等身大のベートーヴェン

三澤洋史

写真 三澤洋史のプロフィール写真 失われた午後
■まあ、タイトルほど大袈裟なことでもないんだけど・・・・。原稿更新日の4月22日月曜日の午前中。僕がこの原稿を書いていると、妻が言い出した。
「今日の午後、キシュヘンしにいかない?」
■実は、数日前からiPhoneの写真アプリに不具合があると言っていたのだ。そういえば、僕のiPhone 6Sには不具合はないが、アップデートを繰り返す毎にバッテリーの消耗が早くなってきていたので、もうすぐ3年経つこともあるし、この辺で機種変更をしてもいいかなと思っていた。
「でも、ドコモって時間かかるんだよね」
「志保が、予約できるっていっていたわ。やってみるね」
ということで、予約して午後1時前にドコモに着く。

■その一部始終を書いても読者には退屈なだけだが、あの長ったらしい書類の説明や、いちいちの確認、なんとかなんないもんかね?
お兄さんは、
「すみません!これをきちんと説明して確認を取っておかないと、後で、『話が違うじゃないか』と言ってくるお客さんも少なくないので・・・」
と低姿勢なのだが、話が全然終わらない。
■よく考えてみると、機種変更するのは、妻と僕の2台の分のiPhoneと僕のiPadの合計3台分なのだ。しかも、実際にiPhoneを手に取ってみてから、そのiPhoneが勝手にアップデートを始めて、これがまたノロノロと遅い。そしてデータの移行や、端末を使っての様々な設定をしていたら、どんどん時間が過ぎる。

■せいぜい3時頃までには終わるだろうと思っていたのが、3時半を過ぎ・・・4時を過ぎ・・・となってくると、だんだん心配になってきた。
■当初の予定では、機種変更が終わった後、僕は一度家に帰ってこの原稿を仕上げて、それから新国立劇場の18時からの「ドン・ジョヴァンニ」の練習に向かうことになっていたし、妻は17時に保育園に杏樹を迎えに行くことになっていた。それが見よ!間もなく17時だ。もう原稿はおろか、家に帰っている時間もない。
「普段着で来ちゃったし、スイカもなければ新国立劇場の入館証もないんだけど、このまま府中駅から切符買って乗るしかないなあ」
「あたしは保育園に電話かけて、杏樹のお迎え遅れると言ってくるわ」

■僕のiPhoneの初期設定だけなんとか終えて、あとは妻ひとりが残って僕はドコモ・ショップを出た。iPadへのデータ移行とかあるので、iPhoneも置いてきちゃったから、電話もメールも出来ない丸腰状態!
■いつものカバンがないが、さいわい「ドン・ジョヴァンニ」の譜面は新国立劇場にあるのでよかった。いつもスイカ定期で乗っている京王線を切符を買って乗るのは、逆に新鮮ですらあった。
■なんて呑気なこと思っていると、大事なことを忘れていたのに気が付いた!昨日今日は街に花粉が飛んでいるのだ。それで、午後の分のアレグラを飲んでから夜の練習に出ようと思っていたのに飲めないんだ!案の定、明大前についたら鼻水が出てきた。そこでキヨスクでマスクとティッシュを買った。マスクやティッシュなんて、いつも自分のカバンの中にあるのに・・・。

■新国立劇場に着いて、楽屋口のお姉さんの所に行く。
「すみません、入館証を忘れてしまって・・・」
「ここにお名前と部署を記入して・・・あ・・ここには『忘れ』って書いて下さい。それでこの臨時の入館証を持っていて下さい。帰るときには時間を書いて返してくださいね」
なんか、さみしーーい気分。
■さらに、練習場に向かっているときに大事なことに気が付いた。
「いっけねえ。いつも練習の時に使う、指揮者の距離から譜面台の上の楽譜が一番良く見える『練習用のメガネ』がないんだ!」
■それがなくても練習は出来るんだが、ソリストのところの歌詞がよく見えないので、うまく合唱の合いの手のところを歌ってあげられないんだ。うえーーーん、なんかヤだよう、まあ、過ぎてみたらどーーっつうことない事かもしれないけれど、なんかいつもあるものがないって、とっても調子が出ないよね。

■でも、新国立劇場の練習場にマスクして行って、練習開始時にこんな自分のトホホな状態を赤裸々に話したら、みんな、
「あはははは!」
って笑ってね、稽古はいつになくなごやかに進んだよ。みんなもなんだか暖かかった。それだけが救い!

