僕たちは求められていた~N響演奏会


三澤洋史 

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僕たちは求められていた~N響演奏会
 12月27日日曜日、サントリーホール。NHK交響楽団第九演奏会最終日。第4楽章ラストの熱狂的なPrestissimo。叩き付けるようにしてオケの響きが突然切断された。「運命」のしつこさとは正反対で、この曲の終わり方は、あっけないほどだ。
 でもこの終止は、あらゆる曲の中で最もブラボーを呼びやすい。いつもなら、この瞬間、嵐のように「ブラボー!」の叫びが飛び交うだろう。しかしながら今回は違った。飛沫が出るという理由で禁止されているため、客席からは拍手のみ。とはいえ、なんという熱気のある拍手!拍手にもエネルギーの違いはあるのだ。
 その拍手に包まれた空間を掻き分けるように、僕は後方に走って扉を開け、そのまま舞台袖に急ぐ。これまでに何度、この合唱指揮者ならではの行動を繰り返したことだろう。息を切らせて舞台の下手袖に辿り着く。やがて指揮者のパブロ・エラス・カサドがゆっくり舞台袖に戻ってきた。

 袖にはいつも、指揮者のお世話係がタオルと水を持って待ち構えている。でも今回は水ではない。お世話係が差し出し、彼が唇をとがらせて一気に半分くらいゴクゴクとうまそうに飲むのは、サントリー・プレミアム・モルツの缶。ビ、ビールですか!さすがスペイン人!それから落ち着いてタオルで汗を拭く。
 サントリー・ホール2階のP席で歌っていたソリスト達が舞台袖に到着するまでやや時間がかかったが、それから僕たちは舞台上に出て行った。マエストロが僕を促して、僕は2階の合唱団を立たせてお辞儀をする。
 彼らを見る。こんな真剣勝負を繰り広げている優秀な志士たちと、一緒に仕事するのを許されていることに、あらためて胸を熱くする。第九は、通常、少なくとも80人で歌う。今回のN響の仕事は、当初は90人で請け負った。それがコロナで60人に減らされ、さらに50人となり、最終的にソーシャルディスタンスを守った40人に減らされた。それでも彼らは文句一つ言わずやり遂げた。
「歌わせてもらうだけ有り難い」
あの夏過ぎまでの何もない毎日を思うと、年の瀬に自由と友愛を歌う第九を高らかに歌い上げることができるならば、もうそれだけで充分だ。
 それにしても、シーズンはじめの「夏の夜の夢」から毎回PCR検査をしたけれど、ずっと全員陰性のままここまで辿り着いたって凄くない?みんなそれだけ気をつけているということだ。

 オーケストラ、合唱、ソリスト、僕、マエストロ、それぞれが何度も舞台に呼び出され、やがて全てが終わったと思って、舞台袖で互いに誉め合いながらくつろいでいたら、舞台監督の人があわてて僕たちに、
「もう一度出て下さい!」
と叫んでいる。
「ええっ?」
と言いながら、カサド氏、ソリスト達の後に続いて僕も出て行く。

 驚いたことに、すでに空となったステージなのに、聴衆が帰らずにスタンディング・オベイションをしながら、拍手をし続けているのだ。僕たち6人は再び舞台センターに立った。聴衆は熱狂的に拍手し続けている。僕たちも、帰るに帰れず、その場に何分も立ち尽くした。言いようのない感動が胸に溢れてきた。僕のすぐ横のマエストロを見ると、目から涙がこぼれている。みんなウルウルしている。
 素晴らしいひとときであった。同時に、あの全ての公演という公演が消え失せて、自分たちは求められていないんだ、という失意に包まれた春から夏までの時期の心情が甦った。どうだい?紛れもなく、こんなにもみんなは音楽に餓え、音楽を求めていたではないか。そして僕たちは今、こんなにも喜ばれているんだ。これが現実なんだ。

音楽のある人生って、なんて素晴らしいんだろう!

