もうすぐアッシジ祝祭合唱団国内演奏会

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

もうすぐアッシジ祝祭合唱団国内演奏会
 6月3日月曜日の今日は、本来ならば午前中から更新原稿を書いているところだが、むしろ午前中は外出していた。なので、この原稿のここのところを書いている今現在、午後6時半である。というのは、目黒にあるヤマハ・エレクトーンシティで、今週末にあるアッシジ祝祭合唱団の国内演奏会のために、ピアニストである長女の志保と、エレクトーンの長谷川幹人さんとの合わせ稽古をしていたのだ。

 演奏会のプログラム自体がある程度の長さがあるので、あまり、あちらこちらほじくり返して稽古はできなかったが、それでも返すところは返して、丁寧に練習したら、ふたりのアンサンブルもどんどん良くなってきた。

 でね・・・済みません、元来ノーテンキで、こんな事言って申し訳ないんだけど・・・自分で作っているから余計そうなんだけど・・・結構良い曲です!てへへ・・・。というか、やっている内に随所で自分で感動しちゃって、特に、昨年の4月に作ったCantico delle Creatureの後半とか、フランシスコの詩が素晴らしくて、涙が出そうになりました。

 またミサ曲のDona nobis Pacemの音楽は、本当に素晴らしい!で、馬鹿みたいだけど、こんな風に自画自賛してしまうのは、これは自分などが自分の頭からひねり出したものなんかじゃないということの証明なのだ。
 前にも言ったように、夏の白馬の貸別荘で、真夜中にひとりで起きていて、電子ピアノでメロディーをあてもなく探しているときに、ふと頭の中を流れたメロディーなんだ。アーカシック・レコードというものがあるけれど、音楽にも似たような膨大な音の流れがあって、そこからのひとしずくが、僕にもたらされた、っていう感じだ。
 つまり、これは、僕の自慢なんかじゃないんだ。僕は傲慢ではなく、むしろそのことによってとっても謙虚になっている。こんな僕に、ありがたくももったいなくも与えられたんだよ。Magnificatの歌詞にもあるじゃない。

身分の低い、この主のはしために目を留めてくださったからです。
今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、
力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。


 この歌詞の本当の意味も、こうしたインスピレーションを与えられたことによって、本当に理解できたのだ。
「身分の低い、この主のはしため」
「幸いな者」
そうなのだ。自分がそれを受けるに値するからでなくて、それは本当に天から無償で与えられたものであるから、私が「凄い」んじゃなくて「幸いな者」なのだ。

 その与えられた音楽に、また今日もあらためて感動させられているのだ。願わくば、その感動が、6月8日の田園調布教会に集まったお客様の上にも注がれますように。感動を注ぐのは僕や演奏者や合唱団ではなく、上からの“流れ”なのだ。その瞬間、感動する者は、その流れとつながるのだ。

みなさん、僕の言葉を信じて下さい。
「作曲したのは僕かも知れないけれど、僕はただ、その流れのはしために過ぎないのです。と、そう言い切れる者が、良い曲を作れるのです。栄光は。その流れにありますように!」

2024.6.3





© HIROFUMI MISAWA