こうもり対決

こうもり対決
 来週の4月10日から、新国立劇場ではヨハン・シュトラウス作曲、喜歌劇「こうもり」の合唱音楽練習が始まるため、現在僕のi-Podには、コルトレーンなどの“趣味の音楽”が消されて、2種類の「こうもり」が入っている。
 「こうもり」は、僕の尊敬するカルロス・クライバー指揮の演奏を聴いていたが、どうもところどころ居心地が悪いので、生粋のウィーンを味わおうと思って、ヴィリ・ボスコフスキー指揮のCDを買ってきてi-Podに入れた。
 この二つの演奏、あらゆる意味で対照的だ。僕はさしあたっては合唱部分だけ聞けばいいのだが、どこまでが仕事でどこからが趣味の領域だか分からないこの職業柄、気がついてみたら合唱の勉強なんかそっちのけで、二つの演奏の聞き比べをやっている。なので、今回のi-Podactuelleは二つの「こうもり」の対決だ。

序曲対決
 クライバー盤は、オケがバイエルン国立歌劇場管弦楽団で優秀なこともあって、演奏テクニックは素晴らしい。クライバーの常で、テンポは速め。冒頭の速いパッセージが鮮やかにきまっている。
 アレグロ・ヴィヴァーチェがフェルマータで一段落すると、ヴィオラとファゴットの四分音符の伴奏に乗ってオーボエがソソラード・ドシラソ(以下メロディーは分かり易いように移動ドで書きます)というメロディーを吹くが、ここは楽譜ではソソラーのひとつひとつの音符の上にアクセントがあり、さらに三つの音符がスラーで結ばれている。これをどう解釈するかでもう印象が変わってくる。
 クライバーはアクセントに重点を置き、よりアクティブな感じを強調する。一方ボスコフスキーはレガートに傾いている。つまりだね、クライバーでは、オーボエ奏者はひとつひとつの音を舌で突いているのに対し、ボスコフスキー盤では、舌を使わず、一息の中でフーフーフーという感じで吹いているんだ。僕はちなみにクライバー風の演奏が好き。

 ボスコフスキー盤では、オケはウィーン・フィルとかウィーン国立歌劇場管弦楽団ではなくウィーン交響楽団。弦の弓使いや管楽器の精度がやや悪いのが難点。演奏は、クライバー盤に比べ良くも悪くものどかでひなびた感じ。たとえば鐘の音が六回鳴った後、チェロのピツィカートに乗ってヴィオラが十六音符で刻み始める箇所。ウィーン交響楽団はさっぱり弓を飛ばすが、クライバー盤ではほんのちょっと長い。それだけ揃いにくくなるけれど、ある種のニュアンスが出るんだ。

 弦楽器がユニゾンでソファソラソファ・ソラソファソラ・ソファソラソファ・ソラソファソラと奏し始めると、有名なこうもりワルツの準備だ。ここは譜面ではピアニッシモからクレッシェンドすると書いてあり、さらに各音符にスタッカートが書いてある。ここの演奏の仕方は、弓さばきのテクニックがないと上手に出来ない。弓の真ん中くらいから力を抜いて弾き初め、しだいに圧力をかけながら弓元にたぐり寄せていって、四小節で一度ストップ。その直後のワルツの最初は、一度弓を弦の上に置き、かなり弓元からちょっとガリッという感じで弾き始める。その時のちょっとしたテンポの揺れが勝負。
 この出だしは、クライバー盤はさっぱりし過ぎてつまらない。その後のワルツ全体のアゴーギクも気に入らない。こういうところは、さすがウィーンっ子のボスコフスキーが満足のいくようにやってくれる。

 僕は、こうもり序曲は何度かオケで指揮したことがあるが、結構ウィーン風アゴーギクとやらが気に入っていて、ソファソラソファ・ミレミファミレ・ドミソ・・・ラ・・・ラーと、たっぷりテンポを動かして演奏していた。
 先日、オペラの立ち稽古の休憩時間にノヴォラツスキー芸術監督と「こうもり」の話をしていたら、彼はこう言う。
「あのさあ、ワルツのあの箇所で止まっちゃうくらいアゴーギクをかける奴がいるけど、あれは最低だね。」
彼はウィーン生まれのウィーン育ち。その彼がそんな事言ってきたのは聞き捨てならない。
「なんで?僕結構アゴーギクやるよ。ウィーン風じゃない。」
「駄目だよ。あれじゃ踊れないじゃないか。」
「別に踊らなくったっていいじゃないか。ショパン・ワルツだって踊れないしさ。子犬のワルツで踊れるかってんだ。」
「いいや、駄目だ。ウィンナ・ワルツは踊れなければ駄目なんだ!とにかくあれは悪い伝統なんだ。」
「ふうん・・・。」