白馬での日々
 次の日の早朝。僕たち家族は、白馬に向かって出発した。ちょうど12月28日からGO TOキャンペーンが中止になった。振り返って見たら、10月初めのある日、ペンション・カーサビアンカのマスターである大野さんから連絡が入り、
「GO TOが使えるから来ませんか?」
と誘ってくれたので、例年よりもずっと収入が少ない今年の暮れは見送ろうかなと思っていたけれど、やっぱり行こうと決めた。
 GO TOだけでなく、クーポンの対象になっていた中に、白馬五竜スキー場のスポンサーであるエイブルがあったので、リフト券も割引になるため、もの凄く安く行けるはずだった。ああ残念!
 でもね、今年の中頃に味わった苦しさや、後半の突然の忙しさと頑張りなど、どちらも大変だったから、やっぱりご褒美は欲しいよね。それなので、たとえGO TOがなくなっても、白馬行きを断念するという気持ちにはなれなかった。

 ということで、例年のように白馬に出掛けた。とはいえ、志保は、公演が延期になって年始に無理矢理割り込んだ二期会の「サムソンとデリラ」公演の稽古ピアニストとして、30日まで練習が入っていたので同行できなかった。
 その代わりというわけでもないのだけれど、孫娘の杏樹の、同じクラスの大の仲良しであるAちゃんが一緒に行くことになった。それで、妻が運転し、僕が助手席に乗って、後ろには杏樹とAちゃんと杏奈の3人が乗って、ワイワイと楽しい旅が始まった。
 近年、ずっと雪不足が続いていたが、今年は新潟で車が多数立ち往生したほどに雪がたっぷり積もり、どこのスキー場もしっかりオープンできている。

 28日午後は、シーズン初回のため、杏樹とAちゃんを、スキーキャンプでお世話になった吉田光里(よしだ みさと)先生にレッスンしてもらうことになっていた。吉田先生は、昨年までスキー・エストという会社にいたが、今年、廻谷和永(めぐりや かずなが)さんと共にスキー・エストから独立して、Schneeberg(シュネーベルク)というテレマーク&アルペンスキースクールの会社を立ち上げたという。
 このふたりは、最近のカーヴィングスキーによる迷走などには惑わされず、正統的なアルペンスキーの継承者であり、素晴らしい教師でもある。そのひとりの吉田先生が、こんなチビッコふたりを相手に個人レッスンをお願いするなど、もったいない話なのであるが、今の杏樹があるのも吉田先生のお陰なのである。

写真 吉田先生の指導を受けるAちゃんと杏樹
吉田光里先生のレッスン

 さて、今やかなりイケイケの杏樹と、まだ2回しかスキーに行ったことのないAちゃんというレベルの開いた2人をどうレッスンするのかな、と思っていたが、さすが吉田先生。Aちゃんに対しては、スキーを後ろ向きに走らせAちゃんを受けとめるようにして滑りながら、彼女が少しも恐がることのないように優しく導き、同時に、杏樹に対しては、
「あのねケーキの幅(ボーゲンの△の幅)を半分にして、いっぱいターンをして滑ってごらん」
というサジェスチョンを出し、それからその都度、適切な助言をしていく。さすが!みなさんに言っておきますが、初心者ほど良い先生についた方がいいです。

 その2時間ほどのレッスンだけで、Aちゃんは、恐がることなくボーゲンで止まったりスピードコントロールを自由に行えるようになった。まだあまりターンはできないので、直滑降専門だったけれど・・・。一方杏樹は、見かけパラレルに見えるほどに、ボーゲンの幅が狭くなり、その分ターンも深くなってきた。最近一輪車に乗っているので、バランス感覚にも大きな進歩が見られている。

 さて、2日目の29日の午前中は、角皆君の奥さんである美穂さんに2人を預けた。ここでも大きな成果が見られた。

写真 美穂さんの指導を受けるAちゃんと杏樹
美穂さんのプライベートレッスン(準備体操の一コマ)
資料提供:F-style

なんとAちゃんがターンを自由自在に行えるようになってきたのだ。そして午後になって自由に滑らせてみたら、スピード狂の杏樹の後を負けず嫌いのAちゃんも必至でついて行く。
 そこで僕は、杏奈も交えて、3人で先頭を変えながら何度もトレイン(みんなで列を作って滑ること)をしてみた。トレインってグループでやるにはとっても良い練習なんだ。

