僕の年末年始

三澤洋史

大晦日~元日
■大晦日。その於菊稲荷神社に杏樹を連れて再び行ってきた。赤い沢山の鳥居をくぐって杏樹は楽しそう。それから、白馬で使ったソリを持って土手に行く。雪山の要領で土手の上からソリで草の間を滑り落ちる。杏樹は大喜びだが、枯れ草のカスやバカがずぼんや服にどんどんついて、うっとおしくて仕方ない。杏樹もタイツにバカが付いて、さすがに、
「痒い痒い!」
と言ってきて、ふたりですごすごと帰って来た。やっぱりソリは雪に限るなあ。


於菊稲荷の胎内くぐり


■晩は、紅白歌合戦を横目で見ながらソバを打つ。毎年、知り合いのSさんから蕎麦粉を送ってもらい、家族のために打つのだ。三澤家では、何故か元日の朝一番にソバを打つのが習慣になっていた。僕が小さい頃は祖母がそれを行い、やがてお袋が受け継ぎ、ある時から僕がさらに受け継いだ。
■それで僕も元日の朝にやっていたのだが、初日の出を拝んで帰ってきてから、最初からソバ打ちをすると、そもそも朝食が遅くなって、みんな、
「まだあ?」
って感じになってしまうし、元日がせわしなくて仕方ない。それで決心した。大晦日に打つだけ打っておいて、食べるのは元日の朝にしようと。
■蕎麦打ちの師匠でもあるSさんの打つソバはきれいに細く揃っているが、僕は下手なので、どうしてもバラバラな太さになってしまう。家族は、それが田舎蕎麦風でいいと言ってくれるのだけれど、僕は毎年悔しい思いで自分の打ったソバを見つめる。ちっくしょう、もっとうまくなりたい・・・僕は何でもすぐそう思う・・・しかしなあ、だからといって毎日修行する時間もない。

■真夜中が近づいてきた。大友直人さん指揮、東フィル及び東京オペラ・シンガーズが演奏するカウントダウンの「ダッタン人の踊り」を見ながら年が明けた。それを確認すると、僕はコップになみなみ注いだお水を神棚に捧げる。それから二人の娘と一緒に群馬の寒空に出て行った。向こうからゴーンと除夜の鐘が聞こえてくる。
■僕の家が檀家となっている高尾山法勝寺に行き、お参りしてから鐘撞き堂に上がった。本当は僕たちの前で終了するところだったが、こちらが頼んだので3人分だけ特別に突かせてもらった。なんかね、近所から来る苦情を恐れて、早々と終了するのだそうだ。なんで?108回突かないと意味ないだろう。そういえば、教会も、鐘の音に対するクレームに過敏になっている。変なクレーム社会が横行している。
■ヨーロッパの街なんかクリスマスの晩の午前0時に街中の鐘が傍若無人に鳴るが、みんなそんなもんだと思って誰も苦情を言わない。それが文化というものじゃないの?本当に悲しい、日本人の精神的貧困さ!

■鐘を突いた後、すぐ隣の八幡神社に行く。ここでもお賽銭をあげておみくじを引いた。杏奈は大吉、志保は吉、僕は小吉だった。ちぇっ、いつもそうだ。こういう時、いつも運がない。じゃんけんすると必ず負けるし。それから甘酒とみかんをもらった。温かい甘酒が寒空に体に染み入った。
■家に帰ると、妻に、
「僕の鐘の響き、なんか違ったでしょう。分かった?」
と聞いた。
「分かるわけないじゃない」
「だめだなあ。音楽家の妻失格!」
「最後に凄く大きいのが鳴った」
「あっ、それ志保だ!力いっぱい叩いてた」
「あはははは!」

■元旦の早朝は、今度は妻と杏奈と一緒に初日の出を拝みに行く。家の近くの土手に登り、岩倉具視が通ったと言われる岩倉橋の方に向かって歩く。橋のたもとで、6時50分過ぎにとっても大きい赤くまん丸なお陽さまを拝むことが出来た。


