ドイツ・レクィエム・ゼミナール レジメ

合い言葉はFAB(ドイツ・レクィエムのアナリーゼの実践)
三澤洋史   

FABとは?
 ドイツ・レクィエムをアナリーゼするにあたって、最初に注意しなければならないモチーフがある。それはFABというわずか三つの音が作り出す音型である。
 ベートーヴェンは、例えばGGGEsという極端に短いモチーフを使って運命交響曲第一楽章を作ったが、ブラームスもベートーヴェンに習って、例えば第二交響曲はDCisD、第三交響曲はFAsAというように好んで短いモチーフを使って全曲の基本コンセプトとした。
 こうした極端に短いモチーフは、そのままでは主題になりにくいため、各楽章の主題は別に定められる。当然主題の中にモチーフが含まれていることも少なくない。
 モチーフは曲の中に様々な形で潜り込む。そのままの形だけではなく、しばしば反行形や逆行形などをとるため、時にはもはや判別もつかないくらいになる。すなわち「これは意図的なのか、それともたまたまモチーフに似ているのか?」という曖昧さが随所に見られるのである。まさにそれがブラームスのねらいでもあるのだ。

 そうやって彼は曲全体に統一感を与える。ドイツ・レクィエムを統一するモチーフFABが、曲中で最初に登場するのは、第一曲目合唱のソプラノ声部が「さいわいなるかな」Selig sindと歌い出す箇所である。
 FABは、FからAへと上行する三度音程とAからBへの二度音程との組み合わせから成る上行形のモチーフである。Fを軸として、まるで扇を広げるように同じ音程関係で下降形のモチーフを作ると、FDCという“反行形”が得られる。これは三度下がってさらに二度下がる。またFABの進行を反対からなぞると、BAFという二度音程と三度音程の組み合わせの下降形である“逆行形”が得られる。
 もうひとつの可能性としては、上行形である“反行形の逆行形”が挙げられる。これはCDFというように二度上がって三度上がる。
 モチーフの音程関係については、それが短音程であるか長音程であるかは、特に問わない。すなわち、たとえば反行形は、基本形の音程関係である“長”三度と“短”二度を忠実に守るならば、FDesCでなければならないが、その自然音階に従ってFDCであり得るのである。またモチーフはあらゆる調性のあらゆる音から始めることが出来る。

もう一度整理すると以下の通り。

上行形 構成音 音程関係
基本形 FAB 三度〜二度
反行形の逆行形 CDF 二度〜三度
下降形
反行形 FDC 三度〜二度
逆行形 BAF 二度〜三度

モチーフの実例
 第一曲目47小節、テノール声部で歌われる FEsEsDesBesAsのDesBesAsは“反行形”。それは後の80−81小節におけるund weinenの箇所でよりはっきり提示される。
106小節からは、合唱に変わってフルートに主題が渡される。結尾部においては、木管楽器によって演奏されるFABの主題の対位として、テノール、ソプラノ、再びテノール、そしてバスと次々に“反行形”FDCが現れる。

 第二曲目では、冒頭のハイポジションの弦楽器と木管楽器が奏でる有名なメロディーの中に“逆行形”GesFDesが見られる。中間部So seid nun geduldigでは、bis auf die と歌われる箇所にCesEsF(EsFは短二度ではなく長二度ではあるが)の“基本形”が垣間見られる。

 第三曲目のコントラバスのピツィカートのFECは“逆行形”であ る。それはDCAと繰り返されバリトン・ソロを支えるが、後で合唱が入ってくる箇所では最初の二分音符が四分音符に縮小され緊迫感を出している。
 一方、バリトン・ソロのメロディー中、dass ein EndeのACDは基本形であるが、これは第七曲目冒頭のソプラノ声部のSelig sind die Toten, die in dem Herren sterbenというメロディーに組み込まれた形で現れる。またモチーフの音程関係からはやや離れるが、やはり印象に残る音型として、第六曲目のdie zukunftigeのGCDが挙げられる。
 結尾のフーガの主題Der Gerechten Seelen in Gottes Handは、DFisGという“基本形”からきっぱりと始まる。この主題DFisGAHDの後半AHDは“反行形の逆行形”である。フーガの主題に使われたモチーフは、何度も繰り返し現れる為、否が応でも聴衆にFABを強く印象づけることになる。

 第四曲目では、モチーフの印象づけをさらにだめ押しするかのように、このフーガ主題がそっくりそのまま半音上げられて次の第四曲目の主要主題EsGAsBCEs−FEsDとして使用される。さらにその前奏AsFEsDCAs−GAsBは、その主題全体を“反行形”にしたものである。

