山本神父と過ごした最後の聖週間

三澤洋史


■3月24日木曜日。白馬から新宿に向かう高速バスの中でこの原稿を書いている。昨日、前の原稿を中断して夕食に行き、さらに原稿を書き上げてから、9時頃「呑処おおの」(ペンション地下の、半ばプライベートな居酒屋)に降りていった。
■にごり酒や芋焼酎のお湯割りを飲みながら、マスターの大野さんとその息子さんとで大いに話がはずんだ。富山で仕入れたというシメ鯖は、肴として絶品であった。半分炙(あぶ)り、半分生(なま)という2つの感触が味わえていい。
■大野さんの息子さんは、このペンションを手伝う前は、東京でロック・バンドのベーシストとして活躍しており、ライブハウスやツアーなどで忙しく演奏活動をしていたという。今では、可愛い奥さんと2人の女の子とに囲まれてしあわせな家庭を築いているが、そんな彼に、
「え?このままじゃあ、終わらないんじゃないの?」
なんてけしかけたのは悪かったかな。
■だって、「呑処おおの」の隅っこには、ちいさなステージがあって、ドラムセットやエレキ・ギター、エレキ・ベース及びウッド・ベースが置いてあるんだぜ。どう見たって、完全にあきらめてペンション経営だけに命賭けているようには見えないじゃないの。ロックで食べていくのも大変だったし、結婚して子供も生まれたので、悩んだ末に父親の元に帰ってきて、ここを手伝っているというんだけどね。
■みんな、夢と現実との狭間で悩みながら生きている。でも、悩むような夢があるってのも素敵なことだ。このままで終わらないんじゃない?とは言ってみたが、だからといってティーンエイジャーのように安易に、
「もういちどやってみなよ、どこまでも夢を追いかけてさ!」
なんていう風には、この歳の僕にはもう言えないけどね。
■自分だって、今音楽家として食っていられるのも、数々の幸運があるからで、ここに至るまでの間に、才能があるけれど食えない人を数知れず見てきた。才能さえあれば、あるいは頑張りさえすれば、必ず報われるという世界でもない。世の中そんなに甘くない。まあ、才能がないと話にならない、というのは間違いないんだけどね。
■今朝、朝食の時に奥さんが現れたので、
「ねえねえ、奥さんはご主人のミュージシャン活動には反対だったの?」
と聞いたら、
「いえ、あたしは、どちらかというと追っかけでした」
と言うし、今度はマスターの大野さんが、
「実はわたしもギターをやっていたんです」
と言うんだ。
「え?やっぱりロック?」
「はい!」
なんだこの親子。でも、こういうのいいね。なんというか、ロマンチックじゃないか。

■ちなみにマスターは、かつて茅ヶ崎で教員をやっていたという。それが、スキーに魅せられて、気が付いたらこの白馬でペンションをやっているわけだ。今では山岳ガイドの資格も取って、むしろ登山が趣味なんだって。何気ないところに、こうしたドラマチックなストーリーがあるねえ。
■そのマスターが、1日目の晩に、夕食を食べに来た角皆夫婦をつかまえて、オフピステの危険性を滔々と語っていたのには驚いたなあ。山が大好きだからこそ、山の危なさを誰よりも知っているわけだ。
■最近のバックカントリーなどのブームに乗って、角皆君は今年から「オフピステを安全に」というキャンプを始めたのだ。彼にしてみると、最近白馬などでも、滑走禁止区域に勝手に入り込んだ人達の事故が相次いでいるので、きちんと指導の手を入れようという意図もあって、用意周到の元に始めたという。でも、大野さんは、それでもまだまだ危険に対して手ぬるいと思っているようだ。
■実際、大野さんは、このカーサビアンカの宿泊客から2名の犠牲者を出している。2名とも死因はオフピステにおいて立木に激突だという。そうでなくても、至る所、雪崩(なだれ)の危険があり、沢に転落する危険もあり、刻々と変わる山の状況の中で、これらを完全に把握するのは不可能に近いという。
■角皆君は、どれだけ慎重に準備してから始めたか強調していたけれど、大野さんは、
「もし、角皆さんのキャンプの中からひとりでも犠牲者が出たら、その補償の額とかハンパないですよ」
と反論する。
■うーん・・・聞きながら、どっちの言い分も正しいと思った。これだけ広がってきているバックカントリーのブームに歯止めをかけるのが無理だとしたら、むしろ知らんフリしないで、角皆君のように、きちんと指導してあげることは必要だとは思う。
■その一方で、もしそのキャンプに人気が出て、どんどん受講生が増えていったとしよう。受講中に事故が起きなくても、角皆君からお墨付きをもらった卒業生が、どんどん滑走禁止区域に入って事故を起こしてしまったとすると、このキャンプが事故を誘発する要因のように見られてしまう危険性がある。もしそうなったら、角皆君の善意は無駄になってしまうかも知れない。まあ、部外者の僕が心配しても仕方がないことだけど・・・・。



木洩れ陽


■白馬は、昨日の午後から、雪が降り始め、結局はそんなには積もらなかったけれど、それでも、前の日まで至るところ草がむき出しになっていたゲレンデでは嬉しいだろうなあ。僕も、最後の朝でもあるし、早朝散歩に出た。あちらこちらの電線から積もった雪が連なって落ちていく。見ているときれいなんだけど、電線をくぐる度に首筋に落ちてこないかとびくびくした。
■木々の間から朝日が筋となって差し込み、梢から粉雪がスローモーション・ビデオのようにハラリと舞い降りていく様を映し出す。粉雪の群れは、その瞬間レースのように輝く。その美しさにはっとする。こんな光景に出遭えるのも、白馬ならではだ。
■お散歩から帰ってくると、遠くに見える白亜の殿堂であるカーサビアンカが青空に映えていた。Casabiancaとはイタリア語で「白い家」という意味である。


青空に映えるカーサビアンカ

■荷物をまとめて部屋を出る時、両手を合わせて目をつむり、こうつぶやいた。
「ありがとうございます、この部屋。ありがとうございます、マスターやみなさん。ありがとうございます、五竜スキー場のゲレンデよ」
それから荷物に向かって、
「ありがとう、スキー板よ、ブーツよ、ヘルメットよ、ゴーグルよ、ウェアーよ。また次のシーズン、僕を助けてね」
そして、角皆君の家がある方向を向いて、
「ありがとう、角皆君、美穂さん。僕たちの友情は永遠だね」
と感謝の言葉を述べた。

■こうして、僕のスキー・シーズンは全て終了した。バスが日野の停留所に着くと、妻が高速道路の下で車に乗って待っていてくれる。今日は聖木曜日。復活祭の到来は、ヨーロッパでは春の訪れを告げるけれど、僕の心も、雪に閉ざされた冬山から陽ざしの明るい春へと衣替えしなければ・・・・うーん、でもまだ未練がある。
僕は、どれだけスキーを愛しているのだろう。

Tweet  


Copyright (C) 2004-2016
HIROFUMI MISAWA
All rights reserved.