイルスの動きが弱まり、新規感染者曲線が右肩下がりになった可能性は、誰も考えないのか?もしその可能性があるのだったら、これから夏に向かっては、少なくとも爆発的な二次感染は起こりにくいと思う。
 その代わり、秋から冬にかけての二次感染を心配するべきで、今のうちに薬やワクチンを研究しておく必要があると、僕は個人的に考えている。

 あたりを探ってみると、教育機関を含むいろんな団体が、ただ最悪の事態ばかり考えて心配し、すでに秋以降の公演の中止を決めていたりしている。あそこが中止したのか、それならうちも・・・なんてやっていると、全国の感染者がゼロになったとしても、誰も何も動き始められないだろう。
 そういえば、緊急事態宣言発令前に、このままいくと我が国の新型コロナ・ウイルス感染で、死者が40万人に達すると言っていた有識者がいたが、あの人、その後どこかで、自らの過ちを認めたりしているの?それとも、それが緊急事態宣言のお陰で今の数に抑えられたって、今でも言い張るつもり?安倍首相は、「有識者の判断に」を連発していたけれど、有識者達の判断は、本当に役に立ったの?誰か教えて!

いろいろな判断の迷走に、納得がいかない「今日この頃」である。

  



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© HIROFUMI MISAWA