 FABの音型は叙情的な第五曲目の中にも現れる。冒頭のヴァイオリンのメロディーHDGFisEDHAEDHDCHGは、“逆行形”の宝庫である。始まって4小節目に現れるオーボエのDFisGは“基本形”。それは6小節のフルートHDEに受け継がれ、8小節のクラリネットDFisGとそれに対応する10小節のフルートへと移っていく。14小節から木管楽器に見られるECAGFisあるいはAFisEDCは反行形。これだけ見ると、「偶然じゃないか?」と思う人もいるかも知れない。しかし、何度も推敲するブラームスのこと。偶然はあり得ない。
 合唱が歌うメロディー、Ich will euch trostenの最後のAFisEは“反行形”。26小節のオーケストラのチェロとコントラバスDHAも“反行形”。
35小節から現れる合唱、Ich will euch trostenの音型FisDisCisCisDisHAisGisの中には二つの“反行形”が潜んでいる。

 第六曲目を聴く時、我々はブラームスがFABという音型に託した想いを感じることが出来る。この曲の中ではFABは縦横無尽に活躍する。
 33小節のバリトンのソロ、Wir werden nicht alle entschlafenのFisGisACisDCisAFisは、一見して“基本形”と“逆行形”がD音を軸に合体したものであることが分かる。これが何度かオーケストラに現れた後、八分音符に縮小されて62小節に第一ヴァイオリンに現れて緊張感を高めると、聴衆は、作曲家がこのモチーフを使って何か新しい楽想を導き出そうとしていることを予感する。
 バリトン・ソロに続いて合唱が、「最後のラッパが」と歌うと、突然盛り上がったオーケストラの中でヴァイオリンは、GAHDGAHDという“反行形の逆行形”を使いながら一気に駆け上がる。そして今度はEsDHGAsGEsCという“逆行形”で雪崩のように下降する。
 それから曲は、ドイツ・レクィエムの「ディエス・イレ」と言われる激しい4分の3拍子Vivaceに突入していくわけである。85小節の弦楽器CHCEFAsの“基本形”など、ここではモチーフはまさに乱舞という感じで飛び散り、荒れ狂っていよいよ後半の確信に満ちたフーガへと入っていく。

 このフーガ主題を見てみよう。最初のCHGは逆行形。先ほどのヴァ イオリンのEsDHを聞き慣れた後で聴くと、DHの短三度が長三度に補正されて全音階的になり、より肯定的精神を持った主題として聴衆に感受される。
 CHGの音型は、理論的には第三曲目とおおいに関係がある。すなわち、第三曲目で「主よ、教えてください。私の生涯の終わりを」という不安が、FECのピツィカートの上に表現されたのに対して、ここではこの音型への解決とも見られる「主よ、あなたは栄光、誉れ、力を受けるにふさわしい方」という信仰への確信が高らかに歌われる。
 第三曲目のフーガで“基本形”が活躍したように、何度も繰り返されるこのFABの逆行形CHGは、第七曲目をエピローグと考えるとドイツ・レクィエムにおける事実上の終曲である第六曲目のクライマックス形成に多大なる貢献をしている。

 さらにフーガ主題全体、CHG−AFDEGAC−HCDAGを見てみよう。CHGはやや音程が変更されてAFDと繰り返されるが、そのDは次の音と結びついてDEGACという音型となる。この音型は、フーガ後半でとても重要な意味を持ってくる。
 ここでは二度音程と三度音程が交互に現れる。DEGは“反行形の逆行形”であり、EGAは“基本形”、GACは再び“反行形の逆行形”である。
 259小節からこの音型は、合唱とオーケストラとで互いに呼び交わし始める。266小節からは合唱内で呼び交わす。
 特に結尾ではAHDEGが二度も現れて堂々と曲を締めくくる。第一楽章冒頭で提示されたFABの芽は、第六楽章では縦横に活躍し、フーガで大きな木に成長するようにあらかじめ構成されていたことが分かる。

 そして、第一曲目と関連のある第七曲目の後半で、最初は変ホ長調でフルートのEsGAsが立ち上がってくる。それから原調でFABがいよいよ現れる。テキストはやはり第一曲目と共通性のある「主に結ばれて死ぬ人はさいわいである」selig sind die Toten, die in dem Herren sterben.
 その時聴衆は、第一曲目冒頭に聴いた「悲しんでいる人達はさいわいである」Selig sind, die da Leid tragenの歌詞と音楽に、ノスタルジーを感じながら再会するのである。それはFABの“基本形”から出発し、紆余曲折を経て再びFABへと回帰する長い旅路でもあったのだ。

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