カップリング講演会無事終了

三澤洋史

写真 三澤洋史のプロフィール写真 新刊速報!
■先日、ドン・ボスコ社を訪ねて、新刊の打ち合わせに行ってきた。そこで、発売日が決まった。なんと東京バロック・スコラーズ「ヨハネ受難曲」演奏会当日の3月21日。北とぴあの演奏会場で編集長自らが売りに来てくれる。
■もちろん、その後は市場に出回るが、月刊「カトリック生活」を出しているカトリック系の出版社なので、どこの書店でも購入というわけにはいかない。インターネットで求めるのが一番確実で便利だと思う。近くなったらまた知らせるが、ドン・ボスコ社のホームページは以下の通り。
https://www.donboscosha.com/

本のタイトルが決まりました!
「よかったら お話し しませんか」
ドン・ボスコ社 定価1000円

松本さんが与え続けている希望と勇気
■朝日新聞2月10日月曜日夕刊に、松本弘さんの記事が載っていた。松本さんは、すでに83歳の高齢ながら、マスターズ水泳の世界記録を50回更新。今も一日2000メートル泳ぎ、新記録樹立を目指しているという。


松本弘さんの記事

■また、先日千葉県で行われた、日本マスターズ水泳協会公認の大会では、5種目で優勝した。しかも25メートル・バタフライは、2位を5メートル以上離しての圧勝だったというのだ。もうこうなると人間技ではない。

■実は、恥ずかしながら、僕は松本さんから2017年の夏、水泳を習っている。白馬の貸別荘に10日間ほどバカンスで滞在した時、親友の角皆優人君が導いてくれて、もったいなくも僕たち家族に水泳を教えてくれたのだ。
■あれから何度か書いていることであるが、松本さんからクロールを教わった時に一番印象に残っている言葉は、
「三澤さん、リカバリーして入水した手を、あと30センチ前に伸ばしなさい」
である。
「え?3センチとか10センチではなく、さ、30センチですかあ?」
とびっくりしたが、その松本さんの発言の意味が、ここにきてジワジワと分かってきた今日この頃である。

■つまり、30センチ伸ばすということは、肩関節だけでは無理で、どうしても肩甲骨からグーッと伸ばさないとできない。一応言うことは聞いて、前よりも伸ばすようにはしていたんだが、ごく最近、肩と背骨のTの字の線をイの字のようにゆがめて、極端に腕を伸ばすと、実際に30センチかどうか分からないけれど、グーッと画期的に伸ばせることに気が付いたのだ。
■これって、どうなんだろうなあ?それでもいいのかなあと思って、角皆優人君にメールを送った。
■すると、角皆君からの返事はこうであった。
「それでいいのです。ただスプリンター(短距離)の場合は、あまり極端にやると非能率的なのでそこそこだけれど、長距離の場合は思い切って伸ばし切ってもいいんだよ」
だって。ええ?マジ?
■それで、思い切って伸ばしながら泳いでてみた。あらら、不思議や不思議!それだけで体が前にスーッと進む。そして伸ばしきった手からキャッチを始め、掻いてみると・・・すごく長い距離掻けるんだ。しかも心配していたようには、泳ぎのラインは、曲がったりブレたりしない。体はむしろ一直線になり、抵抗がなくなるメリットの方が大きい。
■まあ、長い距離掻く分だけ疲れるといえば疲れるが、1ストロークで進む距離が伸びるので、その結果25メートルがすぐ着いて、とどのつまりは楽なんだな。

■これかあ、松本さんが言っていたのは・・・と、やっと30センチの意味を納得したというわけ。こんな風に、松本さんの教え方は、決して理詰めで、「こうだからこうしなさい」というものではなく、自然にうまくなるような導き方であった。
■たとえば、
「25メートル泳いだストロークの数を数えなさい。それを1回でもいいから少なくなるように努力してごらん」
という感じ。そうするとね、スピードを出すよりも、落ち着いて一回のストロークで掻ける量を増やそうとか、体の抵抗をなんとかして少なくしようとか、というところに意識がいくようになる。
■平泳ぎの場合は、手を掻いて足を掻いて、その後ストロークを節約しようと体を真っ直ぐ伸ばしている「伏し浮き」の時間が長くなる。足のキックも工夫するので、蹴って開いた両足を閉じる時にも、わずかながら推進力が得られることにも気付く。そうやって僕の場合は25メートルで8回くらいまでになった。
■勿論、普通に泳ぐ時には、そんなことしなくてもいいし、ストローク数ももっとあってもいい。でも、時々これを泳ぎの中に入れると、自分のフォームのチェックができるのだ。

