Bayreuth 1999

三澤洋史 

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6月22日(火)
 マルクス・オッペンアイガーは、すごく若いと思っていたが、すでに35歳になっていた。今朝のバラッチの練習のピアニストは、予定では僕と彼の二人に振り分けられていたので、「ローエングリン」の後の「パルジファル」を彼に譲った。ところが彼はあんなにやりたがっていたくせに、いざ弾いてみると全然ダメだった。特に第2幕の花の乙女達の場面では悲惨だった。めまぐるしく転調を繰り返してゆくこの場面では、新しい調が来る度に頭をはっきり弾いて、女声合唱をそれに乗せてあげなければならない。オッペンアイガーは、練習不足の上にあがっていたのも手伝って何をどのテンポで弾いたのかさえ分からないほどだった。女性団員達は、音程はどんどんぐちゃぐちゃになるし、バラッチの指揮とピアノはずれまくるしでパニックになっている。バラッチはバラッチですっかり不機嫌になっている。どうなるのかなと思ってハラハラしていたら、とうとう堪忍袋の緒が切れて、まだ残り時間がたっぷりあるのに
「午前中の練習はもうおしまい!」
とどなって止めてしまった。そのすぐ後でバラッチはオッペンアイガーを自分の部屋に呼ぶ。きっとしぼられているんだろうな。かわいそうに。ヴィーデブッシュは一部始終を見ていた後で、実にクールに「あいつはバイロイトのレベルじゃないな」とのたまった。自分だってそんな威張るほど上手でもないくせによく言うよ。でも結果がすぐ表に現れるだけに厳しい世界だ。そんな世界に自分も生きているのだなあとしみじみと思ってしまった。

 そんな訳で練習が早く終わった。ギャラの四分の一が出ているというので会計課にもらいに行く。急にリッチになった。僕のアパートには電話の接続用ソケットはあるが電話機がない。それに通じるための手続きもしなければならない。そこでこの突然ふってきた空き時間を使ってドイツテレコムに行くことにした。また6番のバスに乗ってマルクト広場だ。バイロイトは何だってみんな旧市街だ。バス停を降りてヘルティーとは反対側、一分も歩かない所にドイツテレコム営業所がある。担当のおじさんにいろいろ話を聞くと、僕が欲しがっているファックス付の電話機はレンタルではかえって高くつくので、思い切って買うことにした。でもほんとう?とかなんとか言って儲けようとしたりして?という目をきっと僕がしていたんだろう。何にも聞かないのに「本当だからね。」とおじさんは言った。通話手続きをしている時、生年月日を記入すると、「おお!あなたは私と同じ年だ!」と僕の頭の上でいきなり大きな声を出した。ええ?こ、こんなおじさんと同じ年かい?まいったなあ。でも、もしかして自分も客観的に見るならば立派なおじさんか?その後おじさんの態度が一変し、490マルクのファックス付電話機をなんと300マルクにまけてくれた。大丈夫かいおじさん?僕が心配する事ではないけれど、ま、同級生と聞いてつい親身になってしまった。電話は25日につながるという。

 午後の練習は、ヴィーデブッシュが自分でピアノを弾いて稽古をつける女声合唱の組と、僕がピアノを弾いてバラッチが稽古をする「ローエングリン」の初心者稽古の組とに分かれた。オッペンアイガーは、ヴィーデブッシュの所でピアノを弾いてもよさそうだが、かわいそうにはずされてしまったようだ。恐る恐る彼に聞いてみる。
「バラッチから、今からでもいいからもっとピアノを練習しろといわれちゃったよ。」
と意外とさっぱりしている。あんまり感じていないのかなあ?もし僕だったら、もう今ごろは人生おしまいって雰囲気だけどなあ。

 バラッチの練習は超機嫌が悪い状態から始まった。でも僕が自分の全神経を集中して、彼の指揮にピタッと合わせ、彼が合唱団に注意する為に一度音楽を止めて再び始める時に、即座に音をあげて練習の流れを作ってゆくと、彼の精神状態がだんだん落ち着いてくるのが、まわりで見ていてもよくわかった。練習は素晴らしく充実したものとなった。合唱団のメンバーも真剣にバラッチについてきた。
終わるとバラッチはニコニコ笑って「三澤君、ありがとう!」と僕に握手を求めてきた。

 午後6時。ヴィーデブッシュと二人で「ローエングリン」男声合唱部分を全員で流す。ヴィーデブッシュは、明日の練習でオッペンアイガーのピアノで「花の乙女達」をやる事になっていたが、自分でバラッチのところに交渉に行って僕をピアニストに決めてきてしまった。ちょっと!オッペンアイガーに悪いよ、それは。
練習後、明日の「花の乙女達」を少し練習してから、カンティーネでまずい夕食をとって帰宅。風邪はまだ治らないので今晩も禁酒しよう。でもこれ以上悪くはならないようだ。またカモミールティーのお世話になる。



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