Bayreuth 2001

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

7月2日(月)
 今、「ローエングリン」の女声の初心者稽古をやって帰ってきた。いつも思うけど、こちらでは練習の時に、その場でいかに相手を説得したり、納得させたり出来るかが勝負で、やっぱり何か戦っている感じになる。
 今日も行ったら団員の一人が、
「昨日も初心者稽古をやったからもうやる必要ないんじゃない?」
といきなり言ってくる。
 僕は、
「そうも思うけど、暗譜稽古だと思ってやりましょう。」
と答えた。
 で、練習が始まってみると勿論いろいろ直したい箇所が出てきて、あっちこっち止めてしまう。でもそんな時僕がきちんと説明して、どこがどうに悪かったからどうしたいのかをはっきり説明すれば、みんなは納得してきちんとついてくる。ていねいに練習をつけて進歩の跡が見えたので最後にはとても良い雰囲気になった。

 こんな風に一回一回が気が抜けない。日本のように「指揮者だから敬わなければいけない」なんていうのは、ヨーロッパにおいては基本的にないからね。自分の力でついてこさせるのだ。でも僕は日本にいて先生、先生と呼ばれて変に敬われるよりずっとこの状態が好きだ。アクティブに音楽家として活動しているって感じがするからだ。

 こちらで「いい指揮者」と呼ばれている人には、みんな人を無理矢理納得させてしまうオーラのようなものがある。自分のやりたいイメージがはっきりしていて、それをどこまでも貫こうとする強烈なエネルギーがある。
 音楽家というものは、いつも自分のやりやすい状態で音楽をやろうとする。それもとても大事だけど、いい指揮者はそれを時には突き崩す。そしてもっと、もっとというようにどんどんプレイヤーに自分の望んでいるレベルを突きつけてくる。
 プレイヤーにとってはプレッシャーかけられて嫌だったりするけど、出来上がったものがそのプレイヤーにとっても最上のものになったならば、結果としてはプレイヤーを喜ばす事になる。
 ティーレマンなんか見ていると、いつも自分の中にある緊張感を持っていて、
「その辺にあるような平凡な演奏なんか要らないぞ!」
って言っているよう。その場その場で人に好かれる為に音楽をやっているんじゃないぞう、っていう雰囲気を常にあたりにかもし出している。

 もしかしたら音楽家として僕自身に一番欠けていて、これから絶対に持たなければならないものとはこうした強引さなのかも知れない。一生懸命やったら常に名演になるとは限らないが、逆に普通にやっていて気が付いたら名演になっていたなんて「棚からぼた餅」的なことは世の中絶対にないのだ。名演が生まれるところでは、必ずどこかで非凡なエネルギーが噴出しているはずなのだ。こんなことを教えてくれるバイロイトってやっぱり素晴らしいところだと思う。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA