Bayreuth 1999

三澤洋史 

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8月19日(木) クリニクム・バイロイト(バイロイト病院)の演奏会
 10日ほど前からこの演奏会の事は聞いていた。
「二人のシュトラウス、すなわちヨハン・シュトラウスとリヒャルト・シュトラウスをテーマに、クリニクム演奏会をやるのでソロをやりたい人は申し込んでください。」
と、インスペクターのリヒャルト・ロストが合唱声出し練習の前にみんなに報告したのだ。
 ピアノ伴奏は僕とバルサドンナとに振り分けられた。僕はR・シュトラウスの歌曲を3曲と、J・シュトラウスの「こうもり」の中からオウロフスキー、アデーレ、ロザリンデのそれぞれのアリア、そして第二幕フィナーレを受け持つことになった。バルサドンナは、R・シュトラウスの残りの歌曲2曲、「薔薇の騎士」のゾフィー、オクタヴィアンの「銀の薔薇の二重唱」、それに「ジプシー男爵」からの数曲だ。
 アンコールには飛び切り楽しい「トリッチトラッチポルカ」が用意された。伴奏が難しいので、僕とバルサドンナの二人で連弾する事に決めた。
 「こうもり」フィナーレと「トリッチトラッチポルカ」の練習はフリードリヒが取り仕切った。テノールのコリンは譜面を読むのが遅くて、彼がリズムを引きずったり違う音を歌ったりするので練習がはかどらず、フリードリヒはいらいらしている。
「君達、演奏会というのはね、きちんとやるかさもなければ出ないかどっちかなんだよ。!」
フリードリヒが強く言ってもいっこうに良くならない。みんなも肩をすくめるだけ。
 コリンは自分で選曲して応募したにもかかわらず、彼がソロで歌う「献呈」「朝」の二曲とも音があやしい。「献呈」は僕の担当だが、「朝」を伴奏するバルサドンナは、今奥さんが生まれたばかりの赤ちゃんを連れてバイロイトに来ている為、空いている時間は家にばかり帰っているから、コリンと合わせが全然出来ないでいる。仕方がないから「朝」も僕が練習をつけてあげる。「朝」は伴奏がとてもきれいなので、いっそのこと本番も僕が弾いてもいいんだけれどな。
 ところが驚いた事に、コリンは譜読みは苦手だが一度飲み込むと感性がとても豊かで、めきめき良くなってきた。弱音もきれいに使える。ドイツ・リートにはピッタリのリリックテノールだ。僕は面白くなって「トリッチトラッチポルカ」のテノール・パートも見てあげた。彼は、自分の担当じゃないのに親切にしてくれる僕に感謝した。僕達はとても仲良くなった。
 ソリストの面倒は全て伴奏者である僕とバルサドンナに委ねられていた。つまり僕達はソリスト達を自由に捕まえて稽古をしていいかわりに、きちんとした音楽を作ってフリードリヒの前、あるいは聴衆の前に呈示しなければならないのだ。結構責任重いなあ。
僕は公演の間を縫っての伴奏合わせに忙しかった。カンティーネ祭り以来ずっと仲良くしているベルリン娘、ナディーヌの歌う「万霊節」。ドラマチックなソプラノのハイケが歌う「開放」。それに「こうもり」の3人のアリアと、伴奏合わせにかなり時間を割かれた。
 練習をしながらつくづく感じた事は、みんながそれぞれ自分の中にはっきりとした音楽的主張を持っていて、それを表現する事が上手だ。ロザリンデのチャルダッシュを歌うブルガリア人のカーチャなんかは、最初から僕に向かって、
「ここのテンポはこうで、ここはこうにルバートするから合わせてね。」
なんてズケズケ言ってくるから、うるさい娘だなあと思っていたが、あわせてみると腰を振って踊りながら、ジプシーの情熱を内から匂いたたせて、実にニュアンスに富んだ音楽を展開させている。
驚いて、
「凄いね。どこから教わったの、そんな歌い方?」
と聞くと、
「血よ。」
と答える。
うわあ、まいったな。血って言われちゃったら後もう続く言葉がないもんね。こういう人達が合唱団にいるんだもの、ここの合唱団はうまいわけだ。
 ナディーヌとの合わせは楽しかった。というのは彼女はまだ若いので(21歳)、どういう風にドイツ・リートを歌ったらいいのか分からないのだ。シュトラウスの歌曲は僕のオハコみたいなものなので、ドイツ人相手にドイツ・リートを手取り足取り教えてあげるという貴重な体験をすることが出来た。しかもナディーヌの声はとびきり第一級なのだ。表現力もあり、練習するごとに見違えるように上手になってきた。
 僕がコリンを丁寧に面倒見てあげたおかげで合唱練習もスムーズに進み、フリードリヒも怒らなくて済むようになってきた。ソリスト達もそれぞれに仕上がってきた。

 クリニクムは、バイロイトの街の西のはずれの広大な敷地内にある。高い建物がないので、まるでどこかの農場のようだ。フリードリヒは、
「ここは何時来てもチキンファームのようだなあ。」
と言っている。
 入り口を入ってうわっと驚いた。日本で言うならば外来患者の待合所のホールに人がいっぱいになっている。ええっ?ここでやるの?と驚いた顔をしたらフリードリヒがニコって笑ってうなずいた。
 半円になった人々の輪の中に木目色のヤマハ・グランドピアノが置いてあった。
バラッチが来て、
「どうだい調子は?」
と我々に尋ねた後、一番前の真中席に座った。

 演奏会は大成功の内に終わった。みんな本番になると歌も演技も一段と張り切って素晴らしかった。僕もなんとかボロを出さずにきれいな所はきれいに弾けたし、カーチャのチャルダッシュのワガママなルバートにもピタッとつけられたし、ウィンナワルツも楽しく弾けた。かつて辺境伯歌劇場で心残りだった分、今日は自分で納得の行く本番が出来て嬉しかった。バラッチも大満足だった。
 その後僕達は、そこからそう遠くない森の中にあるレストランに招待された。演奏会の終わった心地良い疲れの中で、楽しい語らいは深夜まで続いた。



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