 それからこの序曲を二つの演奏で何回も聴き直してみた結果、ボスコフスキーくらいのアゴーギクが丁度良いのだという結論に達した。ニュアンスもあるし、流れがとだえない。すなわち「踊れる」。
 僕は大変なことに気付いた。もしかしたら適度の揺れが「粋」なんであって、僕のようにやり過ぎると、これはもう「野暮」以外の何物でもなくなってしまうのかも知れない。うう、若気の至りだなあ。修行が足りないなあ。
 でもクライバーのように素っ気ないのも、これはこれで野暮だよ。そういうことで、演奏の完成度はなんといってもクライバー盤に軍配が上がるのだが、序曲対決はウィーンの粋を感じさせるボスコフスキーの勝ち!

ロザリンデ対決
 中学生の頃毎日聴いていたレコードがあった。それはアンネリーゼ・ローテンベルガーの歌うシューベルトの「鱒」と「春の信仰」。母が姉のために買った音楽全集に入っていた。僕はその音楽全集を姉から奪い、言葉通り擦り切れるまで聴いた。
 ローテンベルガーの歌は、端正で上品でなんともいえない色気があり、レコードを聴いているとまるでやさしいお姉さんに微笑みながら抱かれているよう。思春期の僕にはたまらなかった。その時以来、僕は女性歌手の声フェチかもしれない。女性歌手フェチじゃないよ。声フェチ。

 大学生の時、ローテンベルガーが来日してリサイタルを開いた。僕は勿論聴きに行って、楽屋にまで押しかけてサインをもらった。その頃僕は彼女の写真を定期入れに入れていた。お袋はそんな僕をからかって、
「五十歳のおばさんに恋いこがれているのかい。」
と言っていた。
 カラヤンが指揮するR・シュトラウスの「薔薇の騎士」の映画上映会がヤマハ・ホールであった時も、元帥夫人のシュワルツコップは置いといて、ゾフィー役のローテンベルガーに夢中になっていた。

 今回、ボスコフスキー盤でロザリンデを歌っているので(って、ゆーか、ローテンベルガーが歌っているので買ったとも言える)、あらためて聴いてみたら、昔は分からなかったことがいろいろ感じられた。
 まず、彼女の声はかなり硬質で、ややちりめんのヴィヴラートがある(実はちりめんヴィヴラートは今の僕の大嫌いなものなのだ)。しかもコロラトゥーラの技巧は思ったよりも下手。
 年齢を重ねていく間にいろんな歌手に触れて、多少耳が肥えた状態で聴いてみたら、昔あんなに恋いこがれていたローテンベルガーの歌も突出したものではなく、沢山の優秀な歌手の内のひとりだったのだと認めざるを得ない。勿論歌い口は上手だし、音色も良い。でも「こうもり」に関していうと、一番欠けているのはロザリンデという人妻の持つ危ない魅力。クライバー盤のユリア・ヴァラディにはそれがある。ローテンベルガーは生真面目すぎるんだ。そこが彼女の良いところなんだけどな・・・・。

 そんなわけで涙を呑んでロザリンデ対決はクライバー盤のユリア・ヴァラディの勝ち。うわーん!

アデーレ対決
 クライバー盤のルチア・ポップはほれぼれするほど美声。でもフレーズの終わりで声を押すのと、細かい音符の処理がキラキラってしていないので軽快さに欠け、アデーレとしてはいまいちだ。状況を考えずに曲だけ聴けば悪くないんだけどね。
 一方、ボスコフスキー盤のレナーテ・ホルムは、日本ではメジャー歌手として認識されてはいないが、僕にはなかなか好印象。フレージングがとてもいいし、アデーレの魅力がこぼれるように出ている。なのでこの勝負はボスコフスキー盤レナーテ・ホルムの勝ち。

