Bayreuth 1999

三澤洋史 

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7月24日(土)辺境伯歌劇場における合唱演奏会
 ゲネプロが終わり、明日の25日はいよいよ初日だという今日は、当初は練習が始まって以来二度目の休日になるはずであったが、前ドイツ大統領ヘルツォークの夫人が催す合唱演奏会が辺境伯歌劇場で行われる事になり、休日はいつのまにか返上されてしまった。
 辺境伯歌劇場はバイロイト旧市街の中央に位置する、歴史の古い絢爛豪華なロココ調の劇場だ。歌劇場といっても通常のドイツの歌劇場のように専属の歌手やオーケストラを有しているわけではなくて、いわゆる貸し小屋になっている。映画のロケをやったほど内装は美しいが、音は悲しいほど響かない。
 ここで我等がバイロイト祝祭劇場合唱団が演奏会をやったわけだが、バラッチの指揮というのは分かるとしても、伴奏はというと僕とフリードリヒとバルサドンナの三人で分担したのだ。ええ?こんな僕達なんかにやらせていいのかなあ、と思ったけれど何か合唱団で催物がある時は、こうやってアシスタントが伴奏する事になっているそうだ。ど、どうしよう。こんなちゃんとした演奏会でピアノを弾いた事なんかないよ。僕は伴奏の話を聞いた時からもうドキドキしていた。
 プログラムは、まずバルサドンナの伴奏する「パルジファル・合唱ハイライト」で始まり、フリードリヒの弾く「マイスタージンガー」の歌合戦の場面へと続く。その後僕の出番となって「ローエングリン」から第一幕の祈りの合唱と第二幕後半の男声合唱を、音楽祭の中でも歌っているローマン・トレーケルの伝令と一緒にやる。最後はやはり僕が弾いて「さまよえるオランダ人」第三幕の有名な男声合唱から亡霊の合唱の終わりまで。その後アンコールとして「ローエングリン」の結婚行進曲。
 ここはバイロイト。聴衆はドイツ人を始めとして世界中から集まってきた人達。緊張した僕は久しぶりにメチャメチャアガった。でも終わってすぐバラッチが「ピアノとても良かったよ。」と言ってくれたし、合唱団員に、
「残念だなあ、もっとうまく弾けたんだけどなあ。」
と言うとみんな、
「ウッソー!完璧だったじゃないか。」
と言ってくれた。完璧というのは友情ゆえの表現だとは思うが、元々ピアニストじゃないからな、このくらいで勘弁してもらおうか、と自らを慰めた。でもやっぱり思うように弾けなかった本番は心が晴れない。ああ、悔しい!

 演奏会終了後は、場所を変えて僕が昨年泊まったアルヴェーナ・コングレス・ホテルで会食があった。僕はドイツで初めていわゆるフルコース料理を食べた。
 僕達アシスタントはバラッチを囲んでテーブルに座った。バラッチは上機嫌で、次々にいろんなジョークや小噺をしてまわりを笑わせていた。こんな顔,練習期間中には決して見せた事がなかったのでとても不思議な気がした。
 食事が一通り済むと、アトラクションの時間になった。まずシンガポール人のメンが楽しい中国語の歌曲を歌い、次に井垣さんが「さくらさくら」を歌った。両方とも僕が伴奏した。これらの曲は、例のワグネリアンの歯医者さんであるプロスナー氏のパーティーで来週やることになっている。今日はその予行演習というわけだ。
 その後一人おいてロシア人の若いソプラノの娘が「ナイチンゲールの歌」という曲をロシア語で歌った。すごく上手に歌ったので、まだ二十歳そこそこの女の子の歌に一同すっかり魅了されてしまった。終るとすぐにざわめきと共に割れるような拍手が起こった。バラッチが僕達にすかさず言う。
「合唱団員のオーディションで聴いた時、おお!っと思って、何も考えずに真っ先に採用したんだ。若いのに良く歌うよ。」
 彼女の名前はエフゲーニア・グレコーヴァ。いかにもロシアっぽい名前だ。現在はカールスルーエの音楽大学で勉強しているという。まだあどけない顔をしているので年を聞いたら23歳だそうだ。そういえば彼女は「ローエングリン」で、貴族の子供達の1番ソプラノにも選ばれている。ちょっと憂いを含んだ表現は、ロシア語の響きと相まって、何とも言えない雰囲気をあたりに醸し出していた。みんなが驚いているのは、こんな若いのに自分の世界を確実に持っている事にある。こういう人材がこの合唱団の中には隠れているのだ。全くなんていう合唱団だろう。
 コーヒーとデザートが出て、「もう満腹」とお腹をなでながらふと時計を見ると、もう12時をかなり回っている。バラッチは、
「明日はGrabsingen だぞ、みんな。」
と言って帰り支度を始めた。
「うわあ、もうこんな時間だ!明日の朝起きれるかなあ。」
と、団員達。
「私は帰るからな。あんまりゆっくりし過ぎるなよ。」
と、バラッチ。
「何時集合だっけ?」
「9時半。」
「ゲ!」
「このまま朝までダベっていて、ここから行ったりして・・・。」
「馬鹿言うなよ。」
と団員達は互いにしゃべっている。
 バラッチはバルサドンナが車で送っていった。僕も方角が同じなのでバルサドンナに誘われたけれども、少し散歩して帰らないと多分お腹一杯でこのままでは眠れないだろうからとことわって家まで歩いて帰ることにした。でも歩き始めてすぐに彼の誘いに乗らなかった事を後悔した。実はこのホテルと僕のアパートとは祝祭劇場を真中にしたほぼ反対側に位置していて、歩くと30分もかかる道のりだ。
 合唱団員の集合時間は9時半だが、我々アシスタントはセッティングなどがある為、9時集合になっている。帰りながら家の近くのバス停で明朝の中心街行きバスの時刻表を見たら、なんと日曜日は8時台のバスが一台もない。つまり何かい?明朝は8時過ぎに家を出て、合わせ練習の行われるStadthalle (市立劇場)までまた歩いていかなければならないってわけかい?じゃあ寝不足で初日を迎えるっていうことになるのだね。合唱団員も似たり寄ったりだろうな。うわあ、信じられない!!



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