「バッハまでの道のりとバッハから」無事終了

三澤洋史

写真 三澤洋史のポートレート

Bキャンプは早い者勝ち
■「マエストロ、私をスキーに連れてって2019」キャンプは、今シーズン、定員を設けないで、どのレベルでもOKとした。それを受けて、何人もの人達から、
「今年こそは受けますよ」
というお返事をいただいているが、その一方で、昨年のように焦って応募する必要がないのでみなさん安心している。だから、実際に申し込み手続きを終了した人は、口コミの半数に満たない。

■その中で、すでに申し込みしてきた方達の大半は、3月2日土曜日及び3日日曜日のBキャンプに集中している。土日ということもあり、働いている人には来易いのであろう。そこでみなさんに言っておきますが、Bキャンプに参加したいと思っていて、まだ申し込んでいない人は、急いだ方がいいです。
■何故なら、キャンプ自体には定員がないのだけれど、ペンション・カーサビアンカには14部屋しかないので、ここが満室になったら、他の宿に泊まっていただくことになります。加えて、これまで申し込んでくださった方達の多くがひとり使用を望んでいるので、もうあまり部屋がないのです。

■勿論、カーサビアンカが駄目でも、近くには沢山ペンションがあるので、泊まるのには不自由はしない。でも、みんなで同じ宿というのは特別で合宿みたいなのだ。懇親会だけでなく朝食も一緒だったりするし、ホールで自由にお話も出来る。音楽関係とひとことで言っても、昨年もいろんな方面の人が来て実に面白かった。今年も皆さん同士できっと様々な出遭いがあると思う。だから出来ればお薦めしたいのだ。
■なので、繰り返しになるけれど、カーサビアンカに泊まりたい方は、Bキャンプの場合はすぐに申し込んだ方がいいです。宿の方は、満室になった時点で、他の宿の斡旋の通知をします。なお、これまで申し込んだ方は、全員カーサビアンカ希望だったので、全て自動的にカーサビアンカ宿泊が決定しています。
■さらに加えて・・・ご存じの方はいるだろうが、B合宿2日目の3月3日は、なんと僕の誕生日なのだ。だから、2日の夜の懇親会は、ほぼ必然的に僕の誕生パーティーを兼ねることになる。これを言ってしまうと、ますますここに集中するね。

■一方、2月のAキャンプにもそれなりの申し込みがあり。いずれにしても、このホームページで、このような記事を出したら、みなさん申し込みし始めるだろうから、Aキャンプもやや急いだ方がいい。
■Cキャンプは、参加しますと言っている人は何人もいるけれど、実際の申し込みはまだまだこれから。3月の終わりなので、春スキーとなり、ややシーズンをはずれるので、逆に、今ならゆったりとひとり部屋を取れる。こちらも是非、お早めに申し込みを。

■キャンセルは出来るので、来られる可能性が10パーセントだけとかいったら、まあ、ちょっと困るけれど、「恐らく行ける」くらいだったら、とりあえず申し込んでいいですよ。
■必ずホームページの「マエストロ、私をスキーに連れてって2019キャンプ」の申し込み要項のページを開いて、詳細を読んでから申し込んでください。申し込み要項の最後にある「入力フォーム」から申し込むのが一般的だけれど、自分で記入事項をチェックして、下記のメールアドレスに直接送ってくれてもいいです。ただし、必要なことをきちんと書いていない場合は、こちらから質問し、答えを返信してもらってから正式申し込み受理とします。
maestro.takemeskiing2019@gmail.com

「バッハまでの道のりとバッハから」無事終了
■パレストリーナを京都で勉強していると、いつもi-Podを聴きながら寝てしまった。それで悟った。この曲は、このように人を瞑想的にさせる音楽なのだ。だから、僕もヘタに暗譜をして、本番、アドレナリンを出しながら指揮するのはやめよう、と決心した。勿論、曲は頭に入っているが、あえて譜面を前に置き、合唱団にもアクティブになりすぎないように周到に導きながら練習をつけ、本番を迎えた。
■指揮していながら、やはり寝てしまいそうなほど瞑想的になっている自分がいた。いや、寝てませんよ。でも、とっても気持ちよかった。最後のAgnus Deiでは、寄せては返す波のように、同じ旋律がいろんなパートから重なり合って聞こえてくる。それを味わいながら、
「ああ、このままずっとこの世界に浸っていたい」
と思い、曲が終わるのを惜しむ自分がいた。そして、パレストリーナはこのように演奏するのが理想だという確信を得た。

