Bayreuth 1999

三澤洋史 

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7月8日(木)
 今日の午前中の稽古で、「ローエングリン」の立ちが全部ついた。短期間なのに、あれだけ動きの多いコーラスを能率よくさばいて、活気に満ちた稽古をしてくれたワーナーに感謝したい。練習の終わる直前、ワーナーは「二つの事をぜひ言っておきたい。」と団員を集めて話をし始めた。僕は塔に上ったままでみんなの様子を見下ろしていた。
 「私のこれまでの二十数年間にわたる演出家としての活動の中で、こんな素晴らしい人達と一緒に仕事した事はなかった。音楽的にも、演技に対する姿勢、そして感性の面でも、あなた達はまぎれもなく世界一の合唱団だ。今日全ての部分の立ちがついたが、驚くべきレベルのものが驚くべき早さで仕上がったのだ。本当にありがとう。もう一つは、マティアス・フォン・シュテークマンの通訳を兼ねた演出助手としての素晴らしい働きに感謝する。彼なくしては、ドイツ語も得意じゃない自分がここまでのものを達成する事は決して出来なかったであろう。」
 ワーナーは頭を下げる。みんな大きな拍手。いつまでもやまない。ここに来ている人達は純粋だからこんな時は本当に涙が出そうな瞬間になる。僕の人生にとってもかけがえのない瞬間。だがここバイロイトではそんなことが何度も起こるのだ。やはりここは一種の聖地なのだ。

 午後3時。バラッチが「さまよえるオランダ人」の音楽稽古を行う。ピアノは僕。オランダ人のピアノを弾くのは楽しい。音楽のアイデアは初期の作品だけあってシンプルだけれど、それだけに表現が直載的で、心にダイレクトに響いて来る。なによりリズミックなのがいい。休憩になって外に出たら、ヴィーデブッシュが僕の方に近寄ってきた。
 「おまえのニックネームを考えたよ。」
 「なんだい?」
 「Klavier Tiger(ピアノの虎)さ。決して獲物を逃さない虎のように、お前は完璧にバラッチのタイミングをとらえ、まさに動物的なカンでピアノを操る。おまえこそ典型的なKlavier Tiger以外の何者でもない。」
 「ありがとう。」
そんなこと言われちゃうと何となく恥ずかしい。
 新人のバルサドンナは、休憩後に初めてピアノを弾く事になっていたが、なんか怖気づいてマリーに譲ってしまった。意気地なしだなあ。早いうちに清水の舞台から飛び降りちゃった方が楽なのに。もっともバルサドンナの出身のイタリアには清水の舞台はないか。あるとすればピサの斜塔だな。

 午後6時。今朝演技がつき終わってワーナーが挨拶したって、晩にはちゃんと再び第一幕の通し稽古をするのがバイロイトならではのスケジュールだ。日本人が勤勉だとよく言われるが、ここバイロイトの練習は、最もハードなアマチュア・オーケストラやコーラスの合宿も負けるほど超ハード。しかもこれが毎日続くんだからね。ハンパじゃないよ。



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