優秀なスタッフと参加者への配慮
いよいよ7月に入って、来年のアッシジ旅行が1年先に迫ってきた。同時に、9月2日土曜日のアッシジ祝祭合唱団発足に備えて、準備が着々と進んでいる。このアッシジ演奏旅行のスタッフ達が実に優秀なのだ。
まず、Cafe MDRのコンシェルジュは、ホームページ上からQRコードを読み込んでの申し込みを行ってくれている。この「今日この頃」の原稿のように、僕からの直接の情報発信に最も近いスタッフだ。
彼と彼の奥さんの他に、2人のスタッフがいる。彼らは、僕がのんびりと、
「9月から練習開始だから、まだ時間があるし、演奏旅行そのものは1年以上先だ」
などと思って、譜面の推敲を怠っていると、お尻をどんどん叩いてくれて、
「譜面の見直しを早く終えて、PDFとかではなく、Finale(譜面作成ソフト)のファイルのまま送ってください!」
と急かしてくれる。
僕はとりあえず、プログラム冒頭の「プレリュード」と「3つのイタリア語の祈り」を急いで推敲し、Finaleファイルのまま送ると、彼らはそこから、なんと“団員用パート別音取り音源”を作ってくれた。なんて親切!
それも2人のスタッフで、それぞれ切磋琢磨し、
「ピアノ音源の方が音取りし易い!」
とか、
「いや、ブラス系の方がいいんじゃない?」
と主張し合いながら、熱心なやり取りをしている。
う~ん・・・僕は、譜面を見ただけで頭の中に音が浮かぶので、これまでの人生で、音取りに苦労したことないので、よく分かんないんだよね。特に、自分の作曲した音楽だからなおさら・・・なので・・・あのう・・・済みません、任せますから、よろしくお願いしまーす!と言っておんぶに抱っこ!
また、イタリア語やラテン語の歌詞の過ちを丁寧に直してくれる。Agnus DeiをAgnus
deiと、つまりDeiを小文字で書いていたんだよね。するとチェックが入った。Deiは「神様」だから、大文字を使うべきなんだ。カトリック教徒なのに、そんなことも知らないのは恥ずかしいなと反省した。
また、彼らは、合唱練習の際にビデオを撮るかリアルタイム配信などで、練習そのものをネット配信することを考えている。毎回は出られないやや遠方からの参加者や、地方からの参加者のためである。同時に、必要に応じての“合同練習”などを、進行状況に従って設置していく話もしている。とにかく、新しい合唱団は至れり尽くせりで、皆さん頼もしい限りである。
ツアーのみへの参加及び合唱団のみへの参加について
僕の周りには、
「自分は、合唱があまり得意ではないので本番では歌わないけれど、そんな素晴らしい企画があるなら、是非この機会にアッシジ・ツァーに参加したい」
と言ってくれている人が何人か現れている。
夜明けのウンブリア平野
今回関わっている旅行社はフルスコア・インターナショナルで、オーケストラや合唱団の演奏旅行をコーディネートする事を積極的に行っている。
僕はその担当のKさんに訊いてみた。
「この企画が興行的に成り立つためには、最低何人参加することが条件ですか?」
すると、
「30人です」
という答えが返ってきた。
その30人という数は、必ずしも演奏者の数ではないから、旅行社の側から極端に言えば、ツァーだけの参加者でも30人集まれば、アッシジに行くことはできる。その意味で、ツァーだけの参加というのは“大歓迎”である。
街のいたる所にある市門
サンタ・マリア・マッジョーレ教会
サンタ・キアーラ教会をバックに
Missa pro Paceの再編曲
プログラムの中心を占めるMissa pro Pace(平和のためのミサ曲)は、それだけで1時間かかる作品だ。一方で、教会で行うコンサートの場合、休憩時間を取らない演奏会が多いので、最初は、何曲かを単純に抜いた、いわゆる“抜粋上演”にしようかと考えていた。