■続くハインリッヒ・シュッツのドイツ・マニフィカトでは一変して、ドイツ語のイケイケともいえるアクティブな楽想に、聴衆も、
「ああ、これだけ違うのか」
と驚いたと思う。
■シュッツは2度に渡ってヴェネツィアに留学し、ジョヴァンニ・ガブリエリやクラウディオ・モンティヴェルディに師事していて、8声の二重合唱などイタリアの手法を学び尽くしてはいるが、やはりドイツ人の手にかかると、こうまでドイツ的になってしまうのかという見本である。

■ブルックナーは、後期ロマン派の真っ只中にあって、ひたすら内省的な作風を持つ孤高の天才。モテットでも、聖フローリアン修道院の聖堂に響き渡るオルガンの残響が原体験になっているせいか、随所で突然の休止とゲネラルパウゼ(全休止)の効果が光る。

■第二部に入って、プーランクの「悔悟節のための四つのモテット」は、僕の大好きな曲。近代和声の随所の不協和音は歌うのにとても難しいが、僕は、もしバッハがこの時代に生きていたら、こんな和音を使ったのではないの?と思ってしまう。「ガキ大将と聖職者が同居している」と言われるプーランクの音楽であるが、ここでは彼のまっすぐ神へと向かう真摯な態度が見られ、胸を打つ。

■そしていよいよプログラムの最後はバッハのJesu, meine Freudeである。やっぱり東京バロック・スコラーズはバッハだね、と言われるように演奏会全体を構成したが、それにみんな見事に答えてくれたよね。
■僕がバッハが大好きなのはもちろんだが、こうやっていろんな作曲家を並べてみると、やっぱり、この世にいろんな作曲家がいるって素晴らしいことだね。みんないい!そして、みんな着ているお洋服は違うし、生き方も違うけれど、みんなどこかでつながっているんだ。

■東京バロック・スコラーズのみなさん!ありがとう!よく頑張ったね。ブルーローズという会場の響きにも助けられ、美しいハーモニーとなってお客様の心にも届いたと思う。

■さて、これを次につないでいくんだ。バッハをやりながらでもパレストリーナの静謐な世界が生きていないといけないし、ブルックナーの間を感じないといけないし、プーランクでシビアに音程を取っていったように、バッハでぶつかる音程に対しても耳を研ぎ澄まさないといけないし・・・・。要するに、
「全ての時代の全ての美意識をバッハが取り入れ、あるいは先取りしている」
という事を、今度は理屈ではなく、どのバッハの作品でも体感し、具体的に表現していかないといけないのだ。
■差し当たっては、ルーテル教会での「クリスマス・オラトリオ」演奏会でチャレンジだ!
分かったあ?みんな!

京都そして飛鳥
■毎年この次期に残念に思うのは、京都の滞在が、これから紅葉真っ盛りの季節になるという時に終わってしまうことだ。特に、あの輝くほど透き通った赤いもみじの葉を、今年は見ることが出来なかった。あれは京都独特のものだなあ。去年は銀閣寺などでちらほらと見ることが出来たのに、今年はまだ充分に紅葉していなかった。例年よりも暖かいのだろう。
■京都の思い出は、今年はかなり限られている。東京バロック・スコラーズの演奏会を控えてとても内面的に過ごしたから。ロームシアターが平安神宮の一角にあるので、平安神宮にご挨拶に行ったが、その他に名所旧跡を訪ねたのは、休日である30日火曜日だけ。しかも京都ではなく奈良方面。

■30日の朝、お散歩はパスして6時半過ぎにホテルを出る。コメダではなく京都駅構内の星乃珈琲店でゆったりと朝食。それから7時40分発橿原神宮(かしはら じんぐう)行き特急列車に乗った。9時頃に飛鳥駅に着く。

■駅前でレンタサイクルを借りる。一昨年、
「普通の自転車は900円、電動アシストは1500円ですが、どちらがいいですか?」
と聞かれて、即座に、
「ふ・・・電動アシストなんて軟弱な」
と思って普通の自転車を借りたが、乗り始めてすぐに結構急な上り坂となり、しかもしばらく続いた。それで今年は迷いなく電動アシストにした。
■乗り始めてすぐ、
「なんだ、案外重いな」
と思ってよく見たら、スイッチを付けていないことに気が付いた。それですぐ付けたら・・・ビューン!と一気に加速したのでびっくりした。な、な、なんだ、これは・・・危ないじゃないか!