■帰ったら新しいiPhone XRとiPad Proが僕を待っていた!妻は、僕よりひとまわり大きいiPhone XS Max。

等身大のベートーヴェン
■かぐらスキー場での試乗会の日、角皆優人君が僕に言った。
「青木やよひさんの書いたベートーヴェンの不滅の恋人の本を三澤君にあげようと思って持ってきたんだけど・・・」
「それ、何処にある?」
「車の中」
「そうかあ・・・。あのね、せっかくだから僕は夕方まで滑りたいんだけど・・・じゃあ角皆君と一緒に一度駐車場まで降りるよ」
「いや、そんなことしたらもう二度と上がって来れない。分かった!送ることにする」
「ええ?いいの?」
確かに、ここはみつまたステーションから上がってくるだけでたっぷり一時間かかるからね。
■それから数日後、本が届いた。青木やよひ著「遙かなる恋人に~ベートーヴェン・愛の軌跡」(筑摩書房)。青木やよひさんは1927年に生まれ2009年に亡くなっているので、この本もすでに絶版になっている。
「読もうと思っても読めなくなってしまう日が来る前に、三澤君に是非読んでもらおうと思ってね・・・」
という角皆君の言葉を思い出していたが、残念ながらすぐ読み始めるわけにはいかなかった。


遙かなる恋人に


■冬の間にスキーにばかり行っていたことが祟って、放っておいた仕事が山のように積み上げられている。自作のミサ曲Missa pro Paceのオーケストレーションはなんとか仕上がったが、実は来年、この曲をモーツァルト200合唱団が「混声合唱&フル編成管弦楽」でやりたいと言っており、夏までに混声合唱用の編曲を行わなければならない。
■なにより、愛知祝祭管弦楽団の「神々の黄昏」のソリスト達の為にコレペティ稽古をつけなければならないのだが、肝心のピアノが充分に練習できていない。だって「神々の黄昏」って果てしなく長いんだもの。ピアノ通して弾くだけでたっぷり4時間半かかるんだぜ。どんだけ練習したって足りないのは当然。
そんなわけで「遙かなる恋人に」が気になって仕方なかったが、とても読み始める時間が捻出できなかった。

■4月20日土曜日、僕は午後に藤岡市にある介護付き施設にお袋を訪ね、それから新町歌劇団の練習に出た。その電車旅の道すがら、初めてこの本を開いた。翌朝は、新町から名古屋まで行ってモーツァルト200合唱団の練習に出た。その新幹線の中で読み終わった。

■ベートーヴェンの「不滅の恋人」のことは、知ってはいた。恐らく最初のきっかけは、角皆君がこの本かあるいは青木やよひさんのベートーヴェンに関する本を読んで、その内容を僕に説明してくれたことによる。それから僕も僕なりにちょっと調べたことがあるのだ。ただ、それらは断片的な知識にしか過ぎず、こうしてまとまった時間を使ってしっかり関わったのは勿論初めてである。

■指揮者は、オーケストラ団員や合唱団員や沢山の聴衆に常にかこまれているが、実は指揮者ほど孤独な職業はない。家でたったひとりでスコアを読み、練習に行ったら確かに大勢に囲まれるが、まるで独裁者のように指示を一方的に出し、陰で悪口を言われる立場なのだ。
■僕もそんな指揮者のひとりであるが、人と違っていることは、オペラの世界に長く居るということである。しかも新国立劇場では合唱指揮者という一種の中間管理職の立場にいて、国内外の数え切れないほどの指揮者、演出家、美術家あるいは新作の作曲家、台本作家、振り付け師などと付き合ってきた。
■そうした生活を続けている内に、優れた芸術家を見極める眼も育ってきた。極端なことを言えば、その人の行っている専門分野の業績を見なくても、一目見ただけでその人がどのくらいの能力を持っているのか、ある程度分かるようになってきた。
■だいたい優秀な人ほど、社会の一般的な常識からハズれているし、ヘンなところを持っている。子どものような天真爛漫なところがあるかと思えば、崇高さを感じさせながら次の瞬間信じられないほど俗っぽいことを言う人、下ネタ大好き人間、横柄さと卑屈さが交互に現れる人間・・・。
■こんな風に数え上げたらキリがないが、
「お、このひとは・・・」
と僕が思う人は、理屈ではなく一種の嗅覚のようなものが働き、分かるのである。
その嗅覚で、作曲家に対しても、いたずらに神格化することなく、
「ああ、こんな人だからこういう音楽を書くのだな」
という理解が出来るようになってきた。

■さて、青木やよひさんの著書の話に戻ろう。この本を読み終わって、僕は今こそベートーヴェンという作曲家の等身大の姿がイメージ出来た。この本に表現されたベートーヴェンの全ての言動に合点がいく。
■そして同時に思った。決して悪意はないにせよ、これまで、なんと不当に曲げられたベートーヴェンのイメージを我々は持たされていたのだろうか?と。

「ブ男で、女性にモテず、結婚としあわせな家庭を強く望みながら生涯に渡って決して満たされることのなかった願望」
「聴覚障害によって極度の人嫌いに陥り、近寄りがたく、粗野で、あまりに革新的なために人に認めるられることなくその生涯を淋しく終える」
「モーツァルトは生活能力のない性格異常者であったが、ベートーヴェンは、その不幸な運命によって孤独に閉ざされた境遇の中で楽聖といわれるにふさわしい精神の崇高さを育んでいた」
もう、いい加減にして欲しい!モーツァルトとベートーヴェンの人格の高低にいかばかりの差があるというのか?

