Bayreuth 1999

三澤洋史 

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6月20日(日)
 練習初日の朝。緊張している。初めて音大の入試を受けに行った日。初めてコンクールを受けに行った日。そんな甘酸っぱい胸の感覚が甦ってくる。自分が、これまで日本において築いてきた全ての肩書きや地位から引き離されて、ポツンと一人、見知らぬ世界の真中に立たされている気分。

 練習は10時から始まるが、少し早く行ってカンティーネでコーヒーを飲んでから行こう。アパートの入り口を出ると外は快晴。緑がまぶしい。芝生や木々が朝のすがすがしい光を受けて喜んでいる。大きく深呼吸してから歩き出した。

 劇場に着いて東門を抜ける。胸には音楽スタッフ用の証明書。ちょっと誇らしい。カンティーネに入ると、あっちこっちから歓声が沸き起こっていた。合唱団員達がお互いの再会を喜んでいるのだ。抱き合ったり、大騒ぎしている者達もいる。みんな誇らしそうだ。何ってったってバイロイトの合唱団だもんな。僕は一人ポツンと隅っこに座ってコーヒーをすする。よく見ると、僕と同じように隅に座って仲間に入れないでいる者達も少なからずいる。ははあ、彼らも新参者だな。それを見ていたら僕も少し落ち着いてきた。

 バラッチはとても喜んで僕を迎えてくれた。「遠い所よく来たね。元気かい?」と言って他のアシスタントに僕を紹介してくれた。10時になったので合唱練習室に入っていく。沢山の合唱団員達が所狭しと集まっていた。ガヤガヤとうるさい。突然、総監督のヴォルフガング・ワーグナー氏と、夫人のグートルーン・ワーグナーが現れて真中に立った。一同よくわからないままとにかく拍手。それを手で制してワーグナー氏の演説が始まった。例によってフランケンなまりが強く、言っている事の半分くらいしか分からない。合唱指揮者のバラッチが今年で最後だという事や、ドイツ政府からの補助金打ち切りの話があるが、それに抵抗する為にも今年の音楽祭の出来を最高のものにして欲しいと言って、再び万来の拍手を受けて帰って行った。

 その後でバラッチが一人一人合唱アシスタントを紹介した。もうずっとバイロイトに長い、マリーという女の人みたいな名前のおじさん(いやおじいさんかな)。ベルリンから来たフリードリヒ。彼はバイロイトは6年目で、この顔合わせだけしたらすぐにベルリン国立歌劇場に帰って何日か来ないらしい。それからヴィーデブッシュというやたら背の高い、楽しそうな顔をしたおじさん。オッペンアイガーというザルツブルク出身の若者。そして僕。バラッチが僕を紹介する時に、2年前の新国立劇場「ローエングリン」の時の僕の活躍をみんなに話してくれた。ちょっぴりうれしかった。



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