■実際に松本さんが泳いでいる姿を見た。失礼だが、そんなにうまいように見えない。少なくとも、
「おりゃおりゃ行くぜい!」
などとガッツリな感じに見えないどころか、完全に脱力していて自然で、ユルユルに泳いでいるように見えるけれど、スピードだけは出ているのだ。ああ、こういうのが本当にうまい人なんだなと、恐れ入った。

■松本さんは、記事の最後で、
「まだまだ老人という言葉は当てはまらない。自分の姿を見て希望をもってくれる人がいたらうれしい」
と言っているが、希望を持ってますとも!こういう人が元気でいてくれることが、どんなに励みになっているか。そして僕だけでなく、他にも、どれだけ勇気を希望を与えられている人がいることか。

松本さん。いつまでも元気で頑張ってください!
応援しています!

カップリング講演会無事終了
■2月15日土曜日は、朝から東京バロック・スコラーズの練習。実はこの先、スキーのキャンプで白馬に行った後、そのままびわ湖ホールの「神々の黄昏」公演のために2週間大津に滞在するので、その日の練習の後は3月15日のオケ合わせになってしまう。
それなので、その日は全曲を止めながら通した。

■練習中、僕はみんなに行った。
「演技というのは目でするんだ。オペラではないので演技をする必要はないけれど、イエスを嘲りながら歌う時と、憎しみに燃えて十字架に付けろと叫ぶところ、あるいはこの悲劇を自分の問題として切々とコラールを歌うみんなが、同じ目をして歌うなんて考えられないだろう。目は心から出てくるんだ。
上手に正しく歌うとか、きちんと揃えて合唱するとか大事なのは勿論だけれど、日本の合唱ってそればっかじゃないか。その時の群衆はどんな気持ちなのか?そこに迫らなければ、聴衆の心を動かす感動的な演奏なんて出来るはずがないのだ。
これからオケ合わせまでの間に、みんなひとりひとりは、自分の問題意識を持ちながら練習に参加し、いろいろ試してみて試行錯誤し、何かを持ち帰って、また次の練習に来る、それを繰り返してください。
また僕が、ただ演奏するだけではなく、カップリング講演会などをやっているのは、いろんな角度から今取り組んでいる楽曲に関わって興味を持つこと、好きになることを目指しているからなんだ。
もし大好きな人がいたら、その人のことをいろいろ知りたいと思うだろう。それと一緒だ。音符だけが全てではない。いろんなところから新しいアプローチが始まるかも知れない。この講演会も、お客様のためというよりか、半分はみんなのためなんだ。『ヨハネ受難曲』を歯を食いしばってやるだけが能ではない。やる毎にどんどん好きになってください」

■その午後、求道会館には、いつもにも増して大勢の聴講者が訪れた。講師は、ベーレンライターのバッハ新全集の校訂に関わった、世界的なバッハ研究者であり、ご自身が明治学院バッハ・アカデミーを率いる指揮者でもある樋口隆一氏。
■実は、昨年の9月28日に、東京バロック・スコラーズでは、樋口氏をすでにお呼びして、団内の勉強会を行っていた。樋口氏のお話しは、その屈託のない明るい人柄に加えて、いろんな逸話を交えて語るので、実に興味深く楽しいが、唯一の欠点は、放っておくといつまでも伸びて果てがないこと。前回の勉強会でも、時間の経つのを忘れて結構伸び伸びになってしまった。
■団員だけの前回と違って、今回は、演奏会にいらっしゃる一般客向けのカップリング講演会であるし、借りている会場のこともあるので、開始前に僕の方から、
「済みません、後半に僕との対談と質疑応答の時間を設けていて、トータルで2時間を予定していますので、前半の講義自体は1時間10分から15分程度に納めていただけますか?その後休憩して、後半に30分かけます」
と念を押した。樋口氏には失礼だったかとも思うが、結果的に言うと大成功であった。
■何故なら、昨年の2時間以上かけたお話しを、樋口氏は努力してギューッと1時間15分に凝縮してくれたので、かえって一般客にはコンパクトで分かり易いものとなったし、2階で聞いていた団員にとっても、前回のダイジェスト版のようで、よく頭に入ったからである。
■それにプラスして、後半の僕との対談では、休憩中に樋口氏と相談して、前半で言い足りなかっただろうと思われるポイントについて、僕の方から質問という形で樋口氏の発言を促した。さらに、受講者からの質問に対しての答えを通しても沢山の重要な内容が語られたため、トータルで考えたら、ほぼ樋口氏も言いたいことを言えただろうし、講演会全体が、無駄なくしかも内容の濃い、素晴らしいものとなった。
■さすが樋口氏、知識の量が違うし、ご本人が研究だけでなく、指揮者としても実践的に活動しているので、バッハに対するアプローチの幅が広いのだ。今後も是非末永くお付き合い頂きたいバッハ界の重鎮である。

