Bayreuth 1999

三澤洋史 

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ドイツの環境問題
 ドイツのスーパーマーケットには、大抵自動の空ビン回収機がある。ミネラルウォーターやジュース、ビールなどのリサイクル用のビンは各社共有で、洗ってラベルだけ貼り変えて何回でも使う。回収機はコンピューターでビンの型を読み取り、決まった型のビンのみを回収する。何本も回収機に入れ、最後に合計ボタンを押すとレシートが出る。それを切り取ってレジへ持って行くと、他の買い物合計額から自動的に引かれる仕組みになっている。
 街の至る所に、買い戻しではないビンを捨てるゴミ箱がある。白(透明)、緑、茶と分かれているのはビンの色だ。その横には必ず古紙と空き缶の箱がある。ドイツでは驚いた事に、空港や駅を除いては、使い捨てのペットボトルはほとんど見られない。学校教育の中でもリサイクルに対する教育は、かなり徹底して行われていると聞く。
 家庭から出るゴミは、バイオゴミとそれ以外のゴミとに分別して回収される。他の州では、バイオゴミ以外でも、さらに燃えるゴミと燃えないゴミに分別する所もあると聞くが、僕がいるバイロイトでは一緒だった。
 バイオゴミとは、生ゴミを中心とした、いわゆる自然に還る事の出来るゴミを言う。日本では、普通生ゴミは、臭いが外に漏れないようにビニールなどの袋に入れて外に出すが、ドイツでは家の外にあるバイオゴミ用のゴミ箱に、そのままか、決まった紙袋に入れて出さなければならない。自然に還るゴミだからビニールなどの化学物質はあってはいけないという事で、これはこれで理屈が通っているのだが、その結果どうなるかというと、バイオゴミの回収日には、街中が饐えた臭いで満ちるのである。
 僕が自分のアパートから劇場に行こうとすると、よくこの回収車と一緒になってしまう。気分が悪くなって吐き気がするほど臭いので、追い抜こうとすると走り出す。ゴミ箱の下には車がついていて、回収車に先立って係りの人が各家からゴミ箱を引きずってきて、道路端に出しておく。回収車の後ろはクレーンのようになっている。ここにゴミ箱を乗せると、そのクレーンが動いてゴミ箱を持ち上げ、逆さにしてゴミをぶちまけ、丁寧にも底をポンポンと叩く。この瞬間の臭さは筆舌につくし難い。もう鼻が曲がりそうである。で、また追い抜こうとすると走り出す。そんなわけで劇場に着くまでずっと回収車と一緒だったので、臭気が体中にまとわりついて離れない。そんな思いをする事が何度もあった。
 おまけにバイオゴミのゴミ箱の中には、よくウジが涌いていた。最初に生ゴミを捨てに行ったとき、僕はワッと驚いて2,3メートルゴミ箱から跳びのいた。おびただしいウジ虫が行列を作っていたのだ。
街の郊外には、美しい田園風景が広がっている。ところがなんだか臭いがする。僕が子供の頃、群馬の田舎に漂っていた懐かしいこやしの臭いだ。処理されたバイオゴミや、牛馬の糞による、いわゆる有機農法が行われているのである。
 ドイツでは、日本と比べて食べ物が早くダメになる。ハムやソーセージは塩分が強いわりにはすぐ腐る。レモンなどは、あっという間にカビが生える。けしからんなあ、とも思うが良く考えるとそれがむしろ自然の姿なのかもしれないと気が付く。つまりドイツでは日本のようにむやみに防腐剤などを使用していないのだ。

 僕はドイツ人をそんなに礼賛するつもりはないが、彼等が我々日本人よりも明らかに優れている点を一つだけ挙げろと言われれば、僕は彼等の地球環境に対する姿勢を挙げよう。彼等は環境問題に正面から向き合い、議論し、決断して、そして行動している。
そうしてその為には、リサイクルのわずらわしさや、ウジ虫や朝の回収車の臭いや、街の中にまで漂ってくるこやしの臭いをも、全て納得して引き受けているのである。
 ひるがえって我が国ではどうであろうか?よく話題にのぼるし、騒がれているが、結局誰も、何も変えようとはしていないではないか。変わったのは企業のキャッチフレーズだけ。「地球にやさしい」とか「環境にやさしい」とか歌っておけばイメージが良いから、言葉のみが一人歩きして、雰囲気に浸っているだけだ。街に満ちている使い捨てのペットボトル(自分もよく使うからあまり偉そうに言えた義理ではないが)。防腐剤や様々な食品添加物で汚染された食べ物。日本人の一番の欠点は、本当の意味での公益という事を考えて誰も行動していない事だ。環境問題も、考えるふりはするけれど、その為に、今の快適な生活をこれっぽっちも犠牲にはしたくないのだ。でも、そう考えている限り、日本には決して環境問題は根づかないと思う。



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