Bayreuth 2001

 

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

6月28日(木)
 バイロイト音楽祭合唱団の指導スタッフの一員となって働くのは今年が3年目。団員とも仲良くなっているし、仕事の勝手も分かっているので、日本からやって来ても何の違和感もなく練習初日から溶け込めた。

 43歳になったばかりの若手シェフのエバハルト・フリードリヒを中心に、今年のアシスタントは僕を混ぜて3人。僕と、ベルリンに住んでいるシュテッフェン・シューベルトは昨年と同じ。変ったのは、ブリュッセルのモネ歌劇場合唱指揮者のバルサドンナが今年は来られないので、新しくオリバー・シュタッペルが加わった。バルサドンナは典型的なイタリア人らしく自己チューな奴で、昨年は随分喧嘩したが、居ないとなると喧嘩し甲斐がなくてなんとなく寂しい。
 アシスタントが3人というと多そうに感じるかも知れないが、誰かが練習をつけている時にもう一人がピアノ伴奏をしているので、二手に分かれて練習をする時にはもうフル稼働である。
 さらに舞台稽古になると、舞台や客席の真ん中で合唱団の響きを聴きながら指示を出しているフリードリヒの他に、必ず両方の照明塔からのフォローが必要になってくるので、3人とられてしまう。その間に同時進行で初心者の為の稽古をしたりすると、残りの一人は自分でピアノを弾きながら練習をつけなければならない。
 とにかく一ヶ月あまりの間に4演目もの全ての合唱部分を音楽稽古から始めて立ち稽古、舞台稽古、ゲネプロ、本番へともっていかなければならないので、合唱音楽スタッフは休みなしだ。

 思い返してみると、初めての年はバラッチの元でピアノを弾くだけでも物凄く緊張したものだった。今はむしろ当然のごとくピアノを弾き、次の出のキッカケを団員に与えてあげ、一緒に練習の成り行きを見守っている。
 また自分が練習をつける時は、ピアノを弾く同僚が弾きやすいように配慮している。フリードリヒ自身も、長年の勘と雰囲気で全てを進めていこうとした前任者バラッチとは対照的に、処理能力にすぐれているので、今年の合唱練習は驚くほど効率よくスムースに進んでいる。

 新人のオリバーはとてもおとなしい奴で、合唱が専門ではなく彼が所属しているヴィースバーデン歌劇場ではむしろソリスト付きのコレペティトーアだ。いろいろ僕にも聞いてくるので教えてやっている。僕も3年目なので先輩風を吹かせるってわけだ。僕がドイツ人にバイロイトでやり方を教えるなんて考えもしなかったなあ。

 ひとつ気になる事がある。昨年フリードリヒは、神様のように慕われていて、1999年の音楽祭を最後に引退した名合唱指揮者ノルベルト・バラッチにリスペクトを持って、彼から引き継いだ祝祭合唱団を急に壊したりしないように周到にバラッチの路線をなぞっていた。昨年の成功は当然の結果だ。かなりの部分をバラッチからの遺産に負っていたのだから。
 だが2年目に入って彼は今年こそ正念場だと思っている。むしろこの時を待っていたとも言えるが、「自分のオリジナリティーを出さなければ!」とやっきになっているような気がする。

 彼はバラッチよりも明るい音色が好きだ。バラッチが、例えば「パルジファル」などで、「もっと暗く、神秘的な音色で!」と注意を出していた箇所などについても、時には正反対の指示を出す。
「母音を明るく。もっと前で歌って!」
 それでうまくいく箇所もある。だがこれまでのバイロイト合唱団の特徴だったあの深みのある宗教的ともいえる独特の響きは失われつつある。それが僕には残念だ。
 それと合唱団員一人一人はそれぞれ自分の声のメソードを持っていて、時には全く溶け合わないこともあるものだが、バラッチは音色を暗く設定することによってそのギャップをうまくカモフラージュしていたのだ。
 それが明るい音色になると、それぞれのバラバラな声がダイレクトに聴こえてきてしまう。団員達本人も暗い音色で歌っていた部分をいきなり明るく歌うように指示されても、それを声楽的にどう処理したらいいか腹が決まらない。
 やたら薄っぺらい声を出す者、イタリア・オペラのような声になってしまう者、いろいろな声が聴こえてきて面白いんだけど、面白がっている場合ではない。なんとかしなければこのままでは大変だ。音色自体は合唱指揮者の好みの問題だからいいとしても、ばらばらなのは良くない。このまま聴衆の前に出すわけにはいかない。フリードリヒの意向を尊重しつつ、出来るフォローはしなければ・・・・。



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