「タンホイザー」無事千穐楽を終えました

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

Robyからの案内
Rinascerò,rinasceraiを作曲したRoby Facchinettiから、案内のメールが来た。

Ciao,ti rubo solo un minuto per dirti che da ieri,"Cosa lascio di me" è entrato in rotazione radiofonica e in questa occasione, è stato realizzato anche un videoclip.
「こんにちは。1分だけ君の時間をくれないか?言うことがあるんだ。昨日以来『僕は何を残したのだろうかCosa lascio di me』という曲がラジオで流れているんだけど、それをきっかけに(Youtube用の)ビデオでも配信することにした」

 それは、
Il video ripercorre tutta la vita di Roby in 100 immagini.
「ロビイの全人生を100枚の写真で回想するビデオ」
だというのだ。
 それで観てみたら、子供の頃の写真や、1970年代に大ヒットしたPooh「プー」というロック・グループの写真や、家族の写真、果ては孫たちと思われる何人ものチビッコに囲まれている写真などが、曲と共に次々と流れていく。1944年5月1日に生まれたロビイも、5月が来れば77歳になる。このへんで自分の人生を振り返ってみようと思ったとて不思議ではない。

 また、美しい湖の写真が写っているのだが、どうも見覚えがある。それは、2011年に僕がミラノのスカラ座に3ヶ月の研修に行った時に訪れたガルダ湖Lago di Gardaの風景であった。

写真 ガルダ湖と聖マグダレナ教会の遠景
ガルダ湖と聖マグダレナ教会


 これには逸話がある。スカラ座の研修が始まって割とすぐ、僕は合唱団のバス団員でフランス人のジェラールと仲良くなったが、彼はミラノからやや離れたブレッシアBresciaという街から通っていた。
 一方、滞在中、妻がミラノにやって来たが、彼女の洗礼名はアンジェラ・メリチAngela Merici(1474-1540)という聖女。そのアンジェラ・メリチがブレッシアでウルスラ会を作って活躍し、そこで没したので、是非行ってみたいと言う。それをジェラールに話したら、なんと彼はアンジェラ・メリチ通りに住んでいるというではないか。

写真 聖アンジェラ・メリチの肖像画
Angela Merici

 それでジェラールは張り切った。彼は車を出してくれて案内人を引き受けてくれた。ブレーシアの街を案内してくれたどころか、アンジェラが生まれたデゼンザノDesenzanoや、両親がペストで亡くなってしまったので、叔父を頼って身を寄せたサロSaloという街に連れて行ってくれたのだ。そのデゼンザノもサロもガルダ湖のほとりにあり、僕たちは、その美しさに心を奪われたのである。よりによって、そのガルダ湖の風景がビデオを彩っているのだ。
とにかくみなさん、このビデオを観て下さい。(Roby Facchinetti Cosa lascio di meでも検索できます)


「タンホイザー」無事千穐楽を終えました。

奇蹟の連続
 緊急事態宣言下、新国立劇場「トスカ」に続いて、二期会「タンホイザー」公演も、つつがなく千穐楽を迎えることができた。事前にキャストも合唱団もオケも、みんなPCR検査を受けて陰性で、全員こうして元気で公演を続けられるって、まさに奇蹟のようではないか。僕は直接関わっていないけれど、その間に、新国立劇場でも、「フィガロの結婚」が無事終了していたんだ。

本当におめでたい、初日と千穐楽
 最初の合唱音楽稽古が、昨年11月30日から始まり、それからなんと約80日間、ずっと初日の幕が上がることを夢見て練習に励んだ。1月に入って、緊急事態宣言が再び発令されると聞いた時、僕の胸の中では、こんな大がかりな「タンホイザー」が無事初日を迎えられる可能性など、万が一にもないようにすら思われた。
 しかし、稽古は継続された。極寒の日々の芸能花伝舎のすきま風。さらに休憩時間の全館開け放しの体の芯まで冷える状態。これではかえってみんな風邪引いてしまうわ、とも思った。そんな僕の心配などお構いなしに立ち稽古は進み、通し稽古となり、稽古場を引き払い、東京文化会館にやってきて、舞台稽古、オケ付き舞台稽古、ゲネプロと二組ずつ進んでいって、いやあ、とうとう初日の幕が開いたんだよ。

 2月17日水曜日。楽屋に入ると、僕は会う人みんなに、
「初日おめでとうございます!」
と挨拶を投げた。この言葉をこんなに本気で言ったことはなかった。本当にこれは、おめでたいことなんだ、と心から思った。
そして僕は祈った。A組B組2回ずつの4回公演、どうか最後まで無事できますように!