■高松塚古墳を右に見て丘をひとつ越えた後、左前に見える小高い丘の上に何か曰くありそうな古墳のようなものが見えてきたので、ちょっと登ってみた。天武天皇と持統天皇の共同のお墓だそうである。天武天皇は、672年、壬申の乱に勝利し、律令制の基礎を築いた人として知られる。持統天皇は、実は天武天皇の皇后だが、天武天皇の後、次の天皇となったという。
■緩やかな石の階段を登っていったら、右側からスルスルと音が聞こえたので見ると、ヘビが逃げていった。おっとっとっと・・・ヤだな。帰り道、上から見下ろすと、絶景というようなことは全然ないけれど、なんともいえないのどかな明日香村の風景に触れて妙に感動し、しばし佇んでしまった。

写真 飛鳥の何気ない風景
飛鳥の何気ない風景


■電動自転車は快適そのもので、石舞台に行く坂道もなんのその。一昨年に引き続いて、石舞台を訪れ、内部に入る。それで内部から岩に触れたら・・・やはり以前と同じように、手が吸い付いたように岩から離れない。というか、岩からエネルギーがビンビン体に入ってくる。

写真 石舞台の入口
石舞台内部

■地球の内部とつながっている自分を感じる。遠いいにしえからの命が自分の体の内部に流れ込み、自分が地球の一部であり、宇宙の一部であるという実感に満たされる。不思議だ。切れ目なくつながっている僕の人生の中で、突然この今という時が、特別にかけがえのない時であると感じられ、自分はこの瞬間をこの先決して忘れることはないだろうという確信が胸に込み上げてきた。
■僕がよく体験するデジャヴとは逆なんだけれど、感覚としては一緒だ。この先、僕がこの岩の感触を思い出す時、その思い出す僕は、いつ何処にあってもこの石舞台の内部にいる自分として体験する。その確信だ。
■デジャヴを見るときにいつも思う。あの時、夢でこの風景を見ていたのは、あの時の自分ではなく、今の自分だったのだ・・・と。とすると、自分の意識の中心にいる自分そのものというのは、時や場所を超越して、いつも同じところにいる同じ自己なのだ。そこまで深い自己として認識したものは、思い出す時も、そこまで深い自己として再体験する。そんな体験を今回もした。

写真 石舞台の遠景
石舞台


■石舞台を離れ、飛鳥寺方面に向かう。右側の山の上に岡寺があるというので、右折してみる。驚いたのは、電動アシスト自転車は、「強」の設定にしたら、岡寺に向かうもの凄い急な坂道を、面白いほどグングン登っていくのだ。これってもう自転車の領域ではないね。バイクだ。漕いでないと進まないというところだけがバイクと違うが、これで運転免許なくていいんか?原付だって原動力付き「自転車」と言われながら免許が必要なんだぜ。

写真 岡寺
岡寺

■岡寺は、あまり期待していなかったけれど、とても良い寺だった。さらに山を登ったところに奥の院というのがあって、洞窟の中に弥勒菩薩がいる。洞窟の中に入ってしばらく瞑想していたら、こちらは石舞台と違って、なんだか怖くなった。この違いはなんなんでしょうね?そのままお寺の上の山道を歩いていたら、またまたヘビに遭遇した。よくヘビがいるところだなあ。

■それから飛鳥寺を横に見たが、今日はここはパスして、甘樫丘(あまかしのおか)に登る。ここの展望台からは飛鳥地方の一帯が一望に見下ろせるのだ。下に広がる風景を見ながらしみじみ思う。僕は飛鳥が本当に好き!何度でも来たい。ひとことで言うと「のどか」という言葉に尽きるのだが、ただの田舎ではない。特別な土地の気のようなものを感じる。そして清らか。本当に善良な地!
飛鳥に佇み、風を感じるだけで満足。あとは何もいらない。

写真 甘樫丘から飛鳥寺近辺の風景
甘樫丘から飛鳥寺近辺の風景


■明日香レンタサイクルという会社は何カ所かに点在していて乗り捨て可能なので、そのまま飛鳥駅前には戻らずに橿原神宮前のお店に戻した。そして橿原神宮に行った。ここも素晴らしい神社だね。この土地の気がとても良いこともあるし、ゆったりと雄大で、訪れるだけで気持ちが大きくなる。
■こういう「大きさ」というものは、果たして必要なんだろうか?無駄じゃないのだろうか?なんて普段は思ったりもするけれど、そうじゃないな。大きさに精神の崇高さが加わると、人は、自分が日常の小さなことにくよくよするのが馬鹿馬鹿しくなってくるのだ。

