マーク・パドモアというテノール

三澤洋史

■しかし、突っぱねるだけで済むことはまだいい。トヨタがあわてるまでもなく、
「メキシコで生産した車をアメリカに輸入しようとする会社に関税をかけるぞ」
とトランプ氏がTwitterでつぶやいただけで、ただちにフォードなどいくつかの自動車メーカーがトランプ氏に追従するような声明を出した。その間、政府そのものはなにも動いていないし、実際的に動けないだろう。これは政治ではないんだ。ビジネスなんだ。でも、その結果、政治的には超独裁的な行動だ。

■たとえば、ユニクロでもなんでもそうだけど、物価の安い中国とか東南アジアで生産した物を日本で販売するから、我々が安い製品を手にすることが出来る。確かに、それが日本国内生産者の「もの造り」を圧迫していることは否めないが、現代において、その流れを止めることは難しい。我々は、実際、安くて良いものを手にしているんだ。
■今までトヨタの車が米国内でよく売れていたのは、安くて性能がいいからだ。トランプの国内庇護政策で雇用は増えるかも知れないが、いずれ米国民は気がつくだろう。つまり、米国民は、その内、車だけではなくて、全ての分野で、高くて質の悪い国産製品しか買えなくなっちゃうんだ。
■それに、メキシコとの国境で関税をかける場合、その関税を払うのは輸入元、すなわち米国内の会社だという。つまり、巡り巡ってその関税は米国企業を圧迫する。さらに、メキシコ国境に建設する壁の費用をメキシコが負担するべしとトランプは言うが、そもそも壁の必要性を感じていないメキシコが払うはずもない。子供でも分かること。すると、その費用も最終的には米国負担・・・・。
■それで窮地に陥って外国に助けを求めたとしても、その前にすべての外国に対して心を閉ざして、エゴイスティックに国内の利益のみ求めていたアメリカに対して、いまさら誰が救いの手をさしのべるものか。
「ははは、孤立し、滅んでいくがいいさ!」
とみんなが見棄てる国になるための緩慢な自殺を米国はすでに始めている。

最初の話に戻るけれど、ま、そういう人を選んでしまったのはアメリカ国民だからね。

スピードという恍惚感&衝突の話
■2月1日水曜日。ガーラ湯沢。快晴。しかも整地は圧雪したばかりなので、整備されたピステの縞模様が残っている最良の状態。高津倉山頂(1181m)から降りるグルノーブルという上級コースも、これまでで一番のコンディション。ここからの眺めを、僕はもう25年前くらいにデジャヴで見ているのだ。こんな風にスキーをやるなんて思ってもみなかった時期に・・・・。


ガーラ高津倉山頂

■初級コースと違って人もいないので、僕は思いっ切りすっ飛ばしてみた。前に僕が白馬五竜のグランプリで最速で滑ったのを見ていた角皆優人君が、
「あのくらい出したら、三澤君だって時速80キロ近くはいっているよ」
と言っていたので、その日もきっと80キロは出ていただろうな。
「今転んだら死ぬかもしれないな」
と思ったもの。
■前にも言ったけど、スピードが自分の生活の中にないレベルに達すると、自分の中にある野性が目覚めるのを感じる。それはきっと、生命の危機感がそうさせるに違いない。毛穴が総立ちになる感じというか、アドリナリン全開の感じというか・・・・。しかし不思議と、その精神状態は深い瞑想状態と近い。こんな真逆のシチュエーションなのに・・・。

■一方、整地の最良コンディションとは裏腹に、コブ斜面のコンディションはむしろ最悪であった。ずっと閉じていた南エリアのコブ斜面が数日前やっとオープンしたというので行ってみた。非圧雪区域だから、オープンまでは完全な新雪だったに違いないが、そこからみんなが踏み込んで、数日の間にボコボコに荒れ果てていた。
■盛り上がっているところが、新雪が単にはじかれただけなのかコブなのか分からない。用心して入ると何でもなかったり、なあんだと思って油断して向かうと、薄い新雪の下の堅いコブにはじかれて宙に舞ったり、反対にグッと体が詰まったり・・・うっ、超難しい。一本滑っただけで汗だくになった。

