Bayreuth 2001

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

7月13日(金)
 午前中は「パルジファル」の「花の乙女達」のオケ付き舞台稽古だった。ティーレマンはオケと歌が少しでもずれると嫌がるので、照明塔の上のペンライト・フォローはとても気を使うけれど、鳴っているサウンドは素晴らしい。僕なんか感動して泣きそうになっちゃった。
「いけない、いけない、仕事中!」
と思って一生懸命別のこと考えたりした。
 元来とても洗練されたオーケストレーションだけど、彼の手に掛かるとまたいっそう色彩的でダイナミック。もう言うことなし。特にピアノの美しさは筆舌に尽くしがたい。でもね、ないものねだりを言うと、おととしのシノポリの「怒涛のようなサウンド」、あるいは「艶っぽい官能的なサウンド」も捨てがたいんだけどね。

 さて練習が12時半くらいに終わって、ソプラノ合唱団員の井垣朋子(いがき ともこ)さんと一緒に自転車で丘を降りてバイロイト大学に行った。井垣さんは今車をぶつけられて廃車になっちゃったそうで、自転車で劇場まで通っている。二人で並んで自転車をこいでいくとなんだか小学生時代を思い出す。大学まで何をしに行ったかと言うと、今日はディーターというバイロイト大学微生物科の教授と一緒に大学の学食でお昼を食べる約束をしている。


祝祭劇場~バイロイト大学
(画像クリックでGoogleMap表示)

 今日はディーターを紹介しよう。僕はディーターと昨年以来とても仲良くしている。彼はすでに63歳になっているが、服装も生き方もとてもラフで権威主義者でなく、精神的にも肉体的にもとても若くて僕とよく話が合う。
 彼の家には自分の書いた絵が壁一面に掛かっていて、ジャズのCDが流れている。とても趣味の豊富な彼だが、特筆すべきは自転車。彼は自転車でどこまでも行ってしまう人で、今年も大学の試験週間が終わると7月28日くらいから、なんとローマにまで自転車で行く計画を練っている。
 自転車の後ろの両側にテントやらなんやらの荷物を積んで、夜はたとえば森の中にテントを張って瞑想しながら過ごしたりするそうだ。そんな風にとても変わっているディーターだが、いろいろ面白い事を言う。
たとえば、
「この地上で最も進化した人類を3人挙げよといったら、僕は仏陀、アインシュタイン、そしてバッハを挙げると思う。」
なんていきなり言ったりする。

 ディーターと知り合うようになったキッカケは、このバイロイトに永住している数少ない日本人女性のWinter 和子さんの紹介だった。和子さんもこのバイロイト大学で日本語を教えている。彼女は元来外交官の家に生まれてこっちで教育を受けたので、英語がネイティブで、次にドイツ語が来て、日本語は一番ヘタなんだけど、日本語を教えている立場上なるべく我々日本人とコンタクトを取って会話し、我々から生きた日本語を教わりたいのである。


Winter 和子さん、杏奈と(2003)

 大学にいくと、もうディーターとWinter 和子さんの二人が学食の前で待っていた。まだ試験週間だから学生達がうようよいる。ディーターは上下ともよれよれの格好をしている。
「背広にネクタイなんて格好することないの?」
って聞いたら、
「学会の時以外はほとんどこんな感じだよ。他の科の教授達のなかにはそんな人もいるけどね。別にそんなことで権威を誇示しなくったっていいじゃない。」

 学食はいろんなものを自分で選んで取れるからいい。スープを取って、コールスロー・サラダを取って、それから・・・・僕はやっぱり肉料理を取ってしまう。あーあ、成人病が心配。ソースが変わっててカレー味だ。パイナップルとか入っている。
 食事した後でディーターが、
「ここでお茶飲んでもいいんだけど、僕の研究室に来る?」
「行くよ、行きますよ。見てみたいもの!」

 大学の中では一番古そうな建物の中にディーターの研究室はあった。
本棚に並んだ難しそうな本、本、本。パソコンに顕微鏡、でも机の前にはお釈迦様の絵が掛かっている。
「隣は実験室だ。普段は危ないのでお客様は入れないけど、特別入れてあげる。見る?」
「勿論、是非見てみたい。」
実験室に入ると薬品の臭いがする。ビーカーや、フラスコ、薬ビンや様々な実験道具が並んでいる。
 和子さんが言った。
「この前ね、ここにいたら急にアラームが鳴って、学生が飛び込んできたの。実験が失敗して危険な薬品が漏れたからすぐ避難するようにだって、あせったわ。」
ということは和子さんったらしょっちゅうここに来てるんだ。実験室の壁にはアインシュタインが舌を出している有名な写真が貼ってあった。

 研究室に戻ってみんなでお茶を飲んだ。ディーターが出してくれたお茶はコーヒーではなくてベトナムのお茶。ちょっと日本のほうじ茶に似た味がした。
 見ると窓際に蛙の置物が大小いっぱい置いてあって、それがこの殺風景な研究室をとてもなごやかな親しみやすいものにしている。
「蛙、好きなの?」
って聞くと、
「別に・・・」
と答える。
「ハア?」
と僕が言うと、彼が話し出した。

「あのね、最初誰かが蛙の置物をくれたんだ。それを置いといたら他の生徒が見て、僕が蛙が好きなのかも知れないと思って、また蛙の人形をくれた。それをまた置いといたら、また別の生徒が、ああ、蛙を集めているんだ、と思ってまたいくつか蛙を持ってきてくれたんだ。でまた別の生徒が・・・・そうやって自動的にこんだけ集まったってことさ。」
変なディーター。否定すればよかったのにね。でもまあ元々蛙は決して嫌いじゃないってことか。普段の音楽の仕事場と全然違う雰囲気を見て、僕はとても楽しかった。

 ディーターのお昼休みが終わって研究室を追い出されると、僕はみんなと別れて一人でおっちらおっちら自転車で帰ってきた。途中食料品屋さんに寄ってお米と、生姜と、それからこの間フリードリヒにお土産に持って行ったチョーヤの梅酒を買ってきた。あれ本当はフリードリヒにやらないで自分で飲みたかったんだ。
 行きはよいよい帰りは恐い。バイロイトという街は、劇場が丘の上の一番高いところにあるので、劇場から自転車で旧市街や大学方面に向かう時はずっと下り坂なのだ。ほとんどペダルを漕がなくてもいいくらい楽に目的地まで行ける代わりに、帰り道は実に悲惨なのだ。もう最後の方は本当にハアハア、フウフウって感じ。家に着いたら汗が額に滲んでいた。



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