写真 橿原神宮
橿原神宮


■さて、その後法隆寺を訪ねてみたいと思っていた。それに法隆寺のある一帯の「斑鳩(いかるが)の里」という言葉に、なんとなくロマンチックものを感じていた。だが、橿原神宮前からの交通の便はあまり良くない。調べてみたら近鉄郡山駅まで行くと、ちょっと離れたところにJR郡山駅があるので、そこまで歩いて、そこからJR法隆寺駅まで行くのが最も相応しいように思われた。
■もうひとつ郡山で乗り換えたのには理由がある。近鉄郡山駅のそばにある郡山城址公園の一画には奈良県立郡山高校があるが、この高校に、Cafe MDRのコンシェルジュの奥さんが、かつて学んでいたということだ。きっと可愛い女子高生だったのだろうな。

写真 大和郡山城跡
大和郡山城跡

■別にその高校に行くのが目的というわけではないけれど、お堀をぐるっと回って郡山高校を右横に見ながら城跡に行った。お城はないけれど城壁が展望台になっている。そこに登って、街全体を見下ろした。遠くにぐるっと山をひかえて、ゆったりとした街。僕は、この街もとっても好きになった。

■さて、みんないろいろ好みはあるだろうが、個人的に言うと、僕は法隆寺にはちょっと失望した。まず、1500円という拝観料が高い。それで入ってみると3つしか建物がない。五重塔は立派だし、金堂の中の釈迦三尊像をはじめとする像も素晴らしいものなのだろうとは思うが、だいたい五重塔は外からでも見れるし、宗教おたくではある僕とはいえ、そもそも像そのものを宗教的に拝むという偶像崇拝的な気持ちがない。
■だから像などは純粋に美術作品として味わうことになるのだけれど、それらをどうしても見たいというわけでもないので、1500円という金額と自分の気持ちとの折り合いが付かないのだ。美術館だったら1500円払っても全然惜しくない僕だけれど・・・。
■斑鳩の里もねえ、法隆寺駅から寺までの道は整備されていて、何の風情もないねえ。飛鳥のように、のどかな風景を期待した自分が馬鹿だった。まあ、法隆寺前の参道や、拝観料を取らない区域の方にはそれなりの風格というものはあるけどね。

■さて、最初に述べたが、京都滞在の日々はかなりストイックに過ごした。10月26日金曜日から31日水曜日までの5泊6日の京都滞在の内、初日と帰宅日以外は、プールを欠かさなかった。
■大好きな西京極の京都アクアリーナは、火曜日がお休みなので、30日、法隆寺から帰ってホテルでちょっと休んだ後は、東寺の近くのヘルスピア21(京都市健康増進センター)に行った。名前で随分印象が違う。シニア体力向上教室(介護予防事業)などをやっている。
■だから若者はあまりいないでお年寄りばかり。プールサイドのジャグジーに加えて、ロッカールームの近くには、立派なお風呂が付いていて、それを楽しみに来ている人も多いようだ。考えてみると63歳の僕は、立派にこの人達の仲間なんだな。
■散歩は、27日土曜日と、31日水曜日の朝は西本願寺。28日日曜日と29日月曜日の朝はカトリック河原町教会と、仏教とキリスト教のチャンポンの生活。自分の中では何の違和感もない。

■先週も西本願寺に行った話を書いていたが、ある人がメールを書いてきた。
「三澤先生が、カトリック信者なのに西本願寺に行っていると聞いてびっくりしました。大丈夫なんですか?創価学会の人なんか、他の神社仏閣に行くことすら禁じられているといいますが、先生はバチが当たったりしないのですか?」
■いやいや、バチがすでに当たっているかも知れないですよ。でも、何がバチだか分からないじゃないか。僕は全てがポジティブ志向の人間なので、仮に自分にとって良からぬ事が身の回りに舞い込んできたとしても、
「ああ、これは自分の魂の修行のために必要なことなんだな」
とありがたく受けとめるので、バチの方としても、
「なんだ、やり甲斐のない奴だな。つまんないからやめよう」
と逃げていくのだ。あははははは。

要するに、全て心の持ちようで、世の中タブーなんてなんにもないんだよ。

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© HIROFUMI MISAWA