■おまけに今日は、滑走禁止区域からスノーボーダーたちがジャンプしながら飛び込んでくる。危ないなあと思って、滑り終わってから振り返って遠くから見ると、コブ斜面の横のエリアには、完全な処女雪が広がっている。とても深いに違いない。いいなあ、僕だって入ってみたい。ニセコなんかだったらOKなんだけどな。
■しかし、境目のところには、赤いポールが立ち、赤いロープが張ってある。それなのにボーダーたちは、勝手にその区域に入り込み、出る際には、くぐるのには低すぎるロープをジャンプしてコブ斜面に飛び込んでくるのだ。
■次に滑った時、コブと戯れている(悪戦苦闘している)うちに、僕はうっかりボーダーたちがジャンプインしてくるあたりを滑っていた。僕は右ターンを終了して切り替えようとしていた。そうしたら、
「あーーーーっ!」
という叫び声がして、右眼のはじに突然人影が映った。と思う間もなく、右上半身にボーダーの体がもろに衝突。ふたりとも空中に飛び、大転倒。
■僕が相手の存在を認識してから転倒までは1秒もあるかないかくらいの瞬間なのだけれど、こんな時って、まるでスローモーションかコマ送りのように感じられるんだ。
「あ・・・ヤ・ベ・エ・・・スノー・・ボーダー・・だ。止ま・・ろうか・・・、それとも・・・スピード・・・を・・出して・・・後ろ・・へ・・逃が・・そう・・か・・・うわあ・・・もろに・・・来たあ!」
■衝突の瞬間まで、なんとか回避できるのではないかと考えていた自分を思い出す。冷静に考えると絶対無理だったんだけどね。そして衝突。その直後、まるで「2001年宇宙の旅」のように「美しく青きドナウ」を聴きながら、僕は美しい放物線を描いてゆっくり宙に舞った。
■気がつくと、スローモーションは終了。リアルな時間が流れている。僕は、雪の中に転倒している。スキーははずれていないし、怪我もしていない。相手が叫ぶ。
「大丈夫ですかあ・・・・」
こんな時は、大丈夫って答えたらいけないって言われているなあ、とぼんやり考えていた。特に交通事故の場合、むち打ち症などの後遺症は、すぐには出ないで、数日たってから現れてくるといわれている。でも傷もないし痛くもない。反対に相手の方が痛がっているように見える。
「こっちは大丈夫です。そっちは?」
「・・・大丈夫だと思います。済みませんでした」
「いいえ・・・」
■僕は、すぐ立って彼を追い抜いていった。後で振り返ったら、彼はまだ座っていた。助けに行った方がよかったかなあ・・・。

■やっぱり衝突及び転倒というのは心が折れるもんですなあ。その後、2回くらい同じ所を滑ったのだが、どうも調子が出ない。そこで、もう今日はハードなコブ練習はやめることにした。ちょっと悔しいけど・・・。
■一度下山コースを猛スピードで降りて、お昼を下のスキー・センターで食べ、珈琲を飲んで心を落ち着かせた。その頃になって初めて、なんとなく右胸の上の方の肋骨がちょっと痛んでいることに気がついた。

■午後は北エリアに行き、スーパー・スワンのコブ斜面を冷やかしてから、連絡路を通って石打丸山スキー場に行った。実は、今日は湯沢高原スキー場とガーラと石打丸山という三山共通リフトを持っている。


石打丸山スキー場全景

■久し振りに来たけど、石打丸山スキー場って超楽しい!スキー場としての魅力はガーラよりずっとある。まず広大だし、様々なキャラクターのゲレンデがあるし、なんといっても中級以上の斜面の割合が高い。それに、整地のはじっこには、たいてい非圧雪地帯があって、自由に入り込んだり出たり出来る。整地でショートターンの練習をして、そのまま不整地でその練習の成果を見る、などという使い方をすれば、コブの練習も、ガーラの南エリアのボコボコで苦労するより、ずっと能率的だ。しかもゲレンデの中腹には沢山レストランがあり、みんなおいしそうだ。しまった、もっと早くこっちに来て、お昼もここで食べればよかった!みなさん、石打丸山スキー場はお奨めだよ!