2017年の初日の出

■ここのところ何年も東の空が晴れていてずっと初日の出を拝めている。なんでだか知らないが、1月1日というのは晴れている確率がとても高いよね。それを統計的に分かっていて、この日を年の初めにしたのかな。ちなみに2日も早朝散歩をしたが、東の空には雲がかかっていて朝陽を拝むことは出来なかったのだよ。
■お陽さまに何をお願いしたって?うーん・・・お願いじゃなくてただ感謝。そのまま土手の上を戻って虚空蔵様に行く。虚空蔵様では火を焚いていて、やっぱり昨晩の八幡神社と同じように甘酒とみかんをくれた。ここって、はっきりいって仏教だか神社だかよく分からない。一応虚空蔵菩薩って言うんだよね。だから手を叩いてはいけないんだ。ややこしいなあ。
■ここでも感謝をした。感謝だけしていれば、複数の宗派をハシゴしても、相手はバチを与えないだろう。複数の神様に何かお願いしちゃったら、叶った時、
「俺が叶えたんだ」
「何を言ってる、叶えたのは俺だ」
「あの野郎、二股掛けやがって、バチを与えてやる。それ!」
って感じになってしまうからね。

■おとそとおせち料理でお正月を祝い、昨夜打った蕎麦を食べると、みんなで施設にいるお袋のところに行く。お袋は、意識ははっきりしていてよくしゃべるが、認知症は確実に進んでいる。
■でもねえ、僕思うんだ。お袋の認知症が進むのは哀しいけれど、これって、人生の最後を平和に迎えるための神様の愛の処置かも知れないなあって。だって、施設の中は静かで平和で、衣食住が足りているし何も起きないから、1年前からくらべたら、お袋は人が変わったようにおだやかになっている。人の悪口や愚痴も全然言わなくなった。
■ひとつだけ言うのは、
「お金をおくれよ。文無しじゃ不安だよ」
ということ。
「お金持ってどうするの?食べたり着たりに不自由はないじゃない」
「良くしてくれるヘルパーさん達に、何か買ってあげたいんだよ」
「そういうことするのは禁じられているんだ。それに、お金持っていたって、ここにはお店もないし」
■でも、元日に行った時は、姉が用意してくれた杏樹にあげるお年玉袋を一度お袋に持たせて、お袋の手から杏樹に渡してもらった。それだけでも嬉しいらしい。杏樹は、まだお年玉の意味も分からないので、可愛い絵が描いてある袋には興味を示したが、おもちゃじゃないと知って興味を失った。それを志保が引き取って、杏樹の背中のリュックサックに入れてあげた。
■その様子を、お袋は顔をくずし眼を細めて微笑みながら見つめている。
「かわいいねえ」
としみじみ言う。こうした感情は決して失われないのだね。僕は嬉しくなった。でも、杏樹がどこの子だかよく分かっていない。何気なく僕の妻の方を向いて、
「千春。もうひとり作りなよ」
と言う。ええっ?僕の子になっちまった!実の母親である志保がうしろで複雑な顔をしている。

■それから妻の実家に行って泊まる。妻の年の離れた妹の家族が来ていた。そのひとり娘のAちゃんが年頃になって、まだ中学3年なのにお化粧しているのに驚いた。昨年お盆に見た時にはただの中学生だったので、ウワッて感じ。ただね、お化粧に慣れていないので、妙にどぎつい。目元なんかクレオパトラみたい。
■すると、メイクを専門にしている次女の杏奈がやさしく、
「ちょっと直してあげようか」
と言って、直し始める。さすがプロ。
■気が付いたんだけど、素人よりもプロの方が、むしろさりげないんだね。自然な感じで、Aちゃんがいつもの面影を残しながら、おしゃれで可愛らしくなったので、一同ほっとした。

