Bayreuth 2001

三澤洋史 

写真 三澤洋史のプロフィール写真

8月10日(金)
 いよいよ今日は第九演奏会だ。これまで一度もティーレマンと合わせをしてないので、今日一日でオケ合わせをやって本番に突入してしまうのだ。結構危ない橋を渡っているなあ。
 まず10時からオケと合唱ソリストの合わせ。驚いたことに劇場に行ってみたら「マイスタージンガー」の舞台で背景に使っている巨大なスクリーンが反響板代わりに設置してある。指揮者のティーレマンを始め、ソリスト達もみんな「マイスタージンガー」勢だからという訳かな?このスクリーン、湾曲しているので音が乱反射して歌いにくいので有名なのにわざわざ演奏会で使うなんて、きっとヴォルフガング・ワーグナー氏演出の舞台装置なので誰も文句を言うことが出来なかったんだろうな。

 練習が始まった。で、でかい音!まず僕達はバイロイト祝祭管弦楽団がステージ上で鳴るのを初めて聴いたことに気が付いた。いつも舞台下に潜り込んでいるオーケストラ・ピットからの間接音しか聴いたことがないから、頭では分かってはいたものの、その直接音のボリュームに驚き、圧倒され、ど肝を抜かれた。それはいつも日本で聴いていたあの「第九の音」ではなかった。
 日本では年末の第九が恒例になっているため、何処のオケでも「一丁上がり!」てな感じできまった音がするのだ。ところが祝祭管弦楽団の演奏する第九は、まるで別の曲のように全く予想外の音で鳴り響いた。重厚で哲学的な、これこそドイツの音って感じだった。それに合唱団が加わった。うわあ!すんげえぞぉ~!横を見るとフリードリヒが笑っている。
「でかい音だね、こりゃ!あははははは!」
とにかくこれは想像を絶する第九になることは確かだ。

 ソリストは、先ほども言ったように全て「マイスタージンガー」のキャストから調達した。ソプラノはエヴァ役を歌っているエミリー・マギー、アルトはマグダレーネ役のミッチェル・ブリート、テノールはワルター役のロバート・ディーン・スミス、そしてバスはハンス・ザックス役のロベルト・ホルである。
 ティーレマンは、わずか30分の間にソリスト達や合唱団に自分の音楽的要求を全て伝えなければならないので必死だ。彼の出す指示は全て理にかなったものであったが、取り立てて斬新な解釈だと思わせる点はひとつもなかった。だが、その後休憩をはさんで公開のゲネプロになると、あっと驚くことが随所で起こった。

 それはさながらフルトヴェングラーの再来と言ってもよかった。第一楽章冒頭、霧に包まれたような空虚な五度の響きがしだいに盛り上がってきて叩き付けるようなニ短調の主題が現れるところで、彼はまず第一のアッチェレランドをかけた。その瞬間、オーケストラのアンサンブルが乱れた。だが彼はそんなことは意に介さない。強引に前に進んでいく。オーケストラと指揮者との駆け引きが始まった。オケはティーレマンに対し、
「約束が違うじゃないか!」
と言いたいようだったし、ティーレマンの方は、
「黙ってついてくればいいんだ!」
と言っているようだった。

 彼はきっとオケ練習ではごく当たり前にポイントだけ押さえて練習し、きっとこの時を待っていたんだと思う。指揮台上のティーレマンは、全てのものから開放されているように見えた。楽想のおもむくままに彼はテンポを動かし、まるで今この曲が生まれたばかりのような即興性を持ってベートーヴェンの音楽を紡ぎ出していった。
 僕も、第九はこれまでに何度も演奏してきたので、細部まで良く知ってる。彼のとった解釈は全て、僕の頭の中に一度は生まれながら、他の場所との関連を考えて、あるいは勇気がなくて断念したものばかりだった。悔しかった。このように大胆にどこまでも自分の主張を貫くことが出来る彼の「強さ」がうらやましくもあった。

 また、これが、かつてフルトヴェングラーが追求していた「アインザッツを合わせる以上に大切なSomething」なんだなと気が付いた。すなわち「物理的なアインザッツだけ合っていても意味がないのだ。みんなの気迫やほとばしり出るパッションが合っている事が大切であり、その為には時には物理的な意味での『出だし』などはずれていてもいいのだ」という極端な美学が、フルトヴェングラーの周りではまかり通っていた訳であるが、ティーレマンの演奏を聴いて、その美学が現代においても常識外れなものでないばかりか、むしろ現代には忘れかけられている音楽の最も大切な部分に関わる美学ではないかと実感したわけである。
 ただその為には指揮者とオーケストラの双方に、精神的火花を散らし得るだけの高い技術と感受性があることが不可欠だ。両者の駆け引きは本当にハイレベルなところで行われないと単なる自己満足に陥ってしまうであろう。

 第九の名盤というといくつかあるけれど、万人が認めるところの決定的な名盤に、フルトヴェングラーが1951年に演奏したライブ録音がある。実はこれは、バイロイト音楽祭が戦後ナチとの関わりが原因でしばらく封鎖されていた後、初めて開催された年の記念的な演奏会だったのである。だから当然この劇場のオーケストラと合唱団を使って行ったわけで、今回とシチュエーションが良く似ている。
 若手には珍しく古いドイツ指揮者のタイプに属するティーレマンが、この録音の演奏を意識していないわけはない。しかしながらそれが単なる亜流や真似の領域に留まっていないで、フルトヴェングラーとはまた違った現代的な強い主張を持った音楽に仕上がっているところが、彼が只者でない証拠ではないだろうか。

 ゲネプロは一瞬たりとも気が抜けないスリルに満ちた演奏となった。しかしながら同時に何箇所かは完全にアンサンブルが破綻をきたしたところさえ見られた。現代の整った演奏に慣れている聴衆の中には動揺を隠せない者達もいた。
「ところどころグチャグチャだね。大丈夫かなあ、本番。」
という声が、ゲネプロ終了後帰っていく聴衆の中から僕の耳に飛び込んできた。
 オケのプレイヤーの中には怒っている者さえいた。
「あったま来ちゃうよな。全然違うんだもの。本番もまた違っちゃったら何を頼りに演奏していいか分かんなくなっちゃうよ。」
僕は心の中で、
「先入観を捨てて、自分の感性を頼りに指揮者のイマジネーションに食らいついていくしかないだろうが!」
と思っていた。

 そして本番。まさに怒涛のような演奏だった。ティーレマンは本番だからといってほころびが出るのを恐れて安全運転するなどといったことは一切行わず、それどころかゲネプロよりもさらに攻撃的にオーケストラに立ち向かっていった。こうなるとオーケストラもうかうかしてはいられない。
 僕はこんなスリルに溢れた第九は聴いたことがなかった。合唱団もよく健闘した。聴衆は沸きに沸いた。またひとつバイロイトに伝説が生まれたと確信した。



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