Bayreuth 2001

三澤洋史 

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8月18日(土)
 今日は忙しかった。午前中はピッツ賞の授与式、夜は合唱祭で朝からバタバタしていた。ピッツ賞の由来のヴィルヘルム・ピッツは今から30年前にここバイロイト祝祭劇場で合唱指揮者を務めていた伝説の人だ。その後のバラッチや現在のフリードリヒのようにテクニックで攻めていくのじゃなくて、内面からアプローチしていった人だという。当時を知る人は、ピッツがお話しするだけでみんな感動して涙流していたっていうのだからタダ者じゃないことは確かだ。

 で、そのピッツにあやかってピッツ賞が定められたのが1984年。まだかなり新しい。最初に受賞した人って誰だと思ったら、ヴォルフガング・ワーグナーさんだって。なあんだ内内でやってんじゃないのって感じ。

 この賞は毎年受賞するものではない。だいたい一年おきくらいみたいだけど決まっていない。2年後の1986年には、バリトン歌手のジョゼフ・グラインドルが受賞している。1988年は2人いてソプラノのアストリッド・ヴァルナイと演出家のゲッツ・フリードリヒだ。   
 わずか1年後の1989年には僕をバイロイトに呼んでくれた合唱指揮者ノルベルト・バラッチが貰っている。1991年には往年のワーグナー歌いのソプラノ歌手ビルギット・ニルソン。1994年にはバリトンのフィッシャー・ディスカウ。1996には今をときめく演出家ハリー・クプファーの名前があがっている。1998にはワーグナー研究家のハンス・マイヤーと続いて、2001年、つまり今年の受賞者は、作曲家兼指揮者のピエール・ブーレーズとなった。

 ブーレーズといえば、かつて一大スキャンダルになったパトリ・シェローの演出によるバイロイトのリングの時の指揮者だ。シェローは現代演出ではすでに定番になった、鉄骨や現代服を用いての演出で、バイロイト音楽祭に殴りこみをかけた。その結果、公演後は聴衆の賛成派と反対派が喧嘩を始めるという前代未聞の事態を引き起こしたのである。
 授賞式は合唱練習場で行われた。合唱団が「ローエングリン」の白鳥の合唱を歌って威勢良くはじまったところまではよかったのだけど、その後何だか知らないけど、やたらみんなが立派な演説を長々とするものだから聞いている人たちはホトホト嫌になっちゃった。
 
 そんなところにブーレーズ作曲の現代音楽をテープで流すものだから、ちょっとした事件が起きても不思議ではなかった。
 曲はソプラノと7つの楽器の為の「マラルメの詩による即興曲」。12音技法だからソプラノが笑っちゃうような音形を歌うので、僕の横の合唱団員は最初から下向いて笑いをこらえていた。途中ゲネラル・パウゼがあってゴングが消え入るように終わると、聴衆のみんなはもう終わったのかと思って大きな拍手をした。
 でもこれが違ったんだよな。拍手の中、次のスピーチの番のマンフレット・ユング(テノール歌手)が壇上に上がってしゃべろうとした途端、またゴングが弱弱しく聞こえてきた。一同ざわざわって感じ。ユングはかわいそうにスゴスゴとまた戻っていった。
 で、曲が再び始まってしばらくたつとまたゲネラル・パウゼがきた。って、ゆーか常に同じ感じが果てしなく続いていてクライマックスもなく、いつ終わってもいっこうにさしつかえないような曲なのだ。

 誰かが拍手し始めたけれど、他の人が「シーッ!」って言った。その瞬間、会場全員がこらえ切れなくなって「クスクス、クスクス」って忍び笑いがあっちからこっちから起こってきた。僕の近くの合唱団員なんか涙流して肩震わせて笑っていたよ。きっとその時外に出られたら「うわーっはっはっはっは、ははははははははははははは!!!!」って大声で笑っただろうな。
 
 これって受賞したブーレーズ自身にしてみれば耐え難い屈辱ではないかい?賞をくれるっていうのでノコノコバイロイトまでやって来てみたら、みんなによってたかって、
「あんたの曲、始めも終わりも分かんない曲だね。」
って言われたようなものじゃないか。

怒れ!ピエール・ブーレーズよ!!

 で、3度目の休止・・・・。みんな一瞬緊張した。向こうの方で優雅そうな女性が一人「クックック!」とこらえきれなくて苦しそうな忍び笑いをしている。ハンカチで顔を覆っていたが、目からは涙が出ていた。見ていて可哀想なくらいだった。

 その時だった。会場の真ん中からいきなり、
「はい、今こそ拍手していいですよ!」
という声が聞こえた。一同声のする方に注目。なんとブーレーズ自身だった。
あちゃーっ!最低!