石打丸山スキー場山頂から

■そんなわけで、もう無理はしないで午後は楽しく過ごした。こんな時もあっていいね。でも・・・無理をしないのは・・・体がなんだか庇っているのだ・・・何を?・・・肋骨だ!そう、なんとなくだけど肋骨が痛い・・・。

■今、この原稿を書いているのは2月6日月曜日の午前中。実は、まだ肋骨が痛い。金曜日の朝、心配なのでお医者さんに行った。
「レントゲンの結果、骨には折れてるとかヒビが入っているとかの異常は見当たりません。しかし、肋骨は治るのに時間がかかることを覚悟して下さい。人によっては月単位になります。呼吸しているので患部がいつも動いているでしょう。だからギブスも出来なければ、治療のしようもありません。どうしても痛ければ痛み止めを出しますが、それほどでもなければ、まあ、そのまま放置ということです」
だって。
■まあ、仕方ないなあ。今更、ぶつかったスノーボーダーを探し出して「弁償しろ!」という気持ちはさらさらないのだが、言いたいことはある。自分で滑走禁止区域に入るのは自己責任だとしても、こうやって人に迷惑をかけることは許されるべきではない。
■衝突は、多くの場合両者が悪いという面もあるけれど、今回のように後ろからぶつけられたら防ぎようがない。恐らくジャンプして入ったら、そこに僕がいたって感じで、ヘタしたらジャンプのまんまぶつけられる可能性もあった。そしたら肋骨ちょっと痛いくらいじゃ済まなかった。
■それに、ゲレンデはみんなのもの。最近、初心者コースなどでも、初心者のすぐ横を猛スピードで駆け抜けていくスキーヤーやボーダーを見るけど、言語道断。上級者になればなるほどマナーを守り、初級者をいたわろう。居心地の良いゲレンデを作るのは、みなさんひとりひとりだからね。

■スキーに行った次の日は、新国立劇場で「蝶々夫人」公演の初日。蝶々さんの登場のゆっくりした女声合唱を舞台後方の監督室から赤いペンライトでフォローする時、アウフタクトを上げたら、
「いたたたたっ!」
となった。腕を上げる時のある角度とか、伸ばす時のある方向だとか、限定的だけれど痛みが走る。
■転倒する時、人間は体中の筋肉を使って被害を最小限に食い止めようと頑張るものだ。だから、その日は肋骨のみならず、上半身の右側半分の全域が、普段ないほどの筋肉痛になっていた。
■それらの筋肉痛はすぐ引いたので、それから新国立劇場「ルチア」の音楽稽古をやったり、志木第九の会の練習に行ったり、関口教会のミサの指揮をしたり、「蝶々夫人」の2度目の公演を指揮しているが、特に大きな支障はない。

■でも、一番残念なことは、たぶん水泳はしばらくひかえた方がいいだろうなあということ。幸か不幸か、これから劇場が結構忙しくて、スキーも2月後半までは全然日が取れないし、水泳に行く時間も取れなさそう。まあ、ちょっと無理しないで穏やかな日々を送ろうと思っている今日この頃です。

■しかし・・・あの超最速滑走の醍醐味は忘れられないなあ・・・あの気持ちよさは、他では決して味わえないなあ・・・音楽の比ではない・・・だって、音楽は間違っても失敗しても、死ぬことはないだろう・・・死の恐怖と隣り合わせでないと味わえないものがあるって、この歳になって知った。

それは疼くような歓び。
魔法のように・・・僕を捉えて放さない。

Tweet   


Copyright (C) 2004-2017
HIROFUMI MISAWA
All rights reserved.