東京で迎える初めての年末年始

三澤洋史

写真 三澤洋史のプロフィール写真 東京で迎える初めての年末年始
2020年1月1日。
■思いがけなく人生初めて、僕たち夫婦と二人の娘と孫娘という構成の我が家族は、いつもの群馬の実家ではなく、東京で年末年始を迎えることとなった。しかも、紅白歌合戦を最後まで見て、年が明けた瞬間に神棚の水を取り替えて、娘たちと法勝寺に鐘をつきに行き、八幡様でおみくじを引いて帰ってくるという、恒例の行事をことごとくハズして、今朝は僕ひとりが多摩川土手まで散歩に出て、初日の出を迎え、写メをLINEで家族に送った。

いざ、白馬へ・・・だが
■僕たち家族は、12月26日朝に妻の車で白馬に向かった。白馬に着く直前、孫の杏樹が、
「頭が痛い。気持ちも悪い」
と言い出したが、白馬八方尾根を見上げるおいしい「蕎麦酒房・膳」
のざる蕎麦は残さず食べたし、僕たちの天ぷらも横取りしたので、長旅で嫌になったのだろうと、さして心配もしていなかった。
■蕎麦を食べ終わる頃、外を見たら、なんと雨が降ってきた。しかし僕たちはそのままエイブル白馬五竜スキー場に向かった。今シーズン、僕は新しいスキー・ブーツを買ったので、それを角皆優人(つのかい まさひと)君の奥さんの美穂さんから受け取り、さらに500マイルというチューンアップの店で、ブーツのインソール(内足)を電子レンジにかけて僕の足形ピッタリに直してもらう作業を行わなければならない。
■いつもだったら、長女の志保や次女の杏奈、それに孫の杏樹などは、その間にとっくにゲレンデに出ていただろう。だが、みんな雨でモチベーションががた落ち。そのために安くない半日分のリフト代を使うメリットがない。上のアルプス平は雪だというが、そこに上がってもいくらも滑れない。というので、滑るのはやめて早めに宿泊先の田園詩に向かった。

素敵な田園詩
田園詩は、とっても洒落た予約制のホテル&レストラン
数年前、夏に一家で10日間白馬に滞在した時、角皆君が「芸術家の集い」なるものを計画してくれ、沢山の画家やいろんな芸術家たちとこのレストランでランチを食べた。その時、ここの二階にひと組だけ宿泊できることを聞かされて、2年前の冬に一度利用している。
■特に、真ん中の仕切りを開いてトゥワイス・タイプとして利用すると、値段はそんなに変わらないのに、倍以上のスペースが使え、そのリッチ感たるや、素晴らしいのひとことに尽きる。みなさん、夏でも冬でも、ここは本当にお薦めです!

無力感と祈り~包まれている確信
12月27日金曜日の朝。
■26日の午後から振り始めた雨は、夜になるとますますその勢いを強め、土砂降りとなって一晩中降り続いた。それだけでも、スキーをやること自体が絶望的に感じられた。特に、とおみゲレンデは、雪のかけらもなくなってしまうのでは、と思われた。
■おまけに、朝になったら杏樹の体温が上がっていた。母親の志保は、その日ゲレンデに出ることは断念して、そのまますぐ杏樹を近くの病院に連れて行った。薬をもらって帰って来たが、その時にはまだインフルエンザは陰性だった。僕と杏奈は、雨が雪に変わるのを待って、お昼近くからゲレンデに出た。