しかしながら、再びスコアに向かい合ってみたら、たとえばCredoの中のある部分のみを抜粋したりすると、内容の一貫性に問題が生じて、かえってミサ曲として上演する意味がなくなってしまう。
そこでたとえば、超イケイケのゴスペル調の部分や、デキシーランド・ジャズのような箇所や、Festa di Credo(クレード祭り」のような、サンバ・パレードになりそうな音楽のサイズを縮め、場合によっては別の音楽を作曲して当てはめた。
ゴスペル調の賑々しいGloria冒頭は、グレゴリオ聖歌の先唱に変えたし、Gloria最後の部分も、グレゴリオ聖歌が回帰した。ノリノリ・サンバのFesta di Credoは、後半のAmenの部分だけを採用して全体時間を縮小した。
僕は原曲を、決してふざけて書いたわけではありません。たとえば、黒人としてみれば真面目にお祈りしていたつもりが、ゴスペルになったり、祈っている内に喜びが満ちあふれてきて踊り出してしまったわけだろう。そこに聖霊が働いていたかも知れないよね。
そもそも僕がMissa pro Paceを書いた目的のひとつに、
「こういうのがミサ曲だ。堅苦しくて退屈なんだよね」
と思い込んでいる人たちに、
「神様を賛美したり感謝したりするのに、こうじゃないといけない、ということはないんだよ。喜びが溢れてきたらそれを素直に出せば良い。ほら、こんな風に!」
という例を見せたかったのだ。
では逆に、どうして遠慮して音楽を変えてしまうの?堂々とやればいいじゃないの?という意見もあるよね。それに関してはこう思っている。僕は真面目な信者の批判を“恐れて”書き変えたわけでもない。でも、シチュエーションの違いというのは考慮に入れるべきだと思う。
普段の教区のミサや礼拝に地元の信者が参加する時には、ノースリーブでもサンダル履きでもいいかも知れない。信仰を日常生活から切り離さないで、むしろその境界線を取り除くのも必要かも知れない。
しかし僕が、東京カテドラル関口教会のミサで聖歌隊の指揮をしていた時、半ズボンを履いたりサンダル履きで指揮したことはない。ましてや、聖フランシスコ聖堂でミサ曲を指揮するとしたら、やはりそれなりのリスペクトを捧げたい。だから、今回のMissa
pro Paceは、僕なりの聖フランシスコ聖堂用特別リスペクト・ヴァージョンだ。
原曲演奏
その一方で、来年2024年9月には、名古屋のモーツァルト200合唱団の演奏会で、メインプログラムとして、Missa pro Paceの本当の意味でのオリジナル全曲上演をやります。しかも2管編成のフル・オーケストラ・バージョンなのだ。
何故なら、モーツァルト200合唱団は、刈谷国際コンクールとタイアップしていて、来年の刈谷市総合文化センターで行われる演奏会の前半プログラムは、ヴァイオリン受賞者との共演によるベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲なのである。そこで、どうせ2管編成のオケを使うのだから、その規模のオーケストレーションまでは書いていいよ、という話なのだ。
さらに、そのオーケストレーションは、実はもうとっくの昔にできている。だって、その演奏会プログラムは、2020年9月に行われることになっていて、コロナのために中止に追い込まれたからである。モーツァルト200の演奏会は、昨年長いブランクを経て再開されたが、昨年は無難に「モーツァルト=レクィエム」をメインにしたプログラムだった。
という風に、コロナの影響で紆余曲折を経て、いよいよ二つのMissa pro Paceを持って《三澤ワールド》が2024年の夏に炸裂するのだ。
申し込み待ってます!
みなさん、この企画は、どこにでもあるようなものではありません。どうか僕を信じて(って、ゆーか、半信半疑でもいいから)、9月2日土曜日の練習初日に、試しに参加してみてください。
2023.7.3