 2月21日日曜日。鶯谷方面に移動した上野駅公園口の改札を抜けると、沢山のお客様が東京文化会館に吸い込まれていく。それを見ながら、
「よかった!中止になっていない」
と胸をなで下ろし、楽屋口に入ってらせん階段をトントンとリズミックに降りた。
「千穐楽おめでとうございます!」
と、会う人会う人に言って回った。

 開幕直前。楽屋を出るヴァイグレ氏に、
「Toi,Toi,Toi ! Viel Spaß ! 頑張ってください!楽しんでください!」
という言葉を投げかける。
 言いながら僕は、両手の親指を内側に折り込んだままグーを作り、胸のあたりでちょっと力を入れて握りしめる。マエストロは無言のままうなずく。この時、言われた方は「Dankeありがとう」と言ってはいけない。さもないと、言われたおまじないを拒否することになってしまうから。合理的に見える西洋人にも、こうした言霊信仰があるのだ。

 マエストロがピットに行くための階段を降りていくのを見送ると、僕はそのまま舞台袖に行って、指揮者の姿を写すモニター・テレビを観ながら演奏の始まるのを待った。
 ホルン、クラリネット、ファゴットで巡礼のモチーフが厳かに始まる。なんというバランス感覚!ホルンが出過ぎず、クラリネットと溶け合ってメロディーを形成し、オケ付き舞台稽古ではやや頼りなかったファゴットが、しっかり低音を支えている意識を持って全体の音像の土台となっている。かつて、ベルリン国立歌劇場オーケストラの首席ホルン奏者を務めていたヴァイグレならではの周到な配慮だ。
 それから悔恨のモチーフがチェロで奏される。この弦楽器のほの暗い艶やかさと厚みは、現代の日本では読売日本交響楽団でしか出ないであろうことを断言する。ゾクゾクして涙が出そうになった。

 人間。この弱き者。物質世界に産み落とされた、無知、無明、無力なる存在。ワーグナーは、彼の初期において、こんな大きな問題に真っ正面から向かい合った。そして、生涯の終わりに至るまで、
「私は、タンホイザーに関しては、まだやり残したことがある」
などと気にかけていたのだ。
 人はよく安易に、「ドイツらしい響き」という言葉を使う。しかし、ドイツらしい響きとは硬さではではない。ドイツの森のように深く奥行きがあるが、一番のドイツらしさは、暖かさだ。その暖かさが読響にはある。

 終幕。女声合唱が舞台に半ば走り込み、Heil ! Heil ! Der Gnade Wunder Heil !「万歳!万歳!恩寵による奇蹟に万歳!」と讃え、男声が、Der Gnade Heil ist dem Büßer beschieden,nun geht er ein in der Seligen Frieden !「恩寵の救済は償う者に分け与えられた。彼は今や、至福なる平和のもとに入っていく」とユニゾンで力強く歌う。女声はHallelujaと天使の輝きで彩る。
 この感動的な幕切れを最終日まで味わうことができた。僕の胸には、安堵と満ち足りた気持ちのみが溢れていた。それが許されるということは、なんと有り難いことなのだろうか!

合唱の響きと僕の挑戦
 さて、僕の作った合唱はどうだったのであろうか?5年に渡るバイロイト音楽祭の経験によって、ドイツ音楽の合唱の響きが僕の血管の中を流れている。それを今回も具現化しようと全力を尽くしたのは確かだ。ただ言い訳するようだけど、総勢55人で「タンホイザー」の合唱を作り上げるのは簡単ではなかった。

当初、
「コロナで合唱は50人でお願いします」と言われたのを、
「僕は本来、巡礼合唱は60人でやるのですよ。最低でも40人以下ではやりません」
と言った。でも、そこをなんとかと言われたので、
「男声を40人使ったら、歌合戦もあるので、女声はどんなに少なくとも25人はいないとバランスがとれない。それでは、50人はおろか、65人になってしまう。う~~ん・・・では男声を36人にして、女声はギリギリの20人。それで56人になってしまうけど、これを呑んでくれないと合唱指揮者としては責任を持てませんなあ」
まるでバナナのたたき売り。その後、都合で男声にひとりキャンセル者が出て35人となり、全体が55人に落ち着いた。ふう~!