 さて、肝心の僕はというと、今回、角皆君から個人レッスンを受けるほど経済的に余裕がないんだ、と彼に言ったら、外国人受講者がいないので今年の年末は割と暇だから、空いている時には一緒に滑ろう、と言ってくれて、彼とかなり滑った・・・といっても、実際には彼が時々僕にサジェスチョンをくれるので、レッスンのタダ乗りみたいで申し訳ない。

写真 グランプリコースを臨む
グランプリコースのパノラマ

 2日目の29日は、ワックス会社のチームレスキューの創設者であり会長の沖浦克治さんが開発した、スキー板の滑走面そのものがワックスになっているという独創的スキーの試乗会があるというので、角皆君とふたりで行ってみた。

 沖浦さんは不思議な人だ。ワックス会社なのに、ワックスを塗らなくていいスキー板を開発するなんてまるで自殺行為ではないか。と言ったら、彼は、
「もともと私はアイロンをかけるのが嫌いでワックス会社を作ったのです」
と涼しい顔で言っている。僕なんか、こんなスポーツが苦手だった自分が、とうとうアイロンでワックスをかけるようになったぞと誇らしく思っていたら、チームレスキューが塗るだけでめっちゃ滑る極(きわみ)というワックスを開発したため、
「なんだ、アイロンを買って損した」
と思い、さらにそれもいらないとなったら困るんだ!
 というのは冗談だけど、この板、履いただけでもう感触が全然違う。本当にめっちゃ滑る。初心者なんか、恐くて乗れないかも。もしこれを他のスキー会社が取り入れたら、スキー界に大きな革命が起きるだろう。
 さらに、スワロー・スキー社と一緒に開発したという板そのものの特徴について言うと、特にショート・ターンの踏み替えの時のレスポンスが良く、優れた板であることが分かった。ただ、カーヴィングのかかりに少し遊びがあるので、いつも乗っているK2などに比べたら、ちょっとだけ余計に傾きを作る必要がある。

資料提供:F-style

 と、こんな感じで、今回も楽しく白馬での日々を送って、今回は群馬の家には帰らずに真っ直ぐ東京の家に帰って年末年始を過ごしました。大晦日の31日には、Zoomによる指揮レッスンを2つこなした。それが仕事納めになったのが今年という年を象徴しているように思うね。

 夜は、紅白歌合戦はほとんど観ないで、Eテレの方を観ていて、最後のNHK交響楽団の第九で、公演後の自分が登場する姿を観て、それからチャンネルを変えて、沼尻竜典さんが指揮する「運命」交響曲のカウントダウンがピッタリ決まったのを確認しました。
「明けましておめでとう!」
と互いに言い合ってから、娘達と谷保天満宮にお参りに行き、早朝は杏奈とふたりで初日の出を見に四谷大橋に行って、2日の朝と3日の朝は、大國魂神社まで散歩しながらお参りに行きました。

写真 2021年の初日の出を四谷大橋から見た
2021年の初日の出

 元旦の晩のウィーン・フィル無観客ニューイヤー・コンサートでは、リッカルド・ムーティーの指揮が素晴らしかった。彼の天性の歌心がその成功を導いたのであろう。ウィーン・フィルも指揮者によってウインナ・ワルツの3拍子のニュアンスが変わるが、一番良いところで機能していたように思う。
 それに、指揮者次第では、楽団がマエストロを見棄てて半ば自動演奏のようになってしまうが、みんなムーティーを信頼していて、よく従っているし、ムーティーの方も、任せるところは楽団員に任せて、両者の関係の良好さを印象づけていた。
 3日の晩は、NHKのニュー・イヤーを堪能した。その中でも、笛田博昭さん(テノール)と上江隼人さん(バリトン)の歌う、ドン・カルロの友情の2重唱が圧巻であった。

 さあ、コロナになんか負けないで、なんとしてでも今年は良い年にするぞう!みなさんにも良い年でありますように、心からお祈り申し上げます!