12月28日土曜日。
■杏樹の熱が依然下がらない。咳は出ているが、症状の割に熱だけが高いので、昨日の病院では、早過ぎてインフルエンザの検査に引っ掛からなかったのでは、とみんな思い始めていた。
夕方に計ったら、なんと39.9度ある。土曜日なので、
「急いでもっと大きな病院に、場合によっては救急で入らなければ」
と言いながら、大町総合病院に電話して、車を出そうとしていた矢先、杏樹は、突然手足をバタバタさせたと思うと“ひきつけ”を起こしてしまった。
■娘たちが杏樹の名前を大声で呼んでいるので、ただごとではないと思って駆けつけてみた直後、ちょうど気道がつまって息が止まり、それが10秒以上続いた。白目をむき、唇は紫になり、顔色もみるみる変わっていく。その瞬間、ひょっとしてこのまま・・・と、そこにいる誰しもが思った。
■さいわい、間もなく息を吹き返したが、意識はすぐには戻らず、そのまま昏睡状態に陥った。すぐに救急車を呼んだ。救急車は、静かな名鉄の別荘地に場違いに響き渡るサイレンと共にすぐ来てくれて、母親である志保と杏奈とが同乗して行った。

■僕と妻は宿にぽつんと置き去りにされた。何も手につかない。もうプロの手に任されたので、我々にできることは何もない・・・あとは、祈ることくらい・・・そうだ、祈ることはできるんだ。僕は妻に言った。
「祈ろう!」

「父と子と聖霊の御名によって」
と十字を切り、二人で祈り始めた。私が最初に祈り、次いで妻が祈った。
「・・・私たちの主イエス・キリストの御名によって、アーメン」
祈りはすぐに終わってしまった。心はまだ落ち着かない。
■すると妻が言い出した。
「ロザリオの祈りをしよう」
「そうだね」
そして、妻が先唱してロザリオの祈りを始めた。

■ひとしきり終えた時、車で約30分離れた私立大町総合病院から志保がLINEを送ってきた。
「高熱による痙攣で、それ以上深刻な病気ではないようです」
それからしばらくしてから、
「検査したらインフルエンザB型でした。注射したりいろいろしたけれど、もう心配いりません。入院の必要もないので、ママ、車で迎えに来られる?」
妻は、喜んで出掛けて行った。
■僕は、角皆夫妻を田園詩の夕食に招待していて、キャンプの打ち合わせをしなければならないため、ひとりで宿に残らなければならなかった。

■僕は、今まで思ったことのない二つのことに気が付いていた。ひとつは、これまでに世界中でどれだけの人が、こんな風に不安でたまらない想いや、胸がつぶれるほど悲しい想いを抱えながら、このロザリオのアヴェ・マリアを唱えたことだろう。数え切れない人たちの苦悩やはかない望みや、打ちのめされた絶望や慟哭や悲惨さを、この祈りはずっとずっと受けとめてきたのではないか。その歴史がアヴェ・マリアの中に染みこんでいるような気がしたのだ。

■それと、主の祈りと10回のアヴェ・マリア、そして栄唱というひとまとまりに要する時間的長さにも意味があることに気が付いた。勿論、その時間を、こうして唱える祈りではなく、瞑想や黙想で過ごすこともできるだろう。
■しかし、こうした状況の中で、妻とふたりでロザリオの祈りを唱えながら過ごすひとときそのものが、かけがえのない時間と空間であり、その間に僕の心は、「大いなるものに包まれている」あるいは「主の家に居る」という安心感と、「妻と信仰を通して結ばれている」という一致の喜びに支配されていた。同じことを妻も感じていたと、後で言った。
■そうこうしている間に、僕たちは、
「どうなっても我々の運命は主の御手の中にある」
という究極の安堵感を手にし、動揺は知らないうちにおさまっていた。

■長女が帰ってきた。
「あの時あたし、母親として杏樹のそばにいながら、なんにもしてあげられなかった。こんなに無力なんだなって思い知らされた」
としみじみ言う。
「いつも(ピアニストとしての)仕事が忙しくて、ママに任せっきりで全然杏樹の相手をしていられなかったでしょう。でも、ここ二日間、ずっと杏樹と向かい合っていた。スキーはしたかったけれど、それはそれで母親としてしあわせな時間だった。あの息が止まっていた間に、もしものことを考えたんだよ。そのために神様がこの二日間をくれたのかな?ってチラッと思ったけれど、じゃあ、それを受け容れられるかって言われたら、絶対受け容れられっこない・・・でもさあ、実際、世の中にはそういう人もいるんだよね」