■講演会には、なんとイエス役の小森輝彦さんが出席してくれていた。講演会の後、樋口氏を交えて、合唱団の幹事の人たちと一緒に、食事会をイタリア・レストランで行った時も、同席してくれた。
■樋口さんも、小森さんもドイツ生活が長かったので、共通の知り合いがいたり、いろいろ話がはずんだが、なんとおふたりが同じ小学校だったということが判明して、みんなでびっくりした。たしかタケハヤって言っていたから、東京学芸大学附属竹早小学校のことかな。
■また、ひょんなことから、僕が昔NHKイタリア・オペラの「ファウスト」のゲネプロに紛れ込んだ時の話をしたら、その「ファウスト」のビデオを観たことが、当時高校のサッカー部に入っていた小森さんがオペラ歌手になろうと思ったきっかけだったことが判明した。
「ファウストのアルフレード・クラウスの声がね、僕を飛び越えてNHKホールの後ろまで飛んでいったんだよ」
と僕が言ったら、小森さんが、
「それって、もしかしてソプラノは・・・・」
「レナータ・スコットだよ」
「メフィストは・・・」
「ニコライ・ギャウロフ」
「それだ!そのビデオですよ。僕の運命を変えたのは!」
それでね、その時、彼が思った事というのが変わっている。
「僕はその時、ドイツあたりの歌劇場の専属歌手になろうと思ったのです。だって、そんな風にオペラを歌うことが日常生活なんて素晴らしいじゃないですか!」
い、いきなり専属歌手ですかあ?でもね、彼は、プラハ州立歌劇場「椿姫」ジェルモンでデビューした後、ドイツのアルテンベルク・ゲラ歌劇場専属の第一バリトン歌手として12年間も務め、その間にスカルピアやフリードリヒ・テルラムントなど主要なバリトン役をほとんど歌っているのだ。経歴には演じた役は70を超えると書いてあるよ。つまり、まさにDream comes trueですなあ。


右から樋口氏、僕、小森氏


■こんな風に、先々週の土曜日には萩原潤さんが合唱団の練習に来てくれたし、14日金曜日には鈴木准さんのアリアの合わせをしたし、講演会では小森さんが来てくれた。この「ヨハネ受難曲」は、絶対にみなさんの記憶に残る素晴らしい演奏会にしてみせる。もう楽しみで仕方がない。

■オーボエの小林裕さんが急逝して、今回一緒に出来ないのはとっても悲しいのだけれど、小林さんの後、そんじょそこらの人を代わりに呼んだら、草葉の陰で、
「なんだよ。そんな代役で満足なんじゃ、俺が頑張ったのはなんだったんだよ!」
と言われそうなので、ダメ元で茂木大輔さんに頼んだ。
■茂木さんはね、国立音楽大学の時からよく知っている。僕がまるめろ座というサークルで自作の前衛オペラを上演した時なんかは、彼はオーボエを吹きながら、インドの打楽器タブラ・バーヤを叩いていて、
「三澤さん、この図形楽譜じゃ、モチベーションが湧かないから、こっち使って演奏していい?」
と言うから、
「いいけど・・・何見ているんだい?」
と聞いたら、エロ本を開いてヌード写真見ながらタブラ・バーヤを叩いていた。あはははは、そんな茂木君が偉くなってN響の首席を長年やってもう定年だっていうじゃない。
東フィルのコンサートマスターである近藤薫君も、
「久し振りのバッハなので、僕にヴァイオリンのメンバーを集めさせてください」
と、メンバーの選定から気合いが入っている。

今週末はキャンプの後大津へ
■今は、いろいろバタバタしていて忙しいけれど、キャンプをこなしてから、大津に行ったら、練習が午後からなので、ホテルでの午前中をたっぷり使って、「ヨハネ受難曲」の勉強三昧の日を送り、同時にマーラー交響曲第3番の勉強も始めるんだ。
■あ、その間に、一日だけ西宮まで福音史家の畑儀文さんを訪ねていって、「ヨハネ受難曲」の合わせをするんだよ。
「ヨハネ受難曲」もマーラー第3番も、本当に大好きな作品だから、1音1音レベルまで楽しみ尽くし、味わい尽くすのだ!

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© HIROFUMI MISAWA