「モツベン」と群馬パワー

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

大坂なおみさん、おめでとう!
 大坂なおみさんが全米オープンで優勝した。「神ってる」とは、まさにこういうのを言うのだろう。本当に神様が味方しているのだと思う。あの黒人問題で棄権した時から、彼女の内面では、試合で戦うことの他に、様々な重圧がのしかかっていたことと思う。
 棄権の是非を問われたり、いろんな種類の批判も目に入ったろう。それに対し、自分自身のあり方を何度も自問自答しただろう。そして、最も大きなプレッシャーとは、とにかくアスリートとして結果を出さなければ、という思いであったろう。

 音楽の世界でもそうだけど、プロの世界では結果が全てだ。僕は勿論、結果だけでなく、そこに至るまでの自分の精神のあり方とか、みんなで作り上げていくひとつひとつのプロセスを大切にはする。しかしながら(これは自分の関わっている団体の団員には言わないのだけれど)、こんな僕でもプロのはしくれとして、自分自身に対しては、徹頭徹尾結果のみが全てであって、ここに関しては、少しの甘えも許されないと自分自身を戒めている。うまくいかなかった部分に関しては、全て自分のみが引き受けるべしと覚悟している。
 それがプロというものです。恐らく彼女は、これでもし、全然冴えないテニスをしてしまったとしたら、決して自分を許せないというところまで自己を追い込んでいただろう。そして勝ったのだ。凄い精神力だ。「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるが、神に甘えることなく、人事を尽くして尽くして、尽くしまくったのだ。そういう人を天は助けるのだ。
 今は、そうした彼女を手放しで称賛していい。何故なら、彼女はすでに、誰にも言われなくても、次なるプレッシャーの中にいる。勝者は同時に追跡される者だから。もうすでに彼女は、勝ったからといって、夢心地でいたり有頂天でいたりするほどの未経験者ではない。敗北や怪我、故障などの苦渋は嫌というほど舐めてきているし、優勝は免許証を取得したことと違って、次の試合で必ず勝てるかどうかという保証とは無縁だ。むしろ、自分は優勝者なんだから勝たなければ、ということが無意識に筋肉を硬くしたりもするのだ。

 ところで、彼女が試合で付けていたマスクに名前を記されていた7人であるが、次の記事に紹介されている。これを読むと、彼女の黒人問題に対するアクションが、決して単なる思いつきや気まぐれなどではないことが分かると思う。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200913/k10012615261000.html


出典 NHK NEWS WEB

 勿論、人間大阪なおみさんにも、欠点や短所はあるだろう。聖人ではないのは当たり前だ。しかし、そういうことではなく、ひとりの人間が成し遂げた快挙に対して、素直に喜んであげること。称賛すること。これは人間にとって必要不可欠な感情であり行為なのだ。だからこそ、我々は、そうした行為の中で、スポーツや芸術が、決して人間の生活において不要不急のものではないことを確認するのである。

「モツベン」と群馬パワー
 フルスコアインターナショナルヴィガーK2株式会社が企画する、12月5日(モーツァルトの命日)の真夜中に、ウィーンのシュテファン大聖堂でモーツァルト作曲レクィエムを演奏するというツアーは、新型コロナ・ウィルスの感染拡大によって、当然のように中止になってしまったが、それが新しい動きを産みだしている

 本来ならば、東京、名古屋、高崎を拠点として5月のゴールデン・ウィーク開けから練習を開始し、やがて合同練習を経て、いざウイーンに出陣というはずであった。しかし、実際に練習を開始できたのは高崎のみだった。
 6月後半に入ると、まだ半年もあったが、12月のウィーン行きは、どう考えても無理じゃないの?という雰囲気が広がり、東京も名古屋もツアーへの参加客は全く伸びなかった。
その一方で、高崎は、
「ツアーに行きたーい!」
という人がいるだけではなくて、
「ツアーには行けないんだけど、三澤さんのモツレクの練習には出たーい!」
という人が勝手に練習に出て来ていて、初回の練習に行った時には、天真爛漫ともいえる熱気があった。
 むしろ旅行会社としては、練習に出るためにはツアー参加が前提条件で、会場費用や指導者への謝礼は、ツアー参加者の旅行費用から捻出されるため、その練習場の雰囲気に困惑していた。

 それから間もなく、ツアー中止の知らせが、各団体を取り仕切ってくれる人や指導者達に届いたのだが、なんと、高崎だけは自主的に練習を継続しているのである。このツアーの高崎における合唱練習を引き受けてくれているのは、新町歌劇団の団長と事務局長の夫婦だが、それと合唱指導者の猿谷友規さんなどが相談して、このまま練習を止めてしまうのももったいないと言って、わずか10人ほどなのだが、「モーツァルト・レクイエム勉強会」なるものを新たに立ち上げ、このコロナ禍の中、ずっと途絶えることなく練習しているのである。