■後でいろいろ調べてみたら、熱性痙攣を起こす子供は少なからずいて、多くの場合、命には別状ないので、むしろ「あわてないで落ち着いて行動してください」などと書いてあったりする。しかしながら、実際に目の前で息をしていない子供を見て、あわてない母親などいない。

■僕は思う。愚かと言われるかもしれないが、あわてる時はあわててもいいし、泣きたいならば泣いてもいい。自分の人生だ。みっともないも何もない。自然体でいればいい。でも、無力であることに気付くことは、人生必要だ。良い意味でも悪い意味でも、我々の運命は神の御手の中にある。だから、
「主よ、憐れみ給え」
という言葉が出るのだ。
■神にすがるのは、弱い人だからと思う人が少なくない。でも、そういう人は、単に、「人間というものが無力で弱い存在」であるという絶対的事実に気付いていないだけではないかと、僕には思えてならない。

音楽家のキャンプを深めたい!
■こんな状況の中だったけれど、28日の晩に容態が急変するまでは、それほど深刻ではなかったため、僕と杏奈は27日、28日はゲレンデに出ることができた。ただ、27日のアルプス平は猛烈な吹雪であったし、28日も濃い霧に包まれて視界は最悪であった。

■28日の午前中には、もともと角皆君の個人レッスンを入れていた。これは何があってもハズせない。何故なら、このレッスンそのものが「マエストロ、私をスキーに連れてって2020」キャンプの方向性を決めるものであり、僕が実際に「たたき台」となって、レッスンを受けながら、あるいはレッスン後の夕食ミーティングで、キャンプのコンセプトを角皆君と決めたわけだから。

■角皆君は、まず僕のターンに見られる左右差を直してくれた。その際、しっかりした外向傾を作るため、今回は「形から」入ってみた。すなわち、フォールラインを越えてターン後半に入った時の、両腕及びストックの位置に神経を集中させた。僕の場合、右ターンの外向傾が弱い。そうすると右手は回り込んでしまって、板よりも内側に入ってしまう。角皆君が良い見本を示すと、なるほど・・・形が美しい。
■正しいものは美しい。これは音楽でもそうだ。元来は人に見せるものでもないのだが、機能性を追求し、無駄を省いていくと必ず機能美に落ち着く。ここに落ち着かないものは、どこかに問題があるのだ。


角皆君のレッスン


■さて、今年のキャンプの一番のテーマは、「ターンの仕上げと次のターンの開始」だ。こう書くと、
「なんだ、当たり前じゃないか」
と思われるが、音楽でも、ただ漫然とフレーズを終えて、さしたるコンセプトもないまま次のフレーズに入る人は少なくない。
■それを、レッスンでは一度意識化して、まず、「きちんとターンを仕上げる」ということはどういうことかを見つめ、それから、次のターンに切り替える時に、何が行われているのかを検証する。
■それを通して、音楽でも、フレーズの終わり方を意識することと、次のフレーズを始めるということにおいて、どれほどの決心が要るか?ということに講演では迫り、さらに次の日のレッスンでそれを実践してみるのだ。

■このキャンプも3年目に入った。
「三澤さんが勝手にみんなと一緒に滑りたいからやっているんでしょ」
と思われたりするのは本意ではないし(別にあえてそう言ってくる人は、今のところいないけれど)、
「三澤さんが仲間を集めて一緒に滑っている」
ということだけでは、いずれ飽きられると思う。せっかく音楽家の僕が計画してやっているのだから、来てくれた人が、これまでよりも、もっともっと、
「このキャンプに参加したお陰で、音楽面で進歩があった」
というメリットを実感してくれるように努力しないといけない。結構このキャンプに、僕は本業の音楽と同じくらい賭けているんだ。