アイゼンシュタイン対決
 「こうもり」は、軽快な中に後期ロマン派のワーグナーやマーラーとはまたちょっと違った意味で、文化の爛熟とか退廃とかが感じられなくてはいけない。ヨハン・シュトラウスの音楽は、表向き軽快で健康的だけれど、アゴーギクやニュアンスを最大限受け入れる余地を残しており、それが気の利いた趣味で処理されると、なんともいえない時代の危なさを醸し出すのである。
 そういう意味では、僕はボスコフスキー盤の端正なニコライ・ゲッダよりも、クライバー盤のヘルマン・プライの方を買う。ゲッダも頑張っているんだけどね。

 この役は、ト音記号で書いてあるのでオリジナルではテノール役だが、高い音域さえクリアすれば、ハイ・バリトンでも可。テノールの方が軽薄さが出る一方、バリトンの方がパンチがあって良いとも言える。だからこの対決はテノールのアイゼンシュタインが良いかバリトンの方が良いかという別の意味の対決も含んでいる。

 ここでのプライは自由自在。彼の最良の姿が出ている。元々彼は美声だが、そのちょっと泣き声に近いような美声の中にある種の退廃を含んでいるんだ。特に今回のように高音域を歌う場合にはなおさらだ。自分の妻だと知らずに仮面で変装した見知らぬ夫人を口説こうとする場面の語り口など見事。
というわけでアイゼンシュタイン対決はクライバー盤プライの勝ち。

ファルケ対決
 これは優劣をつけ難い。クライバー盤のベルント・ヴァイクルは、新国立劇場にも何度も登場していて僕とも仲良しだ。だからというわけではないが、声も演技も素晴らしい第一級の歌手だ。しかもこの録音での彼は若々しく輝かしい声でうっとりするよ。
 一方ボスコフスキー盤のフィッシャー・ディースカウのうまさはこの曲に限ったことではない。ただちょっとこの作品ではうまさが作為的で鼻につくかな。

 クライバー盤では別の対決がある。アイゼンシュタインがバリトンのヘルマン・プライだから、ヴァイクルと高音対決のようになっていて、第一幕の二重唱「僕と一緒に晩餐会へ来たまえ」の最後などは二人ともハイAに上げていて、しかもそれが見事にきまっている。フィッシャー・ディースカウは、相手がテノールだから、勝手に上げさせてゆったりと下におろしている。
 うーん、お友達のよしみでかなりえこひいきだが、Aに上げた気合いを買って、ファルケ対決はヴァイクルの勝ち。いいわけがましいが、例の二重唱ではクライバーのきびきびしたテンポがかなり助けになっているな。ボスコフスキー盤はちょっとタルい。

合唱対決
 実力的にはややクライバー盤のバイエルン国立歌劇場の方が上かな。音色がバイエルンの方が良いし、ボスコフスキー盤のウィーン国立歌劇場合唱団のソプラノの声の揺れはちょっと気になる。でもほぼ互角と言ってもいいくらいの違い。ドイツ語の発音は、録音やテンポのせいもあるけれどウィーンの方が明瞭。
トータルとしてはクライバー盤バイエルン国立歌劇場合唱団の勝ち。

そして総合評価
 個々の項目ではクライバー盤の方が良いみたいだね。でも全体を聴いてみた感じはどうなのだろうか。完成度はクライバー盤の方が高いが、やはりボスコフスキー盤のひなびた魅力も捨て難い。
 僕思うんだけど、パリやニューヨークなんかから比べたら、ウィーンってどうみたって田舎だからね。だからウィーン風趣味って本当に洗練されているわけではないだろう。その田舎っぽさはボスコフスキー盤には現れているね。

ということで田舎っぽさをとって、ボスコフスキー盤の勝ち!え?本当かな・・・・。

 いや、田舎っぽさとかそういうことではなくて、僕にはやっぱりクライバー盤は最後までどこか違和感が残るんだ。これが「トリスタンとイゾルデ」とか「ラ・ボエーム」とかのシリアスな作品だったらいいんだけどね。
 クライバーは、コンサート作品でもオペラでもレパートリーがとても限られている。その中に突然「こうもり」があるから不思議なんだけど、他のシリアスな作品同様の緊張感に支配されているのが僕には不気味なんだ。弛んだら駄目だろうけれど、この緊張感はこういう作品にはかえって邪魔じゃないかな。クライバーって、内面に本当のユーモアを持っている人じゃなさそうだから・・・。

 それにしても、あのブラームスも賞賛したヨハン・シュトラウスの音楽は、やはり素晴らしい。シュトラウスの音楽って、もしかしたら他の作曲家の作品以上に演奏者の人間性を映し出してしまうのかもしれない。

2006.4.6

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