もう一度総括~正しいコロナの恐がり方

三澤洋史 

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今が一番大変な時
「あ、なんだ。コロナって、別に恐くないじゃん」
と、みんながある日突然気が付いたらいいなあと思っている。
少なくとも、
「うわっ、この施設から感染者が出た!施設閉鎖だ!」
とか、
「クラスターを出したこの団体には二度と貸さない、他の施設にも通告しておこう」
とか、
「あいつ、感染したなんて、けしからん。うちの街の恥だ。許せない!」
といった、昨今のいたたまれない風潮だけでも収まって欲しい。
 クラスターだって、あちこちで出ているが、一度閉鎖しても徹底的に消毒して、次の日からまた開館すればいい。これからもどんどん出るだろうから、いずれ、そうしないと立ちゆかなくなるのは時間の問題だ。

 そういう意味では、今が一番大変な時。毎日の感染者数はどんどん増えて、みんなの恐怖感がマックスになっている。東京が諸悪の根源と言っている内に、自分たちの県もどんどん増えて、どっちが加害者でどっちが被害者だかもう分からない。逃げても逃げてもコロナは追い掛けてくる。八方塞がりな毎日。この先どうなるんだ?・・・・でも、だからこそ、ネガがポジに反転する日は近いと僕は思っている。

 僕のことを単なる楽観主義者だと勘違いして欲しくはない。僕は、あまりにもひどい情報操作に辟易しているだけだ。

情報操作王国
 かつて、2011年の3.11の直後、我が国の報道機関はみんな口を揃えて福島第1原発のメルト・ダウンは起こっていないと報道していた。報道番組には毎晩同じ専門家が登場し、口ごもりながら、
「メルト・ダウンはないです」
とコメントしていた。
 しかし僕はその時、すでにフランスのサイトを見ていた。そのサイトでは、アニメーションで原発の爆発の様子から、内部でどのようなことが起こっているか逐一描写していた。3月31日、僕は文化庁在外研修員としてミラノに向かった。すると、ミラノでは、当たり前のように日本の原発のメルト・ダウンの様子が毎日報道されていた。日本国内だけが、まるで鎖国のように何も知らされていなかった。
 その一年後、政府は、
「あの時、実はメルト・ダウンが起こっていました」
と発表した。しかしマスコミは、それまで政府が嘘をついていたことについて何も抗議の声を上げなかった。何故かというと、勿論、当初からみんな知っていたから。
 それにしても、マスコミの意図するままに、あのでたらめを言い続けていた専門家は、自分の学問に対する良心というものはあるのだろうか?人間として恥ずかしいとは思わないのだろうか?
 それから僕は、一番国民が知らなければならない大事な情報は、この国では隠されるのだという事実に気付いたのだ。そして今回も、全く同じことが繰り返されている・・・・。

最近の学説
 さて、コロナの事に戻ろう。国際医療福祉大学の高橋泰教授の新学説というものがある。一度だけ特集番組を観たのだが、その後、どの報道番組でもほとんど取り上げられていない。しかしながら、現在知識人の間では広く受け容れられている学説である。
 簡単に言うと、(特に最近になって変異した)新型コロナ・ウイルスは、体内に入り込む曝露(ばくろ)力は強いが、伝染力と毒性は弱い。
 しかしながらPCR検査では、曝露によるだけで陽性になってしまうのだ。実際には陽性者のなんと98パーセントが、完全に無発症、ないしは軽い風邪の症状だけで治ってしまうという。
 それ故、体は、コロナを退治するために苦労して“獲得免疫”を作るほどではなくて、すでに備わっているその人の“自然免疫”で治癒してしまうという。これは憶測ではなく、実際のデータに基づいた統計である。

 また、京都大学大学院医学研究科の上久保靖彦特定教授と、吉備国際大学(岡山県)の高橋淳教授らの研究グループは、
「実は日本人には新型コロナウイルスの免疫がすでにあった」
という論文をCambridge Open Engageに発表している。
 ちょっと難しいので分かり易く説明する。まず、新型コロナ・ウイルスには、初期の、無症候~軽症のみを引き起こす、弱毒性のS型及びK型と、その後に出てきた毒性の強いG型とがあるという。
 日本は3月9日まで、中国に対しては、武漢からの渡航のみ入国制限をかけていたが、それ以外の中国各地から、すでに昨年末からS型とK型がどんどん入り込んでいたという。日本人はそれにより、まずS型、次いでK型の順で、2段階に分けて免疫が形成されていたというのだ。そこに、イタリアにも渡った、より強力なG型が3月に入ってきたので、深刻化したわけだが、欧米とは決定的な違いがあったという。
 それは、水際対策が遅かったことにより、G型の毒性を防ぐK型で免疫が出来ていたこと。実は、S型からの免疫には、そのままではG型に対抗する力はなく、一度K型への免疫のアップデートを経ないとG型には歯が立たないそうなのだ。
 しかし欧米では、K型が入り込もうとした時期に、各国が入国のブロックをかけてしまったので、S型しかなく、その結果もろにG型にさらされてしまったという説である。もしそれが事実だとすると、日本がルーズで良かった、ということになるようだ。