■それにしても、青木さんの著書に表されたベートーヴェンは、随分女性にモテたんですね。それにベートーヴェンの葬儀は、二万人とも三万人ともいわれた人達が集まったウィーン中を揺るがす大イヴェントだったんだね。認められないどころか、超有名人で英雄的扱いを受けていたんだね。

■それで、肝心の「不滅の恋人」の件であるが、青木やよひさんは、まるで推理探偵のように「不滅の恋人」とは誰なのか?何故このような手紙の文面になったのか?あるいはならざるを得なかったのか?ということを丁寧に解き明かしていく。いや、解き明かしていくというよりも追い詰めていく。
■たとえば「不滅の恋人」の何人かの候補者を周到にツブし、候補からハズしていく。手紙の日付と曜日とのコンビネーションから、1812年という年を割り出し、その時にカールスバートに滞在し得た人は誰か?という風に。
■そうして最後に残った「不滅の恋人」の候補を、今僕があっさりと、
「ヨゼフィーネ・シュタッケルベルク(旧姓ブルンスヴィック)とアントニー・ブレンターノですよ」
と書いてしまっても、そう深刻なネタバレにはならないのではないか。
たしかに読者の中には、
「え?ジュリエッタ・グイッチャルディじゃないの?」
という人もいれば、
「テレーゼ・ブルンスヴィックじゃないのか?」
という方もいらっしゃるであろう。しかしながら現代の研究では、それらの2人は候補からはずしてしまって差し支えないのだ。
■それよりも青木さんの著書は、先に述べた2人の候補のどちらが「不滅の恋人」かという疑問もさることながら、むしろ「ベートーヴェンとこの2人とをめぐる人間模様」にこそ、その推理の真価が発揮されるのである。

「あなたはひどく苦しんでおられる、最愛の人よ~あなたがどんなに強く私を愛していようと―でも私はそれ以上にあなたを愛している―私からけっして逃げないでほしい」
「運命がわれわれの願いをかなえてくれるのを待ちながら、心は喜びにふるえたり、また悲しみに沈んだりしています~冷静に、いっしょに暮らすという私たちの目的は、私たちの現状を静観するという冷静さによってしかとげられないのです」

■この手紙の受け取り主は、カールスバートに滞在中のアントニー・ブレンターノであることが判明しているが、手紙の内容を読めば読むほど、ある種の違和感を感じるのではないだろうか。
■ここでは、ベートーヴェンはその女性に求愛しているというよりも、女性からすでに愛されている。そして不可解なことはベートーヴェンは彼女に「私からけっして逃げないでほしい」と言っている。さらに、相手に冷静になるよう呼びかけている。

■この緊張した状況は、結局のところ思わぬ展開で解決することになる。ううう・・・・このあたりは言うことを躊躇する。別に推理小説ではないので結末を言っちゃってもいいのであるが、知りたくない人がいるだろうから、リンクを貼ります。興味のある人は入ってね。知りたくない人は飛ばしてください。

「結末」(リンク)

■ということなんですよ。これってさあ、ある意味ゲスな展開ですよね。でもね、このことだけではなく、ベートーヴェンは我々が想像してきたよりもずっと社交的だったということが分かる。彼は、確かに聴覚障害はあったけれど、会話帳に書き留めるのはベートーヴェンと会話をする相手だけで、ベートーヴェンは、自分からは書くことなくどんどんしゃべったし、よく笑ったというから、鬱病でも内向的でもなかったようだ。そして、とても気を遣う優しい一面もあるのだ。

■僕の嗅覚は、こういう人間こそ良い音楽を作る才人だと告げている。しかしながら神様のようにあげ祀ることはない。僕はこの本を読みながら、ここのところはあの人に似ているな、とか、こんな面は、あの作曲家にそっくりだ、とか自分の周りにいる様々な音楽家たちと比べていた。すると、等身大のベートーヴェンという人間の息吹が感じられるようで、僕はベートーヴェンをより身近に感じ、前よりもっともっと好きになっている。

■ちなみに青木やよひさんの「ベートーヴェン不滅の恋人研究の現在」という論文がWeb上にあがっている。興味のある方は読んで見て下さい。

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© HIROFUMI MISAWA