玉村八幡宮
■しばらく経ってから、みんなで玉村の八幡様に行こうかという話になった。この年末年始は、自分でも笑っちゃうくらい多宗派の間をハシゴしまくり。妻の母親は熱心なカトリック信者で、いつもは元日のミサに必ず行くのだけれど、今年は腰が痛いので家に居ることにしたという。そうかあ、教会だけ行ってないや。いいんか、カトリック信者として、そんなんで・・・。


玉村八幡宮


■玉村八幡宮も由緒ある神社だ。僕はこの午後だけでなく、次の朝(2日)もお散歩でここに行ってお参りして帰ってきた。最近、むしろお寺よりも神社に惹かれる。お寺は、キリスト教のように、仏像や観音様やお地蔵様など、沢山像を作るけれど、神社は、イスラム教と同じで、決して像を作らない。天照大神やイザナギ、イザナミの像なんて見たことないだろう。偶像崇拝を徹底的に排除している潔さがあるのだ。とはいえ、人間以外の像は認めていて、平気で狐なんかを祀っている面もあるんだけどね。
■でも、神道的に祀っている神は、僕の感じるところの、大宇宙にあまねく存在するエネルギーとしての神に近い感じがする。僕自身は、父なる神だって、イエス・キリストだって、マリア様だって、大日如来だって阿弥陀如来だって、天国においてはそういう存在だと思っているのだけれどね。

■こんな風にボーダーレスな僕だけれど、では、そのうちキリスト教を辞めて神道に帰依するかとか、浄土真宗に帰依する可能性はあるのかと問われたら、それははっきりノーと言う。他宗教の存在を全面的に認める僕ではあるが、同時に、宗教には歴然と優劣があるとも思っている。
■祓い清めのある神道には、とてもスピリチュアルなものを感じるけれど、キリスト教のように、人の罪を見つめるとか、生きる道を説くとかがないでしょう。仏教もそう。元来、お釈迦様の教えはそうではないんだよ。きちんと道を説いている。でも、現在残っている様々な仏教系宗派は、それぞれにあまりにもオリジナルから曲がり過ぎ、しかも一面的だ。
■禅宗は、座禅をして邪念を払拭せよというだけだし、浄土系の宗派は、ただ阿弥陀仏を拝めば極楽浄土に行けると説くのみだ。お釈迦様の教えは、そのどれも含んでいるし、さらに深淵で、計り知れないほどの知恵の宝庫なのに・・・。

■結局、現存している宗教の中で、軸足を置くに値する宗教といったら、キリスト教なのだろうと僕は思うわけだ。そういえば、今年はマルティン・ルターの宗教改革500年の記念の年だね。1517年10月31日、ルターはヴィッテンベルクの教会の扉に95箇条の意見書を打ち付けて宗教改革が始まった。それを受けてカトリック教会もまたイノベーションを余儀なくされた。
■今、ミサの中で普通に一般会衆が聖歌を歌うだろう。あれだってルターがコラールを編纂してみんなに歌わせたことに由来するのだ。また、20世紀中頃の第2バチカン公会議で、それまで全世界ラテン語でしか行われていなかったミサが、各国語で行われるようになったのは、ルターのプロテスタンティズムから比べると遅すぎるくらいだけれど、ともかくカトリック教会においてもイノベーションは成し遂げられたのだ。それにしてもルターの先見の明は凄い!
■キリスト教の偉いところは、数々の堕落や過ちもあったかも知れないけれど、それでも今日に至るまで、内部からのイノベーションが行われてきたこと。しかも、そこには常に、“キリストの教えの原点に還れ”というモットーがあったこと。その真摯な姿勢に共感する。

■まあ、とにかく、今年の宣言はあれだね。これだけ宗教に対してオープンではあるが、とどのつまりは、僕はキリスト教に軸足をおき、キリスト教徒として死にたいということだね。

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