僕の年末年始

三澤洋史

特報~ネイティブの指揮する「カルメン」
■今この原稿を、1月7日土曜日の4時過ぎに書いている。場所は新国立劇場5階の僕のデスク。たった今、「カルメン」の指揮者イヴ・アベル氏の合唱音楽稽古が終わったばかり。

■アベル氏は、すでに「蝶々夫人」「コジ・ファン・トゥッテ」「椿姫」「ファルスタッフ」と4度も新国立劇場に登場しているお馴染みさんであるが、これまでずっとイタリア語のオペラばっかりで、今回のようにフランス語は初めて。
■しかし、カナダのトロント生まれの彼は、フランス語を母国語としている。だから、今日のマエストロ稽古はとても実りのあるものとなった。同時に彼は、僕が指導してきたフランス語の発音と表現に驚き、喜んでくれたので、僕にとっても、これまでやってきたことが、そう的外れなものでなかったことを確認することが出来た。

■彼が直しながら、歌ったりしゃべったりする発音を、僕は耳をダンボのようにして聴いていた。曖昧母音や鼻母音の醸し出すなんともいえないニュアンス。あるいは、激しい表現をする時の、ドイツ語に勝るとも劣らない強い子音の立て方など、フランス語という言語の持つ多様性や堀の深さを味わいながら、僕は興奮する気持ちを抑えきれなかった。
■「カルメン」という作品特有の、独特なテンポの揺らし方は、アベル氏の独壇場。これこそフランス的感性や、フランス語のニュアンスから来るものだ。僕たちも、見よう見まねでやってはきたが、やっぱりネイティブにはかなわないし、かなわなくて当然。反省しようと思ったって、反省のしようもない。むしろ、ネイティブを目の当たりにしながら仕事するのってなんて素晴らしい!と開き直って兜(かぶと)を脱ぐしかないんだ。

■でも、楽しいねえ。こんな時こそ、むしろ合唱指揮者冥利に尽きる瞬間なのです。合唱指揮者という中間管理職はねえ、自分がどうやったってかなわない上司を得て、その上司に対して、全面的にリスペクトを捧げられる時こそが最もしあわせなのだ。

■新春初スクープ。アベル氏の「カルメン」は名演になる予感がする。特に皆さん、合唱団の表現を聴いて欲しい!

僕の年末年始
白馬に行く
■12月26日月曜日のオペラシティでの読響第九が仕事納めになって、27日火曜日から3泊で白馬にスキーに行った。昨年は、お袋が脳出血で倒れたばかりだったので、妻がそちらの方に車で行ってくれて、僕たちはあずさ号で白馬に向かったが、今年は妻が一緒なので、彼女の車で行く。ただし次女の杏奈は28日に仕事が入っているので、後から合流することになっている。

■スキー・レッスンの話は、後に掲載しているので興味のある人は読んでね。僕たちがスキーをしている間、妻はよく孫娘の杏樹の面倒を見てくれて、3歳の杏樹は、ひとりでソリ遊びができるようになった。嬉々として雪と戯れる杏樹を見ていると、来年はスキー・デビュー出来るに違いないと確信した。
■角皆君の奥さんである美穂さんが、
「来年、千春さんと杏樹ちゃんで一緒にレッスンしましょうよ。リフトの乗り方から教えてあげますから」
と言ってくれているので、妻もその気になっている。


杏樹のソリ遊び

■妻は、スキーが全然出来ないというわけではない。でも、小学校6年の時にスキーで骨折して以来トラウマになっていて、若い時に僕や何人かの仲間と滑りに行ったこともあるのだが、恐怖ばかりが先に立って上達がおぼつかなかった。最近は、どんどん億劫になってしまって、ずっと封印していたのである。
杏樹がきっかけとなって、妻を再びスキーに向かわせるとしたら、僕もとても嬉しいな。

