Bayreuth 1999

三澤洋史 

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7月19日(月)
 とうとうゲネプロに突入した。
「さまよえるオランダ人」だ。僕はミキシング・ルームで亡霊の合唱のマイクをオンにするキュー出しをやっている。今までヴィーデブッシュがやっていたが、彼がもうすぐ帰るので、今日から僕に引継ぎだ。
 バラッチは亡霊の合唱になるといつもピリピリする。第二幕でゼンタとオランダ人の二重唱をやっている時、亡霊の合唱の声だし練習が行われた。いつものようにマリーがやるのかと思っていたら、バラッチが自分でやった。僕がピアノを弾く。今日のバラッチはまた一段と厳しい。
 さあ、第三幕幽霊船の場面になった。僕はミキシング・ルームにいるのでバランスなどは全然分からない。亡霊の合唱が終わってミキサーにマイク、オフの指示をだし、やれやれと思っていた矢先にバラッチが部屋に怒鳴り込んできた。真っ赤になっている。興奮しているのでウィーン訛りのもの凄い早口でしゃべっている。僕には半分くらいしか理解できない。でもどうやらスピーカーから出てきた音のボリュームが大きすぎたらしい。
しきりに、
「マリーがせっかく一生懸命やってくれているのに。」
という言葉を連発している。
それを聞きながら僕は胸が熱くなった。彼の怒りの向こうにマリーへの限りないやさしさが感じられるのだ。バイロイト音楽祭の合唱指揮者という責務が、彼をあれほど厳しい外面的人格へと追い込んでいるが、彼は内面は本当に素朴でやさしい人なのだ。ふと、こうしたバラッチの爆弾も今年で最後なのかと思ったら、この先バイロイトはどうなるのだろうかと不安になった。
 このような事はあっても、基本的にはゲネプロが始まると、すでに戦いは半ば終わっているといっていい。合唱団も声出し練習の他は予定がないので、これから千秋楽まで午前中は暇になるし、あのバラッチの果てしなく続くオニのような練習ももう味わえない。
これからやる事は、いわば出来上がった製品をきれいなパッケージに詰めるような作業だ。考えてみるとこれでバイロイト音楽祭合唱団の音楽作りに全部付き合ったことになる。バラッチと共に働き、バラッチのやり方に身近で触れる事を許された夢のような時間。しかもそれをここバイロイトで経験する事は二度と出来ないのだ。勿論ゲネプロは始まったばかりだし、初日が開いた後でも公演は一ヶ月も続くのでまだバラッチと過ごす時間はたっぷりある。でも渡独まえの不安や、練習初日の時の緊張を思い返してみると、あの頃はゲネプロなんて果てしなく遠くに感じていたっけ。充実した毎日を過ごしている間に月日は風のごとくに過ぎ去っていった。とすればこの調子で千秋楽もすぐ来てしまうような気がする。もっともっと彼の傍で働いていたいという気持ちは、彼の元で仕事をした者だったなら誰しもが持つ感情だろう。



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