白馬の日々の始まり

三澤洋史

「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプ最終募集
■早いもので、もう今週末になってしまった。2月3日土曜日及び4日日曜日の「マエストロ、私をスキーに連れてって」キャンプの最終募集をいたします。

■メイン・キャンプは残念ながらもういっぱいですが、サブ・キャンプが、現在の所4名。角皆君と相談の結果、サブ・キャンプの参加費をひとりあたり1万円にします。実際4人だけだと、経費的には足が出るのですか、そのままにします。もし、今からでもサブ・キャンプに参加の方がいたら、大歓迎です。参加費は1万円のまま。増えれば増えるほど、経営的には楽になるし、インストラクターのモチベーションも上がるので一石二鳥です。
■レベルは、「超初心者ではないけれど、パラレルまでいかない人」であればどなたでも大歓迎。いずれにしても、超基本から教え、確実なる上達を約束します。
申し込み、ないしは詳細を知りたい方は、ホームページから

白馬での日々の始まり
■という風に、週末にキャンプを控えているが、すでに僕は白馬にいる。今シーズンは、例年より1ヶ月遅れての白馬入りである。今この原稿を書いているのは、1月29日月曜日の午後5時前。妻、杏奈と孫の杏樹は、お風呂に入っている。長女の志保は、家から車で運んできた電子ピアノにヘッドフォンをつけて練習している。僕はこうしてノート・パソコンに向かっている。

■今回僕たち家族が宿泊しているのは、昨年「芸術を愛する人の集い」の会場となった「田園詩」というレストラン。ここは、2階に一組だけ宿泊客を泊めるホテルとしての設備があるというので申し込んだ。しかしながら、これは「レストランのついでに泊める」などというレベルでは全然なく、
「こ、こんな広くて贅沢なスペースに私たちのような平民が住んで、本当におよろしゅうございますか?」
という素晴らしいホテルなのである。
僕たちはまるで王侯貴族になったよう。レストランであるから、食事も勿論絶品だという。実は、僕はこの原稿を書いている時間、その絶品をまだ味わっていない。

■家族は昨日の午前中に車で家を出て、午後4時半くらいにはもう田園詩に着いていたが、僕は「こうもり」千秋楽だったので、新国立劇場を午後5時半くらいに出て、大宮から北陸新幹線に乗り長野駅まで来て、それから白馬行き高速バスに乗って結局夜の10時くらいに着いた。昨晩の僕の夕飯は、長野駅で高速バスが出るまでの間にチャチャッと済ませたのである。

■今日は、午前中杏樹が角皆夫人の美穂さんの個人レッスンでスキー・デビュー。妻はそれを見守り、角皆君はたまたま空いていたので、僕、志保、杏奈の3人に付き合って一緒に滑ってくれた。
■ゴンドラのテレキャビンでグーッと上のアルプス平まで登り、HAKUBA47のルート1を山麓まで降りてから、再び47のゴンドラで上がって、リフトを2本乗り継いでアルプス平に戻ってきて、五竜スキー場下部のとおみゲレンデまでゆっくり降りてきた。
■どのゲレンデも長くて起伏に富んでいて面白かったし、志保と杏奈はストック・ワークのことなど角皆君に直されていた。まあ、レッスン代を払ってもよさそうだったが、角皆君もレッスン・モードではなく、とてもリラックスしていたから、みんな無理なく楽しかった。

■お昼を食べてから角皆君夫妻とは一度別れ、僕はスキーは履かないで杏樹の滑りに付き合ってあげた。おお、美穂さん、凄い!杏樹は案外滑れている。「滑る時はまっすぐ」で「止まる時はハの字」と分かっている。リフトに乗るまでもう一歩。
■その後、僕たちはまた滑りに行った。妻は室内のキッズ・ランドで杏樹に付き合う。それで4時過ぎにホテルに戻ってきて、みんなそれぞれなことをしているわけだ。この後、また角皆夫妻がこの田園詩に来て、今度のキャンプの打ち合わせを僕とやる。それから僕の家族と一緒に夕食を食べる予定。

■この白馬のことは、来週の「今日この頃」に書きます。「マエストロ、私をスキーに連れてって」2月のキャンプの報告もあるからね。

大雪の中を
■先週の「今日この頃」更新の日、すなわち1月22日月曜日は、実は書いている最中から雪が降り始めていた。そのことに触れようと思ったけれど、あえてやめておいた。何故なら、この大雪は翌日に影響を与えそうで、そうするといろいろ書くことが増えてきて、原稿更新が1日遅れてしまうことになるからだ。
■翌23日火曜日には、僕はガーラ湯沢にスキーに行くことになっていた。でも、午後になると、降りしきる雪の量がどんどん増え始め、おまけに風も強くなって、要するに吹雪きそのものになってきた。窓から見える景色が、どんどん雪国そのものになってくる。車にもどんどん積もり始め、こんもりと埋もれた祠(ほこら)のような感じになってきた。
■テレビをつけると、各地で交通マヒの情報が刻一刻と入ってくる。電車が止まり、駅には人が溢れ、バス停には長蛇の列。