 フルスコアインターナショナルの担当者もこれには驚いた。それに平行して、モツレク=シュテファン寺院の企画は、来年の12月5日には別の団体が入っているので無理なのだが、秋以降に延期して行うことを進めており、せっかく今回募集をかけた人々を拡散させてしまわずに、何らかの形で練習を継続出来ないものかと考えていた。
 それならばいっそのこと「旅行ありき」ではなく、まずどんな形であれなるべく早く練習会を立ち上げ、コロナの様子を見ながら継続し、「これなら行ってもいいな」と思う人が随時ツアーへの参加を申し込んでもらう、というやり方の方が現実的だと思うに至ったのである。
 今の時点では、まだ僕の方から旅行会社をさておいて細かい情報を発表するわけには行かないのであるが、とにかくもう来年の秋・・・モーツァルトの命日はちょっと叶わないけれど・・・ツアーを実施する方向で事が進んでいる。そして間もなく、東京及び名古屋などで、高崎モデルを参考にしながら、あらためて「三澤~モツレク~シュテファン大聖堂」の練習会&ツアー募集が始まると思う。

 9月12日土曜日。通称「モツベン」と猿谷さんが勝手に呼んでいる「モーツァルト・レクィエム勉強会」に顔を出してみた。その晩には、場所を変えて「おにころ」の2回目の練習にも行く。それなので、どうせ少人数なので、僕のギャラのことは心配しないでねと言ってあった。
 ところが、確かに少人数であるが、みんなしっかり取り組んでいるので驚いた。しかも、練習の途中の僕の“うんちく”にも熱心に耳を傾けている。このモツベンのメンバーは、新町歌劇団や「おにころ合唱団」ともダブっている人がいるが、僕から見て全く「初めまして」の方もいる。
 その中に、1986年、ベルリン留学から帰国したての僕が、群馬県合唱連盟&群馬交響楽団で「モーツァルト・レクィエム」演奏会を指揮した時に合唱団に乗っていたという女性がいてびっくりした。
 いやあ、あらためて群馬パワーに驚かされた。そういえば、もう三十数年継続している新町歌劇団だって、僕の創作を何の疑問もなくみんな受け入れてくれて、今日までアクティブに活動しているだろう。その原動力は、なんといっても群馬パワーなんだな!コロナなんかに負けないんだ。ツアーがなくなったって、へっちゃらなんだ。しかも「モツベン」に場所を提供してくれる新町公民館は、使用料タダなんだ。

 夜になって、「おにころ」の練習に行った。2回目の練習なので、遠慮せずに「赤城おろし」という曲をビシビシやった。すると、みんなの目がどんどん輝いて、どんどん付いて来る。久し振りに僕もアドレナリンがどんどん出たなあ。
 それで練習の合間に、「おにころ合唱団」のメンバーに、「モツベン」の話をした。すると、「モツベン」に参加したいというメンバーが何人も増えたという。いいねえ。このコロナ禍に!

 ウィーン・ツアーの話は、詳細が決まり次第、この「今日この頃」でもお知らせします。実は、その件で今週中に、東京、名古屋、高崎のそれぞれ指導者達を交えて旅行者のスタッフとZoom会議を行います。

来年こそは僕もウィーンに行くぞう!

Zoomレッスンと新たな生き甲斐
 9月7日月曜日を始めとして、これまでに5人の受講者を相手にZoomレッスンを行った。やり始めて思ったけれど、Youtube動画を事前に配信しておいてよかった。受講者達の意気込み及びレベルが高いのである。皆さん、僕のYoutube動画を丁寧に見てくれているので、わずか45分のレッスンではあるが、能率がとても良いのである。
 放物運動、ふりこ運動などの基本的な物理運動を丁寧に吟味していく。かなり良く出来る人でも、加速と減速との割合がブレたり、跳ね上げでは、蚤が跳ねるようなきれいな運動になっていなかったり、叩き止めでは、止めた瞬間に指揮棒を持つ手首が動いてしまったり、なかなか難しい。しかし僕は保証する。これが出来るようになっただけで、あなたの指揮に対して、楽員が驚くほど従ってくるでしょう。

 僕は、ベルリン芸術大学指揮科を1984年夏に卒業して帰国し、翌1985年四月から愛知県立芸術大学のオペラ実習と重唱の授業を受け持つ非常勤講師となった。加えて、東京藝術大学の大学院オペラ科の非常勤講師で入ったのが確か1988年だったかな。その後、2001年9月から新国立劇場の専属合唱指揮者になるということで、大学はみんな辞めた。それ以来、客員教授として洗足学園などから短期的に呼んでいただいたのは別として、教師としての仕事を全くしていない。

