Bayreuth 1999

三澤洋史 

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6月29日(火)
 バラッチのもとでピアノを弾くのはいつも緊張する。彼は曲を全部暗譜しているので、指揮しながら合唱団員の前をうろうろと歩き回る。合唱練習室は、ピアノの乗っている小舞台を中心に半円状に広がっている。だから彼がバス・パートを見ようとする時などは、僕の全く真後ろに来る事もある。そんな時でも彼の棒から目を離すとずれてしまうので、僕は首だけ180度回転させて弾く。その姿がおかしいとみえて、みんな時々僕の方を見て笑う。確かに僕の首がバラッチの位置にあわせてクルクル回るのはおかしいだろうな。でも他のアシスタントのように平気でずれるのは僕の美学に合わない。僕は時々わざと滑稽な格好をしてみんなを笑わせる。でもバラッチや合唱とずれた事はただの一度もない。その事ではみんなも僕に一目置いている。

 「喧嘩の合唱」のオーケストラ稽古が昼間あって、夜はその録画。わけのわからないぐちゃぐちゃ状態のまま稽古も録画も終わった。良かったんだか悪かったんだかさっぱりわからない。一度、下手の舞台上組と、上手の裏コーラス組が丁度一拍ずれたままずっと最後まで行ったことがあった。バレンボイムはエスプレッシーヴォな指揮を全く止めてしまって、きわめて冷静に、というよりきわめてしらけてメトロノームのように拍を刻んでいるだけ。歌っている団員達は、何かが起こっているのは分かりながら、何がどうなっているのか分からないままとにかく歌い続けるしかなくて、それはそれは吐き気がするほどの物凄い音響だった。バラッチが飛んで来て「Alles falsch! Alles falsch!」(全部ダメ!全部ダメ!)と怒鳴っている。顔を見ると、出ました出ました、真っ赤なゆでだこ状態。セットの後ろで僕はフリードリヒと顔を見合わせて、二人で手を開いて肩を大きくすくめた。こうなってしまうと団員達も反省するにもしようがない。僕はとにかくこの時が早く過ぎ去ってくれる事だけを祈っていた。明日また二回目の録画がある。どうかうまくいきますように。てゆーか、うまくいかなくてもなんでもいいからバラッチの怒りを鎮めたまえ、払いたまえ、清めたまえ。地上に平和を与えたまえ。



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