■夜になったら妻が、
「まさか、まだ明日スキーに行くなんて思ってないよね」
と言う。僕は、うろたえながら、勇気を出して答えた。
「いや、行くよ。這ってでも行く・・・」
「でも今回は板送ってないんだよね。板とブーツケースを両手に持って、お着替えのリュックサックを背負ってどうやって行けるというのよ?武蔵野線なんて不通になるに決まっているでしょう。天気予報では夜中まで振るって言っているし・・・」
僕はほとんどくじけそうになっていた。すると志保が、
「パパ!ママに車出してもらいたいんだったら、雪かきして自分の家の前だけでも車が出る状態にしてあげないと絶対に無理だよ。なんなら手伝ってあげる」
と言ってくれたので、夜中の11時近くに雪かきの用意を始めた。
「スキーのヘルメットをかぶってゴーグルしてやる」
「馬鹿じゃないの?」
でも外に出たら、なんとほとんど雪が止みかけている。ヤッターッ!メットもゴーグルも要らない。大急ぎで雪かきを始めた。いやあ、よく積もっている。これなら湯沢までいかなくても国立でも滑れそうだ。
妻が車を出してもいいなと思うように、家の前の通りまできれいに雪を除けた。祠のようになっていた車の雪も丁寧に払って、すぐに発車してもいい状態にした。
■ここのところ毎晩お酒を飲んでいたので、今晩は禁酒と決めていた。夕飯の時に飲みたかったけれど我慢出来た自分を偉いと思った。でも、志保と2人で雪かきしていたら汗がにじんできた。気が付いてみたら缶ビールの栓をプシュッと開けていた。
「あれ?パパ禁酒は?」
「いやあ、飲まないとやってられんね」
「そうだね」
と、そこで志保と酒盛り。気が付いたら0時を回っていた。
「いっけねえ!明日早いんだ!」

■翌朝、妻は仕方なく車を出してくれた。案外、武蔵野線はきちんと動いていて、僕は無事ガーラ湯沢に辿り着くことが出来た。僕は244の板でストイックにコブ斜面を何度も何度も滑り降り、スキーの後はガーラの湯に入って「極楽極楽!」という感じで東京に戻ってきたら、まだ雪国のようであった。
■次の日(24日水曜日)は午後から「こうもり」公演と、夜は東京バロック・スコラーズの練習。しかし朝起きたら筋肉痛。けっこうきつい。昨日ガシガシとコブを滑りすぎたか・・・あれっ?なんか変だぞ?・・・いつもなったことのない場所が痛い。僕は、スキーをした後、肩のうしろだの腰だの筋肉痛になったことはない。変だな・・・あっ、もしかして、昨日ではなくておとといの雪かきの筋肉痛が今頃になって出たか?やっぱ、年寄りだから一日おいて出るんだよね。
「こうもり」の本番で新国立劇場に行ったら、舞台スタッフのひとりが「ゆっくり歩くカニ」のように「おはようございます」と出社した。誰も訊かないのに、
「雪かきしてギックリ腰になっちゃいました」
とみんなに言って回っていた。みんな、
「分かる分かる!」
と笑いながらうなずいていた・・・・あの人、あの状態で仕事になるのかな?
■それからずっと東京の街は雪国のように寒かった。むしろ雪国の方が暖房設備がきちんとしているので温かい。昼間でも零下の大都会。道路に残った雪が凍結し、溶ける気配がない。雪のないわずかな路面に人も自転車も奪い合うように向かう。いやあ、寒かったね。

歳取ったら円くなるんだよ
■京王線府中駅前に新しく出来たデパートLe Signe(ル=シーニュ)から伊勢丹に渡る交差点で、自転車に乗ったおじいさんがヨロヨロと出てきた。見ると赤信号。ベンツがブッブーッとクラクションを鳴らした。おじいさんが通り過ぎるやいなや、ベンツはおじいさんの自転車の後ろすれすれに猛スピードで通り過ぎる。それに驚いたおじいさんは、まだ渡りきっていない道路の中程で足を着き、ベンツの通り過ぎた方をじっと睨め付け、
「あんのやろう・・・」
とつぶやいた。
■それからあろうことか、自転車に再び乗ってベンツを全速力で追いかけ始めたのだ。ところが、すでにその方向の信号は赤。おじいさんは右から来た車に追突されそうになり、それから左から来た車にもぶつかりそうになりながら、自転車を風のように走らせて僕の視界から消えていった。

■僕は、ひとりで大きくため息をついていた。ふうっ・・・あの歳になってまでも、なんであんなに短気なのだろう。自分で赤信号を無視して渡っておきながら、クラクションを鳴らした運転手に逆恨みし、わざわざ追いかけて行くなんて・・・。もし次の交差点でベンツが停まっていたら、おじいさんは追いついて一体どうしたいのだろうか?

■歳を取ったら人間は円くならないと駄目だ。背伸びしたり肩肘張ったり、他人を蹴落として自分の地位を得ようとしても、もう遅いんだ。もう、とっくに勝負はついているのだ。ねえ、おじいさん!自分を振り返って、自分の背後に出来ている人生のシュプールを見てごらん。長い軌跡が広がっていて、決して変えられない自分史が広がっているだろう。それがあなたなのだ。それは決して変えられないし、修正もやり直しもきかないのだ。
■今あなたが、ベンツを追いかけていってベンツの運転手を謝らせたとしても、あなたはそれによって偉くなるわけでもないし、人生が輝くわけでもない。それどころか、もしベンツを傷つけたり運転手に手を出したりしたら、あなたの背後に出来るシュプールはもっと悪くなる。
■あなたは、もうすぐそのシュプールを仕上げないといけない。いろんなことがもう手遅れなのだ。だとしたら、せめて、これから出来るシュプールを少しでも美しくすることを考えないか?年寄りが出来ることは、偉そうに語ることではなく、黙って自分の背中を見せること。そこにやさしさと愛があれば、若者は自然に年寄りを尊敬し、言うことを聞く。そうすれば、若者だってやさしくなるし、世界がちょっとだけやさしくなる。

だから年寄りが悟ると、世の中が平和になるのだ。

それくらいが、せめて年寄りの出来ること。それが年寄りの悟り。

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