抗体検査結果の解釈
 抗体検査というものは、ウイルスが体内で発症して、体が苦労してそれにターゲットを絞って退治し、獲得免疫を持たないと陽性にはならない。ニューヨーク市では、人口の21パーセントにも登る抗体検査の陽性率が、東京では、わずか0.1パーセントであるという。

 この数字の意味に関して、学者の意見は分かれている。高橋泰教授は、先ほど言ったように、自然免疫で治してしまうので、抗体が出来ていなくとも心配ないのだという楽観的な意見であるが、その一方で、悲観的な見方をする学者たちもいる。
 緊急事態宣言で自粛が進みすぎたせいで、国民がまだウイルスにさらされていないから抗体が出来ていないと主張しているのだ。ということは、これからどんどんウイルスにさらされるにつれて感染が広がり、それに比例して重症者や死者も増えるのだと言っているのである。
 地域を限定すれば、確かにそちらの可能性も否定できない。たとえば岩手県の場合、これまで住民がコロナに一匹たりとも触れていない地域があるかも知れない。すると、S型であれK型であれ、コロナに全く慣れていない人が新たにG型に感染すると、悲観的な学者の言う通りになるかも知れない。

 ところがこれは、首都圏や地方の大都市の住人やそこで働く人々には、もう当てはまらないでしょう。我々は、常に様々な細菌やウイルスにさらされている。特に大都市においては、いまだに新型コロナに全く触れない人というのは、もういないのではないかと思われる。
 細菌やウイルスが口や鼻に入ると、まずは喉のあたりにたまるが、唾液の中に含まれている免疫グロブリンAという抗体の殺菌力は素晴らしく、たいていの細菌やウイルスはここで退治させられてしまう。
 このレベルだと、門番に追い払われたくらいのレベルなので、体の方もやっつけた相手すら覚えていない。その喉が突破されると、今度は体内の免疫グロブリンGやMなどが活躍し始めるのだ。
 問題は、一度にどのくらいの量のウイルスなどが体内に入るかである。曝露量と発症との相関関係はもちろんあって、当然、曝露量が多ければ発症の可能性は大きくなる。もしかしたら、ある程度の曝露量を得て、それを自然免疫で退治することを繰り返すことで、免疫力が強まっているということもあるかも知れない。だとすればむしろ、発症しない程度に適当にウイルスを日々浴びていることは、むしろ歓迎すべきことかも知れない。
 いずれにしても、PCR検査がこれだけ進み、ここまで陽性者数が拡大してきた現在、国民にコロナの抗体が出来ていないからといって、日本人が恐怖に怯える必要はないように思われる。

 また、もし悲観的な学者たちの言っていたことが本当だとすれば、感染者数に比例して重症者や死者の割合も増加していないと説明が付かない。重症者の定義には幅があるかも知れないが、特に死者の数というのは、ごまかしようがないから調べてみよう。
 緊急事態宣言下の、たとえば4月23日の死者数は29人、5月1日も29人、一番のピークは5月2日の31人だが、現在はその頃よりも全国での感染者が圧倒的に多い。だったら死者は、どんなに少なく見積もっても毎日20人台から30人台となっていなければならないはずである。ところが、ちなみに昨日の死者数はゼロである。一昨日は、最近の内で最も多い4人であったが、その前はずっと、1人とか2人とか多くても3人、あるいはゼロの日も多かった。このようにずっとごく少数のまま横ばい。感染者に比例して増加するどころか、比率で考えると反比例して大幅減少なのである。

 だから、どう考えても、自然免疫説の方が有利であると思われる。ちなみに、これは僕の個人的な意見ではない。一般的な見解である。

マスコミは何を隠しているか
 さて、本題はここからである。
実は、こういうことを政府を始め、マスコミも知っているのだと思う。少なくとも、今の“感染者数”というものに、実は何の意味もないことは、もはや常識になっているのだろう。
 だから、東京都内で連日200人から300人もの新規感染者が出ていても、小池都知事などは、
「医療体制は逼迫してはいない」
などと涼しい顔で言っているし、政府もGo To キャンペーンをいっこうにやめる気配がないのだ。マスコミも、いちおう、
「この感染拡大に対して、今の政府は無策だ」
と攻撃しているフリをしているが、追求の姿勢はあまりにも緩い。

