Bayreuth 2001

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

7月20日(金)
 バラッチがバイロイトにやって来た。彼が練習場に現れると一同から大きな拍手が沸き起こり、いつ果てるともなく続いた。彼は簡単な挨拶をすると練習場の一番前で我々の練習を聴いた。驚くべき事に彼がいるというだけで合唱団の声がいつもと違った。バラッチの音になっていたんだ。フリードリヒはなんだか落ち着かなかった。

 フリードリヒはとても一生懸命やっているが、どうしてもバラッチにかなわない点がある。それは音楽の中にドイツ語でLinie というけど、つまりラインがないのだ。一方ではバラッチの指揮は分かりやすいものではない。彼の元でピアノを弾くのはとても神経を使った。いわゆる打点のない指揮なのだ。
 でもそれはバラッチがいつも音楽の線を考えていて、合唱団から横に流れる大きなフレージングを引き出すためだ。それが「バラッチの音」、あるいは今までの「バイロイト合唱団の音」だった。
 で、バラッチがそこにいるだけで、古いメンバー達は無意識のうちに思い出したんだろう。その「バラッチの音」が練習場に響き渡った。その瞬間僕は背筋に電流が走ったね。ああ、バラッチってなんて偉大なんだろうって思った。

 そうだ、僕はとてもバラッチを尊敬していたんだ。彼の作る音楽もそうだけど、無駄のない練習の仕方、みんなにどんどん要求を突きつけていって、みんなをほとんどパニックに追い込んでいく、でその瞬間に急に冗談を言う。そうすると一同大爆笑してなごやかになってまた練習が続いてゆく。そのタイミングが絶妙だったのだ。
 本当にバラッチの元ではどんな長い練習でも決して飽きなかった。素顔のバラッチはとっても素朴な人だ。でも練習中に怒り出すと顔がまるで茹でだこのように真っ赤になる。本当に恐い。彼は声楽的なテクニックを熟知していて、彼の言う事を聞いていれば絶対に間違いがないといった安心感を団員に植え付けていた。僕も彼の元で実に沢山の事を学ばせてもらった。

 話に聞くと、バラッチはウィーン少年合唱団の常任指揮者になるといってバイロイトもローマのサンタ・チェチリア合唱団もやめてウィーンに引っ込んだはずなのに、もうウィーン少年合唱団をやめてしまったそうだ。その理由は簡単。バラッチのスパルタ方式がウィーンのガキ共には通じなかったらしい。で、バラッチのことだからキレてしまたのか。今は再びゲストであっちこっち飛び回っているようだ。だったらまたバイロイトに戻って来て死ぬまでやればいいのに。

 「マイスタージンガー」第三幕「歌合戦」の場面。ゲネプロでは、僕は第二幕の「喧嘩の合唱」以外には仕事がないので、照明塔の上でフリードリヒのやることを見ていた。彼のペンライトフォローは時々せっかちの彼の性格を反映してタイミングが早い。
 突然バラッチが照明塔に現れた。おもむろにそこにあったヘッドフォンを取り出してモニター・テレビとフリードリヒのペンライトフォローとを見比べている。そして彼にアドヴァイスを与えていた。さすがバラッチ。ほうら引退したってまだ放っておけないんだ。色気ムンムンじゃん。どこまでも職人だね。



Cafe MDR HOME


© HIROFUMI MISAWA