ゴンドラで


お正月を国立で迎えたホントのワケ
12月29日日曜日。
■救急車騒ぎの次の日は、もともと一日滑ってから群馬の家に行くはずであったが、とてもゲレンデに出る気にならないのは勿論のこと、杏樹がインフルエンザにかかっているということになると、姉のいる群馬に帰るわけにもいかなくなった。そこで国立の家に帰るしかないのだが、果たして道中無事に帰れるのだろうかと心配であった。

■もうひとつ心配なことがあった。昨晩から妻の体調がすぐれないのだ。チェックアウトの11時近くに田園詩を出発し、志保は杏樹のそばにいなければならないので、妻が最初運転していたが、体調が悪化し志保に代わった。症状からして、どう見ても杏樹のインフルエンザが妻にうつったようだ。杏樹は、ママがそばにいなくなってグズったが仕方ない。僕はそもそも運転免許を持っていないし、杏奈はペーパードライバーで、特に高速道路などとんでもないという雰囲気なので、妻か志保しか運転手がいないのだ。
■八ヶ岳が見えるあたりに来た頃、その志保も不調を訴え始めた。しかし、代わりはもういないんだよね。そこで僕は杏奈とふたりで、
「志保、頑張れ!」
と応援するしかなかった。

■白馬から国立までの道がこんなに長く感じたことはなかった。家に着くと、そのまま妻も志保も布団に倒れ込んで寝てしまった。いよいよ熱が上がってきたようだ。彼女たちは様子を見て夕方、休日診療の病院に出掛けて行った。
■しばらくしてLINEが入った。
「ふたりともインフルエンザB型でした!」
ゲッ!なんていうこと。さらに、晩になったら、
「杏奈もなんか頭痛い」
と言い出した。

12月30日月曜日。
■朝、杏奈が病院に行き、LINEを家族に送った。
「インフルエンザB型でした!」
うわあ!杏奈も感染していた。あははは・・・素晴らしい年末ですね。

こうして、今や三澤家はインフルエンザB型の巣窟となった・・・で・・・何故か、僕ひとりだけ、元気なんだ。

■いつもは、志保と杏樹が一緒に寝ている部屋に、杏奈と妻が加わって、一面布団の部屋となって、みんなで重なり合って寝ている。何か用があって彼女たちの部屋に入ろうとすると、
「入らないで!うつるから!」
と言われ、こっちが悪いことしているような気持ちになるが、よく考えるとうつるのは僕の方なんだな。
■彼女たちの間では、全員同じウィルスを共有しているため、もう用心する必要はないのだ。いいなあ、僕も仲間に入りたい。そしたら楽になるのに・・・・おっとっとと・・・何を言ってる!

■三澤家がかかった今回のインフルエンザB型は、いつになく強力だったに違いない。普段だったら、一番最初に発病した杏樹は、だんだん熱が下がってくるに連れて退屈になってくるに違いないので、相手にしなくちゃと身構えていた。しかし、体に受けたダメージが大きかったのであろう。良く寝るし、目覚めていてもゴロゴロしている。
■大人達なんかもう完全にダウン。家の中はシーンとしていて、時折誰かが代わりばんこに咳き込んでいる。食事時になると、ノソノソとゾンビの一群のように起きてきて、お雑煮やうどんなどの汁物を作って食べ、また引き上げていく。
■そんな感じだから、僕との接点はほとんどない。僕だって、いつみんなの仲間入りしてしまうか分からない。そうすると不思議なんだよね。なんとなく頭が痛くなったような気がしたり、気持ちは悪くならないかな?寒気はしてこないかな?なんて思いながら、なんか熱が上がってくるのを待っているような自分がいる。だから食欲もあまり湧かない。

■僕だけ、スーパーで好きなものを買ってきて食べる。こんな時でもお酒だけは飲める。というより、これから発症したらしばらくは飲めないんだから、今日が最後の晩かも知れないと思いつつ、ビールをプシュッと開けたり、ワインをスポンと開けたりする度に、みんながキッと反応し、なんとなく冷たい視線が飛ぶ。
「申し訳ないねえ、元気で・・・」
と言うと志保が言う。
「ここに世界一お気楽なおじさんがいますねえ」