 このコロナ禍で、大学の常勤や非常勤をしている人たちが、収入的に安定しているのを見て、ちょっと羨ましいと思ったことも手伝ったかも知れないが、そういうことでもなく、あることに気が付いたのだ。
それは、
「若い時に自分は偉そうに大学院の生徒達に何を教えていたんだ」
ということと、同時に、
「今だったら、自分の現場での経験を生かして、オペラの授業などで沢山のことを学生達に教えられるんだけどな」
ということ。
 でもね、考えてみるともう65歳なんだよね。定年の年なんだよね。一番遅い東京芸大の定年が67歳。現場一本でやってきたことを決して後悔はしていないけれど、今更教育の世界に戻ったって仕方ない、と思っていた。

 ところが、Zoomレッスンをやってみて、あらためて、教えるということは、価値がある行為なんだなと目覚めた。自分だって、声楽の中村健先生や原田茂生先生、作曲及び指揮の増田宏三先生、和声学の島岡譲先生、指揮の山田一雄先生とハンス=マルティン・ラーベンシュタイン先生などに教わったから、現在の自分がある。
 特に、山田先生なんか、レッスンに行く毎にケチョンケチョンにけなされて、めげて帰ってきたけれど、今から思い返してみると、本気で向かい合ってくれていたんだなと涙が出るほどだ。
 それで、自分だって恩返しをした方がいいのでは、という気になっている。このコロナ禍で、それまで、音楽に携わることで、人に望まれ、人に喜ばれていた自分を当たり前のように思っていたが、音楽は三密だからいらないと思われ、仕事もなくなって無力感に包まれていた。
 それがレッスンを始めた途端、ああ、こうして自分も人に教えることで役立っているし、もっと役立つように精進すべきなんだな、と新たな生き甲斐を見出す自分を発見した。僕は、65歳にして、新しい可能性の扉を開けた。

 ということで、まだまだ受講生を募集しています。詳しくはホーム・ページの“Zoomによる「三澤洋史のスーパー指揮法」レッスン申し込み要項”をご覧ください。また質問などは、以下のアドレスに直接どうぞ!
maestro.takemeconducting@gmail.com

コロナとマスコミ
 もうずっと前から、本当はほぼ終了していた。感染者といわれる無症状あるいは軽症者のPCR陽性者がどんどん増えていた最中でも、政府はGo Toトラベル・キャンペーンを止めなかっただろう。あれこそ実は活動再開OKの隠れたサインだったのだ。それなのに、各地方自治体の知事は、独自に緊急事態宣言を出したりして、足並み揃わず迷走していた。
 ところが、ついにここに来て、Go Toトラベル・キャンペーンに東京都を加えるとか、イベントの制限を緩和するとかの決定を出そうとしている。これに、違和感を感じる人はいるでしょう。だって、まだまだ危ないでしょう・・・と。でもね、逆にそう感じる人ほど、テレビ新聞からの情報操作に惑わされていたのです。

 みなさんは、テレビが嘘を言うはずはないと信じているかも知れない。しかし、今回の数々の虚偽や誇張、湾曲に満ちた報道のあり方を見ていると、マスコミのモラルは地に落ちたと断言しても良いと思う。
 幸い、それに気付き、正しい報道を試みようという人たちは出てきている。しかし、それらの人たちが自分の意見を発表する媒体は、テレビや新聞ではない。主としてインターネットである。かつては、ネットによる情報はうさんくさいと思われていたが、現代は逆だ。勿論、ネットは玉石混淆で、本当にデマや嘘も沢山あるから、受け取る方にきちんとした判断力が必要だ。

 僕が毎朝の新聞を読みながら、一番怪しいとにらんでいたのは、コロナによる死者数だ。厚生労働省が、コロナに感染してから死んだ人は「死因がなんであれ」コロナによる死者として登録せよ、と指示したからだと推測するが、感染者が何人増えようが、毎日平均15人前後をきれいに維持していた。こんなことあり得ないでしょう。というか、あまりにきれいに横並びなので、どうとでも出来てしまうことが一目瞭然だ。

 僕の母親が入っている介護付き老人施設では、(今は行けていないが)お見舞いに行く度に、以前ホールに出ていた人がいない。
「あの人はどうしたんですか?」
と聞くと、
「お亡くなりになったんですよ」
と言われる。次に行った時も、別の人がいない。老人施設では、ひっそりと、しかし確実に高齢者は自然にこの世を去って行く。それが世のならい。
 しかしですよ、仮にそういう老人の中に、たまたまPCR検査が陽性の人がいた場合、どんな原因で死んでもコロナで亡くなったことになるわけだ。逆に言うと、高齢でさらにすでに疾患を抱えている人が、その疾患で亡くなった場合、PCR陽性者だったとしても、死因に、コロナからの影響力がどれだけあるのだろうか?
 もしかしたら、こうした高齢者の場合、新型コロナがこの世に存在していなくて自然にお亡くなりになった場合と、全体数としてほとんど変わらないのではないか?90歳以上の方が、老衰に近い感じで、最後に肺炎にかかって亡くなった場合、もしコロナがなかったなら、普通の肺炎でどっちみちお亡くなりになるのではないか?