 では、どうしてきちんと真実を言わないのだろう?テレビの報道の仕方を観てみよう、
「本日の都内での新規感染者は2○○人です」
とアナウンサーが流した後、街角インタビューの場面になる。レポーターが道行く人をつかまえて、
「どう思われますか?」
と聞く。通行人は答える。
「恐いですよねえ。心配です」
これが不安の震源地である。これって、誰のためにもならない。いたずらに恐怖心を煽る効果しかない。
そしてまたまた専門家が出てきて、
「憂慮すべき事態です」
などとテレビ局の操り人形のようにコメントしている。かつての原発の時と全く同じだ。

 そうなのだ。政府やマスコミはこう思っているのだ。
「民衆は馬鹿だから、適当に恐怖心を与え続けておかないと、調子づいてしまう」
 なんとも馬鹿にした話で、みんなもっと怒っても良さそうなのだが、結構鵜呑みにしている人多いよ。

 では、我々は一体どうすればいいのか?僕は思う。まず、そもそも新規感染者数に一喜一憂するのをやめよう。というより、“感染者”という用語を使うのをもうやめてもらった方がいいんだけどな。簡単だ。“PCR検査陽性者数”という正しい用語を使えばいいのだ。
 以前は、37.5度から38度の発熱が数日続かなければPCR検査を受けることも出来なかった。それでわざと感染者を出さないようにしていたわけで、言ってみれば、緊急事態宣言が解除されたあたりの、東京都も一桁になった感染者数というのが、実は一番嘘だったわけよ。それは海外の国々も指摘していたことだ。
 その後、感染者の増加を追求された小池都知事が、
「だから夜の街が・・・」
と連発していたのは、もしかしたら、
「そういう裏の意味を分かってよ!」
というメッセージだったような気がする。つまり、あの頃の誤魔化しがバレてしまうから、今はこれ以上言えないのよ、ということである。

 西村経済再生担当大臣も可哀想だねえ。安倍首相に丸投げされて、ホストクラブやキャバクラなどで、ガイドラインに従わなかったら店名を公表するぞ、などと脅している。
その一方で、昨日「プライム」という番組に、新宿区の吉住健一区長が出演していたけれど、彼は丁寧に一軒一軒回ってきめ細かく対応している。いかがわしい店なんて見下したりしないで、オーナーとも親身になって対等につきあい、解決の道をともに探している。本当に頭が下がる。それに、結構どの店も生き残りを賭けてガイドラインを守っているよ。こういう人たちの姿に、僕たちは目を向けなければならない。
 その一方で、西村大臣の脅しは、テレビを観ている人へのパフォーマンスにしか僕には見えなかった。

マスクが無用の場合
 7月25日土曜日。雨の中、大学通りをお散歩しながら、国立駅近辺まで行って、増田書店で本を立ち読みし、ドトールでお茶飲んで帰ってきた。通り過ぎる人たちが、みんなマスクをしているのに驚く。もっと驚くのは、道路を走る車の中の人たちの半数くらいがマスクをしていること。家の窓から外を覗いている人がマスクをしていたのにはさらに驚いた。なんで?

「コロナは空気感染します」
と何人かの学者たちが主張した。その言葉が独り歩きしているのかな?
 皆さんよく調べてみましたか?その論文は、ただ、空気感染というものの定義を広げただけのもの。つまり飛沫感染の内、直接の唾ではなく、エアロゾールと呼ばれるもや状の飛沫は、0.005mmの微細な粒子。これは、風のない密閉空間においては、ある一定時間空気中に漂うので、漂っている間に人に感染することもあり得る。だから空気感染だ、というのだ。
 ちょっと待って!そもそも空気感染の定義って何だ?普通の人はね、空気感染という言葉を聞くと、花粉やPM2.5や黄砂のように恒久的に空気中に漂っているものにウイルスが付着していて感染するというイメージを抱いてしまう。しかし、エアロゾールの浮遊は、時間的にはかなり限定されたものだし、目の前で人が唾を出してしゃべるという前提がなければそもそも発生しない。
 だから、大学通りで人とすれ違っても、お互いしゃべらなければ、絶対に空気感染はしない。車の中はもっとしないし、家の中にいたらもっとしない。どこからも感染しない。よって車中のマスクや家の中のマスクは完全にナンセンス。