12月31日火曜日。
■今日は大晦日なんだけど、みんな引き上げていって、早くも我が家は沈黙に閉ざされた。まあ、独りなら独りで、僕は独り暮らしにはバイロイトでもミラノでも慣れているんだ。それより、こんな時は、紅白歌合戦なんかも、別にどっちが勝っても関係ねえや、という気持ちになって観る気にもならない。
■カウントダウンの東フィルの番組だけは観ようと思っていたんだけど・・・いつもは妻が横にいるツインベッドの寝室にひとりぽっちで籠もって、本を読んでいたら眠くなって頭の上にバサッと落ちてきた。午後10時半くらいかなあ、そのまま電気を消して、大晦日にあるまじき時間に寝てしまった。

初日の出
1月1日水曜日。
■早く寝たので4時くらいから目が覚めている。とりあえずは元気。それでは、みなさんを代表して初日の出を観に行くか、と思って多摩川土手に出る。すでに富士山は朝日をいっぱいに受けて、東面がオレンジ色に美しく輝いているし、頭上には雲ひとつないが、肝心の東の空は一面雲に覆われている。どうみても日の出の時刻に初日の出を拝めそうにないなあ。


元日の朝陽を浴びる富士

■ということで、もう地平線上には出ているんだろうなあ、と思われるひとときが長く続いたが、雲のわずかな切れ間から、
「あっ、見えたかな・・・・違ったかな・・・・見えた!あ、隠れた・・・見えた・・・見えた見えた!」
という微妙な状態でした。
■それでも僕は土手の上から朝日に向かって手を合わせ、これまでの感謝と、今年の我が家の安寧と平和を祈った。しずかなひとときであった。


多摩川の初日の出

初スキー
1月3日木曜日。
■秋本健ちゃんの家族が車で僕を迎えに来てくれて、一緒に川場スキー場に行った。秋本君の奥さんの明子さんはピアニストで、3歳になる笑(えみ)ちゃんという女の子がいる。
■我が家では、杏樹の小さくなって着られなくなったお洋服や靴を、よく笑ちゃんにあげる。今日、笑ちゃんの着ているコートも、最近まで杏樹が着ていたもの。とってもよく似合っているけど、なんだか顔だけ別で不思議な気がする。
■先シーズンまで杏樹が履いていた80センチのスキー板とブーツ、ストックの3点セットを笑ちゃんにあげた。といっても、雪国に行くのはこの日が生まれて初めてだというので、まだまだとてもそれを使って滑る感じではない。それよりも、杏樹のソリを貸してあげたら、喜んで遊んでいた。

■川場スキー場には、いつも健ちゃんの車で平日に行くので、
「こんなんで儲かるのかなあ?やっていけるのかなあ?」
と思うほど人が少ないのだが、さすが正月。めっちゃ混んでいたし、リフトに並ぶ人の多さにも驚いた。
■今シーズンの雪の少なさは本当に異常だ。ここにきて気温は下がってきたものの、要するに降雪量そのものが少ないのだ。だから川場スキー場も一番行きたい高手スカイラインという不整地の上級コースがオープンしていない。でも、メインのクワッドリフトのクリスタルエクスプレスは動いているので、不自由感はあまりなかった。
■それよりも川場は、木々の間を抜けていく新雪の沈み込むパウダー感が本当は楽しいのに、こう浅いと板を痛めるのが見え見えなので、とても中に踏み込んでいく気になれなかった。

■僕は西峰ダウンヒルという、ちょっとした不整地の一枚バーンで、先日の角皆優人君から教わったドリルをやりながらコブ斜面を降りたのが有意義だった。やはり僕は意識しないと右ターンの外向傾が弱くなってしまう。こんなコブ斜面ではすごくはっきりと安定感の差が出る。意識していると、右ターンの安定性が明らかに増すのが分かった。