 それから授与式があった。賞状を貰ったすぐ後のスピーチでは、開口一番、
「今度作曲する時はゲネラル・パウゼに一番気をつけます。」
と言ってみんなの笑いをまた誘った。でも笑っていいのかね?これって?
 僕は、
「ベートーヴェンやバッハは、音楽で人を感動させ涙流したりさせるけど、ブーレーズは音楽で人を笑わせて涙流したりさせる事が出来るのだからやっぱり偉大なのかも知れないな。」
と僕は半ば本気で思ったよ。あははははははは。

 帰り際に、フランス語を母国語にしている団員達が2,3人すぐ側にいたので僕は、
「ピエール・ブーレーズよりも、僕はビエール(フランス語でビールのこと)プーレー(鶏肉のこと)の方がいいな。」
と言ったら、みんなで受けて笑ってくれた。こっちでは日本と違って駄洒落に寛容だなあ。「寒っ!」って言って引いたりしないもの。

 夜はChorfest (合唱祭)だった。驚いた事に井垣さんはあらかじめ2人のゲストを招待していたんだ。彼女のおかあさんと、そしてWinter和子さんだった。
 食事をひととおりし終わって、アトラクションの時になった。いくつか出し物があったんだけど、僕が伴奏したやつがみんなに一番受けた。
「三大テノールの競演」というタイトルで、オペラアリアのクライマックスばかりつなげて高音を競い合うのだ。合唱団のなかで一番でっかい奴と、一番ちっこい奴と、そして中くらいの奴の3人は一緒に立っているだけでもおかしい。

 始まってすぐに、
「次はスペインの憧れの曲、グラナダ!」
って一人が叫ぶと、他の者達全員で何回も、「グラナーダ!グラナーダ!」って叫ぶ。僕も叫びながらグラナダの前奏を情熱的に弾くと、もうそれだけで会場から忍び笑いが起こっている。
 で、曲が途中から変な風になってきていつのまにかスタンダード・ナンバーの「バードランドの子守唄」に移っていくんだ。他のみんなはまだ「グラナーダ!」って叫んでいるのに僕だけ「おお!バードランド!」って叫び始める。「バードランドの子守唄」を手拍子に支えながらひとしきり演奏して僕はひとりだけ喝采を浴びる。
 みんなはまだグラナダを歌いだしていないのに、別の曲に移って終わっちゃった。
で、三人のテノールは三人とも怒って僕のところに来て、
「グラナーダ!グラナーダ!」
って叫ぶと僕もわざとへたな英語で、
「ノー、ノー、イッツ、バードランド!ザットイズ、ベター。ビコーズ、グラナーダ、イズ、ベーリイ、デンジャー!」
「なんでグラナダが危ないんだ?」
 そこで僕はパントマイムで手りゅう弾を投げる真似をする。投げてから爆発しないので覗き込みにいくと、そこでドッカーン!ってなる。実はドイツ語でグラナーデって言うと手りゅう弾のことなのだ。

 このパントマイムがもの凄くうけた。みんなお腹抱えて笑っている。その他、歌劇「愛の妙薬」の「人知れぬ涙」の前奏がいつのまにかショパンの「幻想即興曲」になってみたり、「オーソレミオ」を歌い出そうと思ったらいきなり「カルメン」の「ハバネラ」になっちゃって歌い出せなかったり、随所に仕掛けを作ってみんなの笑いを誘った。人に笑われるのってなんて気分いいんだろう。僕ってやっぱり変わっているのかな?

 終わったらWinterさんが僕のところに飛んできて、
「三澤さん、素晴らしいわね。こんな才能あると思わなかった。一番楽しかったわ。」
って言ってた。僕のすぐ横には今年の「ニーベルングの指輪」の指揮者、アダム・フィッシャーがいても彼女にはお構いなしという感じだった。
「あのね、ディーターが明日帰ってくるの。三澤さんに会いたいっていっているよ。」
だって。予定より早くローマに着いて充分に楽しんだので早く帰ってくるんだ。

 アトラクションが終わって、もうなにもないなと思っていたら、いきなり行進曲が大きな音量で鳴り出した。見るとウエイトレスのお姉さん達が一列に揃ってアイスクリームのお盆を上に掲げて行進してくる。一同拍手。
 で、その直後また全員がアイスクリームに殺到して長い列が出来た。おいしかったので僕は2度も並んでいろんな種類のアイスを食べちゃった。
並んでいる時みんな僕に握手を求めてきて、
「お前、凄いね。メチャメチャ楽しかったよ!」
って言ってくれた。音楽的才能を褒められたのとちょっと違ったけど、これはこれで嬉しかったかな。
とにかく今日は、なんか知らないけど楽しい1日でした。



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