 反対に、僕が一番知りたい情報は、絶対に出てこない。すなわち、そんなに年でもない元気な人が、コロナにかかって、どんどん悪くなり、みるみる重症者となって亡くなる・・・つまり、どう見てもコロナで一直線に亡くなったとしか思えないような人が、一体どのくらいいるのか?これこそが、コロナが本当のところ、どのくらいの脅威となっているかのバロメーターではないか?これを僕はとっても知りたいのだ。

 ネット上では、ワイドショーなどがさかんに起用していて、視聴者の恐怖を煽ることに多大なる貢献をしていた白鴎大学教育学部教授の岡田晴恵さんが、今になって結構攻撃されている。僕はそもそもワイドショーなどには全く興味がないから見ないのだが、なんでも、彼女は医学博士で感染症学や公衆衛生学が専門でありながら、データーを拠り所に説明するどころか、何の根拠も示さず、いたずらに
「今のニューヨークは二週間後の東京です」
とセンセーショナルなことを言ったりして、それが二週間経っても全く証明されないにも関わらず、テレビは彼女を使うのをやめないし、相変わらず、
「二週間後は・・・」
というのを連発しながら、視聴者の人気を取り、時の人となり、服装やメイクやヘアーなどが日に日に垢抜けていったとかいかないとか・・・。今ではワタナベエンターテイメントという芸能事務所に所属している。

 まあ、この人のことは、僕にはどうでもいいのであるが、それよりテレビという報道媒体が、真っ先にモラルを喪失していて、節操なくそういう人をちやほやする方が問題だ。その理由は、テレビは、報道倫理の前に視聴率が立ちはだかっているからである。このコロナ禍で視聴率を稼ぐためには、観ているひとたちの恐怖心を煽るのが一番だ。恐くてどんどん観てくれるから。
 そのために、そういう恐いことをどんどん言ってくれる人は、とっても有り難いのだ。また、たとえば「軽症で自宅待機していた人が突然死んでしまった」などという、ごく少数例をもの凄く過大に報道したり、また、映像や事例のある部分だけを切り取って見せることで、結果的に事実と正反対に視聴者が受け取るようなトリックを駆使するとか、もうあらゆることを知恵を絞って行ってきたのである。そして、その背景には、観ている番組が自分の一番の関心から離れたら、即座にチャンネルを変えるような視聴者が少なからずいることが挙げられる。

 さて、僕は、こうしたことを話したからといって、コロナはもう安全で、これからも未来永劫完全に終了、と言い切るつもりはない。先のことは分からないからである。でも、政府のこの発表は、今の時点での信頼に足る決断だと思っていい。とりあえずは終了である。コロナは生きているんだけどね。つまり、これからはインフルエンザ同様、コロナとの共生を考えなさいということである。
 というより、可能ならば、動ける内に動いておいた方がいい。また感染状況が危険な状況になってきたら静かにすればいい。人は“自粛”の反対用語として“経済”という言葉を使うが、これは好ましくない。何故なら経済というと何か“儲ける”とかいうネガティブな意味に取られてしまうだろう。そうではない。もっと自然に、人間の社会活動を動かすということだ。
 緊急事態宣言の時に、スーパー・マーケットと宅配は自粛しなかっただろう。それは、人が生きてゆくのに最も大切なライフラインだったからだ。だから、そこで働く人たちは、ある意味感染に関しては最も大きな危険にさらされていたけれど、止めるわけにはいかなかった。
 でも本当は、食べ物だけでなく、人間の健全な生活を維持していくためには、止めるわけにいかないものは、予想以上に沢山あった。精神的なものも含めて・・・・たとえば、緊急事態宣言下においてドメスティックバイオレンスがあちらこちらで起きていると言われただろう。人間は、動物と違って、衣食住足りて生存していさえすれば良いわけではない。
 その意味で、あらゆる面から、人間としての本来の生活を取り戻すことが出来るよう、知恵を絞って、始められるものから動き出していくべきなのである。

マスコミの言うことを鵜呑みにしないで!

  


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