Bayreuth 1999

三澤洋史 

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出発まで
 次から次へとやって来る演奏会とその為の練習。大学での授業。地方への移動。宿泊先でのスコアの勉強。こうしたスケジュールの合間をぬってバイロイト音楽祭の為の準備をするのは大変だった。

 合唱アシスタントは、まず稽古の時のピアノ伴奏が弾けなくてはならない。「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」「マイスタージンガー」「トリスタンとイゾルデ」「パルジファル」という5演目の合唱部分を全て準備するわけだ。ヨーロッパの歌劇場では、合唱指揮者が自らピアノを弾きながら稽古をつけたりするので、ピアノに日常的に触れていられるが、日本では専用のピアニストが必ずいる為、かえってピアノに近づくことが難しい。自宅以外でピアノのある場所を確保するのは常に困難が伴った。ワーグナーのピアノスコアは音が込み入っていて、書いてある通りに弾く事はほとんど不可能だ。あの複雑なオーケストレーションをピアノ用に編曲するのであるから、作る方も全部なんて弾ける訳ないさと思いながら書いてある。その中からどの音を省いてどの音を採用して弾こうかいつも迷う。そんな事をしていると、どんどん時間だけが過ぎてゆく。

 ある日、驚くニュースが飛び込んできた。僕を呼んでくれた合唱指揮者ノルベルト・バラッチが今期でバイロイト音楽祭を引退するというのだ。ウィーン少年合唱団の音楽監督に就任する事が決まった彼は、現在務めているローマのサンタ・チェチリア合唱団をやめ、バイロイトも今期限りにして、自宅のあるウィーンに完全にひっこむ腹を決めたらしい。そういえば昨年会った時も「もう自分も70歳になるから、いつまでもこんな生活をしていたくはないよ。バカンスもしっかりとって妻のもとでのんびり暮らしたいと思っているんだよ。」と言っていたっけ。彼がバイロイトにきてから28年間、一度もバカンスをとっていないのだ。それに奥さんがウィーンに住んでいるので彼は一年の大半をローマかバイロイトで一人で暮らしている。「ローマの家はね、海岸のすぐ近くにあるんだ。毎朝海辺を散歩するんだよ。」と自慢しながらも「でもね、いつも一人だからね。淋しいよ。」ともつぶやいていた。僕は彼の言葉を聞きながらも、こんな世界中からうらやましがられる地位にいるんだからいいじゃない、と思って深刻にとっていなかった。さては本気で考えていたのか。せっかくバイロイトでバラッチと一緒に仕事が出来るようになったというのに今年が最初で最後なのかと思うと、僕はがっかりした。それに僕を呼んでくれたバラッチがやめてしまうなら、僕もきっと今年限りかもなとも思った。ともあれ今シーズンはバラッチ最後のバイロイト音楽祭になるのだ。これはこれで貴重な体験になるだろう。残念だけど、だからこそ僕は僕で悔いが残らないように一生懸命やらなければ。

 そうこうしているうちに6月に入って渡独する日がだんだん近づいてきた。僕はあせってきた。充分な準備など全然出来ていなかったのだ。「他のアシスタント達はどのくらい準備してくるんだろう?」そんな事を心配する事自体、自信がない証拠だ。それ以前に、もっと根本的な不安があった。ドイツでドイツ人達の中にまじって、自分が本当にちゃんと仕事が出来るんだろうか、という心配だ。実を言うと、ドイツで仕事をするのは初めてだった。かつてベルリン芸術大学指揮科に3年間在籍していた事があるが、あの時は学生だった。学生でいるのと、仕事してお金をもらうのとでは全然違う。ドイツ語はあまり心配していなかったが、それでもみんなの中に溶け込んでいけるのだろうかと思い始めると自信はなかった。

 一方、僕が関わっている様々な合唱団や団体などでは、沢山の人達が僕のバイロイト行きを応援してくれた。2ヶ月以上も日本をあけるわけだから、そういう人達にもスケジュールの点で少なからず迷惑をかけている。ある合唱団では、8月に計画していたオーストラリア演奏旅行を中止しなければならなくなった。9月始めに演奏会をひかえていたある団体では、直前まで僕の指導を全く受けられなくなってしまっていた。それでも彼等は喜んで僕を送り出してくれた。有難かった。申し訳なさで一杯になりながらも、僕は涙が出るほど嬉しかった。



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