バシャールの時間論について
「三澤さん、あなたはカトリック信者なのに、そんなにバシャールに傾倒してしまっていいのですか?」
と思っている人が少なくないかも知れない。しかしながら、僕は声を大にして言いたい。
 僕はバシャールに傾倒しているのではない。ましてや、バシャールの考えに洗脳されているわけでもない。むしろ、これまでバシャールのことを全く知らなかったのに、僕が昔から、こんなにバシャール的な生き方をしていたことに驚いて欲しい。僕の著書「ちょっとお話し しませんか」(ドン・ボスコ社)を、そう思いながら読んで欲しい。これをバシャールの知識なしに僕は書いていたんだぜ。

 さて、そんなわけで、僕は、生き方において、バシャールから教わることは、すでにほとんどないとは思うのだが、テクノロジーの面や空間認識などの面においては、地球人はどうみても遅れているため、高度に発達したエササニ星の情報に接して、
「へーえ、そうなんだ」
と思うことが多い。

 その中で、今一番僕にとってブームとなっていることがある。それは時間についての考え方だ。バシャールは、
「時間というものは、本当はないのだ」
という。最初は、
「ハア?何言ってんだ?」
と思った。
「時間は、この地球の三次元的認識が生みだした幻想なのだ」
ということだ。

 しかし、よく分からないながら心にピンとくるものがあった。それは、以前にもこの「今日この頃」で書いたが、僕はdéjà vuデジャ・ブ(既視感)を通して、予知夢の中の自分と、それが実現した時に驚いている自分とは、時空を超えて全く同一の自分であることを知っているからだ。
 つまり、自己というものは、全ての時や空間の制約を超えて、常に存在し続けているものなのである。その認識を、僕は夏の間のカトリック立川教会における瞑想によって、少しずつ深め、確固たるものにしていったのだ。
 “真我”といわれる自分のエッセンスのような存在は、通常は、日常生活における様々な欲望や感情のベールによって覆い隠されている。そのため、自分というものは、時の流れのベルトコンベアーと一緒に、過去から未来に流されているように感じられるが、真我に目覚めると、自分は宇宙の一点に留まり続け、時も空間も、自分に向かってきて、そして通り過ぎていく、という認識に目覚めるのである。

 また、こうした認識の仕方もある。僕はよく、スコアを完全ないしは限りなく完全に近い形で暗譜する。すると、自分が今向かい合っている楽曲は、すでに僕の頭の中では時間の制約の中にいない。楽曲の全体像を一気にイメージできるし、たとえばピンポイントで、第2楽章のあの場所は、といえば、即座にイメージの中で呼び出して、頭の中で鳴り響かせることができる。マキシムにもミニマムにも認識可能だ。スコア上では、音楽を逆行させることさえできるであろう。だから、時間の進む方向でしか音楽を味わうことができない人よりは、少しだけ意識が四次元的になっているとはいえる。
 だからといって、バシャールのように、
「過去生も未来生も同時進行していて、その何処にも意識を向けることができるのです」と言われて、
「はいそうですか?」
とは簡単に納得できないなあ。とはいえ、そうなのかも知れないと思うだけの認識力はあるのだ。

 また、こうも思っていた。一生懸命音楽に打ち込んだ日々が続くとする。朝起きると、全てが同じ環境なのに、何かが違っている。というより全てが違っている。ベートーヴェンの音楽を聴く。すると、昨日まで分からなかったことが理解できている自分に驚く。ベートーヴェンの想いがズンズンと自分の胸に迫ってくるのを感じる。
 ちょうど、ゲームをやっていて、あるレベルにまで達すると、突然終了して次のステージに入って行き、あらたにもう一段ハイレベルのゲームが始まるじゃない。あれと同じだ。これが、バシャールの言うところの“並行宇宙”というものだ。ステージが変わると、今度はより高いレベルのプレイが求められるのだ。
 宇宙は、すでに動かし難く決定したものではなく、実は自分次第でどうとでも進む流動的なものなのである。その意味で、バーチャルリアリティのようなものなのである。未来は、あなた次第であり、今まさにこの瞬間に無限に創造できるものなのである。

