Bayreuth 1999

三澤洋史 

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出発の朝
 出発の朝が来た。成田空港まで妻が車で送ってくれた。二人ともなんだか緊張していて言葉数が少なかった。妻と二人の娘達で構成されている僕の家族は、7月の終わりにパリ経由でバイロイトに来る事になっていた。
 「恐怖の大王が来なかったらバイロイトで会おうね。」
 娘達とはこんな冗談を交わしていた。恐怖の大王とはあの有名なノストラダムスの大予言に出てくる「1999年の7月、空から恐怖の大王がやって来る。」という怖~い人の事だ。世界の終末が本当に来るとは思っていなかったけれど、世紀末的状況がいたるところで起こっているのを見るにつけ、ノストラダムスの言う1999年の7月あたりに世界の何処かで何か事件が起きても少しも不思議ではないと考え、さらに家族の誰かが、ドイツででも日本ででも何かに巻き込まれる可能性だってないわけではない、などと思い始めたならば、こうした会話も冗談だけでは済まなくなる。ひょっとしたら妻の顔を見るのもこれが最後?などとチラッと考えてしまった。
 「どうしたの?」
 「いや、なんでも・・・・」
お互い何かあってもすぐには駆けつけられない処に僕はこれから行くんだからな。そう言えば僕は、妻と付き合い始めた時から今まで、彼女と3週間以上離れたことがなかった。今回は40日以上だぞ。ちょっと淋しいかも。

 成田空港に着いてチェックインを済ませ、余った時間を二人でボーっと過ごしていたら、なんとなくお互いに悲しくなってしまった。音楽祭の準備が思うように出来ていない不安も手伝って、僕もいつものように明るくは振舞えなかった。何気なく妻の方を見ると彼女の瞳がうるんでいる。僕は黙って彼女の手を握りしめた。やわらかく温かかった。遠い昔の恋人時代のときめきがふとよみがえってきた。それはとてもとても素敵な瞬間だった。

 シートベルトがしめつける体を、ガタガタと猛スピードで乱暴に揺らしていたかと思うと、次の瞬間にはまるで嘘のようにスマートに機体は自分自身を浮き上がらせる。あっという間に家や道路が小さくなってゆく。今までに何回これを味わったのだろう?その度に様々な思いを胸に秘めていたっけ。あるときは期待に燃え、ある時は家族と共に旅行の楽しさの中で。でも今回はちょっと違う。胸がキューンとなっている。不安も沢山ある。そして今までにないほど心が高鳴っている。バイロイトへ!ああバイロイトへ!!

 神様、僕の運命をあなたの御手にゆだねます。

神 ともに いまして
行く道を 守り
天の 御糧もて
力を 与えませ




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