虎太朗や歩君と滑る
■28日水曜日は、角皆君の一日レッスンだったが、29日木曜日になると、姪の貴子夫婦と小学生になった虎太朗君、それに彼らの車に便乗した次女の杏奈が朝の9時に着いて、一緒に滑った。
■虎太朗君は、中級以上のコースもスイスイ行く。ボーゲンなんだけどもの凄いスピード。緩やかなコブだったら、僕が結構攻撃的に滑っても、すぐそのあとを付いて来るんだ。ただ、非圧雪のテクニカル・コースだけは、恐れをなして逃げていったぜ。うふふ、なんだかんだいっても、まだお子ちゃまなのね。
■貴子の夫である飯田市出身の歩(あゆむ)君は、普通に上手なスキーヤーで、テクニカル・コースで僕がコブの簡単な滑り方を教えてあげたら、たちまちマスターして、なんなく滑っている。グランプリ・コースのてっぺんにある新雪地帯に連れて行ったら、油断してiPhoneでビデオ撮りながら滑って、まんまとコケていたけれど、彼も、どこでも滑れそう。
■普段の僕は、スキーというものは、孤独の中で自分と向かい合いながらやるものだと思っているけれど、気心の知れた仲間とやるスキーは、また別なもの。特にレベルが近いと、とっても楽しいね。
■夜は、ペンション・カーサビアンカの素晴らしい夕食コースを食べた後、みんなで地下の居酒屋“おおの”に行って、大いに盛り上がった。他の泊まり客の子供達が、杏樹とよく遊んでくれて、とてもなごやかで楽しい夜を過ごした。

■12月30日金曜日。みんなでお昼過ぎまで滑って、3時過ぎに貴子達と別れて白馬を出発。オリンピック道路を通って長野市方面に向かい、それから上信越道に乗って群馬の実家に向かった。
■運転は妻。僕は助手席。後部座席には、杏樹のチャイルドシートがエリアの半分を独り占めしているものだから、長女の志保と次女の杏奈はギュウギュウ押し込まれて身動きがとれないほど。3歳のチビが一番偉そう。
■横川のサービスエリアで一度休憩。姉の分も含めた「峠の釜飯」を買って再び車に乗り込む。

於菊さんのこと
■群馬の実家に着いてみると、お袋がいないのでお正月に神棚を飾る御札がない。昨年お袋は、それらを全部用意してから脳出血に倒れ、それ以来この家には戻らずにずっと施設に入っているから、今ひとりでこの家を守っている姉は、その御札をどうやって入手するか知らないのだ。そこで於菊稲荷(おきくいなり)神社に電話をかけてみたら、直接いらっしゃれば3千円でお譲りしますよというので、行ってみた。
■そしたら、神社の中がリニューアルしてきれいになっている。あしたは大晦日だけれど、杏樹を連れて来てみようと思い立った。沢山ある鳥居に工夫がしてあって、板で高低を作り、「胎内くぐり」ということで楽しそうだ。

■この於菊稲荷神社の由来を調べてみたら、とても興味深いストーリーがあった。新町は古くから中山道の宿場町。ここには遊郭があり、旅人を一夜の歓楽に誘っていた。宝暦年間(1751~1763)、大黒屋に於菊という遊女がいた。類い希な美貌と気立ての良さで新町宿随一の売れっ子であった。
■ところが於菊は、風邪をこじらせて重病に臥すこととなる。それと共にナンバーワンとしてちやほやされていた境遇は一変し、冷たい仕打ちを受け、世の無常を知る。ある夜半、元来信心深かった於菊の元に稲荷の霊が現れ、それを機に、彼女の病気は奇跡的に全快した。神の恵みに感謝した彼女は、それからの生涯を神明奉仕に捧げる決心をしたという。それ以来、この稲荷神社は於菊の名を取って於菊稲荷と呼ばれているのである。

■遊女に名を由来するとは、なんと色っぽい神社だ。しかしこの話には何か胸を打つものがある。うーん、ミュージカルにしてみようかな。ただね、神に捧げる余生への決心をしたところでおしまい、というのでは、ちょっと弱いかなあ。
■まあ、聖書では数行くらいしかなかったマグダラのマリアについての記述から、新たなストーリーをでっち上げ、3時間にも及ぶミュージカル「愛はてしなく」を作ってしまった僕としては、いかようにも創作出来るんだけどね。
■でも「愛はてしなく」に似てきちゃう危険性があるね。「娼婦の館」から始まって、「あかつきの時」で終わるとかね。なんだ、それじゃあいっしょやん。

■於菊さんって、きっと美人だったんだろうなあ。気立ても良かったというから、やさしかったんだろうなあ。おいおい、還暦過ぎたじーさんが何をほざいているんだ!

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