恐い接触感染
 それよりも、何気ない接触感染には気をつけないといけない。たとえば、感染者がスーパーやコンビニに行って、
「これ買おうかな」
と思って品物を手に取る。
「あ、やっぱりやめよう」
と思って再び棚に置く。
次の人が、その品物を持つ。これだけで感染するのだ。その意味では、コロナの感染力を馬鹿にしてはいけない。ここは正しく恐がらなくてはいけない。
 ただし、手に持っただけでは感染しない。それが口に入らなければOK。だから、「手洗い」「うがい」は、水際対策として最良。マスクも、安易に手が口に触れないという意味で、ないよりはベターかも知れない。

いろいろな問題
 いろいろややこしい問題が起きている。PCR検査で陽性と出てしまった場合、これまでの常識だと、その人を隔離させて、さらなる感染を防がなければならない。しかし、無症状で元気な人が多数陽性になっているのだ。その人たちを入院させるのか、ということだし、隔離させるためのホテルはといえば、緊急事態宣言を解いた後、みんな解約されてしまったりしている。こういうところがチグハグなのだ。

 最初の頃、
「若者が無症状のままウイルスを運んで、どんどん老人にうつし老人が重症化する」
というデマがまことしやかに語られていたが、真実はこうだ。ウイルスが曝露し、ただ喉に付いていただけなのにPCR検査で陽性となってしまった人が、人にうつす可能性はほとんどない。
 ただし、その後発症する人に限って言えば、発症2日前あたりから人にうつす可能性がないとは言えない。体が自然免疫でやっつけられず、一度増殖を許してしまうと、ウイルスは体内で水を得た魚のように、もの凄い勢いで増殖を繰り返し始める。その勢いの最中のウイルスの感染力をなめてはいけない。問題は、その人がその後発症するかどうか分からないところにある。

 細菌と違って、単体では生きることも増殖もできないウイルスは、人の細胞に寄生する必要性から、人間との共生を望んでいる。自分が寄生した人間が死んでしまうのはウイルスにとっては敗北である。むしろ最もハッピーなのは、どんどんいろんな人にうつって、ゆるく長く存在し続けること。だから(例外はあるものの)、ウイルスは一般的には、感染力はしたたかに保ちつつ、しだいに弱毒化するケースが多いという。
 我々も我々で、少し考え方を変えて、曝露するだけなら別にいいじゃないと思わないと、これからはやっていけない。冬になると普通にいつも風邪引いていた人、あるいは時々インフルエンザにかかっていたような人は、今年の冬が来るのは耐えられないほど恐いに違いない。でも、コロナは、一般的にはインフルよりもずっと優しいウイルスなのだ。

正しく恐がりつつ街に出よう
 年配の方達の中には、外出するだけでも恐いと思う人もいるだろう。その気持ちを僕は決して笑わないし、ましてや責めたりする気は毛頭ない。しかしながら、「不要不急」という言葉に、「生存するための最低限以外の行為」という意味が含まれているとしたら、我々は、死なないために生きているだけではない。
 我々には、自分の人生をエンジョイする権利があるし、僕自身は宗教的にも、生まれたからには、自分の魂がワクワクするものを求めるのは、権利だけでなく義務でもあると思っている。
 だから、コロナの感染を恐れて、それらの可能性から全て身を引いてしまうのは残念であると思う。たとえば、合唱の練習だって、きちんとソーシャル・ディスタンスを守って、換気をしながら行えば、安全に行える。マスクやフェイス・シールドをしたっていいじゃないか。
 言っておくが、一番危ないのは練習中ではなく、むしろ休み時間の雑談なのだ。1メートル以内に接近して、向かい合って会話するならば、必ず互いの飛沫を吸い込む。それは合唱練習でなくとも、どこでも一緒だ。
 新宿の劇場でのクラスターだって、みんな目に見えるところしか言わないけれど、本当は、楽屋エリアや、何気ない雑談の方がどれだけ危険なことか。そして特にトイレ。女子トイレは接触感染の宝庫だ。触るもの全てにウイルスがついていると思っておいた方がいい。

一番恐いこと
 最後に一番恐いことを言おう。それは、肺炎を起こしても、新型コロナ・ウイルスは細菌でないので抗生物質は効かない。アビガンやレムデシビルとかの薬も、ウイルスの増殖を抑えるだけで、薬ではウイルスを殺すことは出来ない。だから、最初から最後まで本人の免疫力に頼るしか方法がないのだ。
 ならば、熱が出て発症したなと思った時点で、なんとしても安静にして休むこと。これまでのように、37.5度から38度の熱が数日続いてまだ治らないのでPCR検査を、という時点で、すでにもう手遅れと思っておいた方がいい。きちんと最初に安静にしていたら、大抵2日で治るという。その点においては、僕も今年の冬は覚悟しています。

ここだけは正しく恐がってください。

  


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© HIROFUMI MISAWA