 もしかしたら、それ故に、ボリュームの意味で物足りなさを感じる聴衆もいたかも知れない。しかしながら、僕が最も嫌ったのは、だからといってむやみにがなり立てて歌うこと。特に巡礼の合唱では、テノールに美しいミックス・ボイスを要求し、バスを土台としたピラミッド的音像を目指した。
 途中ヴァイグレ氏のマエストロ音楽稽古があった時に、テノール・パートの中の何人かが勝手に盛り上がって、マエストロの前で良いところを見せようと声を張り上げたので、僕はみんなを集めてマジで怒った。こんな時の僕は怖いらしい。普段めったには怒らないし、自分のことで怒ることはほとんどないのだがね。

 世の中に、ひとりひとりの音量が大きくなれば、合唱が豊かに聞こえると勘違いしている人は少なくない。しかしながら、合唱というものはサウンドが全てなのだ。サウンドが整ってこそ量感が感じられるものだし、巡礼の合唱では、暗めの音色を保持することで、いっそう重厚感が出るのである。ヴァイグレ氏は僕の作った音像に100パーセント信頼を置いてくれた。

 合唱団員には、いつもこう言っていた。
「オペラとはいえ、合唱においては、自分の力量100パーセントでは絶対に歌ってはいけない。ましてや120パーセントなんていうのは言語道断。
また、テノールの中には、100パーセントの次は50パーセントでしか歌えない人がいる。大声でめいっぱい歌うか、ファルセットで地味に歌うか二者択一しか出来ない人がいるが、そういう人は合唱では要らない。
合唱で要求されるのは90パーセントまで。それ以上は、ソロでしか使ってはいけない。物足りないだろうが、それが合唱の発声というものだ」

 たとえば、スキーの回転競技(スラローム)などでは0.1秒を争うだろう。各選手は、自分の限界に挑むよね。しかし、もし同じコースを、20人で一糸乱れず滑れ、と言われたら、求められるものがそもそも違うだろう。各自の限界の速度では絶対に合わないだろう。
 そこで、自分の力量の90パーセントとかのスピードで、その代わり、残りの10パーセントを使って、全力で「合わせること」に集中する。そうすると、見た目にはフルスピードでしかもピッタリ動きが合っているように見える。
音楽では、スピードはボリュームの問題になるわけだが、フォルティッシモでさえ、この10パーセントを守らなければ、合唱では、整ったアンサンブル及び堅固なサウンドは決して得られないのだ。
 一方、声楽家にとって90パーセントで歌えというのは、一番難しいところかも知れない。でも、このへんが合唱指揮者のサウンド作りの秘密だ。

 さて、35人で巡礼の合唱をやるのも、なかなか大変ではあったが、第2幕の歌合戦の場面では、その35人の上に、わずか20人の女声を乗せて、それでもリッチなサウンドでバランス良く響かせなければならない。これもなかなかチャレンジアブルであった。
 ここでも特別なテクニックが必要だ。まず、男声の低音は、なるべく倍音を多く含む声を出すべし。男声が地声を張ってベーッと出してしまったら、その地声で女声を覆ってしまう。でも倍音の豊かな声を出せば事情は全く変わってくる。
 第1倍音は1オクターブ上が響く。第2倍音は、その5度上が響く。実際にこれらは、耳を澄ませばきちんとした声で聞こえるのだ。だから、男声合唱は、地声の1オクターブ上に、そっくりそのまま女声合唱の音像が鳴り響いているのだ。そして、これが女声の声を助けて、音量を増し、音色も輝かせるというわけだ。

 このように下から倍音を含んだ声を積み上げることによって、女声は苦労しなくともきちんと和声を構成できるが、気をつけるべき点がふたつある。

 ひとつは、ビブラートをなるべく少なめすること。もうひとつは、音程をしっかり合わせることで、メロディー・ラインをひとつにすること。そうすれば、男声が積み上げた倍音の上にメロディーが乗っかる。
 だから僕は、女声を毎日集めて口を酸っぱくして注意した。
「ビブラートを抑えて、メロディーをすっきりとつなぎなさい」
かくして、35人の男声と20人の女声とで、なんとかバランスを保つことができたのである。

二期会合唱団の皆さんは、よく従ってくれた(まあ、僕が怖かったからかも知れないけれど・・・)。
みんな、本当にありがとう!君たちは僕の誇りだ。




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© HIROFUMI MISAWA