お袋との午後のひととき

三澤洋史

原発メルトダウン
■3月14日月曜日。自宅で、これまでの原稿を見直ししながら書いている。お袋のお見舞いの記事で終わろうと思っていたが、昨夜NHKで放映されたNHKスペシャル「原発メルトダウン」という番組のショックがまだ頭の中に残っていて、ひとこと書かずにはいられない気持ちになった。
■僕はあの時、福島第一原発が事故直後のかなり早い時期からメルトダウンしているらしいということを、フランスやドイツのサイトから情報を得て知っていた。さらに、その後すぐに、文化庁在外研修員としてミラノに渡り、そこで詳細にわたる福島第一原発の内部の状態の報道が普通に行われているのを見て、目を丸くしていた。昨日の番組で放映されていた内容は、日本以外の国々では、ごく当たり前のように原発事故直後から事実として報道されていたのだ。

■なのに、当事国である日本国民だけが何も知らされていなかった。こんな情報社会になっているというのに、見事なほどに情報統制されていたのだ。英語を理解出来るエリート達がこんなにいて、海外のサイトを見れば事実はすぐ分かるというのに、政府やマスコミの「メルトダウンはありません」という言葉を、国民は疑うことなく信じていた。
■ニュース番組には、原子力の専門家のなんとか大学教授という人達が登場し、曖昧なコメントを述べていた。そういう人達は、嘘をつくのに慣れていないから、目が泳いでいた。
もちろん、国民全体がパニックを起こす可能性があるので、シークレットにしたいという気持ちは分かる。いや、僕は、事実を隠蔽した政府やマスコミを責めているのではない。まあ、それも責めたいけれど・・・それは今は置いといて・・・。
■それよりも、何故国民はこんな「いざとなったら国民を平気で見棄てる」政府やマスコミをお人好しに信じているのか?その馬鹿さ加減に腹が立っているのである。日本は、いまだに鎖国している。世界に?いや、日本人が自分自身に対して。

■一方では、昨日の番組を作ったNHKの勇気を讃えたい。いいかい、あの原発事故は本当に恐ろしいものだったのだよ。事故が起こったのも様々な偶然が働いたのなら、東日本全体にもう人が半永久的に住めなくなる一歩手前までいっていた状態から、あの程度で済んだというのは、まさに神の力が働いたとしか思えないようなプラスの偶然が働いた結果なのだ。
■あの当時の菅直人首相や、東京電力の幹部達は、みな最悪の事態を覚悟していたのだ。東京は、今頃、人も住まわぬ幽霊タウンと化していたかも知れない。この僕の言葉が誇張でないことは、昨日のテレビを見た人なら皆知っているのだ。

■ああ、それなのに、今の日本政府は、あちこちで再び原発を再稼働させようとしている。すでに再稼働している所でいろいろな問題が起こったりしていても、素知らぬ顔で他の所がどんどん再稼働の準備を進めている。
■自民党は経済最優先を掲げている。人命よりも経済。原発は、何も根本的に改善されていなければ、何も問題解決していない。あの時と同じ状態で、ただやみくもにどんどん再稼働していくだけ。同じような災害が起これば、全く同じような事故が起きる。誰も守ってくれない。守る気もない。

■我々が、チェルノブイリ原発の事故が起きて放射能が世界に撒き散らされたときに、
「何やってんだ、ロシアは!」
と思っただろう。あれだけ離れていたのに、日本人の僕達でさえ、自分の体が放射能で汚染されるような気がしたろう。イタリアのパスタを食べなかったろう。
■僕達はすでにそのように世界中から思われている。しかも、放射能は現在でも原発から出続けている。太平洋には垂れ流されている。世界に向かって今日も撒き散らされている。世界にとって「迷惑な日本」は、これからもしばらく続く。それなのに、無神経な日本政府は再稼働に情熱をかたむけ、今の自分さえよければそれでいいという無責任な日本人はそれを見過ごしている。

■NHKの番組は、いたずらな国民の怒りを煽るために作られたものではない。我々も、ただ「けしからん!」と怒るだけでも良くない。しかし、人間の中には義憤という感情がある。自分の利益や欲望が阻止されたために怒るのではなく、正しいものが妨げられ、誤ったものがまかり通るときに、正義に照らして怒る感情である。僕は、人と比べてかなり気が長く穏やかな性格だと思うが、この義憤だけは人一倍ある。
■イエス・キリストでさえ、神殿の前に並べられた店に対して怒っている。怒りは常に悪なる感情というわけではない。むしろ、怒るべき時に怒らないことが、もっと悪いことを引き起こしていくこともあるのだ。

■今の日本人は、つまらないことにはよく怒るが、本当に怒らなければならない時に、義憤にかられて怒ることを知らない。コンプライアンスを守ることは必要であるが、ではそのコンプライアンスを強要している会社がもし悪を行っていたら?
おりこうさんであることが罪であるということも、宗教的価値観の中では起こり得るということを、みなさんも知るべきである。

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