 バシャールはこう言う。
「いつも今あなたがいちばんワクワクすることを情熱を持って全力でしなさい。そうすればシンクロニシティが起こり、それに一番ふさわしい環境が与えられる。でもそれは、あなたが期待したものとは限らない。だからワクワクしたことを行った結果については決して期待しないでください。とにかく、いろいろ考えないで、その都度ワクワクすることを行いなさい」
 面白いのは、僕はいつもワクワクすることに従ってきたけれど、何かを行うのには常に“時”があるということだ。ミュージカルを一生懸命作曲していた時期。ワーグナーに打ち込む時期。ラテン音楽にのめり込み、ラテン音楽でミサ曲を書く時期~ミサ曲を書き終わってみたら、サンタナの音楽を聴いても何も感じない~Missa pro paceを書くことでマイブームはあっけなく過ぎ去ったのだ。
 そして今は、スピリチュアルな覚醒と宗教的な認識を文章にする時期といえる。これは、ヒーラーである紅美さんが、
「あなたのハイヤー・セルフは、文章を書くこと、それを人に読んでもらうことを薦めています」
と言った通りだ。
 考えてみると、このコロナ禍で時間が沢山あったのだから、新しいミュージカルだって書けそうなのに、まったくそれにワクワクしない。以前はね、自分の創作力が枯渇したのか?なんて心配したりしたけれど、バシャールを知ってからは、別にいいんだと気楽に思えるようになった。
 今一番ワクワクすることに従っていれば、いずれどこかに辿り着く。ミュージカルを書きたくなったら書けばいい。「おにころ」でも「ナディーヌ」でもそうだったように、その時が来たら、題材も楽想も勝手に向こうからやってくるんだ。

 バッハという作曲家は、12音階の長調短調合わせて24曲もある平均律クラヴィーア曲集を2巻も作ったような人だから、一見、コツコツと事務的に音楽を作る人のように思われるだろう。ところが、この人ほど、その時々のワクワクに従って曲を創った人はいない。
 平均律クラヴィーア曲集なんて、マイブームが去ってみたら、もう二度と創りはしない。そうかと思うと、ライプチヒのトマス教会のカントールに就任してから2年間くらいで、おびただしい数のカンタータを創ったと思えば、その後、それが思ったほどの称賛を浴びなかったこともあるが、パタッと創るのをやめた。
 最晩年の1747年、ポツダムを訪れたバッハは、フリードリヒ二世からあるテーマを与えられ、それを元に3声のフーガを即興で演奏した。王から6声のフーガも求められたが、さすがにそれは即興では難しかった。ライプチヒに帰ったバッハは、心残りもあったのだろう。あらためて、王のテーマに基づくフーガ2曲と4楽章からなるトリオソナタ、ならびに10曲のカノンが含まれる膨大な「音楽の捧げ物」を創って王に捧げた。頼まれもしないのに。
 これだけでも、その時々のワクワクに従ったバッハの創作態度が分かるが、バッハのマイブームの凄さは、想像をはるかに超えている。王の主題は魅力的ではあるが、決して扱いやすいとはいえない。このテーマの音型では、腕の見せ所であるストレッタ(主題が重なり合って再登場するテクニック)も作れない。そこで「音楽の捧げ物」を創ってもまだマイブームが去らなかったバッハは、今度は自分で作ったテーマを元に、またまたおびただしいフーガやカノンを創り始めた。誰にも頼まれないのに・・・普通に考えたら頭おかしい。

これが巨匠最晩年の未完の大作「フーガの技法」である。

 このように偉大な作曲家たちも、みんな自分のワクワクに従って偉大な作品を生み出している。それが僕たちの胸を打つのは、彼らのワクワクに僕たちが共鳴するからだろう。技術的にも比類なきものがあるが、感動を導くのは霊的な波動であって、その波動が時空を超えて300年も後に生きる僕たちのひとりひとりの魂に届くわけだ。

 2021年。僕の覚醒はもっともっと深くなり、僕はそれをもっともっと明晰な言葉にして、いろんなところで書いたり、真生会館などで語ったり、指揮棒を通して広くみなさんに伝え続けていきたいと思っています。

今年もよろしくね!!

  


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© HIROFUMI MISAWA