素晴らしいぜCharger!
■モーグルスキーヤーたちが愛用するFull Tiltの新しいスキー・ブーツを買ってインナー・ソールを調整した話は、先に書いたが、同時に板も買った。一体、何台持っているんだ?と言われそうですね。全部K2の板だけど。
■これまでの板で一番気に入っていたのは、スラローム用のSpeed Chargerとモーグル用の244。でも、両方ともとても極端で、高速の安定性はSpeed Chargerに優るものはないのだが、コブには全然向いてないし、反対に244でコブを滑ると素晴らしいのだが、極端に細いため、新雪では潜ってしまってにっちもさっちもいかない。
■そこで、1台で、どのコンディションのゲレンデにも対応できる板のChargerを買ったのだ。勿論、言葉を変えると、どのコンディションでも中途半端な板、ということになるんだけれど、先シーズンの最後に、角皆君に連れて行ってもらって、いろいろ試乗した結果、中途半端の中で、我が儘な僕を満足させる最も素晴らしい中途半端な板(なんじゃそりゃ?)がこれだったのだ。

■確かに、高速で滑った時には、その安定性はSpeed Chargerにはかなわない。けれど、ひとつだけ思いがけない利点に気が付いた。この板はクラスとしては(値段としては)Speed Chargerの下位機に属し、中にメタルが入っていない。その分柔軟性に優れ、板がたわみやすい。
■そこでね、ロングターンをしている時に、外足を突っ張ると、驚くほどきれいにカーヴィングがかかるのだ。それも、以前の僕の愛機であり、とってもやんちゃなVelocityのように内傾を誘うようなカーヴィングのかかり方ではなく、きちんとした従来の狭い足のスタンスで外向傾をサポートし、その上で板がたわみ、正しくカーヴィングがかかるのである。

■ヤッターッ!これぞ、2020年の僕のスキーを生み出す理想の板だ!当然Speed Chargerも244も引き続き愛用するが、1台だけ持ってゲレンデに行く時には、これに限る!

やっと迎えた我が家のお正月
1月4日土曜日。
■みんなかなり元気になってきた。午後は、杏奈が府中の森公園に杏樹を連れていき、僕はすぐ近くの府中生涯学習センターのプールで泳ぐ。その後、僕も杏樹とアスレチックをやったりブランコに乗ったりして遊ぶ。ああ、健康っていいな。
■その後妻の車で角上魚類日野店に行って、刺身類を買って、夕飯はみんなで手巻き寿司。初めてお正月らしい料理が食卓に並び、娘たちは久し振りにお酒を解禁にしてビールやワインを飲んだ。角上魚類の中トロが、なんといってもおいしかった。
■食後に杏樹も交えて家族全員でUNOというカードゲームをした。UNOは、何度やっても杏樹が一番勝ちで、僕が一番負け。
「やっとお正月が来たね。皆さん年末から年始にかけてご苦労さん!」
と互いに言い合った。

1月5日日曜日。
■朝8時、マウンテンバイクでカトリック立川教会のミサに行き、その後そのまま柴崎体育館に行って1500メートルくらい泳ぐ。水泳は午前中が一番良い。体がよく動いてくれるし、体幹の確認も思うように出来る。

■夕飯はきりたんぽ鍋。うつる、うつらないの心配は過ぎ去り、ひとつの鍋を各々の箸でつつく。この何でもないことが嬉しくてたまらない。志保は4日と5日の演奏会の伴奏で、すでに仕事始めは終わっているが、僕と杏奈は明日(6日月曜日)から仕事始め。杏樹も明日から保育園。今晩が一家全員揃う最後の夕食となる。
■鍋料理が始まる前、昨晩から勝ちが続いて調子に乗った杏樹が、どうしてもUNOをやりたいというので、妻以外の4人でUNOを始める。3人の大人はもうビールの栓を開けているので、何度も何度も飽きずにUNOに興じて、鍋を前に食前のお祈りが始まった時には、もうみんなほろ酔い状態。

あはははは、三澤家はこうじゃなくっちゃ!

みなさん、明けましておめでとうございます!
今年も、よろしくお願いします!

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© HIROFUMI MISAWA